イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。

イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。セキセイインコ青
 
 
 
 
熊埜大権現(くまのだいごんげん)
 
 
虹の立つところに市場
 
 
あの世と、この世の境目なのか?
 
 
生駒讃岐守の弟 甚助正信が豊臣秀吉の残党狩りを逃れていたが、発見されてこの樹の下で切腹している。
 
 
 
 

 

長尾は何のしっぽ?⑯のつづきです。

にやり

 
 
探検してると、〇〇尾とか、尾がよくでてくるように思います。
例えば、石清八幡宮、長寺、張など
 
菅原道真さんの友、明印さんの長尾寺
屋島の戦いへ向かう源義経が前を通ったであろう長尾寺
村上天皇の血筋と妄想の静御前、その母、磯禅師が得度の長尾寺
 

長尾寺はしっぽ関係では気になりまするビーグルしっぽ猫しっぽ牛しっぽ熊しっぽ黒猫しっぽ

 

 

長尾寺流れ星御詠歌
「あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ」
山鳥の尾。
なぜ山鳥の尾?うーん
 
 
 
 
本道はいづこ・・・叫び
 
大阪~奈良の長尾街道(ながおかいどう)は、大仙陵古墳(伝、仁徳天皇陵)から奈良葛城の長尾神社への道です。
 
讃岐の富田茶臼山古墳から阿波の那羅そして葛城は、大きな古墳から葛城、似てます。グラサン
 
 
讃岐にも「長尾街道」があり、脇道ばかりですが妄想探検中です。グラサン
讃岐の常盤橋~長尾寺の長尾街道(ながおかいどう)とは、
江戸時代に高松藩によって讃岐(高松)五街道として制定された旧街道(高松藩街道)のひとつ。
香川県道10号高松長尾大内線の旧道にして前身。
江戸時代当時、玉藻(高松)城外堀に架けられた常磐橋を起点とした、四国八十八箇所第87番札所長尾寺への東讃地域東西より延びる参拝道路の性質を持つ旧街道。
 
 
 
ご注意ください!
すべて、誤解され野郎のイ探の勝手なモウソウです。昇天
 

まだ千葉氏の白井氏探検が続いています。

前史
室町時代、長尾氏の一族が白井城を拠点とし、この系統は「白井長尾家」と呼ばれる。白井長尾家は長尾景仲・景信のときに関東管領山内上杉氏の家宰となって重きをなした。この時代の白井では中世城下町が形成され、雙林寺が創建されるなど、文化的にも充実を見せた。


景信の子・長尾景春は山内上杉家に対して反旗を翻し(長尾景春の乱)、これに対し関東管領上杉顕定は白井城に入って対抗した。戦国期の白井長尾家は上野国の代表的な国衆の一つとして存在し、その支配領域は「白井領」の名で呼ばれるようになった。白井城は諸勢力の攻防の争点となった。

最終的に白井長尾家は小田原北条家に従属し、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐を迎えることになる。

白井城は前田利家・上杉景勝の攻撃の前に落城し、白井長尾家は没落した。

 

城下町白井、のちの市場町白井宿
白井は、妻川と利根川の合流点にある河岸段丘上にある。

白井城は西側の丘の上に築かれ、城下町は「北遠構」「東遠構」と呼ばれる堀によって囲まれて、軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された平面空間の「総曲輪」と呼ばれた。

城下町の西寄りの地域には武士や職人、東側(東遠構の内側)の地域には町人が暮らしていた。

白井城の廃城後、白井町は「城下町」から「市場町」(在郷町)へと変化する。

 

 

中世の日本では、虹の見える所に市場を立てた。これは市場が、天界や冥府といった他界と俗界の境界領域に立てられるものという考えに基づき、墓場にすら市が立てられたのも境界領域と見られていたためであり、『万葉集』において、柿本人麻呂が亡き妻を想って、「軽の市」に行き、妻をしのぶ歌を作った。『枕草子』において、「おふさの市」=虹の市が登場し、中世の書物や貴族の日記にも、虹の立つところに市を立てなければならないという観念が確認でき、これは虹が天と地の懸け橋という考え方に基づいていたためと見られ、神々が降りる場であり、それを迎える行事として市が開かれたと考えられる。確かに、虹は龍であり、他界と俗界の境界、そして虹は神との約束。つまり、龍=神との約束として現れた。

 

 

 

市場町境目

熊埜大権現(くまのだいごんげん)さんがある。熊野=イヤ。埜はイヤとも読める。熊野権現は、熊野三山に祀られる神。本地垂迹思想で権現と呼ばれる。熊野神は各地の神社に勧請され、熊野神を祀る熊野神社・十二所神社は日本全国に約3千社。相互に祭神を勧請しあい、三山では三神を一緒に祀っているとのこと。この神社前にはイチョウの樹がありその場所は生駒讃岐守の弟・甚助正信が豊臣秀吉の残党狩りを逃れていたが、発見されてこの木の下で切腹している。

 

 

天村雲命は五十猛命とも。五十猛命は素盞嗚尊の御子神で、伊達神とも呼ばれる。祭る神社には伊笠神社(徳島県阿波市市場町)があり、御祭神は天村雲命の別称、天之二上とされる。しかし、神社本庁発行の「平成祭データ」によれば、天之二上命は、伊笠神社のみで祀られているとのこと。鎮座する伊笠山山頂は旧阿波郡市場町の最高峰で、空海の愛犬が葬られていることで知られる市場町犬墓に位置する。東の城王山と対峙する山。天村雲命の子には、天種子命。種子タイプの庚申塔が表すのはこの命のことでは?

 

 

 

 

1634年頃までに、幕府代官・岡上(おかのぼり)氏の命により、東遠構の内側では南北に走る主要道路に直角に接する短冊形の町割りが行われ、道路の中央には悪水を処理する排水溝を通し(明治期に用水路に転換され「白井堰」と呼ばれる)、道路を拡張するなどの市場町としての利便性を高める整備が行われた。

白井は上越国境を越える主要な街道である三国街道(吾妻川対岸の渋川宿を通っていた)からは外れていたものの、沼田街道西通りが通り、吾妻川と利根川の渡河点であり、また草津街道や三国街道との接続点という交通の要衝であった。

元禄の頃には、白井町は上町・中町・下町に分かれて交互に六斎市を開くようになり、活況を呈するようになった。

 

 

六斎市とはなにか?調べると六斎日(ろくさいにち)がでてきた。

六斎日とは、仏教の思想に基づく斎日のひとつで、1か月のうち8日・14日・15日・23日・29日・30日の6日で、前半の3日と後半の3日に分け、それぞれの3日を三斎日と称した。
六斎日の歴史は古く、律令制における令にもこの日は殺生を禁じる規定があり、出家したものは布薩説戒を行い、在家のものは八斎戒を守ることとなっていた。

 

六斎念仏とは、

古く六斎日に行われた念仏であるとされる。

しかし、現在存続するほとんどの六斎念仏は、六斎日の期間に基づいて営まれるわけではなく、主に盂蘭盆や送葬に際して執行されている。
多くの場合、かつて講を形成し、今日では保存会がこれを継承して執行される。
関西の農村や都市近郊を中心に全国各地に存在するうちよく知られるのが国の重要無形民俗文化財に指定「京都の六斎念仏」。
他にも、和歌山県紀北の高野山麓から紀ノ川、奈良県に至る吉野川流域や、奈良盆地、滋賀県朽木や福井県若狭地方、大阪府や兵庫県旧摂津国に属する地域、さらに但馬など関西広域に濃密な分布を示す。さらに長崎県平戸島、高知県、愛知県や山梨県の富士山麓周辺にも六斎念仏の分布が確認できる。

また、千葉県の六座念仏、山形県で行われる夜行念仏も、六斎念仏との関連が指摘される。

六斎念仏は、時に地域によって「四遍念仏」「太鼓念仏」「ひっつんつん」「男念仏」など、名称の変化が大きい。
全国的に展開した六斎念仏が、多く男性が行う点、盂蘭盆(うらぼん、お盆ともいう)の行事として執行される点、演目の一部に六斎念仏独自の共通性が認められる点などで六斎念仏としての類型が可能。

しかし、伝承や芸態は、地域によって大きく異相を示す場合が多い。念仏のみの詠唱から和讃、太鼓曲、獅子舞、その他芸能に取材するものなど多様。
 

今日では偽経とされる『盂蘭盆経』、『報恩奉盆経』などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説に由来。

もともとは仏教行事であるが、唐代の道教の隆盛期に三元の一つの中元節の流行とともに儀礼の融合
日本における日付については、元々旧暦7月15日を中心に行われていたが、改暦にともない新暦(グレゴリオ暦)の日付に合わせて行ったり、一月遅れの新暦8月15日や旧暦の7月15日のまま行っている場合に分かれている。父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事のこと。

 

 

りまりまさんのブログのハイビスカスで脳裏にホオズキが浮かびました。そしてコメントさせていただきました。ホオズキ(鬼灯)は何となくハイビスカスを思った。沖縄ではお墓の周りにハイビスカスが植えられていたり、供えられている。別名・仏桑華(ぶっそうげ)と呼ばれ、沖縄では亡くなった方の幸せを願う花である。故人にハイビスカスを供えるという習慣は昔から受け継がれ、今でも沖縄ではお墓周りにハイビスカスを供えるそうだ。ホオズキは、日本の仏教習俗お盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾る。「鬼灯」の字を当てるのは、盆に先祖が帰ってくるとき目印の提灯の代わりとして飾られたことに由来。ほおずき市。東京都港区芝の愛宕神社の縁日に由来するといわれている。「愛宕」イ探的には、「阿多子」、神阿多都姫の尾。あいやー 妄想でっす。

 



 

 

城下町白井、のちの市場町白井宿。
白井は、吾妻川と利根川の合流点にある河岸段丘上にある。

なんとなく吾妻川と利根川で思った、「吾」とは、

良寛の「・・・吾(あ)はうたひ 吾(あ)がつけば 汝はうたひ つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ 永き春日を 暮らしつるかも」

「妻」とは「・・・(糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる 河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい 汝水川が神のお告げを汚れから守る お互いに呼応し 龍・天村雲命現れる 長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう」

沖縄経由で、河南省の嵩県から淮水に流れる汝水川の地域と関係の皇后なのではないか。つまり、吾妻とは、天皇と皇后ではないかグラサン

 

そして、利根川を妄想、

とねがわ、利根とは戸根

戸は瀬戸や八戸の戸、(山門=ヤマト=山戸かも)おフナト(クナト)さん道祖神=猿田彦大神=庚申塔=阿波神山

フナト=船戸=これ以上くな!との結界=1神+12子神=13(とみ=富)

根は、根のかたす国=黄泉(予見)=予の国が見える伊の国

 

稲荷は、阿波国

厳稲魂女=トヨウケビメ=屋船豊宇気姫命=御倉神の三座=スサノオの子・ウカノミタマ神=専女(とうめ)=三狐神(みけつかみ、御饌津神)=ケツ(ネ)=狐
ネは根?根堅州国(ねのかたすくに)は、スサノオノミコトが父イザナギノミコトの怒りに触れて追われていった、スサノオノミコトの宰領する国。地底深くまた海のかなたなど、遠く現世とへだたったところにあると考えられていた世界。根国、黄泉国ネ=根国(黄泉国)=遠く現世とへだった=現世の遠い昔=大昔の黄泉の国。キツネうどん=大昔の黄泉の国のウカノミタマうどん。ウカノミタマ=オオゲツヒメ=阿波国。大昔の黄泉の国の阿波国。きつねうどん=黄泉の国・阿波国うどん

 

 


 

 

白井町の六斎市。

市場は、天界や冥府といった他界と俗界の境界領域で、柿本人麻呂が亡き妻を想って、「軽の市」に行き、妻をしのぶ歌を作った。『枕草子』において、「おふさの市」=虹の市が登場し、中世の書物や貴族の日記にも、虹の立つところに市を立てなければならないという観念が確認でき、これは虹が天と地の懸け橋という考え方に基づいていたためと見られ、神々が降りる場であり、それを迎える行事として市。

虹は他界と俗界の境界、そして虹は龍であり神との約束として現れる。

徳島県の市場町境目には、祖谷ともとれる熊野権現がありその目の前のイチョウの樹の下で生駒氏は自刃、天二上命(天叢雲)を祭る伊笠山がある。

村上天皇の血筋と妄想の静御前の母・幼い長町磯が摂津江口へ旅立った補陀落山志度寺の志度寺縁起の海女(天)の玉とり伝承の真珠島には、清和源氏につながる生駒氏が、弁財天、吉祥天を祀りなさいと定めている。
弁財天は、河の女神
吉祥天は、北方の毘沙門天の妻もしくは妹
毘沙門天は、多聞天で金毘羅大権現
金毘羅大権現=鰐積=祖谷を北で守護

 

盂蘭盆(うらぼん、お盆ともいう)の行事で父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事の六斎念仏。

沖縄のハイビスカス、お盆のホズキ(鬼灯)に通じる。

ほおずき市は、東京都港区芝の愛宕神社の縁日に由来するといわれている。

「愛宕」イ探的には、「阿多子」、神阿多都姫の尾。

 

城下町白井、のちの市場町白井宿
白井は、吾妻川と利根川の合流点にある河岸段丘上にある。

「吾妻」とは、天皇と皇后ではないか
「利根」とは、予の国が見える伊の国

 

 

 

 

 

市場町白井(群馬県渋川市白井)の地は、予の国が見える

イの国の尾

 

 

 

 

批判に値しないただのちんけなイ探妄想です。

悪しからず。

 

 

 

ではまた。笑い泣き