バリアフリーマップをつくる旅 -11ページ目
静岡市中心部。

知名度の割に、東京から観光で訪れる話をあまり聞かない街。

伊豆とか浜名湖とか富士山とか周りに観光資源が多すぎるせいなのか。

そんなちょっとインパクトに欠けていそうな感じの静岡を開拓しに来た。


  バリアフリーマップをつくる旅 まずは駅前。

新幹線も止まる大きな駅舎。

広いバスロータリー。

周りにはデパートなんかの商業施設。

だが、全体的に時間の動きが止まりつつある

地方都市特有のにおい。

そこはかとなく物悲しさを覚えて調査完了。


次は浅間神社。

立派な鳥居、でも本堂へ続く境内の道、段差や砂利が行く手を阻む。

早々に車椅子での調査は続行不能。


そして駿府城址、ここもダメなら・・・。

あの家康さんも晩年住んでいたっていうお城。

残念ながら天守閣は残ってない。

本丸には公園、お堀を挟んだ外側には櫓や門、さらにお堀を挟んだ外側には行政や文化施設、その外にまたお堀。

お堀が三層のミルフィーユ構造。

内側の二層は車椅子でなんとかなりそう。


公園内に良さげな日本庭園を発見。

受付で「家康さんが造ったのか」と聞くと、「最近になって出来たもので家康とは無関係だ」とのこと。

まぁ、静かで綺麗だから良しとして、池やら東屋やらを愛でながら回遊。
  バリアフリーマップをつくる旅
と、ひなびた雰囲気の茶室を発見。

静岡といえばお茶、期待が高まる。

出てきたのは抹茶と和菓子。

結構なお点前でございましたが、

お腹は満たされずでございました。


物足りなさを埋められぬまま公園を後にし、東御門を抜け、お堀の端に出ると行列を発見。

皆奇抜な衣装。中には顔面にペイントを施す輩も。

行列の先には文化会館。何かのコンサートらしい。

インパクトの薄かった静岡の旅、ここでまさか一番のインパクトと出会うことになるとは。





ということで、おまけ

  バリアフリーマップをつくる旅

本日のゆるカワ

事件はアウトレットの駐車場で起こった。


ゼブラゾーンつきの駐車場にクルマを止め、いつものようにクルマから車椅子を出そうとしたとき、異変を発見。

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よくよく見ると車椅子のフレームが折れている。

エクセレントなまでに。



東京から1時間。


ご当地ラーメンと初詣でおなじみの街、佐野。


お昼にアルティメットな佐野ラーメンを食べ、


佐野厄除大師でパーフェクトなリサーチとお参りを行い、


アウトレットの調査で佐野の旅はコンプリートする予定だった。



ここで二者択一に迫られる。


リスク覚悟で調査を続行するか、


安全策で後日出直すか。


家に帰れば中古のスペアカーがあるのだが・・・。



損傷位置と切断面の形状から判断し、前者をチョイス。


行動範囲と車椅子への負荷を最小限にとどめればなんとかなるかと。


比較的新しい大型商業施設、基本的にはバリアフリーであろうし。



調査しながらいろいろ考える。


これまで長いこと車椅子に乗ってきたがこんな体験はもちろんはじめて。


確か、この車椅子に乗ってからは3年。耐用年数の5年(東京都)を待たずにこれほど致命的な破損が起ころうとは。


  バリアフリーマップをつくる旅
しかし何故・・・?


考えられる原因と言えば・・・、


ここのところ旅先で麺を食べまくっているせいか?


厄除大師でのお賽銭が少なかったせいか?


  バリアフリーマップをつくる旅 1992年、新幹線「のぞみ」の登場をきっかけに

急速に発展を遂げた新横浜。

時を同じく当時から街を形成する代表格が

横浜アリーナとラーメン博物館。

そう、「アリーナ」、「ラー博」そして「新幹線」、

新横浜を支える3本の矢なのだ。


まずは1本目の矢、横浜アリーナへ。

そういえばオープン当初、コンサートを観に来た記憶がある。

ドリカム。あの頃の彼らはスリーピースだったっけ。まさに3本の矢のような。

変わらないのは吉田美和。

20年間、胸キュンなラブソングを歌い続けている。

そうこうしている間に到着。

だが、今日は休館日。次のイベントの設営中らしい。


しかたないので、2本目の矢、ラーメン博物館へ。

日本のフードテーマパーク界の先駆者的存在、全国の味自慢がこの地に集い腕を競い合っている。

只今の出店数は9店。

相手に不足なし、望むところだ。「我、敵十人ヲ倒サザレバ死ストモ死セズ」、北から攻めて、全国制覇してみせよう。


そして矢は放たれた。

初戦は札幌の味噌。かなり濃厚、コシのある太麺。ペロリと完食。

二戦目は気仙沼の塩。魚介系のさっぱり味、中細の縮れ麺。あっさり完食。
  バリアフリーマップをつくる旅
次は、と思いきや、ここでまさかの満腹感・・・。

仕方ない。出直そう。やはり20年前とは違うのだ。


帰り道、ホームの新幹線を眺めながら思うこと。

20年という月日・・・、

街は生まれ発展を遂げ、人は老い食が細る。

そしてこれからの20年はどうなのか?

少なくとも吉田美和、きっと胸キュンソングを

歌い続けてるんだろうな。

65歳になってもラブラブ、ラブラブ・・・。