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海と山、時々きもの

ダイビング記録+きもの試行錯誤の覚書。…だったはずなのに最近は山歩きの記録簿と化しつつある。
23年秋から山のない国に滞在中のため山歩き頻度は低下中。

今回のホテルは一緒に行った知人が予約してくれた5つ星で、古いけど設備は大変充実していた。
 
ロビーにはクリスマスツリー。
宿泊客は欧米人ばかり。
 
知人が予約してくれたのは朝食込のプランだったけど、現地に行ってみたら年末の年越しディナーは料金に含まれていますよ、と言われせっかくなので参加することにした。料金に含まれているのは料理のみで、飲み物は別途頼む必要がある。
 
部屋から見える中庭のプール。この周りにテーブルや椅子を出す。
 
 
更にプールからちょっと1日目を離している間にこのバーの周りに足組を組んで板を敷いてダンスフロアが作られていた。
 
出発前は大晦日のディナーをどうするか決めてなかったけど、一応なんかあった時のためにと思って黒のワンピース(テロテロジャージー素材で普段使いの奴だけどアクセサリー次第でギリカジュアルの上の方に持っていける)とヒール付のサンダルは持ってきていた。
但し寒すぎてワンピースの上にカーディガン羽織った上にショールもかけたのであんまりきちんと感はなかったけど。。。
 
この世に陰キャ選手権があったら入賞できる自信があるくらいには陰キャなので、これまでの人生で年越しカウントダウンみたいな陽の者のイベントには参加したことがない。
 
パリピ欧米人たちは年越しディナーぱーちぃなるものにどういう恰好で行くんだろう、と眺めていたけど、女性は結構気合入った格好が多くて驚いた。
ドレスは総スパンコールのミニドレスとか胸が半分くらい出ているロングドレスとか結構なドレスアップ度高めのドレスだったし足もともヒール10㎝ありそうなパンプスとかかなりきちんとしていた。
リゾートなのに皆ちゃんとこんなドレス持ってくるんだなぁと感心。
しかもこの気温16度くらいの寒い夜なのに上に何も羽織らず露出したままなの強い。さすが欧米人。
年配のご婦人はワンピースにジャケットみたいな恰好が結構多い。
 
男性はそこまででもなくて、大抵は襟付きシャツくらい。中には蝶ネクタイしてジャケット羽織っている人やマツケンサンバみたいなギラギラ素材のジャケット着ている人もいたけどごく少数。
 
食事はビュッフェ形式で色んな食事があった。
さすが海辺で海鮮も豊富。
 
前菜コーナー。

 
寿司コーナー。

 
飾りのスイカたち。

 
たぶんチェ・ゲバラだと思うんだけど、何故にエジプトのリゾートでチェ・ゲバラが選択されたのか謎。

 
チェゲバラとディズニー映画のプリンセスが並んでるのちょっとおもしろい。

 
たぶん上段は中東のエライ政治家とかだと思うんだけどその人達とマリリンモンローが並んでるのもちょっと面白い。

 
デザート。
手前のこのもしゃもしゃしたお菓子たちは中東やマグレブ諸国でよく見る奴で、ナッツペーストみたいなのをもしゃもしゃでくるんで蜜掛けしたお菓子。
私はこの甘さ増量500%みたいなお菓子が大好きだけど、妹は甘すぎて苦手らしい。

 
プールの脇のステージではダンサーさんが踊ったり音楽演奏したり、そしてそれに合わせてプール上のダンスフロアでは欧米人たちが踊りまわっていた。
 
なんかリゾートっぽいなーと思ったのは、たぶん宿泊客の出身国はある程度把握していて、そこが12時になるたびに「今〇〇が新年になりました!Happy New Year!」とアナウンスがあった事。
アルメニア、というアナウンスも聞こえたので結構ヨーロッパの色んな所から人来てるんだな、と思った。
(宿泊客の中で一番多いというロシアはたぶんディナー開始時には既に新年になっていたからだと思うけどアナウンスなし)。
 
色んな国の年越しアナウンスを経てエジプトが12時になった瞬間にはイルミネーションとひらひらが舞い花火が打ちあがった。

 

これが陽の者が参加するという年越しカウントダウンぱーちぃか。。。

 
良い経験にはなった。
 
知人と初日の出見ようね、と言っていたものの私は酔っぱらって寝てしまったので起き上がる気力はなく、これは寝転がりながら撮ったエジプトリゾートの初日の出前(日の出の瞬間は二度寝して見逃した)。

 
海外リゾートで年越しするのは初めてではない(確かタヒチは年を越したはず)けど年越しパーティに参加するのは初めてで、楽しかったけど陰キャには色々と眩しく、まぁ人生でもう参加することはないかな、と思った。
 
滞在した4日間で非白人の宿泊客は我々だけで、こういうアウェー感を味わうのは久しぶりだった。
聞こえてきた言語はイタリア語、英語、ロシア(?)語。
 
ホテルの人によるとロシア人の宿泊客が大半らしいんだけど、本当だろうか。
 
確かにシャルムエルシェイクはロシア人が多いとは聞いていたけど、今もなんだろうか?
ホテルでもスパや朝食の時に結構ロシア語っぽい言葉(ダ―とかニェットとか)が聞こえてきたけど、私の乏しい言語知識ではロシアとその周辺国の言葉の区別がつかないし勿論顔見ても区別つかないので、果たして彼らがロシア人なのかその周辺国の人達なのかはよくわからなかった。
 
あんまそっち関連のニュース詳しくはないんだけど、ウクライナはそもそも一定の年齢の男性は国を出られないとか聞いた気がするけどロシアはそういう制限ないのか?
一応戦時中なのにエジプトまで年越ししに行く経済的余裕があるのか?
 
もし戦時中なのに一般家庭がこんなところまで海外旅行に来る余裕があるんだとすると国としても余裕があるってことなのかな。国力すごいな。
この人達がロシアから来てるんだとすると皆どういう気持ちで今にこにこの笑顔でフロアで踊っているんだろう。
 
まぁでも私だって世界のあれこれを見ないふりして自分の欲に忠実に生きてるんだから人のこと何か言う資格はないんだよ、それはわかってるんだけどね。。。

などとちょっともやもやしながらエジプト旅、終了。
エジプトに行くちょっと前から風邪ひいていて鼻たれ小僧だったけどポテト王国に帰ってきたら1週間くらい雪で鼻たれ小僧が悪化した。

 
年末はエジプトのシャルムエルシェイクで弾丸ダイビングしてきた。
 
2019-20年の年末年始にタヒチのランギロアでダイビングして以来の6年ぶりのダイビングだったけど、体感1000年ぶりくらいに感じた。
 
不安過ぎて、前夜は一睡もできなかった。
そもそもダイビングショップが信頼できるところなのか、とか、思ったより寒そうなので寒がりの自分が耐えられるのか、とか、上級者向けで流れが早いと書いてある記録もあって6年ぶりで器材のセッティング方法も完璧忘れている自分がそんなの耐えられるのか、とか。
 
あと、出発1週間前くらいから風邪で体調が激悪で鼻がずるずる咳がごほごほだったのも不安材料だった。
咳は咳止めで何とかなるだろうけどきちんと耳抜きができるだろうか。
昔耳抜きを失敗して、たぶん外リンパろうと思われるものになったことがあるので(たぶんというのは例によって医者に行かなかったので)、結構不安である。
 
泊まったホテルにダイビングショップは併設されていたけど、ネットであまりにも情報がなかったのでやめておき適当にツアー会社で有名な国立公園であるラスモハメッドでのダイビングを申し込んだけどそこはレビューは良かったけど信用できるかは心もとないな、とも思っていた。
 
指定された7時20分にホテルの前で待ってたけど15分遅れくらいで迎えが到着し早速不安になりながら港へ向かう。
港にはすごい数の西欧人がいた。アジア人は私と中国人カップル1組しか見かけなかった。
たぶん色んなツアー会社が集結しているっぽく、皆いっせいに湊に停泊している船に乗り込む。
 
これが我々の船。3階建てで結構立派ではある。30人くらい乗ってて3人除いて全員イタリア人だった。
後の3人は日本(私)、スイス、コロンビア。
このうち殆どはシュノーケリング組でダイビングをするのは私とスイス人とイタリア人のみだった。
スイス人とイタリア人はそれぞれAOWとレスキューのライセンス持ちということで、自分が足を引っ張らないか不安になる。
 
こんな感じで色んなツアー会社がいっせいに出港して50隻くらいの大船団でラスモハメッドに向かう。
 
イントラさんは2人載ってるとのことだったけど、実際に一緒に潜ったのは1人だけだった。
 
「5年くらい前まではたくさん日本人ダイバーが来ていたんだよ。今はもうほんとに見なくなった。なんで?」とイントラさん。
 
まぁ、円安がひどいからなぁ。。。
 
たぶんコロナで渡航制限が色々面倒くさくなって海外へのダイビング熱が薄れ(自分がそう。山に嵌ったのもある)、普通になってからは今度は円安がすごいことになり、わざわざエジプトまで行こうという奇特な人があんまりいなくなった、というのが自分の推測。
 
滞在中も日本人を殆ど見なかった(というかポテト王国からシャルムエルシェイクに行く便で一緒になった駐在員家族以外は日本人観光客を見かけなかった)。
 
ちなみに治安の不安もあるのかなとは思う。
エジプトのシナイ半島は、このシャルムエルシェイクと近くのダハブ(とその周辺)を除いて外務省の渡航中止勧告が出ている。
シャルムエルシェイク自体は渡航中止勧告の対象ではないけど、個人的には過去の記憶からちょっと怖い気持ちはあった。
 
前回パリに駐在していた時はダイビングに人生を捧げていたのでシャルムエルシェイクはダイビング目的で行くつもりでいたんだけど、2015年、シャルムエルシェイク発ロシア行の飛行機がテロ(機内で荷物が爆発)で出発直後に墜落し、全員亡くなる、という事故が発生している。
それ以来私の中ではシャルムエルシェイクはテロと切り離せないちょっと怖いイメージがついている。
 
ちなみに今山にドはまりしている身として、シャルムエルシェイクで登山ってできないのかな、と調べたら、シナイ山というモーゼのうんたらで有名な山に行くツアーが結構あるのを知った。
個人で行くのではなくシャルムエルシェイク発のツアーに参加すれば大丈夫じゃないか、と最後まで行くのを迷ったけど、どう地図をひっくり返してもシナイ山は渡航中止勧告エリアの真ん中にあるように見えたし、エジプトに駐在していた知人に聞いたらシャルムエルシェイクからシナイ山までは1本道でそこをテロリストに抑えられたら終わるらしいので、涙を呑んで断念した。
 
これは全然関係ないどこかの山。
 
器材はレンタルしたんだけど、ウェットスーツを見て(しまった)、と思ったのは欧米人仕様の半袖短パンのウェットスーツだったこと。
事前に指定してしておくんだった。
前夜市内で長袖のラッシュガードを買ってはいたけど、絶対に寒い。
イントラさんがフードを貸してくれたけど、エントリーした瞬間、これ、あかんかも、と思った。
 
エントリーしてすぐ、海底にダルマオコゼみたいなのが張り付いていてガイドさんに手招きされた。
 
が、沈もうとするとダルマオコゼ(仮)の近くは冷水層になってて寒すぎて慌てて戻った。
…にもかかわらずイントラさんが(何やってるんだ、こい)と私の腕を引いて冷水層に引き戻そうとするので凍るかと思った。
 
ちなみに風邪のせいなのか耳抜きもあんまりうまくいかなかったので二重の意味で海底に近づくのは苦痛であれこれジェスチャーしたんだけどイントラさんには残念ながら伝わらなかった模様。
 
 
そんなに深度もないんだけどとりあえず寒い。半袖半パンはつらい。
 
さんごはきれいなんだけど。
 
 
大物はナポレオンとか、あとモルディブでも見た気がするデカい迷彩柄の魚がいた。
 
上の動画にもうつっているけどラスモハメドはこういう体験ダイビング(イントラさんが常にダイバーを掴んで連れまわす)のグループがものすごく多くて、今回2本潜ったけど2本とも海の中は大渋滞していた。
 
サンゴ礁の規模は今まで見たどこよりも大きかったかもしれない。
慶良間のサンゴ礁をもっと大規模にした感じ。
 
 

ちなみにこれは翌日ホテルのビーチから小舟で5分くらい走ったところでシュノーケリングをしたときのもの。

ラスモハメドと大差ない規模の大きなサンゴ礁がシュノーケリングでも楽しめる(エイもいた)。
 
 
これがホテルの近くのサンゴ礁。
 
私の勉強不足なだけか紅海で大物ダイビングってあんまり聞かないので、サンゴ礁の美しさを楽しむのがメインなのかもしれない。
今回3本目でシャークリーフという所をお薦めされて寒すぎて結局潜らなかったんだけど、そこはドロップオフになっているとのことだったのでもう少し大物、それこそ名前にもなっているサメなんかが見られるのかもしれない。
 
今回はサンゴ礁よりも自分が一番衝撃的だったのはこれ。巨大ウツボ。

 
どんくらいデカいかというと、見た一瞬はサメかと思うくらいでかかった。
長さは私の身長よりも長かったし、胴体幅も私の2倍はあった。
 
ウツボはお顔がワイルド過ぎて元々そんなに好きではないんだけど、ウツボに恐怖を感じたのはこれが初めてだった。
 
ウツボのあまりのデカさにビビりちらかし写真もうまく撮れず逃げるヘタレチキン。
これはホテルのビーチにあった海の生き物図鑑、みたいな看板なんだけど、これにあるGiant Morayというのがこの巨大ウツボだと思う。日本語ではドクウツボ。
 
もしこれに海中でばったり出会ったら私はロケット急浮上する自信がある。
 
とりあえず久々のダイビングは巨大ウツボと寒さの記憶で終わった。
昼食をはさんでホワイトアイランドという海の中で遠浅みたいになっている有名なスポットでシュノーケリングを楽しむ時間もあったんだけど、あまりに寒すぎて船上でタオルを被ってがたがた震えながら遠くでキャッキャする若者たちを眺めていた。
欧米人、耐寒性能高すぎ。
 
海の色が変わっているところは人の立てるくらいの砂浜になっている。
陸地に近い訳でもない海の中にいきなりこんなところが出現するのおもしろい。
 
久々のダイビングは楽しかった。
でも寒くてサンゴ礁とウツボ以外の記憶がないので、もし12月に潜ろうという人がいる場合はウェットスーツは持参するか5mm長袖長ズボン、とか指定してレンタルしたほうが良いと思う。
 
あと、ダイビングショップはきちんと選んだ方が良いなと思った。
私が今回選んだツアーは適当に選んだものでやたら評価高いなと思ったんだけど、これはたぶんからくりがあって、帰りの船上でスタッフが寄ってきて「今ここでレビューを書いて欲しい。マネージャーに報告するから」と言われて目の前でレビューを書かされそれを写真に撮られた。
普通に親切な人達だったけど器材にちょっと不具合もあったしでもそういうのは目の前では書きづらいので、どうしても評価は上振れがちになるのかな、と思う。
 
チップは強制ではないけど最後にチップをよろしくみたいな説明が(イタリア語で)あって、チップ箱を客席に置かれた。
私は一応400EGP入れたけどイタリア人の若者たちは誰も入れてなかったのでこれは人それぞれ。
私は後は個別でガイドさんにちょっと渡した(フード貸してくれたり私があまりにも寒い寒い言うので2本目はウェットをもう1枚貸してくれたり色々と気を遣ってくれたのと最後のイグジットの時に私がGoproを落として取りに行ってくれたせいで安全停止をもう1回する羽目になったりと迷惑をかけたので)。
 
なんかその際、「学生時代に左足にヒビが入ったので骨に異常があった場合の痛みはわかる、今回は違う」みたいなことを偉そうに書いた。
 
これが落ちたてほやほや翌日の右手小指。
 
腫れてはいるけど骨にひびが入ったときの痛みではない。
 
と突き指なんだと思ってたけど、1か月後のデュフールシュピッツェでも痛く、デュフールから帰ってきて1か月たち、2か月がたってもまだほんのり痛くて、さすがに11月頃から
 
なんかおかしくないか?
 
と思い始めた。
 
突き指ってこんなに治らないものだろうか。
と思ってネットみると、治るのに要する期間は数週間から1か月と書いてある。
 
既に4か月は経っている。
 
さすがに遅くないか?
 
なんかおかしい、と思った理由は痛みだけではない。
 
右手の小指、変。
 
何が変かというと、
 
①まず、伸びないし曲がらない。
 
←が左手小指をMax伸ばした状態
→が右手小指をMax伸ばした状態

 
右手小指、伸びてない。
↑の右手小指はわざと曲げているのではなく、これがMax指を伸ばした状態。
これ以上まっすぐにならない。
 
更に、伸びないだけでなく完全に曲げるというか指を握りこむこともできない。
右手を握りこもうとすると途中で小指だけ第2関節がつっかえるようななんか変な感じがする。
 
②第2関節がなんかおデブ。
 
上の写真でもちょっとわかると思うけど、右手小指の第2関節が左手小指の第2関節よりも太い。
 
第2関節のおデブさは正面から見た比較図のほうがよくわかる。
 
←が左手小指。
→が右手小指。

 
右手小指、やっぱりなんか変。
 
第2関節が明らかに左手(正常な状態)より膨らんでいる。
 
ちなみに右手小指の第2関節は普通に痛い。
常に痛いというよりは力が加わると(いたぁ、、)となる、くらいのマイルドな痛さ。
骨にヒビ入った時は突き抜けるというか刺すような鋭い痛さだったけど、これはそれとは違うじんわりとした痛さ。
 
落ちた当初は突き指だと思ってたのでGoogleでテーピングの方法を検索し適当に薬指に小指を固定するようなテーピングをしていた。
その素人治療が悪かったから変な風に小指が固まってしまったんだろうか、、、と思いつつ、病院には行かなかった。
 
理由は幾つかあるんだけど、まず何よりも英語が通じる病院を探すのが面倒くさい。
 
…というのは不正確で、もっというと例え通じたとしても
 
英語で先生とやり取りできるだけの英語力がない。
 
私のなけなしの英語力の容量は全て仕事に割り当てられている。
 
だから
 
グローバルな競争の激化→increasing global competition
 
みたいな英語変換はすぐに出てくるけど
 
「突き指」を英語でなんて言うのかわからない。
ちなみに「小指」も英語でなんて言うのか知らないことに今回気づいた。
 
こんなミジンコ英語力で病院に行くのは面倒くさい。
 
と思い今まで放置していたんだけど、この前久しぶりにこちらで日本人の知り合いの人に出会って酒のネタとしてこの右手小指の話をしたら、
 
「ああ、それは腱が切れてるんだね」
 
と言われた。
 
指にも腱ってあるんや。。。
 
腱って足首のアキレス腱だけかと思ってた。
 
帰ってきてからネットで調べたけど、確かに症状をみると、屈筋腱損傷、の症状によくあてはまる気がする(指が曲がらない、切れて時間がたった腱は太くなる、等)。
指が曲げられないだけではなく完全に伸ばすこともできないので、屈筋腱だけじゃなく伸筋腱もおかしい気がする。。。
 
で、読んでいて、ふと、
 
腱って英語でなんていんだろう
 
と気になったので調べてみた。
そしたらどうやら
 
tendon(テンドン)
 
というらしい。
 
天丼なんや。
え、おもろ。
 
じゃあ「腱が切れたんです」っていうのは
 
テンドン・イズ・トーン
 
なのか。(the tendon of the little finger is torn?とか)
 
なんかちょっとおもろ。。。と思いながら治療法を見たら真顔になってしまった。
 
どうやら腱が切れると直後なら縫い合わせは可能らしいけど、時間がたって腫れたような腱はそれは不可能で、結構な確率で別の所から腱を持ってきて移植する手術が必要になるらしい。
 
移植手術マジか
 
意外に大工事が必要なことにちょっとビビった。
 
骨にヒビ入ったときですら「自然治癒を待つしかないんですよね。できることはテーピングくらい」って言われたのに。
 
骨ですら自然にくっつくのに腱はくっつかないのか
 
まじかー。
そんな修復に大工事必要な部品が指にあるってわかってたらもうちょっと気を付けてた…なんてことはたぶんない。
 
とりあえず、現在私が抱えているこの指の症状について考えられる可能性と取りうる選択肢を考えても
 
骨にヒビ→なすすべなし。自然治癒を待つしかない
突き指→なすすべなし。自然治癒を待つしかない
天丼がトーン→既に手遅れ。移植手術必要な可能性大
 
なので別に急ぐ必要もなく、医者に行くのは来年帰国してからでいいか、と思っている。
日本語通じるし。
受傷から1年もたって来院してお医者さんにキレられないかというのがちょっと怖いけど。。。
 
メンヒ、相棒であったアイゼンちゃんを片方喪失したのが一番の痛手だと思ってたけど指の腱まで逝かれてるとなると結構高い勉強料になったなぁ。
改めて自分の甘さを反省。
ツェルマット(&サースフェー)山旅7日目。

 

この日は熟睡して朝目覚めた。

夜中にデュフールやノルデンドに出発する人達は結構いたけど、うるさいなぁと思いつつぼんやり目覚めその後すぐまた熟睡したので結構寝られたと思う。

 

朝6時に朝食を食べ、身支度しながら小屋周りを眺める。

早朝は夕方と同じくアイベックスが周りを歩いている。

 
これは前日の夕方小屋の中から撮ったアイベックス家族。

 
 

 
今日はローテンボーデンに帰着するだけなので急ぐ必要はないんだけど、往路があまりに暑かったのでこの日も早めに出発すると決めていた。
 
さようなら、遠かったデュフールシュピッツェ。

 
お世話になり有難うございました、モンテローザ小屋。
超快適だった。

 
 
さていくか。
 
最初のうちは日陰で暑くもなく快適。
 
この辺りは往路はばてばてで写真を撮る余裕もなかった。
ローテンボーデンからモンテローザ小屋までは一応道はこんな感じで印がついている。
 
 
危ないところには鎖(?)があるし、
こういう足場もある。
 
たまにこういうケルンも積んでいる。
 
 
これは幾つかある渡渉箇所の一つ。一応印を目印に渡れるところを探せばよい。
 
梯子がかかっている所もある。
 
 
だから本来迷うことはないはず。。。
 
 
 
。。。なんだけど、何故か私はたぶんこの辺りで道迷いをしてしまった。
 
気づいたら、あれ、こんなところ通ってきたっけ、と思いつつ進んでいた。
 
ここまでガレガレしたところを通っただろうか。
 
さすがにおかしいかも、と思いつつ引き返せなかったのはこの写真に映ってはいないけど右上の方にポールらしきものが見えていたからで、でもこの下の写真の箇所を登るにあたって、往路で氷河を超えて最初の所以外にこんなにザレザレのところを下った記憶はなかったのでさすがにおかしい、と思って立ち止まった。
 
GPSを見るもよくわからない(致命的)。
 
一瞬、どうせ後から人が来るだろうからその人達の通るのを待つか、という山の神様に怒られそうな事を思ったけど、いやいやいかん、と思い直した。
変だ、と思ったら変じゃないと確信できる所まで戻ればいい。
 
戻りかけたところではるか下の方で人の声が聞こえたので見たらだいぶ下を人が歩いている。
どうやら私は登山道の目印をどこかで見落として、本来下らなきゃいけない道を上に登ってきてしまったらしい。
 
これは後日見たYamapの記録で、たぶん道迷いしかけた所。
こっちでのYamapのレコは後から見返すとこうやって登山道を逸れている、とわかるんだけど、行動中はこの黄色の登山道印出てこないんだよね、、、なんでだろう。プレミアムだと出たりするのかな?だったらプレミアム入るけど。
 
ようやく登山道復帰して一安心。
 
今度は見落とさないように目を皿のようにして青白マークを探しながら歩く。
 
道迷いしかけた原因を自分なりに分析すると、標識を見失った箇所はちょうど平らな岩場が続いている所だったので、人の足跡が見つけにくかったこと、あと、逆光のようになっていて岩場の上についていると思われるこういう登山道の目印を見落としてしまったこと、が原因なのかなと思う。
 
たぶんこれに似た平らな岩場。
 
こういう目印は日光の光が強いと見落としてしまう。
 
道迷いでちょっと無駄に体力を消費したけど、ようやく氷河が見えてきた。
 
 
 
往路では氷河の先端から降りたけど、この日は手前に氷河の壁を結構無理くりよじ登った跡がついていたのでそれを有難く拝借することにした。
 
 
 
クレバスは相変わらず怖いなぁと思うけど昨日のモンテローザ氷河よりは百倍ましな道に見えた。
 
 
 
何度も振り返ってしまう。さよならデュフールシュピッツェ。。。
もっと君に近づきたかった。
 
氷河を渡り切ったらもうハイキングルート。
 
このオールドルートとパノラマルートの分岐の辺りで大休憩を取ってのんびりした。
 
あとはひいこら言いながらひたすら登りのルートをローテンボーデンまで登る。
 
無事ローテンボーデン着。
 
ローテンボーデン到着直前は、もう行倒れるかも、と思うくらい疲れていたけどここでベンチに座って休憩したらちょっと気力を取り戻したので、少しだけ歩いて降りることにする。まだチェックイン時間には早いし。
 
 
 
暑いせいかそんなに人も歩いてなくて最高。
 
 
 
 
 
一駅歩いて降りて駅の傍のバーで一人祝杯をあげた。
 
 
 
この日のお宿はAlexという駅傍の4つ星を予約していた。
 
チェックイン時間にはやや早かったんだけど、部屋の準備は出来ているということで入れてもらえた。有難い。
 
さすがの設備だったし、駅傍で便利だったし、次からはここにしようかな。。。
 
4つ星ホテルディナー(嘘)。
 
心の友、カップヌードルを啜りながら、無事旅が終わった幸せと旅の間見た素晴らしい景色たちをしみじみと噛みしめた。
 
最高に楽しかった。
どこも良かったけどやっぱり一番強く印象に残ったのはローテンボーデンからモンテローザ小屋までの旅、そしてデュフールシュピッツェに近づこうとした真夜中の山歩きだろうか。
 
もう一度行けるとしたらまたモンテローザ小屋に行ってみたい。
そこからデュフールに近づく旅をもう一度トライするのも良いけど(でもたぶん登頂は無理だと思う)、そのままマルガリータ小屋まで旅するのも魅力的だ。
私は来年の夏には日本に帰る。
また欧州に赴任になることはあるんだろうか。
あったとして、その頃私は山に登れるような体力はあるんだろうか。
というかそもそも、私は今の会社にいつまで勤めるんだろうか。
 
色々と次の旅に思いを馳せながら約1週間のツェルマット(&サースフェー)山旅、これで終了。

ツェルマット(&サースフェー)山旅6日目。

 

夜中2時に朝食だったので1時半に起きるつもりだったけど、結局この日殆ど寝られなかった。

前回の日記で「緊張とうるささで」と書いたけど、半分言い訳で、たぶん9割緊張のせいだったと思う。

何故ならデュフールから帰ってきた夜は同じように周りはうるさかったけど朝までほぼ起きずに爆睡してたので。

 

デュフールシュピッツェへの登頂はあきらめる、と決心したから少し楽になったけど、ほんとにそんなことで良いのか、という気持ちと、真夜中に初見のルートで、日本でいつも頼ってきたyamapの地図もないのに道が見つけられるのか、という不安で胸がずっしりしていた。

 

のろのろ準備して2時15分くらいに食堂に行き、自分の名前が書いてある机を探す。

周りはなんか猛者っぽいグループかガイドと客と思われるグループばかりだ。

両腕と首まで入れ墨入ったお姉ちゃんがカッコいい。

 

ひとりは誰もいない。

 

向かいのテーブルのカップルが、(え、あのチキン一人なんだけど)みたいな目で見ている気がする。

横を通り過ぎていった両脚にいかつい墨の入った兄ちゃんが(おまえみたいなヘタレがデュフールに挑むのか)みたいな目で見ている気がする。

 

アウェー感が半端ない。。。

 

…というのはたぶん半分は事実で半分は私の被害妄想。

事実として、前夜の小屋主さんの反応から見ても私のような明らかに山屋ではない素人丸出しのハイカーがソロでデュフールを目指す、というのはたぶんあんまりないんだと思う。

 

そしてもう半分は私の被害妄想なんだけど、その被害妄想がどこから来てるかというと、たぶん自分がソロでデュフールシュピッツェに行けるような体力も技術力もない、という自覚があったからかなと思う。

 

一般的に、という話で言うならソロでデュフールシュピッツェに登ることはできる。

Youtubeでソロで登った人の動画も見たし日本人で登った人の記録もある。

でも少なくともその登った日本人の人は明らかに私とは違う、本格的な登山やクライミングの経験が豊富にある人だった。

 

デュフールシュピッツェは、ローテンボーデンから本来4.5時間で来なきゃいけない道を6時間もかかったり、難しくないと言われるメンヒの岩場で転がり落ちたりするような奴がソロで挑戦して良い所ではない。

 

そういう意味で自分がすごく場違いだという自覚があったからとても肩身が狭かった。

 

できるだけ存在感を消しつつご飯を食べながら天気をチェックする。

やはり午後から雷が鳴るっぽい。しかも時間が昨日見たときと比べて早まっている。

 
4つ天気予報サイトをみて、4つとも午後からの天候悪化を予測している。
そして4つ中3つは午後2時過ぎくらいからの雷を予測している。
 
これはもう私には絶対にデュフール往復は無理だから、やっぱり昨日決めた「5時間経ったら引き返す」をやろう。
 
メンヒで雷の中焦って下山した記憶はトラウマというか恥の記憶だ。
あれをもう1回やってはいけない。
 
昨日からずっと(デュフールに挑戦しなくてよいのか?そんなチキンなことで良いのか?)と思っていた気持ちが天気予報を見てから諦めがついて、ちょっと楽にはなった。
 
登頂しなくて良いなら急いで出発する必要もないし、誰もいなくなってからこっそり出発しよう、と思って3時頃出発。
デュフールシュピッツェあるいはノルデンドを目指す人達はとうの昔に出発してしまっており、私の後はイタリア人3人パーティだけだった。
 
この日のためにずっと使っていたヘッデンを、ペツルのTikkaからSwiftRlに新調した。
 
SwiftRLでどこまで照らしてくれるのか、とどきどきしていたけど、意外にも最初は道を見失うようなことはなかった。
 
ヘッデンの明るさのおかげ、というのではなく、昼間に見たポールに反射板のようなものでもついているのか、暗闇でも星のように光っているので道がわかる。
 
分かりづらいけど先の方にポールの明かりが見えている。
 
たまにこういう青い印もある。でも基本的にポールの光を辿っていけばいいと思う。
 
たまに折れてるポールあるけど。
 
あと、ポールの光は見えるもののそこまでどうやってたどり着こうかな、と迷う所はあった。
特に、前日夕方に下見した岩の回廊以降は、結構ルートどりに迷ったりした。
 
出発したときに後ろにいたイタリアパーティにはあっという間に抜かされて、岩場を一人ぜえはあしながら登っていた。
 
振り返るとマッターホルン+ヘルンリ小屋(?)やケーブルカー駅の明かりがみえる。
 
ちょっと雪が残っているところもあったけど基本岩場をポールの明かりを道しるべにひたすら登る。
 
雪面が出てきてそろそろかな、と思ったら、突然急な氷の斜面が出てきた。
雪というか氷。傾斜はそんなにないけど暗いせいかアイゼンの歯がしっかり刺さっているか不安でしょうがない。
後、ここからはそれまでのルートの目印だったポールの光が完全になくなった。
 
こっちで良いのかな、としばしGPSと紙地図を比べて悶々とするもこっちしかなさそうなので氷を登る。
 
氷の斜面を登り切ったら氷の野原だった。これがモンテローザ氷河かな、と予想する。
氷河にポールはないけど、はるか左前方にポールの光が見えている。
 
まぁこれくらいなら昨日のローテンボーデンから来たときの氷河と同じくらいかな、と思ってたけどすぐに、やばいな、と思い始めた。
クレバスだらけ。
はるか向こうにポールの光が見えるのであれを目指すべきなのかな、と思いとりあえずそっち方面に向かう。
 
向かおうとするんだけど、足元がこんななので、(ここを飛び越えるのは無理)(ここは怖い)と引き返したりうろうろしたりし、ここで相当迷った。
 
前日の氷河歩きでわかっていたけど、氷河で先行者の足跡なんて期待できない。
そんなものがつく柔らかさではない。というのをこの時再確認する。
たまにアイゼンの削りカスみたいなのがあったりはするけど。辿っていける程のトレースは期待できない。
自分で安全な足場を探すしかない。
 
たぶんこの時、自分の登山人生(驚きの短さだけど)史上、一番緊張していた。
 
この至る所に口を開けてるクレバスに落ちたらたぶん死ぬ。
 
すぐに死にはしないかもしれないけど私は一人だし周りには誰もいないし、見つからずに凍死する確率90%。
落ちる訳にはいかない。
 
ちなみにこの氷河の入り口で、出発早々私を追い抜いてあっという間に姿が見えなくなったイタリアパーティに追いついたので、イタリアパーティも氷河でのルートどりにだいぶ迷ったんだと思う。
 
追いついたものの、イタリアパーティの姿は全く見えず、声だけが右の方から聞こえる。
私はルートを間違えているんだろうか。
氷河で迷いだした最初はまだ真っ暗だったけど、迷っているうちにだんだん夜が明けてきた。

 
右から聞こえるイタリアパーティの声を信じるか、前方に見えるポールの光を信じるか。
一応最初はポールの光を信じて氷河をうろうろした。
 
この↓みたいな、両側にクレバスが口を開けている氷河の橋を渡る時はめちゃめちゃ緊張して、アイゼンを無駄にがりがり蹴りこんだりした。橋も平らではないので、どちらかに滑ったらさよならだと思う。
 
たぶん体感1時間近く迷っていたんじゃないかと思うけど、声だけ聞こえていたイタリアパーティの姿が右前方に見えたのと、その後しばらくしてからどういう理由か、右前方から引き返してきた2人パーティがいたので、私も右に進路を取ることに決めた。
 
といってもクレバスだらけなので右に直接進むことはできず、結局、一度結構な距離を引き返してから右に改めて進路を取ることになった。
 
これがたぶん諦めた地点くらい。
 
そこからいったん引き返して右方面に進路を取り直す。
 
右方向に進むと、でこぼこ氷河は早々に終了し雪面が現れて心底ほっとした。
足跡を見てこんなにほっとしたことはない。
 
氷河の終わりが見える。この写真ではうまく見えていないけど右前方の白い雪面にトレースが伸びているのが見えた。
 
下が岩だな、と思われるところに乗るとほっとした。
 
ルートが判明したことでようやく周りの景色を見る余裕が出てきた。
 
朝焼けのマッターホルン。
 
 

この辺りで風が出てきて寒くなったので、マムートのハードシェルを羽織り、手袋もフリースの手袋から、ウールの薄手+ワークマンのテムレスに換えた。

 

 

氷河の終わりに向けててくてくと歩いていたら、なんでかわからないけどちょっぴり涙がちょちょぎれそうになった。

 

山で泣いたことはほぼなくて、たぶん唯一号泣した記憶は前穂北尾根で取りつきにもたどり着けず諦めて一人だけ引き返したのが悔しすぎた時。

 
このデュフールへの道でなんで涙が出そうになったのかはよくわからないけど、デュフールシュピッツェにたどり着けそうにない不甲斐なさとか悔しい気持ちからではなかった気がする。
正直悔しい気持ちはそんなになかった。
 
どっちかというと前2日間緊張しまくって一番不安だった真夜中の氷河越えがようやく終わりかけている安心感とか、緊張しまくっていたけど一人でここまで来られたんだ、という達成感の方が大きい気がする。
迷いまくってこの時間にこんなところをうろうろしているだけなのに「達成感」とかいうのも違う気もするけど。。。まあ私は自分に甘い。
 
うぐうぐと泣きながらようやく氷河を抜けた。
 

 

 

氷河を抜けると普通の雪面なのでトレースがついていてほっとする。

 

ただこうやって割れ目が入っている箇所も普通にある。

 

これとかも。

 

これもアラリンホルンの時と同じだけど、見た目では普通の穴に見えるけどめっちゃ深い。

こういうのがトレースのすぐ脇にあいていたりするので気が抜けない。

 

そして全然関係ないけど、ちょっと嫌だったのはここら辺に人間の落とし物(大きい方)が結構あったこと。
せめて上の写真みたいな穴に落とし込んでくれないだろうか。
まぁ、こういう深い穴があるからトレースから外れるのが怖いという気持ちはわかるんだけど、、、せめてトレースからもうちょっと見えない所でやってくれるか上にきちんと雪掛けて欲しい。
 
生理現象だから仕方ないけど。。。
自分は前日の夜から予防用にストッパーを飲みまくっていたおかげか生理現象に悩まされることはなかった。
 
涙も引っ込んでぽくぽく歩き続けていたけど、この辺りで結構疲れてきた。
10歩歩いては止まり、の繰り返し。

 

決めていた5時間にはまだちょっと時間あるけど。。。せめてもうちょっと行ってデュフールシュピッツェの全貌だけでも視界に収めたいと思ったけど。。。結構体力が限界なので、もういいかな、という気持ちが湧いてきた。

 

というわけでここが私の山頂。
デュフールシュピッツェには全く及ばない、ヘタレチキンの限界。

 

 
帰ろう。

 

帰りは、行きにイタリアパーティが通ったと思われる氷河脇のトレースを辿って帰ったんだけど、このルートも途中から氷河には入っていた(行きから見ると、氷河に入って早々に右に抜け雪上を上がるルートになると思う)。

 

 

GPSを見ながら軌道修正しつつ戻る。

 

行きに自分が迷ったルートよりは安全ではあるけどでも結構クレバスはあるので気を抜けない。

 

 

氷河はトレースない、と書いたけど、一応ところどころ、こういう、アイゼンの歯の跡みたいなものはある。
ただ真夜中それを探しながら歩いていくのは至難の業だと思う。

 

途中で2人パーティに抜かされる。デュフール登頂したにしては早すぎるからこの人達も何らかの原因で断念したんだろうか。

 

GPSと自分の進路を見比べながらようやく氷河手前まで帰ってきた。

 

ここからはだいぶ安心。

 

明るいところで見る岩場は思ったより大変だったけど、えっちらおっちら何とか小屋が見える所まで引き返してきた。

 

降りてきた道を振り返る。さよならデュフールシュピッツェ。

 
道はこんな感じで結構ガレガレの所を来た時と同じくポールを目印に降りていく。
この時はまだメンヒで捻った右足首が痛かったので、右足首に致命的なダメージを与えないよう気を付けながら降りた。
 
これは途中の分岐を振り返ったところ。小屋から見た時に左にDとあるのは「デュフールシュピッツェ」なんだと思う。
右のMはたぶんマルガリータ小屋で、写真の上の方にはマルガリータ小屋から来たと思われるパーティが見えた。
 
疲れてふらふらだったのでマルガリータ小屋からのパーティにあっという間に抜かされたんだけど、急ぐ理由もないので途中できれいな石を眺めたりしながらゆっくり降りた。
 
なんかこういう白いきれいな石の層が至るところにあって面白かった。
こういうのなんていうんだっけ。。。石灰岩?
 
 
 
たぶん12時前には小屋着。
朝あんまり食べていなくてお腹が空いたのでパスタを頼んだ。
 
あと、記念に小屋のTシャツを買った。サイズがあんまりなくてLしか買えなかったけど。
袖の形が大変好みなのと、色も真っ黒というのじゃなくてダークグレーの霜降りっぽいのが気に入っている。
 
結局この日午後になっても小屋では雷鳴や雨、雪などはなかった。
ただ、デュフール方面にはこうやって雲がかかっていたので、頂上付近はもしかしたら天気は悪かったのかもしれない。
 
ただ雲がかかったのも一瞬で夕方にはまた晴れてた。
 
午後になって続々と登頂したであろう人達が帰ってくるのを見ながら小屋でごろごろした。
思ったより天気が悪化してないのもあり悔しい気持ちも少しあるような気もしたけど、仕方がない。
天気がそんなに悪化しなかったのは結果論であり、たぶん判断としては「天気悪化前に小屋に帰着する」というのは正しかった。
メンヒの反省を踏まえて今回は自分の能力にあった正しい山歩きが出来たんじゃないだろうか。
 
夕方になると前日もだったけどアイベックスが小屋付近に集まってくる。
 
ずっと行きたくて不安だったデュフールシュピッツェへの旅、あっという間に終わってしまった。
なんかもうちょっと行けた気もするけど、結構疲れたし、へろへろになってこけたりする前に帰ってこられたのであれば正しい判断が出来たのではないかな、という気もするし、不安だった真夜中の氷河歩きを何とか無事に終えられたことに対する満足感は大きかった。
緊張が解けたことが大きかったのか、夜中の出発の人達の物音で途中目覚めたりしたけど朝までぐっすり眠ることができた。