どういうこと?
『君をきっと幸せにする・・・』というのは、とってつけたようなフレーズ。
聞き慣れた、美しい言葉だけど、これはどういう状況になることを意味するのだろうかと、ふと、考えてしまう。
家事労働も何もしなくて、ほしいものはすべて与えられ、行きたい場所にはどこにでも行けるということ?
はたして、そんな暮らしが、できるのだろうか。
ごく一部の大富豪なら、ありあるかもしれないけど、多くの場合は、ありえない。
それに、なぜ、女性は常に、『・・・される』立場なのか。
『される・・・』ではなくて、『・・・になるように努力する』というのが正しい姿だろうと思われる。
最初から、嘘っぽい言葉で始まる結婚生活は、だましあいの日々になる。
『ふたり、努力して、添い遂げよう』とでも言っておけば、こんなはずじゃなかったという言葉も聞かなくてもすむかもしれない。
終の住処を読んでみた
芥川賞受賞作の『終の住処』を読んでみた。
あまり長くない作品で、日本語としの文法は間違っているようなところもあまりなく、文章そのものは読みやすいけど、段落が少ないので、だらだらと活字が続く印象がある。
簡単な漢字で表記できる言葉をなぜひらがなにしているのか納得できない。たとえば、『じしん』(自身)とか、『じっさい』(実際)など。
この作品は純文学として読むと、疑問に思うことばかりだけど、ひとつの『ギャグ』とか、『ネタ』として読むと、『つっこみ』どころ満載で面白いかもしれない。
指がスカートの端に触れただけで、浮気をしてしまう。
「それはないやろ」と、読者はつっこみを入れてしまう。
電車で理想の女性を見つけて、後をついていくと、その女性が部屋に招き入れてくれて、浮気相手になってしまう。
「ほんまかいな」と、また、読者はつっこみを入れてしまう。
妻と11年間口をきかないなんてことは、現実に起こるはずもなく、
「とっとと、離婚するやろ」と、つっこみを入れる。
次から次へと、8人もの浮気相手が現れる。
「どんな、男前やねん」と、つっこみを入れる。
家の設計士は、どらえもんのように屋根の上まで手が伸びる。
「ありえへん。どんだけ、手長いねん」と、つっこみを入れる。
登場人物のキャラクターがあまりうまく描かれていなくて、彼という人物を中心にした、いわゆる、“私小説”の類だろうと思われる。
小説全般に現実感が乏しくて、ひょっとして、彼は、精神的な病気なのではないかとも思われる。
この物語は、彼がどこかの公園のベンチに座って、空想している物語かもしれないし、アパートの部屋で昼寝をしていた時に見た夢なのかもしれない。
最初から、そういう設定の物語だと思って読めば、読者の感情は高ぶることはないと思うけど、芥川賞というこの小説に、何かの暗示とか、啓示のようなものを求めたとしたら、本のページの1枚1枚を丁寧に破り取って、細かく刻んで燃やしたくなることは間違いない。
永遠に失われた人生
あと何年、ここに通うのだろうと、彼女は思った。
母の暮らす施設からは、海が見えた。
母は、彼女が自分の娘であることが、かすかすに分かる状態だった。
女手ひとつで彼女を育ててきた母は、彼女が高校二年生の時に、突然、、会話の途中で、話題に関連性のないことを話すようになった。
彼女と、母との会話が成立しなくなった。
ひとりで彼女を育てる重圧に耐え切れなくなった母の心を形作っていたジグソーパズルのピースのいくつかが欠けてしまったのだ。そして、失われたピースはまだ見つかっていない。おそらく、永遠に、見つからないだろう。
この人の人生は、いったい、何だったのだろうかと、彼女は思った。楽しいこともなく、ただ、働き、そして、人生は失われてしまったのだ。
母親のために、彼女ができることは、こうして、母に会いにくることだけだった。
「お母さん、また来るから」と、言った彼女の言葉は、母に届いていたのだろうか。母親は海を眺めながらうなずいた。
肌が乾燥し、北風が肌を差すようになった頃のある日の真夜中に、電話のベルが鳴った。
相手の声は、深い井戸の底から聞こえてくるようだった。その声は、母が死亡したことを伝えているということがなんとか彼女には理解できた。
こういう日がやがてくることは彼女は予期していた。
もっと、母とは話すべきことがあった。
母も、彼女に伝えたいことはあったはずだ。
しかし、母の人生は永遠に失われてしまったのだ。
二回連続
電話のコールのベルが鳴った。
電話のコールのベルは、どうも、好きにはなれない。
「はい」と、低いトーンで言ってみた。相手は、聞き覚えのない、女の声だった。
「●○テレビの・・・・と、いうものですが、二、三分お時間よろしいでょうか。コンピューターで無作為に発生させた番号にかけています。・・・・」
これは何かの勧誘だろうと思って、すぐに電話を切ろうと思ったが、そうではなくて、選挙に関する調査だった。相手は、マニュアルにしたがって質問した。
「あなたは、・・・について支持しますか。①・・・、②・・・・、③・・・」
「え~、④番」と、いう風に答えていった。
テレビ報道では、電話による調査では、・・・・というのは、どうやら実際に行っているらしいことが、この電話で分かった。しかし、運がいいのか、悪いのか、コンピューターで無作為に発生させた番号なのに当たってしまった。
その電話から五分後に、また、「●○と申しますが、選挙に関する・・・。二、三分お時間ございますでしょうか。・・・」
全く、最初の電話と同じセリフだった。ただ、今度は男の声だった。
二回連続でかかってくるのはおかしい。コンピューターで無作為に発生させた番号が二度も当たるはずがない。
しかし、相手の男は何かを売りつけるような、巧みな言葉の展開は聞かせなかった。最初電話の声と、ほとんど質問内容が同じだった。こういう調査のマニュアルの内容は似たものになるのだろう。
それにしても、二回連続で調査対象に当選するというのは幸運なのだろうか。
Here's looking at you, kid.
映画、『カサブランカ』の中の有名なせりふ、 “Here's looking at you, kid.”は、どう訳すべきなのか。
『君の瞳に乾杯』はどうもしっくりこない。日本語の文法としては間違ってはいないけど。
英語を母国語とする人には、通じるのだろうかと、いつも考える。
“Here's ” は、『乾杯』という意味だから、そのまま、乾杯と訳せばいい。
“looking at you,kid” が問題。
“kid”は、女性に対する呼びかけの単語だから、日本語の訳には影響はしないけど、“looking at you”は直訳では、『君を見ていること』になる。
つまり、『君を見ていることに乾杯』でいいのだろうか。
映画の最後の空港でのシーンで、ハンフリ・ーボガードがイングリッド・バーグマンと別れる時にも、このセリフが使われている。
ハンフリー・ボガードは、イングリッド・バーグマンとは二度と会えないことは分かっているから、 『君を見ていることに乾杯』と言えば、状況的には、不適切な訳にはならない。
もう少し、ひねり加えると、『君との出会いに乾杯』。
空港の別れのシーンで、『君の瞳に乾杯』ではしっくりこない。