永遠に失われた人生
あと何年、ここに通うのだろうと、彼女は思った。
母の暮らす施設からは、海が見えた。
母は、彼女が自分の娘であることが、かすかすに分かる状態だった。
女手ひとつで彼女を育ててきた母は、彼女が高校二年生の時に、突然、、会話の途中で、話題に関連性のないことを話すようになった。
彼女と、母との会話が成立しなくなった。
ひとりで彼女を育てる重圧に耐え切れなくなった母の心を形作っていたジグソーパズルのピースのいくつかが欠けてしまったのだ。そして、失われたピースはまだ見つかっていない。おそらく、永遠に、見つからないだろう。
この人の人生は、いったい、何だったのだろうかと、彼女は思った。楽しいこともなく、ただ、働き、そして、人生は失われてしまったのだ。
母親のために、彼女ができることは、こうして、母に会いにくることだけだった。
「お母さん、また来るから」と、言った彼女の言葉は、母に届いていたのだろうか。母親は海を眺めながらうなずいた。
肌が乾燥し、北風が肌を差すようになった頃のある日の真夜中に、電話のベルが鳴った。
相手の声は、深い井戸の底から聞こえてくるようだった。その声は、母が死亡したことを伝えているということがなんとか彼女には理解できた。
こういう日がやがてくることは彼女は予期していた。
もっと、母とは話すべきことがあった。
母も、彼女に伝えたいことはあったはずだ。
しかし、母の人生は永遠に失われてしまったのだ。