三島由紀夫も読まなければと思いつつ
特に、好みだというわけではないけれど、なぜか、三島由紀夫の全集を所有している。
しかし、まだ一巻も読んでいない。
いつかは、読むべきだろうとは思いつつ、三島由紀夫は放置したままになっている。
さて、いつ、手をつけようかと、悩んでいるばかりだ。
読みはじめても、たぶん、全集の最後の巻まで読み終えることはないだろうと思う。
時間が足りないし、集中力もない。
しかし、驚く。
作家というのは、読み切れないほどの量の作品をよくも書けるものだ。
与謝野晶子現代訳源氏物語の第二巻を読み終える
与謝野源氏の第二巻を読み終えました。
第二巻までの源氏物語の中で気になる登場人物が何人かいます。もっとも気になる人物は、六条御息所です。
しかし、六条御息所との馴れ初めの部分が描かれていません。何かの帖が抜け落ちているのかも知れません。
六条御息所は生霊となって、夕顔を取り殺します。
生霊というのは、実際にあるようですが、生霊を飛ばしている本人は、生霊を飛ばしているとは気がつかないようです。
肉体から、もう一つの肉体が抜け出で、恨みを持つ人のところ、あるいは、逆に、恋しい人のところに現れるということです。幽体離脱という現象と考えてもいいと思います。
念が強すぎると、自分は全く意識はしていないのに、生霊を飛ばしていることがあるかも知れません。
なぜか分からないけれど、身体の調子が悪いのは誰かの生霊が原因だということもありえます。
平安時代は、やたらと、怨霊の祟りを気にしていたようです。
わけのわからない病気はそういう怨霊とかが原因だと考えていたようです。
権力に就く者は、誰かを蹴落としているわけだし、あるいは、殺害するということもあただろうし、怨霊には日々怯えているわけです。
平安京には、怨霊と魑魅魍魎が渦巻いていたのでしょう。
源氏物語には、他にも強烈なキャラクターが登場します。 好色な老女の源典待、不美人の末摘花など。
継母から、養女まで、光源氏の好色ぶりには、驚きます。六条の院に何人もの愛人を住まわせます。そうすれば、いつでも好きな時に、誰のところへでも行けるわけです。ハーレム状態です。
源氏物語は、ほんとに紫式部一人が書いたのかという謎に関しては、自分なりに、ある一つの仮説を考えました。それは、のちほど書きます。
チリからの距離
17,200キロ。チリまでの距離です。
チリで起こった地震の影響で、日本列島の太平洋側に津波警報・注意報が出ています。
他人事だと思っていたことが、自分にかかわってくることがありえるのだということがこういう自然災害の場合のみではなくて、日常に起こりえます。
人というのは、こういう事が起こるかも知れないとなんとなく思っていても、実際にそういう事に直面するまではどいうふうに対策しておけばいいのかは分かりません。
運を天に任せて、自然災害、事件、事故に巻き込まれないように願うしかないのでしょうか。
どれだけの確率で、自然災害とか事故に遭遇するものなのでしょうか。
病気にもならず、事故にも遭わず、自然災害にも遭わず、経済的にも余裕がある人というのは、よほど運がいいということでしょう。
トリプルアクセル
バンクーバーオリンピック女子フィギュアのキム・ヨナの得点が高すぎる。
浅田真央がフリーで完璧な演技をしたとしても、金メダルはなかったということだろうか。
トリプルアクセルをオリンピックの女子のフィギュアのフリーで初めて二度成功させたということの意義は大きいけれど、それでも、他の部分でミスをしてしまうと、得点が落ちてしまって、金メダルに届かなかったということでしょう。
浅田真央のジャンプのミスは、トリプルアクセルに集中するあまり、他のジャンプへの集中力が落ちてしまったのと、疲労が原因だろうと思います。
浅田真央といえば、トリプルアクセル。
だから、絶対にこのジャンプをプログラムから外すことはできなかった。
そして、オリンピックで、二度トリプルアクセルを成功させるという目標は実現させることができた。
でも、金メダルではなかった。
法は非情か
理不尽な事は常に起きる。
自分では理不尽だと思っていても、他人から見れば、それは理不尽ではなくて、当然の事だと思われることもある。
人道的見地からすれば、それはおかしいだろうと思われても、法的な見地からすると、おかしいことではなくて、合法であるということもある。
人道的とか、道徳的とかということは、法的な事には何ら影響を与えることはないのだろうか。
文章化された法は非情であろうと思う。
人道的、あるいは道徳的な見地からすると、法は法を犯す者にとって、寛容であるような気がする。
トラブルを法だけで解決しようとすると、人の感情は、納得しないことが多い。
トラブルに巻き込まれている両者が譲歩するところは譲歩して納得できる解決策を生みだすのが、ベターだろうと思われる。
法を前面に持ち出すと、両者ともに、後味が悪くなるだけである。