創作ラボ2 -675ページ目

三行でラブレターは書けない

三行でラブレターを書くなどということは、私には無理です。


三行でなくても、何行でも無理です。


言葉にしてしまうと、嘘っぽくなってしまう。


ラブレターというのは、イメージの世界であって、真実の世界とは違う。


恋愛感情というのは、平常心ではない、激した心がもたらすもの。


だから、そういう状態で、書かれた言葉は嘘っぽい。


激しい感情の行き着く先は、刃傷沙汰。



相手が刃物を持っているのを目撃できる状態なら、対処の方法はある。


しかし、眠っている時に、襲われたら、対処できない。


その恐怖に、耐えられるだろうか。



『東京奇譚』 村上春樹 を読み終える

村上春樹の短編集、『東京奇譚』(新潮文庫)を読んだ。


短編集、『レキシントンの幽霊』(文春文庫)のほうが個人的にはしっくりきた。


悪いことに、私は読み終えた途端から、内容を忘れてしまう。


ほんとに、忘れてしまうのだ。


これだと、読んだとはいえないのではないかと思うのだが、とにかく、読んだことは間違いない。


あまりにもリアリティのある作品よりも少し現実離れしている作品のほうが、読んでいて疲れないかもしれない。


猿がしゃべるのは、現実の世界ではありえないことだけど、小説の中ではある程度、許せてしまう。


『めくらやなぎ』というものが現実の世界にあるのかどうかは知らない。



『バナナフィッシュ』が現実の世界に存在しなくても、サリンジャーのフィクションの世界では、存在し得る。


小説の中には対話文はつきものだけど、あまり対話文が繰り返されてしまうと、うんざりする。


饒舌すぎると、本のページを閉じたくなる。


言葉でなくて、登場人物の目と、表情と、身体に語らせればいい。


少ない言葉で多くを語る。


日本語にはそれができると思う。

玄関にコウモリの死体が転がっていた

玄関でコウモリが死んでいた。


それは、ありえない光景だった。


自宅は、洞窟の中にあるわけではない。


地下にあるわけでもない。


太陽の日差しは、部屋の中に届いている。


それなのに、家の中をコウモリが飛んでいたということになる。


確かに、不思議な物体が家の中を飛んでいたのを目撃したことがある。


あれがコウモリだったのだろうか。


なぜ、どのようにして、コウモリが家の中に入ってきたのだろう。


そもそも、市街地にコウモリが飛んでいるものなのか。


家のどこかに、コウモリの巣があるのだろうか。


ミステリーだ。

『ハナレイ・ベイ』 村上春樹

今、また、村上春樹の短編集の、『東京奇譚集』を読み始めた。


その中に、『ハナレイ・ベイ』という短編がある。


サーファーの息子が鮫に噛まれて亡くなった母親の話。


たとえば、同じ設定で、片岡義男が書いたとしたら、ずいぶんと、雰囲気の違うものになっていただろうと思う。


片岡義男がどういう作家なのか知らない人は、ネット上で調べてください。



村上春樹の小説は、饒舌過ぎるように思う。


人物の内面は、ことさらに描かなくても、人物の指先の動き、目の動き、脚の動き、その場の空気で分かる。


おなかいっぱいなのに、次から次と料理が出されても食べられるものではない。


料理は、ほどよいボリュームでおいしいということが分かれば充分。


小説もそうあってもいいだろうと思う。


短編の名手の片岡義男なら、適度なボリュームで、『ハナレイ・ベイ』を料理するはずだ。

『レキシントンの幽霊』 村上春樹

村上春樹の短編集、『レキシントンの幽霊』を読んだ。


文春文庫で、この短編集の中には、フランク・オコナー国際短編賞を受賞した、『めくらやなぎと、眠る女』も収録されている。


この短編集は以前には読んだことがない。


短編集では、『めくらやなぎと、眠る女』は、1983年に書いたものより、短くなっているということだ。


短編集だから、作品それぞれにテーマがあるのだろうが、あえて、共通したテーマを探してみると、『目に見えるものが現実であるとは限らない』ということだろうか。


このテーは、『1Q84』でも扱われている。


現実とは何であるのか。


たぶん、脳のどこかで創られる物語だろう。