創作ラボ2 -663ページ目

『ゼロの焦点』 松本清張 を読んだ

『ゼロの焦点』を読み終えた。


これは、松本清張の代表作の一つだろう。


この作品は、探偵小説の要素がある。


物語の後半では、新妻の禎子がまるで、探偵のような推理をする。


ミステリーでは、常識的な考えを持ち出すと、納得できない事がたびたび起こる。


偶然に、こんな場所で会うはずのない人に会ったり、見かけたりする事が何度か起こる。


常識的に考えるとおかしいと思う事もこういうミステリーではよく起こる。


物語の終盤で、禎子があれやこれやと考える場面が繰り返される。


作家が迷っていて、先の展開がはっきりと見えていないから、同じ内容を繰り返す。


いくつも伏線を張るのはいいのだが、物語の終盤で、それらの伏線をどこかにつなげなければならない。


松本清張は、テレビ番組と、ラジオ番組を持ちだし、推理の壁を超えようとした。


ある意味、これは、どんでん返し。


それは、それてで面白いのだが、結婚して間もない新妻が探偵のような事をするのは、どうなのか、とも思う。


新妻の前には、4人の死体が転がることになる。


なぜ、誰が、とのようにして、四つの死体の山を作ったのかは、探偵である禎子の推理によって明らかにされるかにみえるが、物語の描写を細かくみていくと、謎の部分が残る。


ミステリーはすべてがすっきりとは解決しない事がある。


矛盾しているように思える事もある。


レイモンド・チャンドラーの作品でもすべての事件がすっきりと解決するわけではない。


転がった死体の犯人が断定されずに、謎が残される事がある。


現実の社会でも、事件がすっきりと解決されるわけではない。


必ず、謎の部分は残る。


きっちりと、誰もが納得するように解決される事件は、実は、ほとんどない。


常に謎は残る。

会話はひらがな

『・・・してくれたまえ』、『おとうさま、おかあさま』、『・・・ですわ』。


小説では、こういう言葉遣いをする人物が登場する。


しかし、現実の世界では、少なくとも、自分の周りにはいない。


だから、そういう言葉遣いは嘘っぽい。


作られた会話というのは現実感が乏しい。


かといって、実際に、話しているような言葉遣いで会話文を書いてしまうと、これも小説としては、不適切だと思う。


会話文というのはなかなか難しい。


だいたい、会話というのは、ひらがなでするものだろうと思う。






『けものみち』を読み終えた

自分としては、けっこう速いペースで、『けものみち』を読んだ。


ちょっと腑に落ちないのは、民子を追い続けていた、刑事の久恒が殺されてしまう事。


物語の終盤になって、久恒が殺されてしまう。


刑事を辞めさせられた彼が、巨大な悪に立ち向かっていく。


そういう展開はアメリカ映画的だけど、そうなる事を期待していたけれど、松本清張的展開ではそういう事は起こらない。


物語の終盤では、とうもストーリーが急展開してしまう。


次々に人が死ぬ。


民子も、焼き殺されてしまう。


夫を焼き殺したように、焼き殺されてしまう。


悪が完全に消えるわけではなくて、悪は残り続ける。


それが、松本清張的世界なのだろう。


悪の巨塔のような鬼頭には、モデルがいたように思う。


つづけて、『ゼロの焦点』を読んでいる。





『けものみち』をもうすぐ読み終える

松本清張の『けものみち』をもうすぐ読み終える。


読みやすくて、面白い。


速く読めてしまう。


こういう小説は売れるだろうと思う。


松本清張の短編は肌に合わなかったが、長編は面白い。


他の小説も読んでみたくなった。


そういうわけで、いくつか、松本清張の長編小説を買ってきた。


『けものみち』の謎の黒幕の人物の鬼頭には、モデルがあるように思う。


早く、最後のページまで読んでみようと思う。

増刷を確認する

読んだことのない作家の小説を手に取って、本の最後のページに書かれている発行日と、その後の増刷を確かめる。


増刷があれば売れていると判断する。


職業作家は売れる本を書かなければならない。


常に読者を意識して、読みやすい文体で、意味のわからない漢字は使わないようにする。


純文学であっても、読みやすい文体はとても重要。


難解で意味不明な言葉を並べるのが文学ではない。


自己満足のために書くのであれば、他人に読ませる必要はない。