『ゼロの焦点』 松本清張 を読んだ
『ゼロの焦点』を読み終えた。
これは、松本清張の代表作の一つだろう。
この作品は、探偵小説の要素がある。
物語の後半では、新妻の禎子がまるで、探偵のような推理をする。
ミステリーでは、常識的な考えを持ち出すと、納得できない事がたびたび起こる。
偶然に、こんな場所で会うはずのない人に会ったり、見かけたりする事が何度か起こる。
常識的に考えるとおかしいと思う事もこういうミステリーではよく起こる。
物語の終盤で、禎子があれやこれやと考える場面が繰り返される。
作家が迷っていて、先の展開がはっきりと見えていないから、同じ内容を繰り返す。
いくつも伏線を張るのはいいのだが、物語の終盤で、それらの伏線をどこかにつなげなければならない。
松本清張は、テレビ番組と、ラジオ番組を持ちだし、推理の壁を超えようとした。
ある意味、これは、どんでん返し。
それは、それてで面白いのだが、結婚して間もない新妻が探偵のような事をするのは、どうなのか、とも思う。
新妻の前には、4人の死体が転がることになる。
なぜ、誰が、とのようにして、四つの死体の山を作ったのかは、探偵である禎子の推理によって明らかにされるかにみえるが、物語の描写を細かくみていくと、謎の部分が残る。
ミステリーはすべてがすっきりとは解決しない事がある。
矛盾しているように思える事もある。
レイモンド・チャンドラーの作品でもすべての事件がすっきりと解決するわけではない。
転がった死体の犯人が断定されずに、謎が残される事がある。
現実の社会でも、事件がすっきりと解決されるわけではない。
必ず、謎の部分は残る。
きっちりと、誰もが納得するように解決される事件は、実は、ほとんどない。
常に謎は残る。
会話はひらがな
『・・・してくれたまえ』、『おとうさま、おかあさま』、『・・・ですわ』。
小説では、こういう言葉遣いをする人物が登場する。
しかし、現実の世界では、少なくとも、自分の周りにはいない。
だから、そういう言葉遣いは嘘っぽい。
作られた会話というのは現実感が乏しい。
かといって、実際に、話しているような言葉遣いで会話文を書いてしまうと、これも小説としては、不適切だと思う。
会話文というのはなかなか難しい。
だいたい、会話というのは、ひらがなでするものだろうと思う。
『けものみち』を読み終えた
自分としては、けっこう速いペースで、『けものみち』を読んだ。
ちょっと腑に落ちないのは、民子を追い続けていた、刑事の久恒が殺されてしまう事。
物語の終盤になって、久恒が殺されてしまう。
刑事を辞めさせられた彼が、巨大な悪に立ち向かっていく。
そういう展開はアメリカ映画的だけど、そうなる事を期待していたけれど、松本清張的展開ではそういう事は起こらない。
物語の終盤では、とうもストーリーが急展開してしまう。
次々に人が死ぬ。
民子も、焼き殺されてしまう。
夫を焼き殺したように、焼き殺されてしまう。
悪が完全に消えるわけではなくて、悪は残り続ける。
それが、松本清張的世界なのだろう。
悪の巨塔のような鬼頭には、モデルがいたように思う。
つづけて、『ゼロの焦点』を読んでいる。
『けものみち』をもうすぐ読み終える
松本清張の『けものみち』をもうすぐ読み終える。
読みやすくて、面白い。
速く読めてしまう。
こういう小説は売れるだろうと思う。
松本清張の短編は肌に合わなかったが、長編は面白い。
他の小説も読んでみたくなった。
そういうわけで、いくつか、松本清張の長編小説を買ってきた。
『けものみち』の謎の黒幕の人物の鬼頭には、モデルがあるように思う。
早く、最後のページまで読んでみようと思う。
増刷を確認する
読んだことのない作家の小説を手に取って、本の最後のページに書かれている発行日と、その後の増刷を確かめる。
増刷があれば売れていると判断する。
職業作家は売れる本を書かなければならない。
常に読者を意識して、読みやすい文体で、意味のわからない漢字は使わないようにする。
純文学であっても、読みやすい文体はとても重要。
難解で意味不明な言葉を並べるのが文学ではない。
自己満足のために書くのであれば、他人に読ませる必要はない。