松本清張はやはり読めなかった
肌に合わないことは分かっていても、せっかく買ったのだから、なんとか読んでみようと、松本清張の短編集のページをめくっていたのだが、やはり完読できなかった。
あまりにも、暗い。
救いがない。
松本清張は何かに対して、憤慨しているのだろうけれど、その気持ちを文章の前面に出されてしまうと、読者は引いてしまう。
行間から読み取れる程度にしておくべきだ。
やたらと、読めない漢字が登場する。
無理に、難解な漢字を使っているような気がする。
これも何かに対する反感の表れなのだろうか。
芥川龍之介とは、日本語と文章の美しさが違いすぎる。
日本語の音
ひたすら朗読する動画があってもいいと思う。
日本語は本来、音にしても理解できる言葉だから、朗読を聴いて、理解できない文章は日本語としてはうまく書けていないということだ。
音にしてみて、はじめて、美しい日本語なのかどうかが分かる。
たとえば、『源氏物語』は朗読してみると、どんなふうに聞こえるのか。
ほとんど日本語とは思えない音に聞こえます。
http://www.youtube.com/watch?v=5jEWDiPlxXU
日本語は美しい
日本語は美しいと思う。
川端康成の、『眠れる美女』を読み始めた。
文章が美しい。
日本語のやわらかさを損なわない文章だと思う。
できるだけ漢字の表記を控えている。
日本語とは、『かな文字』であると思う。
漢字は外国語のようなもの。
読めないような漢字を使わなくても、日本語は書ける。
かな文字だけでも日本語の文章は書ける。
三島由紀夫が、『眠れる美女』を絶賛していた。
三島由紀夫といえば、ほとんど彼の作品は読んでいない。
読まなければと思いつつ、本棚の中で三島の本はカビが生えていく。
松本清張の『或る小倉日記伝』を読む
松本清張の、『或る小倉日記伝』を読んだ。
この作品は、芥川賞も受賞している。
芥川賞を受賞した作品だから、期待していたのだが、期待は完全に裏切られた。
この作品は、小説というよりは、何かの研究書のような感じで、何か深く余韻の残る物語を期待して読むと、がっかりする。
松本清張と自分の体内のリズムがまったく合わないようで、拒絶反応を起こしてしまったようだ。
嫌いな食べ物はどうしても食べることはできない。
活字は脳が食べる料理のようなもので、嫌いな活字は頭は食べない。
短い作品だけど、途中で何度か読むのをあきらめようとした。
それでも読んだ。
他の短編はどうなのだろう。
拒絶反応が起こるだろうか。