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勝っても負けても

サッカーにはあまり興味はないけれど、昨夜はテレビの音を聴いていた。


ほとんど、画面は見なかったけれど、ゲームの流れはなんとなく分かる。


勝つのが望ましい。


しかし、負けたからといって、パソコンのモニターに携帯電話を投げつけて、モニターと、携帯電話を壊すような事はするはずがない。


スポーツ全般にはあまり興味がない。


スポーツに熱狂する人々の気持ちがあまりうくま理解できない。


他人の勝負事よりも、自分の日々の暮らしが勝負なのだ。






“After all, tomorrow is another day”

創作ラボ2



『風とともに去りぬ』の原作は読んだことがない。


映画はかなりの長時間で、確か、映画館で観た時は途中で休憩時間があったように思う。


1939年制作なのに、カラーだ。


スカーレット・オハラ役の、『ヴィヴィアン・リー』がきれい。


しかし、彼女のような気性の荒い女性を私は好まない。


『メラニー・ハミルトン』のような女性がいい。


女性の目から見れば、スカーレット・オハラのような女性を支持するのだろうか。


スカーレット・オハラは自己崩壊型の女性のように思える。


何もかも、自分の思うようにしたいがために、欲しいものを手に入れては、失ってしまう。


この映画の有名な台詞は、“After all, tomorrow is another day”


それを信じて生きようと思う。

運のいい人はなぜ運がいいのか

このところ、ジャンボ宝くじは、全く当選がない。


ジャンボ宝くじには自分の運命をかけているようなもの。


どんな人が高額当選しているのか。


運のいい人というのは分かる。


でも、なぜその人が運がいいのかは分からない。


人の一生の幸運の総量が決まっているとしたら、宝くじに高額当選した人は、それと同じだけの不幸を経験するということだろうか。


世間を見ると、運のいい人は一生、運がいいように思うし、不運な人は一生、不運なように思える。


八十歳で、健康で暮らしているのなら、宝くじに高額当選しなくても、たぶん、その人は運がいいのだと思う。



八十歳からでも遅くない

チャンスは、いつ巡ってくるか分からない。


スーザン・ボイルをはるかに超える年齢。


八十歳からでも遅くはない。



http://www.youtube.com/watch?v=ZDfRNm_fr1M

潜在的痛み

いつのころからか、右肘が痛くなってきた。


思い当たる原因はひとつだけあった。


左折しようとしていた車との接触。


当たった部分が右肘。


当たったというよりは、接触した程度。


痛みというほどの痛みはなかった。


しかし、時とともに、右肘に違和感を覚え始めた。


重い物を持ち上げる時は、痛みを我慢することとなった。


とはいっても、日常生活に支障はない。


大したことはないと思っていたが、これが接触事故の後遺症なのだろうと納得しようと思った。


でも、この痛みは、車との接事故以前から時折感じていたような気がする。


長時間、右手にマウスを持って、パソコンのモニターを眺めていた時に、右肘から指先にかけて痛みが走った。


つまり、この右肘の痛みは接触事故の後遺症ではなくて、マウス操作による痛みなのかも知れない。


もともと、潜在的に抱えていた痛みを日常的に意識していなかったけれど、車との接触事故によって、右肘の痛みを意識するようになって、意識の中で痛みが増大されただけなのかも知れない。