勝っても負けても
サッカーにはあまり興味はないけれど、昨夜はテレビの音を聴いていた。
ほとんど、画面は見なかったけれど、ゲームの流れはなんとなく分かる。
勝つのが望ましい。
しかし、負けたからといって、パソコンのモニターに携帯電話を投げつけて、モニターと、携帯電話を壊すような事はするはずがない。
スポーツ全般にはあまり興味がない。
スポーツに熱狂する人々の気持ちがあまりうくま理解できない。
他人の勝負事よりも、自分の日々の暮らしが勝負なのだ。
“After all, tomorrow is another day”
『風とともに去りぬ』の原作は読んだことがない。
映画はかなりの長時間で、確か、映画館で観た時は途中で休憩時間があったように思う。
1939年制作なのに、カラーだ。
スカーレット・オハラ役の、『ヴィヴィアン・リー』がきれい。
しかし、彼女のような気性の荒い女性を私は好まない。
『メラニー・ハミルトン』のような女性がいい。
女性の目から見れば、スカーレット・オハラのような女性を支持するのだろうか。
スカーレット・オハラは自己崩壊型の女性のように思える。
何もかも、自分の思うようにしたいがために、欲しいものを手に入れては、失ってしまう。
この映画の有名な台詞は、“After all, tomorrow is another day”
それを信じて生きようと思う。
運のいい人はなぜ運がいいのか
このところ、ジャンボ宝くじは、全く当選がない。
ジャンボ宝くじには自分の運命をかけているようなもの。
どんな人が高額当選しているのか。
運のいい人というのは分かる。
でも、なぜその人が運がいいのかは分からない。
人の一生の幸運の総量が決まっているとしたら、宝くじに高額当選した人は、それと同じだけの不幸を経験するということだろうか。
世間を見ると、運のいい人は一生、運がいいように思うし、不運な人は一生、不運なように思える。
八十歳で、健康で暮らしているのなら、宝くじに高額当選しなくても、たぶん、その人は運がいいのだと思う。
潜在的痛み
いつのころからか、右肘が痛くなってきた。
思い当たる原因はひとつだけあった。
左折しようとしていた車との接触。
当たった部分が右肘。
当たったというよりは、接触した程度。
痛みというほどの痛みはなかった。
しかし、時とともに、右肘に違和感を覚え始めた。
重い物を持ち上げる時は、痛みを我慢することとなった。
とはいっても、日常生活に支障はない。
大したことはないと思っていたが、これが接触事故の後遺症なのだろうと納得しようと思った。
でも、この痛みは、車との接事故以前から時折感じていたような気がする。
長時間、右手にマウスを持って、パソコンのモニターを眺めていた時に、右肘から指先にかけて痛みが走った。
つまり、この右肘の痛みは接触事故の後遺症ではなくて、マウス操作による痛みなのかも知れない。
もともと、潜在的に抱えていた痛みを日常的に意識していなかったけれど、車との接触事故によって、右肘の痛みを意識するようになって、意識の中で痛みが増大されただけなのかも知れない。
