なれ-そめ【馴れ初め】の解説。
~恋仲の者が知り合ったはじめ。恋のきっかけ。(weblio辞書)
幼いころ、まさか自分が大学ラグビー部の監督を務めたり、将来スポーツの仕事をするなんて全く思いもしませんでした。
というのも、小学生の頃スポーツは実はとても苦手な分野だったんです。
公園や校庭での遊びから部活やチームに所属すると、それは遊びよりも一つ階段を上がった“スポーツ”への扉だったように思います。そしてそこには遊びにはなかった、規律や厳しさ、体力面での追い込み、そして緊張と重圧がありました。
当時どちらかといえば、というか自他ともに認める内向的で甘えん坊だった自分にとって、そういうのはすごく苦手で、そんな雰囲気を感じてはすぐに委縮していた小学生時代でした。
中学時代柔道部主将、高校、大学でもラグビー部主将、その後スポーツ留学して、大学ラグビー部の監督・・・
そのように聞くと、幼いころからスポーツが得意で活発だったと思われるかもしれませんが、スポーツとの初めての出会いはそんな感じでとても苦い経験で、その後も6年生まではスポーツとの関りはほとんどなかった小学生時代でした。
低学年のころ、学校の放課後サッカー教室的な活動に参加していましたが、本格的なスポーツとの出会いは、小学3年生のころの地元の少年野球チームへの入団でした。
当時家族からは、そのままサッカーをすることを勧められていましたが、どうしても兄がしている少年野球を自分もやりたくて、強く両親にお願いして新品のグローブなども一式揃えてもらって、やっとの想いで野球を始めました。
しかしいざ野球を始めると、それは公園での楽しい野球遊びではなく、特に小学3年生はいわゆる“球拾い”や声出し、当時とても嫌いだった体力強化の走り込み。それらが中心で、何よりも監督やコーチはとても怖い存在で、野球の練習中や試合中は身も心も委縮しまくっていました。
結果、満を持して始めた野球は半年で辞めることになりました。
意気込んで始めた初めてのスポーツ、家族の反対を押し切って高い道具も一式揃えてもらったけど、試合も出ずに半年で退部。。
悔しいのにそれ以上続けるのは嫌で、悶々とした気持ちがありながらもそれを表現できずに、スポーツに対する苦手意識が芽生えたころでした。
それから数か月後、小学4年生になる頃、通っていた小学校でも部活動が始まるのですが、少年野球で味わったスポーツへの苦手意識が強く残っていたこともあって、唯一の運動部であるサッカー部には入らずに楽器部へ入部しました。
当時男子はサッカー部に入ることがほとんどで、仲のよかった友達もほとんどサッカー部だったので、日曜日の休みも合わなくなって、休みの日にも一人で過ごす日が増えたりした頃でした。
それでも楽器部で楽譜の見方や楽器の一つでもマスターすれば良いものの、選んだ楽器が太鼓で演奏中に太鼓の音をごまかしても指揮者の先生が気づいていたいことを知ってからは、楽譜を覚えるのではなく、自分の感覚で太鼓を叩いていたのですからタチが悪いです(笑)
そんな日が続いていたのですが、小学6年生に上がる頃、親戚中からサッカー部に入ることを勧められり、そして6年生の担任先生がサッカー部の先生だったこともあって、「ジョンギ、一緒にサッカーやってみよう。」と誘ってくださって再びスポーツのある日々が始まりました。
そのころも感じていて、そして今でも思い出すのは、6年生のころ身長も伸び始めて体力もつき始めて、ついにサッカーボールは最後まで思い通りに扱うことはできませんでしたが、身体を動かすことがすごく楽しくて、汗をかくことがめちゃくちゃ気持ち良くて、誰かと競うことの楽しさをわかり始めた頃でした。
6年生の一年間で決めた得点は、唯一当時所属していた中垣内リーグでのオウンゴール1点のみでした(笑)
そのオウンゴールで試合は引き分けになってしまいましたが、それでも1年間の部活は、自分の体力面でも内面的にも大きく成長、変化があった1年間でした。
そして6年生の最後に開かれた大阪の朝鮮学校対抗マラソン大会には、学校代表に選ばれて1区を任されて走るまでになることができました。
振り返って思うのは、6年生の頃のサッカー部での経験は、個人成績としてはオウンゴール1点(笑)ですが、大きな宝物は“自信”を得られたことだと思います。
マラソン選手に選ばれたとき、
「え、自分が?」と最初信じられませんでした。
女の子に少しだけモテ始めたとき、
「え、俺?!」と戸惑いました。
そんなきっかけを与えてくれたのが、小学生の頃のスポーツとの出会いでした。
(続く)
