心の構造を再構築するRCメソッド認定カウンセラー -325ページ目

カウンセラー養成講座再受講2

再受講記録、第二回

 

今回のメインテーマは個性についてでした。

現在の3期メンバーは私含めて6名。

 

2期の時は3人でしたが、全員、うみ出すことが得意なタイプ(創造性が豊かで、新しいことを始められるタイプの人)だったのです。つまり、似ている人が多い。

 

今回のメンバーでは!

私と似たタイプと、真逆タイプとに別れ、前回とはちがう個性の集まりに、感動しきりでした。

 

私は改良する人。1人での作業が得意で大人数の中で動くのがすごく苦手です、職人タイプとも言えますかね。人と協力して何かをするのが苦手で1人で作業をしたいタイプ。みんなで考えるより1人で考えたい、1人で決めたい(アドバイスを求めたりはするけど)。生み出す事が得意なタイプにも寄っているので、ものを作ったり新しいことを始めたりすることも出来る。

 

その逆で、人の中でこそ輝く人が居たわけです!

自分にはない得意分野を聞いてみて、感動。え~!そんなこと出来ちゃうの~!えー!そういうのが得意なの~!すごーい!!!って、心底驚きました。色んな個性を知れるっていうのは自分の個性もそれでいいと思えます。

 

個性によってやはり、得意な事ってあるのです。

自分にとって楽にこなせることが、他の人も出来て当たり前ではない。

逆に、他の人が楽に出来る事を私がやるならとっても苦しい。

 

団体行動とか苦手なのです。

 

でも例えば、人の中でこそ力を発揮する人が、もし自分の個性を自覚していなかったら…、私がぼっち飯をしてたり、ぼっち居酒屋をしてたりしたら、この人は心に傷があるんじゃないか?人が怖いのではないか?という風に読み誤ってしまいます。

 

私が1人を好むのは個性です。

証拠として、私は保育園時代の幼少期から1人で遊ぶのが好きでした。

 

砂場でケーキを作ったり保育室で工作をしたり、誰かに作品を見てみて~!!と友達と見せ合うこともなく、自己満足の世界に浸ってました。だからといって友達がいないわけでもなく、友達が嫌いなわけでもなかった。普通に鬼ごっことかもしますし、友達とかかわることもありました。ただ単に、1人で黙々と遊ぶのが好きだっただけです。常に誰かと一緒じゃなくて平気。

なので、傷が癒やされて、ニュートラルな本来の自分に戻っていっても、そういうタイプの人は1人行動が平気というのが本来の姿なので、傷があるわけではないのです。

 

逆に私が自分をそういう個性だと言うことを認めていなかったら…人と居る事がとっても楽しい人に対して、そんなに人の事が気になるなんて境界線が引けてないんじゃないか?などと読み誤ります。

 

自分の個性を知り肯定すると言うことは、他人の個性も肯定出来ると言うことだと思います。

 

「みんな違ってみんな良い」とは言っても、人はなかなか、自分の個性をしっかり肯定できていないと、他人の違いは認められないものです。職場でも「なんでそんなこともできないの?」と言ってみる人を見たことがないでしょうか。

自分が出来ると言うことを、当たり前に思ってしまうと他者にも求めてしまうわけです。

 

 

すてきな個性を持った3期メンバー、これからどんな一面を知っていけるのか、とても楽しみです!

目に見えぬ者の声

統合失調症などがあると、本当にリアルな声が聞こえると思いますが、そうではなくても思いに語りかけるささやかな声もあります。

病気などではなく、普通に健康に日常を送っていても。

 

それはだいたい、自己肯定出来ていない所を土台にし、同意したくなる声がしてくるものです。

 

「何も出来ない、愛情の足りない駄目なお母さんだ」

 

まるで自分の言葉のように心に浮かんできます。

そして「私は本当に駄目なお母さんだなぁ…」と同意します。

 

思いに語りかける声。

クリスチャン的には、よくサタン(悪魔)が囁いてくる等と言います。

そうかもしれないし、違うかも知れない。

 

そういう霊的な事を信じなくても、否定的な思いに捕らわれると言うことは良くあることです。そして自分を責める。落ち込む。

 

でもどちらにしろコレは、境界線をきちんと修復できると聞こえなくなります。

 

土台になる自己否定を手放し

自分の境界線を再構築し

もう入ってこられないようにする。

そうしたら、そもそも聞こえることもなくなります。

否定的な言葉など、聞こえたとしても、鼻息で飛ばせるくらいになります。

 

 

自分への否定的な思いばかりではなく、他者への批判的な思いもあります。

悶々と考え続ける事ありませんか?

 

 

境界線が壊れていると、何度も何度も否定的な声と戦わねばなりません。

否定的な思いに、そんなことない!と言うことも出来ますが、疲れているときや落ち込んでいるときは言い返す気力もなくなりますし、何度も繰り返していると暗示のようにその思いも入り込んでしまいます。

 

自己肯定しよう!なんて言葉はよく聞かれるようになりましたが、自己肯定しようと思い込んで努力しても努力ではどうにもなりません。否定的な声は自己否定にしがみついています。自己否定を打ち消さない限り、否定的な声も居座り続けるのです。

男性のする自慢が女性は嫌い

女性同士だと解ると思うんですけど、女性はマウンティングが嫌いです。

どちらが上で、どちらが下か、というマウンティング。

 

あ、男性も嫌いかも知れませんけど、男性のマウンティングって明らかにハッキリとしたマウンティングなんですよ。

上司が部下に対して、そんなことも出来ないのか、お前らはまだまだだな~!とか。

 

女がやるマウンティングはもっと遠回し。

相手の気分を害さずにいかに自分の方が上か、優れているかということをマウンティングします。

その裏にあるのは、自己否定です。

人より上であると言うことを確認して自分を肯定したいのです。

自分が出来る事、知ってること、持ってる物を自慢したりします。

「○○区にマンション買いました!ローンが大変!節約頑張るぞ☆」

○○区が、地価の高い地域で他の地域よりも1000万は値段が上とか、そういうのはすぐわかるわけです。周りの人に自分の家庭の所得が単純に多いであろうことを匂わせているんです。

 

女性はそういったマウンティングに敏感なため、自慢話を嫌います。

 

 

ですが

男性はマウンティングではなく、普通に自慢話をします。

まったく悪気はありません。

 

「新しく買ったこの時計良いだろう~!!かっこいいだろう~!高かったんだ!」

 

こう言ったときの男性は本当にその時計の良さ、かっこよさを解って欲しい、高いという価値ある品だということを知って欲しい目的で言っています。すごいね-!って言って欲しい。

 

ただそれだけ。

 

べつに相手の上に立ちたいという目的はない。

 

 

でも女性は、自慢話=マウンティングなので、男性が自慢話をしてきたときに、不愉快であると感じたりします。

 

こんな事ができるんだ

こんな物を持ってるんだ

 

 

また、聞き手の自己否定やコンプレックスが強いと、マウンティングの意図が無くても、他者の「自分はこんな事が出来る」 が鼻につくと感じたり気に障って不愉快に思います。

 

でも「こんな事が出来る」 というのは事実なので男性は言います。

女性はわりと謙遜しあうので、こんな事が出来るというのは気を遣ってあえて言わなかったりします。

相手が嫌がるかも知れないと言うことも含めて、言わないのです。

 

 

女性の皆さん。

男性の自慢話は、マウンティングでは無い事がほとんどです。

時にあまりにも、すごいねと言ってもらえなくて女性にけなされてばかりいると

「お前はこういうところが出来ないよな」 という言い方をし始めます。

なぜかって、すごいね!って言って欲しいから。

 

女性が愛の言葉を欲しがるのと同じレベルで、男性は尊敬の言葉が欲しいのです。

でも「ほめて」とは言えない。

女性だって「愛してるって言って」って言って、愛してると言われても嬉しくないではないですか?

言わなくても言って欲しいのは男も同じ。

それがこじれて、お前は…とけなすのです。

男性が女性をけなしはじめたら、飢え死にしそうだよ~~~というサイン。

自慢話でおさまるうちはかわいいもんです。