送別会
親しくしてもらっていた人が、もうすぐ日本へ帰る。
私は大連に来たばかりの頃、
言葉ができると言っても生活がうまくいくわけではなく、
悶々と暮らし、
日本へ帰りたい、帰りたいと思っていた。
そんなころに出会った人だ。
大連でも浮つかない、足をしっかり地面につけた生活をし、
それでいて、
いつも楽しそうで、パワーにあふれていて、
大輪の、ひまわりみたいな人だ。
私は彼女にどれだけ大連で楽しむ方法を教えてもらったろう。
今日は、その彼女のお別れ会があって、
バスに乗って金州という町まで行ってきた。
久々に会った彼女は、やっぱりひまわりみたいで、
「最後に会えてよかった」
って言ってくれた。
いつか、日本のお住いに遊びに行きます。
大連でも、いつも会えるわけじゃなかったけど、
とても好きだったから。
大連のこと、忘れないでね。
日本へ帰ってもお元気で。
孤独と奮闘中
毎日毎日資料と格闘中。
論文の締め切りがもうすぐ。
ああ、第一次の締め切りには絶対間に合わない。
先生に来週電話してお伺いをたてよう。
それにしても、孤独だ。
一日誰とも話さずにずーーーーっと
パソコンとお友達。
これが続いたら絶対鬱病というものになってしまうであろう。
でもやらないと。
うー。
あと10日間、
あと10日間でなんとかケリをつけてやる~!
友達の大連旅行
私は見送り、というのが好きではない。
単純に、すごく寂しいからだ。
15年来の友人たちが大連にきた。
2泊の短い旅だけど、
前々から計画して、やっと来た、という感じだ。
彼女たちと大連で歩いてるなんて、夢みたいだった。
京劇を見たり、中華料理を食べたり、買い物をしたり。
ここは中華街じゃない、大連なのだ。
そして、帰る日の朝。
一緒に、「糖葫芦(タンフール)」という果物の飴がけを買い食いし、
荷物の準備をして、送迎バスへ。
二人の手を握ったら、涙が出そうになった。
ここで泣いたら笑われる、と思って、
なんとかかんとか頑張って、笑顔で手を振った。
そして、二人のバスを見送って、家へ帰るまでの道のり、
あんなに人の多い天津街を
一粒、二粒と涙をこぼしながら歩いた。
止められなかった、寂しくて。
自分が見送られるほうなら、こんなに寂しくないのに、
やっぱり見送りは嫌だな、と思った。
ハルピン街~家々の取り壊し
以前、日本人たちが建て、生活していた家々の多くが、
今、取り壊され始めている。
確かに、壊すのには理由がある。
とにかく古いのだ。
暖房も入らず、いまだに炭をたいて暖を取っている家もある。
インフラももちろん良くはない。
これを修繕して、というよりも、新しくしてしまった方が楽だろう。
大連人にとっては、新しいほうがきれいだし、
町にも合うと思っているだろう。
しかも、日本人の住んでいた古い家、
それを中国が保存していく歴史的価値はなにもない。
しかし、と私は思ってしまう。
壊すのは簡単だ。
でも、同じものは二度とは作れない。
観光資源、というわけではないけれど、
思い入れがある日本人はいっぱいいるだろう。
上海みたいな保護・活用はできなかったのだろうか。
じゃあ、自分はなにができるか、といっても、
実際は無力だ。
写真を撮って残すくらい。
もったいない、と思うのは、
きっと日本人の勝手な考えなのだろうな。
せめて、100年前、焼き締められたレンガが、
どこかで再利用されたら、と思うのである。