2010年9月20日(月)


今日、何の日だっけ?

なんで休みかはわかりませんが、

今日は月曜日でありますが、祝日です。





先日、ベッドに角度つけたら快適に寝れたので

調子にのってまた角度をつけて寝たら、

どうも今度は角度をつけすぎたらしく。。。

体重がおけつに集中したようで、おけつが痛くて起きた。

ので、朝方平らにして寝直したら、やっぱり腰が痛くて起きた。

・・・難しい。

しかもめずらしく寒かった。

そろそろ秋の気配ですかね。

やっぱり寝返りはまだつらい。

起きるのも首を押さえながら。





朝食です。

どーにも食欲がありません。

何も動いてないから仕方ないし。

しかも今日は頭が痛い。

慣れないメガネ生活と首への負担からくる頭痛とみた。

旦那さんにコンタクト持ってきてもらおう、うん。


朝食はお粥一口、おかず半分ほどしか食べれなかった。




あ、でも術後初の排便。

やっぱり食べれば便は出る。

いつでるんだろう・・・と思ってたが、よかったよかった。





11時前、突然背後から声がする。

「ぶーこ選手さーん。管抜きますので処置室まできてくださーい」

とO野先生の声。

お、ベッドの頭上から声がするんだ。

やった!やっとこのバッグとお別れだー!



ルンルンとナースステーションの向かいにある処置室へ向かう。



O野先生、いかにも休みの日に出てきました、

みたいなジーンズに白衣って格好。

そして看護師さんがいないせいか

「えーっと・・・」

「あ。」

とか、道具をウロウロ探したり、カーテン壊しそうになったり。

おもしろい。



で、管を「ぴゅっ」って抜くんです。「ぴゅっ」って。

抜いた管と血液パックの入ったバッグをそのままゴミ箱にぽいっ。

抜いた私の体の穴にはバンソウコウをぺた。




がんとともに生きるのだー

はい、終わり。

簡単だねぇ。。。

1、2日で穴もふさがるってさ。



後で看護師さんが来て、

管もとれたし、熱も下がったのでシャワーの許可が出た!

いやっほぅぅぅぅ!!!!

ただし、傷口は濡らさないように、タオルなどを巻くように、と。

なので傷口より下だけシャワーしませう。

OK、OK!!

髪はあとで看護師さんが洗ってくれるらしい♪

うれしーよー!!



とりあえず、ソッコーでシャワー。

今日は本当は男の人のお風呂の日なんだけど、

お構いなしにすぐ入る。



さっぱりー!!


風呂が汚いなんて気にもならなかった!

私の体のほうがよっぽど汚かったでしょうに。

あとはバッグをぶら下げなくなったのでとにかく身軽!

首の疲れが一気になくなった!



さて、昼食もお粥を半分残す。

おかずは完食。



そして旦那さん、やってくる。

コンタクト装着!だんだん普段通りになってくる、見た目が。



そんなこんなしてると、またもやお見舞い客が。

私の兄貴家族である。

兄貴、嫁、娘(4歳)と息子(1歳)。

まー、ここの娘が内弁慶でさ。

うちらになかなか懐かなくて・・・。


と、思っていたのに、しばらくぶりに会ったら

なんだか急に大人になってて!

うちらにも話しかけてくれる・・・信じられん。

昨日の幼稚園の運動会の映像をひたすら見せられる。

ちっ。かわいいじゃねーか。

元気になったぞ、おばさん。



さんざん騒いで帰る。

さんきゅー、兄貴。





旦那も買い物がしたいから、と一回帰る。

そのスキに看護師さんに髪を洗ってもらう!



ゴシゴシゴシゴシー!!!


い、痛い、看護師さん・・・。

爪立ててませんかね・・・。

でもきっといっぱい汚れてるからと思って

ゴシゴシ洗ってくれてるんだよね。

美容師さんみたいに上手に指の腹使ってなんて洗えないよね。

結局、最後までがまん。

でもちゃんと2回も洗ってくれたし。


スッキリ!!


でも、前に頭を下げての洗髪は正直、首がかなり疲れた。

かといって美容室みたいに仰向けに寝て頭なんて下げられないしね。

傷口パカって開いちゃうよ。



これで体も頭もキレイな私。

スッキリ気分で勉強に身が入る。




そろそろ勉強しかすることがなくなってきたんだよ。

つかしなきゃいけないんだけど。

この会社からやらされてる通信教育みたいなの。

7月スタートで毎月一回解答を送らなきゃいけないのに

この「がん」騒動(ANDスペイン人との事故)のおかげで

一度たりとも解答を送ったことはございません。

つまり、3ヶ月は遅れをとっています・・・。

本気だしてやろ。




夕飯がきたころ、旦那くる。

旦那がきてまた調子にのってヨーグルトドリンクや

昨日Sさんが持ってきてくれたチョコレート菓子やらを食べてたら

・・・腹痛くなってきたな・・・。

食欲ない、とか言っといて急に色々食いすぎか!?

結局、夜に一回ゲリ気味な排便をする・・・いてて。




そう。

今日知った真実がひとつ。


私は、この手術の傷痕。

その上に透明のシールのようにバンソウコウが貼ってあって

しばらくしたらそれを剥ぐんだと思ってた。

そしてもちろん抜糸もあると思ってた。




ないんだって!!




まず、透明のシールのようなものは

剥ぐのではなく、自然にポロポロ落ちてくるらしい。

接着剤のようなものなんだそうだ。

まさにサカムケアと同じ仕組み!

そして抜糸もない。

これは埋没法でして、中のほうで縫ってるから

抜糸も必要ないんだって(一応3針縫ってます)。

前は表面で縫ってたから横に一直線の傷痕の上に

ぴっぴって縦に短い縫ったあとが表に出たんだけど、

この方法ならそれはなく、本当にキレイに首のシワに隠れるらしい・・・。



へぇぇぇぇ。



なんでそんなことも知らないんでしょう・・・私。

先生、そんなこと教えてくれましたっけ??



まぁ、いいけど・・・。

キレイに消えるなら。



2010年9月19日(日)


ぐっっっっすり寝たー!!

すぐ腰が痛くなるため、ベッドを少し角度をつけた状態で寝てみた。

これがよかったのである。


でも、あのよけいなバッグ(血パック)がやっぱり邪魔で

(もちろん寝てても一緒ですから)

気になって寝返りは打てないんだけどね。



そうそう、顔が洗えないんです、自分で。

傷口濡らしちゃいけないって言われてるし。

びちゃびちゃーって首まで水が垂れてきそうで。

なのでいつも看護師さんから蒸しタオルもらって拭いてます。

頭ももちろんまだ洗えないから、できるだけ頭かかないように。

気をつけて、気をつけて。

汗もかきたくないのでいつも窓開けて寝てるし。

布団かけないし。



朝食です。


気になるのが喉の痛み。

麻酔の管(?よくわかんないけど)が中に入っていた為と

手術の夜、私がバカみたいに痰を「おえっ」って力まかせに

吐いてたせいだと思われますが、とにかく喉が痛い。

今まではそんなに痛み止め飲む程ではなかったんだけど

だんだん気になってきて。

飲み込むとき「ごくっ」って傷みに耐えてがんばって飲んでる

自分に気づきまして。

食欲もないことから、無理せず痛み止めをこの日から毎食前に飲むことに。



さて、今日のメニューですが。

まだお粥・・・当たり前ですが。


贅沢だよねー、お粥がおいしくないとかわがまま言って。

それでも梅干つぶしたヤツとかついてくるんだよ。

海苔の佃煮とか。

でも、だめだー。おかずを白いご飯と一緒に食べたい!!



結果、「いっぱい食べて早く元気にならなくては!」なーんて

昨日は言ってたくせに、残した。少しね、少し。

でもやっぱ食欲ないんだよ。動いてないし。

いっぱい噛んでから飲み込むようにしてるから

食べるのに時間かかるしね。

この朝食も1時間かけてなんとか。。。


ま、仕方ないか。





と、今日は日曜日。お見舞い客の予約が入っております。

旦那の弟家族。

私の病気を唯一知ってる友人、M子家族。

だいたい午後来るよね、お見舞いって。

旦那も午前中はいつものトレーニング(何者??)があるので

午後からくるかな。



と、思って一応誰がきても大丈夫なように準備してた午前中、

「コンコン」


ん?

「はーい」

誰だ?


はーい、といったが大声は出ないので声が届いておらず。

もう一回言っても入ってくる気配がないので

自らドアを開けに立ったら




ビックリ!予告なしのI夫妻!!



Iさんは、旦那の高校時代からの友人です。

旦那と付き合い初めの頃からお互いカップルでよく行動をともにした。

私は旦那がいなくてもI嫁と女同士で飲んだりもする、

とにかく旦那にとっても私にとっても大事な仲間。




でも、今回あえて病気のことは教えてなかった。

私が自分で言う(言いふらす)ことでもないし。

主体は旦那の友人ですし。

下手に言って心配かけるのも・・・と思ってた。

旦那が言わないなら、それでいいし。




ケド、何を思ったか、手術の日だったかな?

その前の日だったかな?

旦那が「報告してやろう」ってメールで報告したんだよね。

まぁそれはそれでモチロンいいんだけど。

なんか黙ってるのも・・・ねぇ。

隠してるみたいで気が引けるのは確かだし。


で、手術当日、I嫁から応援メールもらったしね。

もちろん私も「手術、無事終わったよ~」メールをして。


まさか、お見舞いにきてくれるとは!!



行こうと思って、私の旦那に行く前に一応電話をしたらしいんだけど、

何回電話しても、出やしないって。

もしやもう病院に行ってて病院だから電話に出れないのかと思って

直接来てみたんだけど。。。って。



あ、旦那さんは今トレーニング中だよ。



I夫妻、苦笑い。

Iさんにしてみれば、(この夫婦、かなりの仲良し)

がんの手術をしてすぐの日曜日に病院にこないで

いつも通りトレーニングしてるってのがありえないんだろうね。



いえいえ、うちの旦那さんはアスリートですから(・・・いえ、普通の会社員ですが)。

嫁ががんでもトレーニングは大事なんです。

一応、亭主関白ですし。

恥ずかしがり屋なんで、そんな朝から晩まで病室にはいませんよ。

でも昼休み抜けてきたりしてくれてるんだけどね、うふ。


うちの旦那のメールはシンプルすぎて

なぜ私がここにこうやっているのか、経緯がまったくわからないらしく、

ここに至るまでの流れを説明。

ラッキーだったんです、ホントに。

術後の経過もきっと順調だし、10月1日には仕事復帰するつもりだし、

そうそう、10日のマラソン大会も出るんだ、

先生いいって言ったし!


って言ったらビックリしてた。

10日!?まらそん!?


でも、それが完全復活の私なりの証なの。

これは絶対完走したいんだ。



そんな話をし

結局、I夫妻がいるうちに旦那は来ず。

私の変わり果てた姿を見、びっくりし、励まし、

帰っていきました。。。ありがとうー!!




さて、お昼。

お粥・・・。しつこい。

お粥以外、ほぼ完食ですね。おかず少し残し。

この頃からお粥への嫌悪感が増す。

(お粥、ゴメンよ・・・)

痛み止めを飲んでるので、痛みはそんなに気にならず。




と、お昼後に旦那の弟家族登場。

暇つぶしの雑誌なんか持ってきてくれる。

甥っ子を抱っこしたいが、ワタクシ管が刺さってますから。

暴れて管つかまれて抜きそうだから、がまんがまん・・・。

またマラソン大会の話をするがI夫妻と同じようなリアクション。

無理しないでね、と念をおされた。


これまた旦那に会えずに帰る。

ありがとう!!



次に私の病気を唯一知ってる友人、M子家族登場。


M子は私が甲状腺がんだと先生に言われたときに

旦那以外で初めて教えた人。

病気を知って泣いてくれた人。

とにかく心配性で泣き虫で。

泣かれた時は(言わないほうがよかったかな)と思ったが

何かあるたびにいつも励ましてくれた。

本当に本当に大事な友人。



お見舞いの品に折り紙と、なんかハイテク知恵の輪みたいのくれた。

ウケる、M子夫妻らしい。


と、話しているとやっとうちの旦那さん登場。

楽しく談笑。


マラソン大会といえば、

うちの旦那さんは中学から陸上部で。

この10日に行われるマラソン大会には

短大時代から黙々と参加していた。

走るのがもう義務みたいなもんよ、生活の中の。

私も旦那さんと付き合うとき、

「オレと付き合うなら、走れ」←こんな勢いで走りを強要され。

それまでタバコばっか吸ってたのに生活一変。

毎週日曜日はランニングから始まり、それからデート。

結婚を期にタバコも止め、過去のヘビースモーカーぶりからの

急な方向転換に私の友人皆ビックリしたもんさ。


で、昨今のランニングブームもありまして、

M子の旦那さんも今年のそのマラソン大会に参加するんだ。

私と同じ10キロ(ちなみにうちの旦那はフル)。


「ホントに出るの!?ぶーこ??」


へい、出ますとも。

完全復活なんだって。

先生もOKしてるから大丈夫だって。


ま、そんな感じでマラソントークに盛り上がり。

M子家族は帰っていきました。

ありがとーー!!マラソン大会でまた会おう!



と、今日はこれで終わりかと思いきや

今度はS一家登場!!


Sさんは旦那の幼なじみ。

実家が隣同士です。

私は旦那の実家で同居だし、Sさんも実家の近くに家を建てたので

まーとにかく行動をよく共にしてる。

S家の子供たちとも仲いいし、

(仲がいいっつーかもう友達扱い??)

日帰りドライブもよく一緒に行く。

夏は海にバーベキュー。

旦那はうちに帰るより先にSさんちに帰ってたり・・・。

近所の仲間っていいね。ホント。


お花とお菓子をもらう。ありがとぉぉぉ。

しかも私の大好きなチョコレート菓子・・・。食べたい・・・。

「お前は食えないだろ」と意地悪言うSさん。

じゃあナゼ持ってきた??

全部置いてくと、私本当に全部食べそうなので

少しだけ残して旦那に持って帰ってもらった・・・。くすん。




本日のお見舞い、これで終了。

皆さん、せっかくの連休に本当にありがとうございます。

お見舞いに来てもらえるって幸せだね。

そしてお見舞いにきてもらって、普通にしゃべれる自分・・・。

これまた幸せなり。

ありがとうありがとう。



さて、夕方。

意外な人からお見舞いメール。

私の兄貴の友人。


タイトル「大変だな」

「M(兄貴)にお見舞いの品渡しといたからの

お大事に」


ウケる。

なんで知ってるん?兄貴、言ったな。

知ってるとは思わない人からメールくると、本当ビックリ!

そして元気づけられる!

さんきゅー。



さて、夕飯。

これもいつも通り時間をかけて食べるも

お粥はイヤイヤながら口に運び、

お昼と同じくらい、ほぼ完食。

白米食べたい・・・。



旦那さん、一回出て夕飯買って戻ってくる。

ここで夕飯食べてくらしい。

その際、スーパーでエクレアが割引になってたからと

2個買ってきた。

2個ってことは、私の分も・・・。


別に先生から食べ物制限、受けてないんだよね。

あれダメ、これダメとか。

チョコ・・・食いたい・・・。





食べちゃいました。


うまい!

やっぱお粥のせいか、食欲がないのは。

いつ、白米になるんだろう・・・。




今日はいっぱいお見舞いにきて元気がでた!

明日もお休み、明日は兄貴家族が来るなぁ。

あ。管がとれる日だ!明日は!


血液パックとともに寝るのもこれで最後だ、

と思いながら、2日目終了。就寝です。


2010年9月18日(土)


手術の次の日、1日目です。



寝たんだか寝てないんだかもよくわからない、

最悪な状態で術後の夜を過ごし、

なんとか朝が来た・・・


朝が来たってことはやっぱり寝たんだろうな、多少。


看護師さんが何回も何回も来てくれて。

時計を見ても全然進んでる気がしない。

朝日らしきものはもう昇ってる・・・。



「もう、起きてもいいですか・・・」

「あー、そうだね。ちょっと早いけどいいか」



やっと朝・・・6時ぐらいに起きる。



起きるにしたって起きれない。

首切ってますから。

起きるときって「えいっ」って腹筋つかって頭を起こすんだよね。

腹筋使うとき、首に力が入る・・・。

痛くて起きれません・・・。



自由のきく右手でベッドの左の柵を掴む。

体を横にする。

と、看護師さんにも手伝ってもらって頭を抑えながらなんとか起きる。



頭って重いなぁぁぁ。いてててて。




とりあえずベッドに備え付けのテーブルに突っ伏す。

背中を丸める・・・。





気持ちいい・・・。



しばらくこのまま。



見ると、まぁ肌けてること、私の格好。

着衣の乱れを直してくれる看護師さん。

うがいもする。


点滴やら足のポンプやら、他なんか体についてたコードが外れる。

点滴の針の部分は装着されたまま。ふーん。


なんやかんやしてると、7:40頃。

朝食がくる。


がんとともに生きるのだー

・・・お粥ではありませんね。

米水・・・白いお湯・・・。

味が必要なら、ってんで塩がついてた。

奥は具なしの汁。

あとは牛乳。

野菜ジュース。

ヨーグルト。




気持ち悪い・・・。

腹すいてないし・・・。

全身麻酔の影響で気持ち悪くなるとかいうのはこれか・・・。


でも、朝食の後におしっこの管とるっていってたしなぁ。

なんか口にしないとなぁ・・・


とりあえず、野菜ジュースとヨーグルトを、なんとか口に入れた。

他はまったく手をつけず。なので何味だったのかもわかりません。

んー。飲み込むとき、ちょっと痛いかな。喉。

ふぅ。




で、しばらくして看護師さん登場。


「ご飯食べれました?」

「食べれませーん。気持ち悪いです・・・。」

「あらー。じゃあ点滴外さないほうがいいか。お昼も食べれないかも

しれないもんね」


え!?

それはイヤ!

なんか点滴ってダメみたい、私。

無理矢理投与されてる感じが・・・。

それにこの手首にある点滴セット、邪魔!


「いや!とってください!お昼は意地でも食べますから!」


お昼を食べることを約束し、外してもらう。


そして、おしっこの管もとれる!

体を拭いてもらう!

病衣も着替え、肌着も着用!




全部とれたー!




ん?とれてませんね。

首からなんか出てます。


お!ドレーンが!



手術創から体内に入ってるこの管は

中に溜まってるわずかな血液を外に出してくれます。

で、その出た血液の入ったパック


がんとともに生きるのだー

↑これを




がんとともに生きるのだー

この相田みつを(?と思われますが)のバッグに入れて





がんとともに生きるのだー

こんな感じで持ち歩きます。常に一緒。

(なんかちょっとへこみ気味の私)


ちなみにこれを看護師さんが一日に何回も

重さを量りにきます。

一気に増えたりすると大変なんだって。

少しずつ、少しずつ増えてる分にはOK。

ちなみにだいたい50g前後でした。




ま、なんにせよ、とりあえず歩く許可はでた。

トイレに行ってみる。


久方ぶりに立ち上がって歩いてるのに、

あまりにスタスタ歩くもんだから看護師さんが心配して

「そんな急に歩いて大丈夫??」

「あー、大丈夫です」



歩きたいんだもん。



んで、トイレ。

しっこをする。


ぴりっ。


いて。


おしっこの管のせいで、一発目は痛い(しみる)らしい。

教えてくれよ、看護師さんー。



しっかし、おしっこって不思議。

しっこを出す命令は私がしてるハズなのに、

管が刺さってるときは命令してる感はまったくなし。

じゃあどのタイミングでしっこは出てたんだろう??

そして管を外したとたん、私の命令によってしっこは出る・・・。


人体の不思議。



まぁ、しっこの話はそのくらいにして。



横になるとまた腰が痛くなるので

ベッドに角度をつけて、ちょっと寝ようかと。


あ、でも昨日とかたくさん応援メールもらってたんだ。

手術が無事終わったって皆に知らせないと。



寝たり起きたりウトウトしながら、応援してくれた皆にメール。

返事がきてまたメール。

メール・・・寝る・・・メール・・・




お昼である。


旦那さん、決算で忙しいのに(昨日だってほとんど出勤してないのに)

お昼休みに様子見にきてくれた。

うれしい・・・やさしいぃぃぃ。




がんとともに生きるのだー

また、ほぼ水に近いお粥。

一応これでも三分粥なんだそうだ。

と、また具なしの汁。

具なしの茶碗蒸し。

煮浸しみたいの・・・。

かぼちゃ(?)をふかして潰したようなやつ。

ヨーグルト。



看護師さんと全部食べると約束したので、絶対食う!

旦那が来てくれたこともあって、快調に食べる。

しっかし、お粥って久々食べたけど・・・おいしくない・・・。

んー。少し喉痛いかな。内側だね。外の傷じゃなくて。



それでも時間をかけて、完食!



がんとともに生きるのだー

得意げです。調子のってます。



術後、水分をいっぱいとってくださいね、と言われてた。

いろはすやらお茶やらは、旦那や母ちゃんが持ってきてくれてたので

いっぱいある。



で、ストローですよ。


なぜか私、ストローが必要だろうと察知してて持参してきました。

ペットボトルだと飲む時どうしても「ぐびっ」ってアゴを上にするでしょう?

首が伸びるでしょう?

出来ないんだよね、それ。首切ってますから。


ってことにナゼ私が気づいたかわからないけど、

持っていってよかった。かなり重宝。

これから首切る人、是非持っていってください。


あと、逆になぜ持っていかなかった!?ってのがスプーン。

入院前にもらってた「入院計画」に、ご飯はお粥って書いてあったのに。

病院からもらった入院準備品のなかに「はし」しか書いてなかったから

なーんかそれを鵜呑みにして箸となぜかコンビニのプラのフォーク・・・。

箸があればフォークはいらないだろ。

流動食ですもんね、お粥ですもんね。


スプーン、いりますよ。





旦那さん、お昼休み抜けてきただけなので

急いで帰る。今日は締めだから夜はこれないよって。

大丈夫だよ、ありがとう。




まー、とにかくメールが多かった。

明日が日曜日だから、皆お見舞いに行きたいって、行っても大丈夫?って・・・



嬉しいねぇぇぇ。

そしてすまないねぇぇぇ。

ホントに心配かけてごめんなさい。そしてありがとう。

って気持ちでいっぱいですわ。


夕方、母ちゃんくる。


色々手術中の、待ってる話とか聞く。

私がピースして手術室から出てきたとか。

部屋でずっと待ってたんじゃなくて、手術室の前で待ってたとか。

え?そーなんだ。

母ちゃんの手術の時は看護師さんに「デールームで待っててください」

って言われたから兄貴とずっとデールームにいたのに。

なんかテレビみたーい。手術室の前で待機なんて。


夕飯。


がんとともに生きるのだー


白身魚のあんかけ。

お吸い物、具あり!

山芋すったやつ。

もう一個なんだろね、ナスの味噌炒め的なの?

そして主食はもちろんお粥・・・五分粥です。



これもがんばって食べたんだよね。

山芋も得意じゃない、お粥も苦手。

でもなんか食べなきゃいけない気がして。

皆からいっぱい応援してもらって。

心配かけて。


早く元気にならなくては!!!!


って思いで時間をかけて完食。

ほぼ水で流し込んだ感もありますが。



喉いて。



夜、熱を計る。

37度3分。

術後だから多少熱はあるみたいだね。




母ちゃんも帰り、のんびりしてると20時過ぎ、

忙しいハズの旦那さんから「あれ。意外と早い」

と、仕事が意外と早く終わり、これから行きますよメール。



疲れてるだろうからいいのに(泣)・・・うれしいよぉ・・・。



面会時間は一応20時まで。

でも旦那さんだったら時間過ぎてもいいですよって看護師さんから言われてる。

しかも個室だから他の患者さんに迷惑かけないしね。

個室にしてよかった。




こうして、術後一日目は無事終わりました。



2010年9月17日(金)


とうとう手術の日でごわす。



昨日なんとか寝たが、腰が痛くて起きる。

若い頃はいくらでも寝れたのに、最近は腰が痛くて起きちゃうのよね。

5時には起きたが、もう少し寝てたいので無理矢理寝る。

でも6時半には起床・・・面倒なので起きよう。


あ、コンタクトは昨日捨てたから、今日から眼鏡生活だった。


眼鏡にすると、一気に病人っぷりが増すよね。


看護師さんが様子を見に来る。

体温、血圧などを測る。



・・・する事がない・・・。

だってご飯もないし・・・。



ってなわけで、またもやマンガを読む。


と、麻酔科の先生が来る。おじさん。

身長・体重を聞き、あと私のふくらはぎを見ていく。

「グラグラしている歯はありませんか?」

これ、何回かよく聞かれたんだよね。

急に言われても・・・もともと歯は弱いですけど・・・

最近歯痛いから多分虫歯もありますけど、グラグラはしてないかな。


で、またヒマなのでマンガを読んでると

10時過ぎ、看護師さんがきて、点滴をしますと。



初・点滴。



結局のところ、なんでも初なんだけどね。


なんか変な感じー。と思いながらもマンガに没頭。

11:30頃、点滴の中身なくなる。

これはナースコールで呼べばいいのか?

中身なくなってもほっといて大丈夫なのか?

ん?なんか血が出てきましたケド・・・。

と、不安がってたら、ちょうど看護師さん登場で、点滴終了。

12:30頃迎えにきますので、それまでに着替えて準備しておいてね、との事。

そうそう、その間に何回かO野先生が来て、

私のクビにマーキングをしていきました。

ここが切る場所なんだな・・・。


がんとともに生きるのだー


さて、旦那も母ちゃんも来るし、先に着替えておこうと、12時には着替える。

まず、まっ裸。

売店で買った紙パンツ。101円也。

次にへんなストッキング。


がんとともに生きるのだー

肌着は何もつけずにその上にすぐ病衣を着る。

準備完了。


とりあえず、この間、色んな人からメールが来た。

と言っても、友達は一人にしか教えてないんだけど、

あとは旦那の友達や、兄貴の嫁さん、会社の人・・・

涙でちゃうじゃん。

とりあえず、「終わったら快気祝いでもぱーっとやろうね♪」

と明るく返信。

かしこまって返事すると、泣いちゃうもん。

皆、ありがとう。




と、ここでまた知らない先生登場。

「部長のSです」

確かに、私のベッドの頭上にあるネームプレートの

主治医の欄にはS先生の名前がある。

部長だから責任者なんだね。

「今日の手術の場所は、右でしたっけ?左でしたっけ?・・・真ん中ですね」

と、印を見て確認するS先生。

私が余裕の表情をしてたので安心したように、

「よーし、その勢いでがんばりましょう!ではまた!」

と元気よく去っていった。



なんか本を読む気分でもないので、

DVDプレーヤーで、旦那が撮ってくれたお笑い番組を観る。

一人笑ってると、旦那と母ちゃん登場。

一緒にDVD観て談笑。

リラックス、リラックス。



13時ギリギリ。

来た、迎え。

「ぶーこ選手さん、行きますよ」

担当看護師、Kさんが手術衣とバスタオル持ってくれる。

あ。と旦那に結婚指輪をたくす私。

ちょっと預かっててね。


看護師Kさんの後に、私、旦那、母ちゃんとテクテクついていく。

手術室は同じ階、3階。

ほんのすぐそこです。


見慣れた手術室のでっかい自動ドア。

中は曇りガラスなので見えません。


「では、ご家族はここで・・・」


振り返る。旦那と母ちゃん見る。


「じゃあね、バイバイ!」



手を振り、さっさと中に入る私。


だって、じっくり顔見ると・しゃべると涙出そうだったんだもん。

手術前に号泣はやばいでしょ。

中に入っちゃうしかないでしょ。


(いってきます。また後でね。ちょっと待っててね)


一応そんな思いで、大きい手術室の自動扉の中へ入りました。






おお!中、結構広い!

広いっつーか奥に長いんだー。


その奥へと導かれる私。


「ここで履物をこちらに履き替えてください」


お!急に大勢に囲まれた!

4人くらい?の女性の・・・なんだろう。看護師さん?

助手?麻酔科の方?

で、そこでネームバンドで名前の確認。


その4人に囲まれてさらに奥へと進む。



「けっこう広いんですねー」

と興味深そうにキョロキョロする私。

「ぶーこ選手さんは一番奥の左側の3番の手術室になります。」

お!ついた。3番。


おーーー!!

これまた思ったより広い。手術室。

おーーー!!

手術台?っていうの?

これに乗るんだねー、私。

おーーー!!

人がいっぱい。



「じゃあこちらの踏み台に乗って座って頂いて・・・」

「名前の確認をします。番号の確認をします」

「ここにそのまま横になってくださーい」

「眼鏡ははずしますよー」



されるがまま。



横になると、かすかに音楽が流れているのがわかる。

もっと大きくすればいいのに。音量。


「ぶーこ選手さん、それでは始めますからねー。

リラックスしてくださいよー。誰かわかりますかー?」

「んー。眼鏡はずしてるんでわからないですけど

声からして多分I先生かな。」

「お!正解です、その調子でリラックスしてください」


奥のほうにいるのは多分O野先生かな。

そいで私の周りを一番ウロチョロして、偉そうなのが多分S先生。



「では、点滴しますねー」

と(多分)S先生が点滴の針を左手首近くに刺す。

次にお姉さんが「酸素吸いまーす、深呼吸してくださーい」と

優しく声をかけてくれる。多分この人、この前病室に来たケーシーのお姉さんだ。



ここで・・・!


多分S先生が

「なんだー?なんで○○があるんだー?」

・・・皆無視。

「○○なんていつも使わないだろう、なんで用意したんだー?」

・・・またまた皆、無視。

(いーじゃん、別に。使わないなら使わないで置いておけば)

みたいな空気が流れてる。または

(また始まった)みたいな。だってフツー無視はしないよね!?

「なんで○○がいるんだ・・・」ブツブツ文句を言うS先生。

「・・・使うかなぁと思って・・はは」

と渋々答えるケーシーのお姉さん。


ねぇ!それちょっと、まだ意識のある患者の前でする会話!?

準備ちゃんとしようよ!

必要な物は揃ってるワケ!?

おいおいおいおい~!!



と、多少不安にかられるも、次の段階。

「少し匂いがしてきまーす」

とケーシーお姉さん。


あ、ホントだ。

何の匂いって言えばいいかな・・・。

ガスっぽいというか、シンナーっぽいというか、アルコールっぽいというか・・・。


あー、なんか涙出そう・・・。

本当に手術するんだー・・・。














落ちた。



匂いを感じて数秒の記憶しかナシ。









で、気づいたら・・・どこなんでしょう。


病室ですかね。


なんか麻酔が切れたといっても

やっぱまださまよってたみたいで、この辺の記憶はかなり曖昧。


ただ、旦那曰く、手術室から出てきて

看護師さんが「ぶーこ選手さん!わかりますか?旦那さんとお母さんですよ!」

と言って起こされたとき、私はピースをしたらしい・・・。

そしてそれを写真に撮ろうとする旦那(結局、上手く撮れなかったが)。

「余裕ですね」と看護師さんは笑ってたらしい。


がんとともに生きるのだー



あとは、病室で目が覚めたときに

テレビみたいに口に酸素のマスクがしてあって。

それが邪魔で。

取っていいか、と聞いたり。

声はやっぱりかすれてて。

とにかく痰がからんで。

喉も痛い。外じゃなくて中。

のどが渇いてる。

でも飲み物はまだ×で。

「しっこー。しっこがしたいー」

「管ささってるからすればいいでしょ」

「してるかどうかわかんないー」

「なんかちょっとずつ増えてるからでてるよ!」

と、旦那とずっとおしっこの話をしてたり。

だんだん目が覚めてきたら、右にはおしっこの管。

左手は点滴。

手術創からは溜まった血液を外に出す管、ドレーン。

他にも左側は何かコードがついてた。

両足は血流をよくするためのポンプ。


とにかく、色んなものにつながれている事はわかった。


つらい・・・、動きたい・・・、暑い・・・。




だんだん目が覚めて、色々考えられるようになってきた。

意外とメールもできそう。

唯一知ってる友達には、旦那から術後すぐに電話してもらった。

あ。W科長にメールしよう。

会社の皆も心配してるだろうし、W科長にメールすれば皆に伝わるだろう。


旦那に携帯とってもらい、メールを打つ。

替えたばっかのスマートフォン。

キーボードはなく、タッチ式。

よく見えない。あ、眼鏡。

・・・眼鏡かけてもよく見えん。焦点が合わない。

あー!イライラする!タッチ式!!

つか、麻酔明け後、打てるかー!!


で結果、(旦那に手伝ってもらい)送ったメールは

「手術終わりましたビール喉が痛いべーっだ!


・・・まったく絵文字の意味がわからん・・・。

まぁいいや、無事終わったことは伝わっただろう。


とにかく旦那が写真いっぱい撮ってたなー。

それは私がお願いしたんだけど。

気づくたびにピースをして余裕な態度の私。

傷口の写真も撮って、私に見せてくれた。


がんとともに生きるのだー

傷口、むき出しでビックリ!

なんかでっかいバンソウコウ的なもので覆われてると思ってましたから!

でもこれ、透明な接着剤みたいの(サカムケアみたいな)で覆われてるんだって。

それにしても、むき出しでなんかジュクジュクしてそうで痛そう・・・。


あとは、痰がからんで仕方なかったんだけど

それは吐いてくれっていうから、おぇってティッシュに出して。

でも喉が痛いから、それやるとなおさら痛くて。

それでも痰だすとスッキリするし。

水飲むのはダメだけど、うがいはいいよってことで

うがいさせてもらったり。。。スッキリー!



だんだん冷静になってきて。

旦那さんは仕事が忙しいので、会社行っていいよ、と促し。

この時多分19時過ぎ。

看護師さんからも「もう大丈夫ですよ、あとは私たちで」とOKが出たので

旦那と母ちゃん、さようなら。

なぜか二人と握手をする私。

ありがとう。ありがとう。





とりあえず寝る・・・。






・・・腰が痛い・・・。



そりゃそうだ。

13時から寝てるんですからね。

しかも寝返りも打てず、同じ体勢で・・・。



そして暑い・・・。


今になって思えば、術後だったから熱があったんだよね。

でも暑いのキライで。

手術衣をはだけさせ、はだけさせ・・・。


あーやばい。


マジ腰やばい。


でも看護師さんは起きちゃダメっていうし。


私もどこが動けるのかよくわかんないし。


いないスキに、動ける限り最大限動いてみたりした。


あんまり左を向くとおしっこの管が右にあるからやばい。

でも右足を左に投げるくらいはできそうだ。

動く右手で左側のベッドの柵をつかみ、体を起こす。

つか首痛くて体も起こせないし。

起きるときって首の力使うんだよね。

動く限り、腰を動かす。浮かす。

浮かして間に布団をいれてみたりする。


全然ダメだー。


看護師さんが腰に湿布を貼ってくれる。


一瞬いいが、汗で湿布がはがれてしまう。


暑い暑い・・・。


アイスノン登場。

アイスノンが入ったおかげで枕も少し高くなり、少し落ち着く。

気持ちいい・・・。


「汗かいてはだけちゃってるねぇ。電気毛布とろうか」


電気毛布なんてあったんかい!!いるかー!!



あー。

もうダメ。無理。



人生初のナースコール。

使い方わからん。

押すだけでいいのか、ここでしゃべればいいのか。

とりあえず押す。なんか光る。



看護師さん、到着。


「腰が痛くてだめです・・・。点滴に眠剤入れてください・・・」


疲れて疲れて、でも寝れなくて。

ギブアップで眠剤投入。

それでもそんなすぐ効くわけでもなく。

というか、正確な時間の経過はまったく記憶にありませんが。


とにかく寝た記憶はほとんどなく。

手術の夜はつらいものとなりました・・・。


あれ。気づくと指輪が左手の薬指に戻ってた。











2010年9月16日(木)


とうとう入院でごわす。



あーでもない、こーでもないって

旦那ともめて、なんとか詰めた大荷物、カバン2個を持ち

いざ、がんセンター病院へ。


10時半頃、病院到着。

入退院入り口で事前に書いた書類を渡す。


「西3病棟へ行ってください」


勝手知ったるで、すいすいとエレベーターの場所まで進む。


西病棟3階。

母ちゃんは確か西の4階だったな。

3階には手術室がある。

母ちゃんの時は4階から3階まで降りて、この手術室に

入っていったんだ。懐かしい・・・。

ま、明日私も入りますけど。



3階ナースステーションに声をかける、とその声をかけた看護師さんが

ちょうど私の担当となる看護師さんだった。Kさん。

優しそうで、ほっ。


部屋に案内された時、個室がとれたと聞く。




ラッキー!!



個室、希望してたんです。


集団行動、苦手なんです。


初めての入院生活で、気をつかいたくなかったので。。。

旦那さんも、大部屋だと見舞いに来づらいだろうし。。。


でも、週明けには術後の患者さんがまたくるので

その時には大部屋に移動、とのこと。

全然OK-、充分です。



・・・古っ・・・。



まぁ、病院自体が古いですから、

個室といったってさほど期待はしてませんでしたが。

でも古いっつーか、レトロっつーか。

でも個室なら全然いいや。とりあえず安心。

腕にネームバンドをつけられる。

用意されていた病衣に着替える。

とうとう入院患者って感じ。


がんとともに生きるのだー



1ヶ月前の説明では

10~10時半に病院に入って、

11時頃に先生から手術の説明、家族も一緒に。

ってことでした。

なので旦那は仕事午前休。

午後からは仕事に行くつもりで、スーツで病院来てます。

で、色々時間が押して(先生の都合で)12時前にやっと呼ばれる。



また知らない先生・・・I先生だそうだ。

これは母ちゃんの時にもあった。

今まで受診してきた先生とまったく違う先生が急に現れる。

そんなもんなのかしら??


でも、I先生の説明はわかりやすかった。


事前に印刷されている説明の紙をもらう。旦那と見る。

甲状腺のイラストが入ったパンフレット。右と左の断面図。

「でも、ぶーこ選手さんの場合は真ん中にあるので・・・」

もう何回も聞いたー。真ん中用のパンフレットはないわけ??

でも真ん中だと、このイラストにある『反回神経』ってのには

通常届かないらしい。

術中、反回神経に触れる(損傷する)と、声が出にくくなったり

かすれたりするんだそうだ。

だからその心配はないですよ、との事。ふむふむ。

で、今回は

①甲状腺半切除術(甲状腺の半分を切除する。でも私は真ん中なので

半分も切除しませんケド)

②D1郭清(気管の前と横にある脂肪組織を切除すること)

のふたつを行うと。

手術時間は、予定明日の13時から。

麻酔が切れて私の意識が戻るまで

だいたい3時間ほど。うん、思ったより短い。

傷は4~5cm。でもキレイにわからなくなります。

あとは、手術創からドレーンという管が出てて

体内のわずかな血を体外に誘導する、と。

でも翌日から歩けます、歩いてもらいますって。望むところだ。

退院は10日後の月曜日とありますが、その前の金曜・土曜には

退院できると思いますよーって。そんなもん??


で、質問はありますか?ってI先生。


珍しく旦那が積極的に質問する。

「退院後は薬飲んだりし続けなきゃいけないとかないんですか?」

「全摘出ですと、甲状腺ホルモンをつくれなくなりますから

ホルモンの薬飲まなくてはだめですけど、ぶーこ選手さんは

一部摘出なので、甲状腺は残るから大丈夫です。」



「せんせー。

術後っつーか、退院後って運動ってしてもいいんですか?」と、私。


「運動っていいますと?」


「マラソンです、10月10日に大会があるんですけどぉ」


「ええぇっと、10日!?10日っていうと・・・」




これ、重要なの、私には。


そもそも、この手術日程にした決め手は

ほぼこれのせい。マラソン大会。

旦那と結婚してから毎回出てるし、

この日程以外では、どうやっても

マラソン大会参加は不可能で、この日程ならギリかな、と。


「んー。んー。何キロですか?」

「10キロです。」

「んー。んー。。。。普段から走ってるんですよね・・・?」

「はい、大丈夫です。あ、じゃあ、全力は出さないようにしますから!」

「んー。。。なら、いいかなぁ。あくまでも無理はしないでね」

「はいっっ!!」


よっしゃ!!

苦笑いでOKを出す先生。

普通は手術が不安で、きっと手術のことを色々聞くだろうに、

手術のことは大して聞かず、術後の復帰のことばかり考える私たち夫婦。

だって、手術のことはもう調べつくしたもん。

大丈夫、大丈夫。



さて、説明を終え、部屋に戻ると私の初病院食が。昼食です。



がんとともに生きるのだー


これが昼食。

そして夕食を食べると、もう手術まで飲まず食わずです。


そう思うと、もちろん残さず食べちゃいます。

旦那も下の売店でお弁当を買ってきて一緒にお昼。

で、旦那はお仕事へ・・・ばいばーい。



しばらくして、担当看護師Kさんが現れる。

私の体温計をくれる。これで毎日体温を測って記録してください、と。

あと、術後しばらくお風呂に入れないから

今日入っておきましょうって。

ここでは曜日で男女が分かれており、

お風呂場の前にある表に自分の入りたい時間のところに

自分で名前を書いて予約する、と。

で、入ったら次の人に「お風呂どうぞ」って札を渡しに行くんだって。

アナログー(笑)。


次に手術に向かう準備をKさんと一緒にする。

行く前に新しい病衣に着替える、ので新しい病衣を1着。

手術の時に着る?着て帰ってくる?手術衣を1着。薄い黄色の前開きのヤツ。

バスタオルを一枚。

バスタオルと手術衣を持っていくそうです。

後は、術後、血流をよくするために、足にポンプみたいのを

装着するらしいのだが、その際にストッキングを履くらしく。

それは買取になるので。。。と。へいへい。

ふくらはぎのサイズを測って、Mサイズを買わされる。

だっさ!へんな靴下!

これは手術に行く際に履いていきます、と。



手術への準備はこれで終わり。

あとで、手術に向かう際の説明に、また違う者が来ますって。

麻酔科の人かな?


あとは、昼寝しないように(寝ると夜、眠れなくなるとまずい!)、

勉強したり、デールームにあるマンガを持ってきて読んだり・・・

でも、ウトウトしてたけど・・・。



と、そんなウトウトしてる中、水色のケーシー着た女性が登場。

初めになんか言ったんだけど、寝ぼけててよくわかんなかった。

これが説明の人か。


また説明のパンフレットを渡される。


『手術についてのご案内』


上から順々に説明してくれる。

その合間にお姉さん、一言。


「よく、S先生わかりましたねー、その大きさで」



S先生とは、一番初めに私の甲状腺の腫れを指摘した、

乳がんの再検査をしてくれた先生。

実はこの先生、元はここの先生だったらしい。


「やっぱり、そう思います??よくわかりましたよねー」


と、同調する私。

やっぱ有名なんだ、S先生。

そしてやっぱすごいことなんだ。この大きさで発見したのは。

S先生、改めて感謝です。



さて、このお姉さんの説明の中で、

『手術室に入る前にはずしてきてほしいもの』の中に

「ペディキュア」発見。


げっ!落としてきてませんけど!


他、ピアスやコンタクトやヘアピンはその場で外せるけど、

マニキュアは・・・それは入院前に言おうよ!!

除光液なんで持ってこないでしょ、フツー!


結局、手術が午後だから、旦那に午前中に除光液を持ってきてもらい、

落とすことに・・・。メールしとこ。




さて、お風呂の時間になったので

最後のお風呂へ。これでしばらく入れないんだ。


鍵はかけられません。

病院ですから。中で何かあると入れないと困るもんね。


つか・・・汚い。。。


カビが・・・。



もう少し、キレイにできるだろー!!



最後のお風呂なのに、落ち着かなく、

ぱっぱと洗って、次の人へ札を渡しに行く。

あり?次の人、男性だし。

男女の分けも、もうテキトーですか。。。

ま、仕方ないか。。。



さて、18時頃、夕飯です。



がんとともに生きるのだー

これ、うまかった。

最後の晩餐。ゆっくり味わう。

これを食べたら21時以降はもう飲み物もダメです。


と、夕飯と同時に母ちゃんが来た。わぉ。

来るとは思わず、びっくり。

雑誌を持ってきてくれる。

手術前で、私が不安がってるかと思い、心配して来てくれたのかと

おもいきや、最終的には自分の話ばかり・・・。

母ちゃんっていつもそうなんだよね。

結果、自分が一番心配されたいっつーか。

私が母ちゃんを元気づけることに。

どっちが今、大変なんだ??

まー、いいけど。


で、自分の話をベラベラしゃべって、19:30頃帰る。



あとは、消灯21時、テレビは22時までだけど、

個室はうるさく言わないので・・・ってことだったので

できるだけ起きてて、夜眠れるようにしよう、

と、テレビ見たりマンガ読んでたりしたら

まさかの旦那さん登場。わぉ。


まさか来るとは思わなかったので、マジびっくり。うれしい。

100均で除光液を。

あとは私の好物のいろはすみかんを持ってきてくれる。

残業で疲れてるだろうに・・・ありがとう。



30分くらいいたかな?

さすがに遅くなったので、旦那さんも帰る。


ニュースステーションを見てたら

ちょっとウトウトしてきたので

こりゃ眠れるか?と思い、電気も消して寝る体制に。




寝れない・・・。

枕が低い・・・。暑い・・・。


ゴロゴロ・・・。



もう少しで眠れそうな頃、看護師さんが様子見にきた。


「まだ寝てませーん・・・」報告する。



んで多分、1時半くらいには寝た気がする。

でもやっぱり看護師さんが様子見にきて。

こんなに様子見にくるものなの?

でも手術前で眠れるかどうか心配してくれてるんだよね。

来たせいで、起きてしまったけど、

面倒なので、寝てるフリをする。




なんとか、手術前夜は無事終わった・・・。


おなかすいた・・・。