あるお店の待合室で、何気なく見た雑誌に“デートマニュアル” といった記事があった事に、びっくりしました。
内容は、デートへの誘い方から、当日のファッションや行き先、ホテルへの誘い方やチェックイン後の振る舞い方などなど。
そもそも、このマニュアルを必要としている時点で、マニュアル通りの展開にはならなそうですが、後日、同世代の人達との会合の席で、この話をしたところ、そんな雑誌は昔からあったし、愛読していたと言う。
他にも、若い頃の必須アイテムだったなどの意見ばかりで、その場にいた全員から、逆に驚かれてしまいました。
知らなかった僕が異質らしいのですが、果たしてそうなのだろうか?
テレビなども含め、その時代の流行や人気スポットなどの情報は、それらの媒体が見せたいものや買わせたいもの、またはスポンサーの意向で推薦されているものだったりで、それは昔も今も変わらず、情報と現実が一致するとは限りません。ですが、僕も含め昭和世代は、テレビや新聞・雑誌などの媒体が発する情報を、何となく正しい事と捉えてしまうように、子供の頃から慣らされてきました。
ですが最近では、これら昔からの媒体が発信する情報を、基本的に信用しない人が増えている印象もあります。
サッカーのワールドカップの時期に、今更感はありますが、少し前の新聞に、WBCの興行が盛り上がりを欠いていたとかで、それを検証する記事がありました。
試合が、Netflixの独占配信だったそうで、テレビで視聴できなかった事が、興行が盛り上がらなかった原因というもの。
さらに、衰退する少年野球とその関係者の苦悩、プロ野球中継の視聴率の低迷など。
その原因として、ネットによって、野球以外のスポーツが見れることへの、危機感を訴えるものでした。
色々と理屈を捏ねていますが、僕が思うに理由はシンプルで、色々な競技の存在を知る機会が増えた結果、多くの人が、野球に興味を示さなかっただけという、とてもわかりやすい結果が出ただけの事。
娯楽の選択肢が増えたのは、良い事だと思うのですが、彼らは違うようです。
過去に大手の在京メディアの社長が、入社式で話した内容が、少し前に話題になりましたが、大半のメディアは、この社長と同様に、自分達が大衆をコントロールする側でいると思っているから、この様な意見を躊躇なく述べてしまうのだろうと思いました。
ここ数年、ネット情報の有害性を主張し、危機感を煽る意見が頻繁に見られますが、今までのように、大衆をコントロールできなくなりつつある事への、オールドメディア側の危機感の表れのように見えます。そして近頃は、その主張がなりふり構わなくなっている印象を受けます。
70年近く前に、当時普及し始めたテレビを見て、一億白痴化運動と形容する投書をした著名人が居て、さらに別の作家が“総” を付け加える事で、一億総白痴化が当時の流行語になったそうです。
この時点で、その後の展開を想定していた事が、流行語になるくらいに共有されていても、多くの人々は、半世紀以上も思考停止状態になっていた訳で、メディアが発する情報、とりわけ映像を駆使したものの影響力は、計り知れないほど大きい事、使い方によっては、非常に危険な道具になり得るという可能性を感じました。





















