第二の故郷である埼玉に、久し振りにやって参りました。

今回は、以前叔父が住んでいた事で、とても頻繁に訪れていた、越谷という街です。


ピアノ技術者としてのスタートが埼玉だったせいか、東京に住んでいた頃も、静岡で創業してから東京に出張した時も、実際の滞在時間は都内よりも、埼玉の方が長かった気がします。

いつもなら、ここへ来るのはとても嬉しいことなのですが、今日はとても悲しい訪問になってしまいました。


一部のメディアでも報じられているので、ご存知の方も多いと思いますが、とても偉大なピアノ技術者が、先週お亡くなりになりました。

僕のような者が、この方についての投稿など恐れ多いので、お名前は出しません。

しかしながら光栄な事に、僕のことを以前から認識して頂いていたそうで、二年前から工場にもお越し頂き、ピアノ作りについて多くの助言やご指導を頂いておりました。


国内外を問わず、多くの演奏家からの信頼も厚い調律師でしたが、ピアノの構造から加工法にも精通した、本物のピアノ技術者でした。

《静岡音楽館AOI》での、ピアノメンテナンスをされていた関係で、静岡にも毎月お出掛けになっていたそうです。


調律や整調・整音の技術については言うまでもなく、多くの方々が敬意を抱いていましたが、ピアノの製造過程や、木工機械の機能や使用法についても、かなり精通された方でした。

支柱や響板加工に用いる接着剤が、適切であるかにも目を配っていただきましたが、華僑剤を理解している調律師に出会ったのは、さすがに初めてだったので、大変驚きました。

そして、構造を理解せずに、幻想的感覚で技術論を語る事を嫌い、難しい技術でも如何にわかり易く説明できるかを探求し、それを自らやって見せる方でした。


ピアノ技研の《JF Hessen》について、材料や加工法などを見直す中で、「この際新しいブランドを作ってしまおうか!」という事で、とても素敵な名前も考えて下さいました。その時のブランド名は、異業種で既に商標登録されていて、使用することが出来なかったのが、とても残念でした。


二年ほど前、沼津へ引っ越して間もない頃の、狭すぎる工場に苦悩していた頃にお越し頂いたのですが、当時のウチの体制に懸念を抱いていたそうです。

まさに、その懸念が当たってしまい、作業効率の悪い工場が原因で、仕事に遅れが生じ、新品のピアノも完成が遅れ、出来上がったピアノをお見せする事が、とうとう叶わなくなってしまいました。




お世話になった期間は短いものでしたが、とてつもなく大きなインパクトと、今まで考えもしなかった事を、たくさん教えていただきました。ピアノ作りの資料も、たくさんいただきました。

まだまだ、教わりたい事が山のようにありますが、叶わなくなりました。

同じ事を思っている方も、大勢いらっしゃることと思います。


毎日、とてもお忙しい方だったと伺いました。

これからは、ごゆっくりお休み下さいませ。