『流れ』

使用上の注意が必要

条件反射的な乱発で

野球を詰まらなくする言葉

 

とにかく野球中継を聞いていると

毎日毎日バナナの叩き売りの如く

耳にする常套句『流れ』

 

8/9の試合、イヤな『流れ』を

「中野のホームランで一気に引き戻した」

ピンポイントポジティブ

使い方なら分かりますが

試合が行われている間、四六時中

余りにも乱発しすぎていまいか。

 

5-0でリード

ノーアウト1塁2塁

ここで強攻、あっ併殺で無得点

これは雑でしたね

バントで丁寧に送るべきでした

流れが相手に行ってしまいます

 

流れ:これを使うとさも野球通

賢いやっちゃと

相手に錯覚させることの出来る

魔法の言葉。

「予感」と言えば単なるファンの戯れ言で

コバカにされるだけだが

流れと評した瞬間に高級感が増す

秘伝のスパイス

 

理論的な解説者と言われる江川さんから

非理論的解説者の代表とされる

川藤さんに至るまで

ニッポンの解説者は使わない人が

いない言葉。

 

ハッキリ言おう。

さもしたり顔だが

彼らが乱発するところの

「流れ」なんてものはない。

単なる妄想である。

イヤ~なムード、いけるぞ!という雰囲気

は確かにあるが、ただそれだけの話。

圧倒的な力の前には無意味でそれが本質。

大谷翔平のプレーを見ながら

したり顔でそんな言葉は発しないだろう。

 

一体いつからこの言葉が乱発されるように

なったんだろう。

50年前野球中継を見始めた頃川上V9時代、

テレビでもラジオでも

こんな言葉はなかったはずだ

おそらく使われ始めたのは

平成に入った頃からで

21世紀に入りやたら濫用されるようになった。

 

多分だけど、さも「科学的」文言として

濫用され始めたのが

おそらく平成に入った頃であることを

鑑みると、そもそもライオンズ

森野球を絶賛するために

編み出された言葉のような気がする。

何点リードしていても送りバントを多用し

相手にスキを与えない野球。

勝利至上主義

MLBなら侮辱行為でビーンボールが

飛んでくる野球。

 

この批判を封じるために

「流れ」を相手にやらないことが

勝利には不可欠だとなった。

実際はそんなことせんでも

秋山、清原、デストラーデに

辻や石毛や平野の守備

両渡辺に郭泰源、工藤に潮崎の

強固な投手陣、それで強かったんだ

 

あのね、野球は心理の集積って

側面もあるから、イヤ~な雰囲気とか

これでいけるって気持ちが

大いに影響するのは否定しないよ。

特に接戦においてはね。

 

しかし、冒頭で挙げたケースはどうだろう。

大量リードしているチームが

強攻失敗で逆転されるケースなど

ほとんどない。

そりゃ稀にはある。

だけどそのスキが野球の面白さでもあるんだ。

希少価値の大逆転を見るのもファンの醍醐味。

それを封じてしまうのは面白さの否定

だからMLBではタブーなんだな。

ところがNPBでは素晴らしいと絶賛される。

常に重箱の隅をつついているような

日常の延長、非常に息苦しい。

スポーツは非日常

もっと大らかに楽しめないかな

 

この刷り込みって

実は深刻な影響を与えている

と思いますよ。

 

流れの予言に戻る

そりゃ「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」

冒頭のケースは

たまに当たる予言をドヤ顔するだけ。

何回も書いたけれど結局は

非科学、詐欺

ひいてはカルトの手口にも通じるのだよ。

これを信仰するのは

もう止めた方が良いのでは。

 

以前ニッポンは空気国家と書いた。

流れって言葉はス~ッと

ニホンジンの懐に

入り込みやすかったんじゃないか。

流れってのも空気なんだな。

流れが変っちゃいけないから

スキを徹底排除しなければならぬ

という脅迫・ジュバク「空気」

流れがいつしか一字違いの穢れ

すり変るのもモンダイ。

 

この不自由を許容しない

悪しき感情があらゆるところで出ている。

とにかくスキやムダやリスクは

徹底排除

ゼロか一かの二進脳。

 

それをすることによって

新たに生ずるリスク

は全く考慮しないオヴァカさんたち、

オモシロス

野球においては面白さの否定だが

実生活では多岐に及ぶ。

医学では悲劇

術後抗がん剤療法、ゼロコロナ、ワクチン

 

スポーツは非日常

ところがそれをムリヤリ日常に近づけ

せせこましい茶の間の論理に置き換えて

教訓としようとする傾向が強すぎないか。

80年代頃からか、

プレジ●ントに載るような

野球評論をやたらありがたがるインテリ層。

むしろ逆。

スポーツは非日常

それを素直に楽しむことで

日常の糧とするのが正しいだろう。

その本末転倒こそが

それを高級だと思い込んでいることこそが

オモシロス を何とも思わぬ

風潮に繋がっていると私は考えています。

 

流れの濫用時期については

私の印象でその限りでないかも知れません

私が今回主張したいのは

現在実際に跋扈しているこの言葉

無意識に濫用する風潮

就中冒頭のようなケースでも

したり顔で用いる傾向は

ニホンジンの最も悪しき側面で

なかろうかってことです。

 

 

下矢印以下野球中継で使われる

オカシナ言葉についての一考察

 

「勝利の方程式」

 

 

「同時セーフ」