相変わらず世間は

どうでも良いことで叩きすぎ。

最近だとメイワク動画の高校生。

文春砲はどうでもいい芸能ばかり。

 

常にイジメ対象に血眼なんじゃないか。

マツリだ祭りだ、血祭りだぁ

もっと怒るべき事が他にあるんじゃないか。

発想の転換が必要。

 

そんな思いから書いた記事です。

 

2019年9月24日付記事を元に

再構成しています。

同じ事ばかりで心苦しいですが

よろしければおつきあいください。

 

★ 野球をつまらなく

する言葉『同時セーフ』

当たり前を疑おう!

マスコミが垂れ流す、不見識な文言を

鵜呑みにしないようにしよう !!

 
 

 野球中継を見ていて、ぼぼ連日耳にする言葉がある。

「同時はセーフです。」

 これを聞くたびに馬鹿馬鹿しくなる

と同時に悲しくなってくる。

「そんな頻繁に同時があるモノか、責任者出てこ~い!」

(人生幸朗師匠風)

 

 確かに日本の野球規則のみ「同時はセーフ」と明記された時代はあるようだが、今はない。何故か。

 

そもそも「同時」って

人間の目で見極められるの?

 

 競馬でもコマ割り判定して、微妙な差を見極めるし、微分していけば同時自体まずないだろう。

 野球の場合、ボールがグラブに収まる瞬間と、触塁を同時云々はどう考えてもナンセンスだ。

 

 ここは審判の目で堂々と

「私の目には走者(もしくは送球)が1コマ早く見えた」

と言い切ってしまえば良いのだ。同時という概念自体なくしてしまえ、あくまで早いか遅いか審判に委ねよ。

 

 スポーツには非日常を楽しむ心、科学の進歩とは真逆なある種の時代錯誤を許容する心が、もっとあって良い。それを重箱の隅をほじくり返すような日常を持ち出すのはヤボだと、私は思う。特に見る側はそうだ、自分の日常の鬱憤晴らしに利用してどうなるって言うんだ。

 

 「同時セーフ」は審判に対するリスペクトに欠け、心に余裕のないマジメすぎる人たちが作り出した妄言、NPBを覆う忌まわしい影、一刻も早く振り払った方が良いと思う次第である。

 

 私は大反対だが、いずれは全ての判定が機械化されるだろう。それまではせめて敬意を抱きながら、人間の判定を楽しみたい。

 なこと書きながら、このジャ○パイアめ!って、心の中でつぶやくことはあるけどねてへぺろ

 

 

 この記事の趣旨に私は賛同します。

 昨今時間短縮をうたいながら、野球のリズムを著しく損なうリクエスト制度。前半だけで記事に対する風辺りが強いようだが、後半もよく読もうよ。やるならMLBみたいにお金を掛けにゃ、テンポが悪くって仕方ないよ。

 

 ハッキリ言ってネットでの議論は、元発言に対するリテラシーに欠け、辟易させられることばかりだ。クソマジメに起因した集団ヒステリーだらけだ。

 

 この時代、常に放火魔左差し

は次なる生け贄に飢え

鵜の目鷹の目で探し続けている。

んなものにのるこたぁナッシング。

 

 四角四面の世の中

 息苦しくって仕方ありませんや

 もっとま~るく

 おだやかに行こうぜ。

 

 

 些細なことに目くじら

を立てる一方で、

胡散臭い統計は盲信左差ししちゃう。

あるいは詳らかにされねばならぬものを、隠匿されても何も感じないアンバランスさ。

 

 

 換言すれば曖昧で構わないこと、非常にク~ダラナイことに白黒をつけたがり、白黒をハッキリさせねばならぬ事に対しては、うやむやにすることを許容してしまっている。息苦しい!

 コロナ騒動も同じ構図。

 

 私もその空気を醸成することに、気づかぬうちに一役買ってしまう、典型的なタイプの人間。常に立ち止まりながら考える必要を感じています。 

 

 野球をつまらなくする言葉というより、世の中に閉塞感をもたらす概念。近年それがあらゆるところで強まっていると感じるのは、私だけでしょうか。

 

 高所から他人様を批判してばかり。その論拠も冷静になれば、何もない幻想 にすぎないのです。

 

本日のドット絵(32×32)

地井武男さん

放火魔→火付け盗賊改メ方→

鬼平犯科帳→小房の粂八

を作ってみようかな→

あれれ、蟹江さんより地井さんっぽい

鬼平犯科帳9「男の隠れ家」で

人情味溢れる盗賊

玉村の弥吉を演じたけど

こんな感じだったなぁ……という流れ

低ドット、いい加減さ故の戯れ。

 

ど~でもいいことは

そんな目くじら立てんと

まぁるく大雑把にいきまっしょい 

 

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とびます、とびます