☆ワシの終活☆ -19ページ目

カープ関係の資料の整理(47)

雑誌ザ・カープの昭和63年?月発行の?号で、CHIKOさんという方が画いた漫画データ

 

「ひろしま倶楽部」その27餅を食う男(1)

 

「ひろしま倶楽部」その27餅を食う男(2)

「ひろしま倶楽部」その27餅を食う男(3)へ続く

 

カープ関係の資料の整理(48)へ続く

幸せなら手をたたこう

「幸せなら手をたたこう」

今は亡き歌手・坂本九さんが歌った有名な歌

ほとんどの人が、小学校などで教わったのではないだろうか?

この歌のルーツは、日本とフィリピン、そして戦争と平和にあるらしいのです

このヒット曲の作詞者、木村利人・早稲田大学名誉教授

1959年4月後半、当時25歳で早大大学院生だった木村青年は羽田から空路、マニラに向かったそうです

YMCA主催の勤労奉仕キャンプに参加するためでした

5月初旬、彼は北部ルソンのダグパン市ロカオでのワークキャンプに合流したそうです

日本人は彼一人だけ

ダグパンでは炎天下の中、地元YMCAのフィリピン人青年たちとトイレの穴掘りや小学校の井戸掘りなどで共に汗を流したそうです

彼らとの交流の中で、木村青年は日本軍の占領時代にフィリピン人が蒙った惨禍を具体的に知り、犠牲者や家族の悲しみにも触れて、大きなショックと深い罪悪感に襲われたようです

何かと話し相手になってくれたラルフ

彼の父は日本軍に殺され、母も刀傷を負いながらかろうじて生き延びたそうです

ラルフ自身は何も言わなかったが、後日、彼の友人がそう教えてくれたそうです

また、自宅に招き、宿泊させてくれたナアヴァ氏

戦争中、憲兵隊司令部(サンチャゴ要塞)に拘禁され、日本兵から拷問を受けていました

終戦から14年、日比両国が国交を回復して3年も経っていましたが、戦争の傷跡はなお生々しかったと言います

木村青年は滞在中、フィリピン各地で温かく迎えられました

フィリピン人は「態度で示して」彼に親切にし、歓待してくれました

「我らはキリストにありて友なのだ(Tayo ay mga kaibigan kay Kristo)」

あるフィリピン人青年はこう言ったそうです

木村青年は赦しと友好の精神を態度で示してくれたフィリピン人への感謝の気持ちを形に表した いと強く思ったそうです

そして、船で帰国の途上、フィリピンの人々への謝意を歌に託したそうです

キャンプ地のロカオ小学校で子供たちが楽しそうに歌っていたスペイン民謡のメロディを思い出し、その曲に日本語の歌詞をつけたそうです

キャンプ中に皆で読んだ旧約聖書の詩編47がヒントになり、かくして「幸せなら手をたたこう」の歌が誕生したそうです

「幸せなら態度で示そうよ」

普段何気なく聞いたり、歌ったりしている歌

その背景には、こんな物語があったことを我々はよく知っておく必要があると思います

そして、今度、この歌に出会ったら、今一度、その拝啓を思い出してもらいたいと思います

友好の気持ちは、物的物以上に、態度で示す必要があるのでしょうね

カープ関係の資料の整理(46)

雑誌ザ・カープの昭和62年12月発行の創刊2号で、CHIKOさんという方が画いた漫画データ

 

「ひろしま倶楽部」その26へんなやつ(3)

 

「ひろしま倶楽部」その26へんなやつ(4)

(おわり)

 

カープ関係の資料の整理(47)へ続く

カープ関係の資料の整理(45)

Amebaブログの不具合(画像がアップロードできない)が直ったようなので、また、引き続き整理を進めます

 

雑誌ザ・カープの昭和62年12月発行の創刊2号で、CHIKOさんという方が画いた漫画データ

その25から、雑誌は、カープ・ファンからザ・カープに変わったようです

これが表紙(白黒で、スキャンしました)

 

「ひろしま倶楽部」その26へんなやつ(1)

 

 

「ひろしま倶楽部」その26へんなやつ(2)

「ひろしま倶楽部」その26へんなやつ(3)へ続く

カープ関係の資料の整理(46)へ続く

カープ関係の資料の整理(44)

雑誌カープファンの何年何月号かは不明ですが、CHIKOさんという方が画いた漫画データ

 

「ひろしま倶楽部」その24関白のススメ(3)

 

「ひろしま倶楽部」その24関白のススメ(4)

(おわり)

カープ関係の資料の整理(45)へ続く

カープ関係の資料の整理(43)

雑誌カープファンの何年何月号かは不明ですが、CHIKOさんという方が画いた漫画データ

 

「ひろしま倶楽部」その24関白のススメ(1)

 

 

「ひろしま倶楽部」その24関白のススメ(2)

「ひろしま倶楽部」その24関白のススメ(3)へ続く

 

カープ関係の資料の整理(44)へ続く

核融合発電

10年前(2015年)の記事をもう一度

原発の再稼働が粛々と進められている

稼働しても、大量に出てくる放射性廃棄物の問題はそのまま

また、地震・台風などの気象災害において、外部電源の喪失をしたときの不安もゼロではない

我々はどこまで、原発に頼らねばならないのか?

火山列島である日本の特徴を生かした地熱発電もずいぶん昔からあったはずなのだが、今頃になってようやく設置の動きがある

でも、動きも鈍い

将来のエネルギーを太陽光発電や風力発電などにすべて頼るには、その発電量に問題がある

どちらにせよ、火力発電で使われる化石燃料や、原子力発電で使われるウランは、資源量が有限であり、将来の枯渇が心配されている

そこで考えられるのが核融合発電

核融合発電の燃料は「重水素」と「トリチウム(三重水素)」と言う物質だが、これらは事実上無尽蔵

「重水素」は水素のうちの0.015%の割合で自然界に存在しているが水(海水)から得られるので無尽蔵とも言われている(水は枯渇するか?)

また、「トリチウム」は自然界での存在はきわめて少なく、水からの分離では十分な量は取れないが、リチウムを使って核融合炉の中で人工的に作ることができる(リチウムは有限ではないのか?)

(ただし、ノートパソコン用の充電池1個に含まれるリチウム6グラムと重水素1.7グラムで、日本の1世帯30年分のエネルギー消費量がまかなえる)

核融合は、宇宙では当たり前に起こっている現象

太陽が輝いているのも核融合

ウランやプルトニウムの核分裂よりも、その規模ははるかに大きい

当たり前に起こっていることを取り入れて、それをエネルギー源にするのは当然の考えだろう

原子力発電と比較して、安全性が高いとされている

核融合反応は異常が発生すると、反応が過剰に進むのではなく、反応が急速におさまってゆく性質があり、「暴走」することは原理的にない

ただし、核融合発電でも、放射性廃棄物は発生する

それは、原子力発電で発生し、人間社会から数万年にわたって隔離する必要がある「高レベル放射能廃棄物」に相当するものではない

核融合炉は、燃料である重水素とトリチウムを供給し続ける必要がある

その反応で出てくるのはヘリウム

そう、風船を膨らませるのに使われるガス

また、核融合炉にある燃料も1グラム程度であり、原子力発電とは比較にならないほど少ない

ただ、核融合反応によって生じる中性子が炉壁ぶつかると、炉壁を構成している物質が放射化してしまうために、廃炉や定期交換の際に、低レベル放射能廃棄物として処分されることになる

ここを注意する必要があるだろう(どの程度の交換分量か廃棄量なのか?)

核融合発電として最初の実用炉が電気を伝送網に供給するのは、2050年頃ではないかと言われています

また、100年後には、30%から50%程度の電力を核融合炉が供給できるとも言われています

その核融合発電の実用化に向けて、日本・ヨーロッパ(EU)、アメリカ、ロシア、中国、韓国、インドの7ヶ国協力による実験炉ITER(イーター)がフランスで建設中ですが、その間は、やっぱり化石燃料に頼るしかないのでしょうね

さて、核融合発電も、やっぱり、水蒸気を利用したタービン発電で発電を行うらしい

このタービン発電に執着する必要はあるのだろうか?

熱をそのまま電気に置きかえる方法はないのか?

日本でもちらほらその研究を行っているのを聞くことがあるのだが…

ここまで来たら、発電効率もよくする方法を考えておく必要があるのではないか?

核融合に対する人類の期待はあるが、やっぱり自分としては、核兵器や原発に続き、またも人工の太陽を作ることになり、それへの反発は無いとは言えない…

(科学情報誌2015年1月号より)

(10年前(2015年)の記事を引用しました)

「電池が切れるまで」

2004年に放送されたドラマ「電池が切れるまで」について、毎年、記事にしていますので、今年も同じものを記事にします

このドラマは、5歳のときに発症した神経芽細胞腫と5年半にも及ぶ闘病生活の末、11歳という短い生涯を終えた少女宮越由貴奈さんの亡くなる4ヶ月前に書いた「命」という詩をベースにした「電池が切れるまで -子ども病院からのメッセージ-」(角川書店)をもとにしたドラマです

購入はしなくても図書館においてあるほどの本ですので、この本は一度読んでみる価値はあると思います

命ということを再度考えさせられる本だと思います

ドラマの中でも使用された詩を二つ紹介します

 

「命」 小学4年生

命はとても大切だ

人間が生きるための電池みたいだ

でも電池はいつか切れる

命もいつかはなくなる

電池はすぐにとりかえられるけど

命はそう簡単にはとりかえられない

何年も何年も

月日がたってやっと

神様から与えられるものだ

命がないと人間は生きられない

でも

「命なんかいらない。」

と言って

命をむだにする人もいる

まだたくさんの命がつかえるのに

そんな人を見ると悲しくなる

命は休むことなく働いているのに

だから 私は命が疲れたと言うまで

せいいっぱい生きよう

 

「親の思い」

五体満足の子供をもつと

子供のいない人をうらやむことがある

切って縫って体に傷をもつ子供をもつと

元気で普通の子供をうらやましく思う

一生ハンディの残る子供をもつと

一時の治療ですむ子供をうらやましく思う

余命宣告されたり子供が死んでしまった親は

ハンディが残ってでも生きている子供をもつ親をうらやましく思う

子供ができない親は

産める親をうらやましく思う

腹の底から大笑いしているそんな時もよいけれど

私は、いつも微笑んでいられる一日一日、瞬間瞬間を大切にしたい

 

「電池が切れるまで -子ども病院からのメッセージ-」(角川書店)より

 

そして、病気以外にも、子供たちの命は、戦争と言う大人の勝手な行為によっていまだに世界各地でさらされてることを忘れてはいけません

(毎年の記事を一部引用しました)

 

 

 

東を向いて笑う

昔、旬のモノを食したときに、祖母から「東を向いて笑いなさい」と言われたことがある

旬のモノを食して、東を向いて笑うと、寿命が延びると言う言い伝えがあったからだそうだ

今、考えると根拠はあるのだろうか?

「笑うこと」と「旬のもの」の接点が未だによくわからない

疑問に思いながら、今、旬のものを探すと「たけのこ」

毎年、妻が、煮物にしている

特に味噌汁に入れたものが多かった

このとき、残念ながら、東を向いて笑うことはなかったが

今年はどうだろう?

昔、たけのこの混ぜご飯もよく食べた

自分のたけのこ好きは、長男にも受け継がれているみたいで、長男もたけのこが大好き

妻は長男のために、よく、たけのこの煮物を作って食べさせた

今年は、自分の部屋の大掃除のために、長男も次男も帰ってきた

妻は食べさせたのだろうか?

そんなたけのこだけど、我が町では、例年、たけのこのキャンペーンをやっている

今年は聞いていない

実は、我が町は竹林面積比率が茨城県内でもトップクラスだとか

知らなかった

息子達が通っていた中学校の名前に「竹」の字が使われているぐらい

来年はキャンペーンやるのかなあ

ちなみに、例年のパンフレットに載っていたことを一部載せます

 

(たけのこ豆知識1)「栄養と効能」タンパク質、ビタミンB1・B2が豊富

たけのこは、タンパク質を多く含み、ビタミンB1・B2のほか、食物繊維が豊富なため、便秘にも効果的だとされております

他にも水分を吸収して膨らみ、満腹感を与える作用からダイエット食としても良いとされています

ゆでたたけのこのこの節の間に良く見かける白い結晶のような物は、チロシンと言われるアミノ酸の一種で、老化防止などの効果があります

(たけのこ豆知識2)「たけのこの選び方」皮に艶があって、適度に湿っているものを

形も大きさもまちまちで選びにくいたけのこ

大きくても軽い物は避けましょう

ずんぐりした中型の物で、持って重みのある物を目安にし、皮のうぶ毛を見ます

つやつやした褐色で密生していれば良い物です

乾いてしおれた感じの物は、時間がたった物です

穂先はほんのり少し黄色い部分が閉じ加減についていますが、育ちすぎた物は、黄色より緑がかった色になり、勢いよく伸びています

こうなると、えぐみが強くなりますので注意してください

また、切り口が白くてみずみずしければ新鮮です

茶褐色に変色した物は、避けましょう

(たけのこ豆知識3)「保存方法」風にあたらない場所で。なるべく早く食べましょう。

風にあたるとしおれてしまうので、皮付きのものは乾いた新聞紙でくるみ、冷蔵庫で保存しましょう

ゆでたものは、ゆで汁と一緒に冷蔵庫で保存してください

たけのこは劣化がとても早い食材です

時間がたつにつれ、渋み・苦味が出てくるので、なるべく早い内に食べきるのが基本です

カープ関係の資料の整理(42)

雑誌カープファンの何年何月号かは不明ですが、CHIKOさんという方が画いた漫画データ

 

「ひろしま倶楽部」その23正しい野球観戦(ミーハー編)(3)

 

「ひろしま倶楽部」その23正しい野球観戦(ミーハー編)(4)

その23正しい野球観戦(ミーハー編)(4)(01)

(おわり)

そういえば、このころのカープの助っ人外国人にランスがいたけど、三振かホームランかだったなあ

自分は個人的に好きだった

 

カープ関係の資料の整理(43)へ続く