固定電話の必要性
13年前の記事ですが…
「固定電話、必要だと思いますか?(Itmediaより、2012年3月)」
2011年の調査だったと思います
20~60代の人に聞いたところ、全体の85.5%は何らかの固定電話を利用しているようです
年代別にみると、60代の97.2%は固定電話を利用しているのに対し、20代では59.9%にとどまったようでうね
ただし、利用内容は、「FAX利用のため」(38.7%)、「インターネット回線の利用のため」(34.1%)といった回答が多かったようですね
それが、2020年の調査では
「全体では66.5%・20代世帯では9.5%…固定電話の保有状況(2022年公開版)(Yahoo!ニュースより、2022年7月(個人調査))
若い世代は、通話利用では、固定電話は使わないと言うこと
我が家も、通話はもっぱら携帯電話を利用していますが、親世代は通話で固定電話を使っています
そして、携帯ではなく、固定電話にかけてきます
しかし、時代は、確実に、一家に一台固定電話から一人に一台携帯電話に変わって来ています
でも、自分は固定電話、そして、一般電話回線の存続は望んでいますし、インターネット回線を光回線に変えたときも、一般回線は残しました
理由は災害時に、最後につながる回線だから…
東日本大震災の時に、携帯電話回線がパンクし、停電したとき、直流24Vが一般回線がかかっているかぎり、電話の通話機能は無事でした
(現在は、災害時の通話がどれだけ改善されているかまだよくわかりません。)
そして、最後に家族や親族の安否確認ができたのは、固定電話でした
ただし、最近のIP電話やCATV回線を利用した固定電話は、自宅のモデムや端末が停電時に、使えなくなるので、使用できません
それを間違いないように
あくまで、NTTに直接接続している固定電話です(現在はわかりません)
NTT関係者に聞いても、一般回線は残すように考えているようです
そう言う意味でも、固定電話は必要だと思っています(個人的な意見)
能登半島地震ではどうだったのでしょうか?
大停電が起こった時、携帯の中継局のバックアップは1,2日足らずとも聞きます
長期戦を考えると、携帯の充電を確実にしても中継局の電池補給ができないと、携帯の回線はつながらなくなります
その辺は、国や通話会社は考えているのでしょうか?
これから起きる南海トラフ大地震や首都圏直下地震の際に、携帯の方がいいのか、固定電話がいいのか、よく調べる必要性はあると思います。
(以前の記事を引用しました)
EV車やEVバイクの暴走族??
去年(2024年)、早朝に暴走族?が、朝から大きな音をたてて走っていく音が聞こえた
朝からとは珍しい
早起きはの暴走族とは珍しい
暴走族にとっても、早起きは三文の徳なのだろうか?
そんなバイクの音をかき消すように、上空の飛行機が大きな音をたてて頭上を横切って行く
まさに、大空の暴走族??なのか?
戦闘機はもっとやかましいのだが
それから比べたら、バイクの音は蚊のようなものか?
さて、ふと思ったのだが
今後、車のEV化に伴い、バイクのEV化が進めば、車はもとより、バイクの騒音なんてなくなるのではないか?
最近、目にするEV車の音が静かすぎる
電動バイクはまだ直接見たことはないが、同じように静かなのだろう
将来、若者たちは、そんなEV車や、EVバイクで、暴走運転をするのだろうか?
静かに、静かに……
むかし、かみなり族と呼ばれた者たちは、消滅するのだろうか?
あるいは様変わりするのか?
EV車やEVバイクに、巨大なスピーカーをつけて、ガンガン音を鳴らしながら走るのだろうか?
幸せなら手をたたこう
「幸せなら手をたたこう」
今は亡き歌手・坂本九さんが歌った有名な歌
ほとんどの人が、小学校などで教わったのではないだろうか?
この歌のルーツは、日本とフィリピン、そして戦争と平和にあるらしいのです
このヒット曲の作詞者、木村利人・早稲田大学名誉教授
1959年4月後半、当時25歳で早大大学院生だった木村青年は羽田から空路、マニラに向かったそうです
YMCA主催の勤労奉仕キャンプに参加するためでした
5月初旬、彼は北部ルソンのダグパン市ロカオでのワークキャンプに合流したそうです
日本人は彼一人だけ
ダグパンでは炎天下の中、地元YMCAのフィリピン人青年たちとトイレの穴掘りや小学校の井戸掘りなどで共に汗を流したそうです
彼らとの交流の中で、木村青年は日本軍の占領時代にフィリピン人が蒙った惨禍を具体的に知り、犠牲者や家族の悲しみにも触れて、大きなショックと深い罪悪感に襲われたようです
何かと話し相手になってくれたラルフ
彼の父は日本軍に殺され、母も刀傷を負いながらかろうじて生き延びたそうです
ラルフ自身は何も言わなかったが、後日、彼の友人がそう教えてくれたそうです
また、自宅に招き、宿泊させてくれたナアヴァ氏
戦争中、憲兵隊司令部(サンチャゴ要塞)に拘禁され、日本兵から拷問を受けていました
終戦から14年、日比両国が国交を回復して3年も経っていましたが、戦争の傷跡はなお生々しかったと言います
木村青年は滞在中、フィリピン各地で温かく迎えられました
フィリピン人は「態度で示して」彼に親切にし、歓待してくれました
「我らはキリストにありて友なのだ(Tayo ay mga kaibigan kay Kristo)」
あるフィリピン人青年はこう言ったそうです
木村青年は赦しと友好の精神を態度で示してくれたフィリピン人への感謝の気持ちを形に表した いと強く思ったそうです
そして、船で帰国の途上、フィリピンの人々への謝意を歌に託したそうです
キャンプ地のロカオ小学校で子供たちが楽しそうに歌っていたスペイン民謡のメロディを思い出し、その曲に日本語の歌詞をつけたそうです
キャンプ中に皆で読んだ旧約聖書の詩編47がヒントになり、かくして「幸せなら手をたたこう」の歌が誕生したそうです
「幸せなら態度で示そうよ」
普段何気なく聞いたり、歌ったりしている歌
その背景には、こんな物語があったことを我々はよく知っておく必要があると思います
そして、今度、この歌に出会ったら、今一度、その拝啓を思い出してもらいたいと思います
友好の気持ちは、物的物以上に、態度で示す必要があるのでしょうね














