昨日のセレンディピティセミナーで
認定講師サユラ さんが感じたことを書いてくれました。
 
 
 
線(花)線(花)線(花)線(花)

 

今夜、夜景を見ていたら、中学生のころのことを思い出しました。

 

家族で食事に行って、レストランの窓から夜景を見たときのこと。

 

小さい無数の窓たちに、いろんな人生を見て涙が出た。

 

ああ、私の悩みなんて、ちっぽけだと思って。

 

なぜ、ちっぽけだと思ったんだろう?

 

 

 

誰も、私のことは分からないんだ、って

私が切り離されているようで、寂しかったんだな。

 

生きている感覚が薄くなっていた。

 

ほんとうーに、一人ぼっちなんだなぁーって。

 

 

でも今は、自分の奥深くで、すべてとつながっていることを知っている。

 

だから生きている感覚がある。

 

 

 
(全文はこちら)

 
 
この「自分はちっぽけだ」という感覚。
 
「自分の悩みなんて宇宙から見たらちっぽけなんだから悩むな」に代表されるような
「物事を良い方に捉えましょう」というポジティブシンキングが嫌だった。
 
なぜなら女性はそういう「頭」じゃなくて、「魂(感覚)」が先に立つから。
 
どうしたって孤独感、分離感、欠乏感を突きつけられる。
 
何度も書いていますが、私も
 

 

いつも、あの高いところにある部屋にはどんな人がいるんだろうって思ってた。

首が痛くなるくらい見上げる部屋には、どんな人が住んでるんだろうって。

 

あと、この無数の窓にそれぞれの人生ドラマがあるんだと思ったら、絶望で死にたくなってきたこともあります。笑

 

私の人生、埋もれるじゃん!!!

大した命じゃないじゃん!!

どうしたらいいの!!

 

 
 
って思っていました。
 
 
しかし、

 

 

 

あの無数のマンションの明かりと自分との「関係」「繋がり」が見出せなかったから押しつぶされそうにどうしようもない気持ちになったんだな。

 

お互いに何も知らないまま一生が終わっていくような、

 

そんな人がこの世にどれほどいるのだろうと

 

切り離された「分離感」が、「個」の感覚が、いたたまれなくなったんだな。

 

 

 

でも、今思う。

確信する。

 

 

あの明かりは私自身だった。

 

 

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あの時下から見あげたのも私だったけど、明かりに居たのも私だったんだ。

 

 

時間も空間も超えて

今ここから、今ここを見る。

 

本当にこれだけのシンプルなことなんだ。

 

 

今だけでいい。

今、どう在るか?

 

それだけに全てが詰まっている。

 

 

 

全てが一つ。

どんなに矛盾しているように見えても、対極にあるように見えても同じもの。

 

全てのものが、「私」なんだな。

全てのものが、私から切り離されたものではなく、分離したものではなく、繋がっている一つのもの。

 
 
 
 
 
私が、私を見ていた。
私が、私を見ている。
これからも、私自身を見る。
 
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「俯瞰」という言葉は、高いところから見るのではなく内側から見る感覚なのです。

しかし、この肉体では、高いところから見下ろす感覚。それが、「潜る」感覚なの。
言葉や肉体、物質にすると真逆になるからややこしいけど。笑
  
自分の中に潜れば潜るほど、宇宙につながりパーッと視界が開ける感覚です。高い見晴らしのいいとこらから眺めるような、ね。
 
 
 
 
認定講師講座2期のさきさんが描いてくれた図♡
孤独感や分離感は、外側から見る景色。
今の安心感は内側から見る景色。
↓↓↓
 

 
線(花)線(花)線(花)線(花)線(花)
 

 

頭でルートはわからなくても

 

ポツン

ポツンと

 

その都度感じたことを、今ここで丁寧に汲んで見るだけで

いつか憧れたあの目に辿り着く。

 

憧れた知らない誰かの目が、自分の目だったことに気づく。

 

 

本当に、ナイスビュー♡ですラブ

 

 

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ルーブル美術館でも確信したのですが

(▶︎お宝に潜ったら、いつかの自分に繋がった編♡ルーブル美術館の日の日記③

 

こんなにも私自身の表現があって

私自身の無数の目があって、個体があって

 

私の願いはすでに誰かが叶えていて

誰かの願いも私が叶えていて

 

これからも誰かのおかげで私の願いが叶うし

私のおかげで誰かの願いも叶う。

 

 

奪う、奪われるとは無縁の世界に来てしまった。。。。

いや、戻って来たという安心感ハートハートハート

 

 




そして私たちはそれを知っている。

五感は肉体機能。感情も肉体機能。

 

それ以外で感じる「感覚」が必ずわかっているはず。

これが私たちの中に必ずいる神様。

 

無限の叡智。



この肉体は、「使うもの」である。

私たちの尊い、「道具」なの。

▶︎この身体はとても尊いものなのだった。インドアーユルヴェーダ

 


 

その目をしっかりと思い出しながら、進んでいこうハートハート

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