この人が何を書いたか、言ったか、やったかではなくて

 

なんでそれを書いたんだろう?

なんでそう言ったんだろう?

なんでそれをやったんだろう?

 

と言うところを、もっと知りたいなと思うわけです。

 

 

例えば私が「庶民」とか「疑えよ」とか書くと、その表面的な言葉に対して

 

「藤本さきこがこう言った!偉そうだ!言葉が汚い!やんややんや!」

 

と叩く人が現れますが、せっかく引っかかったのなら、「なんでそう言ったのか」と言うところを考えて欲しいなと思う。

 

自分で選んで読んでるくせに私に言ってくることはどうも検討違いだ。

 

その後で、好みじゃないなら使わなきゃいいし、読まなきゃいい。(私だって別に好みの言葉ではないので話し言葉では使いませんし)

 

 

 

 

 

Parisで行った「モネの庭」をいくつかの記事にしましたが、それはとても感動したからです。

 

「モネがどうしてこの絵を描いたのか」それを少しだけでも感じられて心が震えたのだ。

 

 

中庭で朝ごはんを食べて出発♡ジヴェルニーのモネの庭①

モネ最大のキャンバス♡ジヴェルニーのモネの庭②

「今しかない一瞬の光」ジヴェルニーのモネの庭③とオランジュリー美術館「睡蓮の部屋」

ジヴェルニーの食卓♡ジヴェルニーのモネの庭④

死が加え続ける色の変化。ジヴェルニーのモネの庭⑤

 

 

モネの水の庭「睡蓮の池」には

モネの絵のままの風景が広がっていた。

 

 

 

 
ああ、ここね・・・!?
この一輪の蓮の周りの水面に映り込む
青い空と白い雲、揺れる草花に、何かを感じて、キャンバスに写し込みたいと思ったんだろうな。
 
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これは、ここ?
水面に映る色が濃くて蓮が閉じてるように見えるから朝方かな?
柳も写り込んでいる。

 

 
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これは・・この水面?

水面に映った柳?

 

 

 

 

 

 

 

これは

 

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ここ♡
空の色まで映り込む
 
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モネがこの世界の

どこに

美しさと豊かさを見出したのか?そのモネの視点を知れたから、感動したのだった。

 

 

 

 

この景色の、この部分。

この、水面に写りこむ、一画。

 

 

ここに魅力を感じたんだ。この人は。

美しさや、豊かさだけじゃなく「この世の本質」まで感じたのかも知れない。

 

 

ここまでモネの視点を感じられると、

 

 

「それはどうしてだろう?」

 

 

とさらなる問いを重ねていける。

 

 

 

なんでそれを書いたんだろう?

なんでそう言ったんだろう?

なんでそれをやったんだろう?

なんでここに見出したんだろう?

 

 

自分の人生だったらどうだろう?

 

 

この、視点を自分の中に取り入れること、さらなる問いを自分にもつ事が、「叡智をいただく」と言う事だと思っています♡

 

 

素敵だなと興味があり、行ってるわけですから、その人の「視点」を頂いて、自分に調和させて、さらに問いを持てることは本当にありがたいことなのだ。

 

(素敵だなとは思ってなくても、興味がある、観察している、と言うことはそう言うことなのです。ブログ読むのも、本でも、セミナーでもね!)

 

 

 

興味と観察は愛である。

 

 

 

 

 

 

Parisから戻ってきて、色々書いていて思った事でもあるし、先日のこちらの続きになりますが、ホリエモンこと堀江貴文さんの話を聞いて思った事でもある。

↓↓

 
 
 
テーマの「地域再生」「まちづくり」を通して、堀江さんの数々の視点と在り方を感じた。
 
 
気づく力がすごい。
繋げる力がすごい。
 
そして、世の中に対しての興味と観察がものすごい!!
 
 
それはそもそもで在り方が
 
 
世の中を批判していると言うより、人より何十倍も
 
世の中を評価しているから
 
それが、彼が支持される理由なのだろうなと思ったのです。