この人が何を書いたか、言ったか、やったかではなくて
なんでそれを書いたんだろう?
なんでそう言ったんだろう?
なんでそれをやったんだろう?
と言うところを、もっと知りたいなと思うわけです。
例えば私が「庶民」とか「疑えよ」とか書くと、その表面的な言葉に対して
「藤本さきこがこう言った!偉そうだ!言葉が汚い!やんややんや!」
と叩く人が現れますが、せっかく引っかかったのなら、「なんでそう言ったのか」と言うところを考えて欲しいなと思う。
自分で選んで読んでるくせに私に言ってくることはどうも検討違いだ。
その後で、好みじゃないなら使わなきゃいいし、読まなきゃいい。(私だって別に好みの言葉ではないので話し言葉では使いませんし)
Parisで行った「モネの庭」をいくつかの記事にしましたが、それはとても感動したからです。
「モネがどうしてこの絵を描いたのか」それを少しだけでも感じられて心が震えたのだ。
├「今しかない一瞬の光」ジヴェルニーのモネの庭③とオランジュリー美術館「睡蓮の部屋」
モネの水の庭「睡蓮の池」には
モネの絵のままの風景が広がっていた。
これは・・この水面?
水面に映った柳?
これは
モネがこの世界の
どこに
美しさと豊かさを見出したのか?そのモネの視点を知れたから、感動したのだった。
この景色の、この部分。
この、水面に写りこむ、一画。
ここに魅力を感じたんだ。この人は。
美しさや、豊かさだけじゃなく「この世の本質」まで感じたのかも知れない。
ここまでモネの視点を感じられると、
「それはどうしてだろう?」
とさらなる問いを重ねていける。
なんでそれを書いたんだろう?
なんでそう言ったんだろう?
なんでそれをやったんだろう?
なんでここに見出したんだろう?
自分の人生だったらどうだろう?
この、視点を自分の中に取り入れること、さらなる問いを自分にもつ事が、「叡智をいただく」と言う事だと思っています♡
素敵だなと興味があり、行ってるわけですから、その人の「視点」を頂いて、自分に調和させて、さらに問いを持てることは本当にありがたいことなのだ。
(素敵だなとは思ってなくても、興味がある、観察している、と言うことはそう言うことなのです。ブログ読むのも、本でも、セミナーでもね!)
興味と観察は愛である。
Parisから戻ってきて、色々書いていて思った事でもあるし、先日のこちらの続きになりますが、ホリエモンこと堀江貴文さんの話を聞いて思った事でもある。