って書いた。
ネイルは本当に、「私から見る世界」をより美しく、より彩度を高く輝かせてくれる。
エッフェル塔のシャンパンフラッシュも、沖縄のプールも、パリでもらったお花も、
手に持つシャンパンも、ペンも、すべてに煌めきを添えてくれる。
思い出がさらに輝く。
このブログをずっと読んでくれている方は
私が「美女」と「ブス」についていまいち釈然としない「モヤモヤ」を持っていることを知っているかと思いますが
私はね、やっぱり本当に「美女の世界にはブスがいない」と思うんだよね。
だから「美女」だと思うんだよね。笑
だからよくある
「ブスとは造形ではなく、甘んじて努力しない人のこと」とか
「ブスとは卑屈な精神のこと」とか
そういう「ブスの定義」も本当に釈然としなかったんですよ。
もちろん嫌だなって思う人とか
品がないな、好みじゃないな、って思う人はいて
かといってそれが「ブス」かと言われたら、なんかやっぱり違う。
昨年、「対等の世界」と「勝ち負けの世界」に気がついてようやくわかってきたんです。
やっぱり「ブス」という言葉自体が、勝ち負けの世界での「負け」の意味合いをめちゃくちゃ含んでいるからだった。
獅子が教えてくれた「美女の設定」❤︎世界は一つ❤︎だから安心して矛盾を受け入れ同時に持とう❤︎
私の彼は本当にファッションが好きなので
いつもリラックスタイムのふとした時間は雑誌を読んでいるんですよ。
ふとスマホを見るとよくファッション関係のサイトを見ているし、
彼に取っての優先順位が「ファッション」が高いんだよね。
私はね、ファッション雑誌読んでる暇があったら、本を読んだり、一人こもってノート書いたりブログ書いたりしたいの。
スマホ開くとFBやブログでリブログしてくれた読者さん、受講生の記事を読んでいる。優先順位が「設定変更関連」が高いんだよね。
どっちが優れているとか劣っているとかじゃなく、興味の優先順位の違い。ただの。「美容」も同じだと思うの。
ただしこの「ブランド興味ない問題」でも書いたように
何も知らなくて、もしくは「綺麗になりたい」「おしゃれになりたい」と思ってるのに
「興味ないんですよね=だから要らない」
としちゃうのは確かにもったいない。
これに人生を合わせていく!と思えるようなジュエリーが見つかるのは幸せなこと♡
でも!!
本気で自分を生きていて、好きなことをしている場合、どうしても優先順位が低いものってあるんだよね。
これはラグジュアリー読書会で、去年課題だった「億万長者の秘密を君に教えよう」でも出てくることなんだけど、
自分の手持ちの24時間。
その「24粒」を何にどう使うかっていうのは、自分で決めることができる。
私の場合は、美容やファッション、メイクなどの「研究」に費やす時間は優先順位が低いんです。雑誌などを見て美容を研究する時間があるなら、私は本を読んだりブログを書いたりしたいの。
だからと言って「美しさ要りません」と言ってるわけではなくて、「そんなのに時間かける人馬鹿〜」とも言ってるわけでもなくて、
どれを優先するかは
「好み」なんです。
世の中の「美容」を語っている人で、私の好みじゃないのはなんだろう?ってもうずっと考えていて。もう数年前からなんか違う、なんか違うって思っていたのは、
女たるもの美しさの追求に時間をかけるべき!
もちろん綺麗でいるに越したことはないし、綺麗でいたいよね、みんな。
でも、「実際にエネルギーをかける対象」の「好み」には「正解・不正解」はないんだよ。「女たるものこう!」という「正解」は勝ち負け世界でしかありえない。
だってこういう時はこう思ったりするわけです。笑
「あ〜もっとちゃんとしとけばよかったな〜」とか。
こういう時に100%がこれか!!!(悲痛な叫び)2018へ向ける美女の設定変更①
この時カメラマンさんに
「次はもっとポーズを練習してきます・・・」って言ったら
「変な癖ついちゃう子もいっぱいいるからそのままでいいよ〜十分〜!!笑」
って言ってて。
私がなぜそう言ったか?って自分に聞いてみると
「写真苦手・・・」があるからなんだよね。
堂々とモデルみたいになりきって写れない。
「ちゃんとしとけばよかった」
それはなぜ?
それはポーズの問題なのか?というと
そうでもあるし、それだけでもないなって思った。
そこで「ちゃんとって何?」って聞いてみると
「ちゃんと=研究」
「研究に時間を注いでない人はブス」っていう世間の勝ち負け美容論設定を採用していると思ったんだよね。
それ本当?本当はどうしたい?
しかし、だからと言って「今後、時間を注ごうとも思わない」わけ。笑
だって他にやりたいことがいっぱいいっぱいあるんだもの。
本当は楽して研究もせず綺麗でありたい。
で、この撮影で今回設定変更したのは
綺麗である事=時間やエネルギーを注ぐ優先順位を高くする事じゃなくてもいい
って設定変更したの。
「綺麗であることにエネルギーを注いでいる私、にフォーカス(ドヤ!悦〜)」して、そうじゃない人に対して「ブス」という言葉を当てはめる人がすごく多くて、
勝ち負け美容論がうんざりだったんだけど、そうじゃない人にも出会ったんだよね。
私が心地良いのは、純粋に「美しさ」が好きな人たち。
美しい「私たち」にフォーカスじゃないんですよ!
フォーカスしてうっとりするところが
綺麗な「私」
じゃなくて
私は「綺麗」
もちろん鏡や写真に写る自分が綺麗だと嬉しいけど、「だから素晴らしい」とか「だから勝っている」とか「だから優れている」とかくっつけないんですよ。
もちろんネイル自体で「好みのデザイン」として「こっちのネイルが可愛いな」「次はこれにしようかな」ってあるけど、それをしている人と人を比べないでしょう?
優越をくっつけると必ず劣等もくっついてくるからね!
本や学びもそうで、
「読書や学びにエネルギーを注いでいる私、にフォーカス(ドヤ!悦〜)」だとそうじゃない人に対して「見下し」の言葉が出てくる。
「目の前の私の世界にさらに輝き・豊かさを添える」という意味での「美容」。
設定変更したら、
「時間もかけず、研究もせずに、もっと美しくあるにはどうしたらいいかな?」とパリで考えてました。笑
出てきたのは
「プロにお願いする」
「素材を美しく保つこと」
疲れたらマッサージに行ったり、ネイルに行ったり美容室に行ったり、
エステに行ったり、好みの範囲でできる当たり前のこと」だけして、毎日のんびりストレスなくゆるゆると過ごすこと
いいものを食べて、綺麗なプロたちがオススメしてくれるものを取り入れて、
いざという大事な時は、プロのテクニックでパーフェクトにしてもらうこと。
これが私の好みだな、と思いました笑