ハイジの退屈日記 パリ・東京 -74ページ目

クシャミの流儀

中学生の時より

アレルギー性鼻炎というものを患っている。

要は「ハウスダスト」へのアレルギーで

その主な反応はクシャミ、鼻水。


「ハウスダスト」というものは掃除をしたところで消滅するものではないらしく

年間を通じて、クシャミ・鼻水から免れることはない。

クシャミをする回数は一日平均15回、というところであろうか。


クシャミを実に可愛らしくする人がいる。

男性ではみたことがなく、ほぼ女性かと思われます。

その音を書き表すと

「・・ックツン」

みたいな感じ。

周りに気を使っています、私は上品です、私はいい人です、

みたいな、自己主張を感じるのは私だけだろうか。


でも本人いわく、それ以外のスタイルではクシャミができないのだそうで。

確かにそうなのかもしれない。



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確かに、私も私なりのクシャミの仕方があって

色々と試みたが、やはり他のやり方では無理であった。

私のクシャミは、書き表せば

「ブアッフワァックショーン!!!」

というところか。

ちょっとした爆音である。


どんなかというと

中学生の時に

教室でこのクシャミをしたところ

周りのクラスメート数名が振り返り

ひとりの男子が

「・・・吹き飛ばされそうだぜ・・・」

とつぶやいた。


またある時

自分の部屋の窓際で思い切りクシャミをしたところ

側にかかっていた風鈴が

振動に共鳴したのだろうか、わずかながら音を鳴らした。


余談ではあるが

20代の時、この話を初デートの男性にしたのは

その後の展開を省みるに

やはり正しくなかったと思われる。


また、先日も夫ペーターに

「なーにー!?そのおやじ臭いクシャミ!やめてえ!」

と怯えた顔で言われた。

(ちなみにペーターは52歳)

結婚すると、こうやって徐々に地が暴かれていくのだろう。



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しかし、とにかく無理なのである、

私のこのクシャミのスタイルを変更するのは。

もちろん私もこれが美しいとは思っていないので

努力をしてみたのだが

私のクシャミは、いかんせん、

物凄く沢山の息が吐き出されるのが常なのである。


両手を口と鼻を覆うように当てて

物理的に音を軽減しようとしても

「ブアッファ!」

という音と共に

両手の中に収まりきれなかった息が

両手の端から、漏れ出る、というより

爆風として弾け出る。


鼻をつまむ、なんて方法もあるようだが

論外。

とにかく吐き出す息の量が多すぎて

そんな子供騙しの方法では対応できません。



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昨今は節電の夏であるゆえに

うちも、ご近所も、窓を開け放していることが多い。


先日、夜10時頃だったか

パチン、パチン、という爪を切るような音が外から聞こえてきた。

気になって外を見ると、本当に、

お隣りの家の窓際で、ツメを切っている隣人の姿が見えた。


ツメを切る程度の音がこんなによく聞こえるということは

私のクシャミの音なんか

それはそれは、よーく聞こえてるってことだろう。


もしかして、うちのマンションの前を歩く人たちも

未知の隣人たちも

ここには、中年のおやじが住んでいると思っているかもしれない。


それはそれで結構なことである。

ひとり暮らしの女性としては

そういったカモフラージュも必要なので。


いや、このクシャミの主が女性だとわかったら

そちらの方がむしろ効果が高いのかも?











無為に過ごす夏の日に思うこと

真夏の、快晴で、暑い日曜日。

特に予定もない日。


家事などやることを済ませてしまった後

ふと手持ち無沙汰になり

気温が上昇し、暑さが最高潮に達する頃になると

時間が止まってしまったかのように感じることがある。


こういう日に、ふと小学生の時の夏休みの感覚を想い出す。


1ヶ月半もある、この長い休みを

どう過ごそうか、という

ちょっと戸惑うような、嬉しいような感覚。


そして、特に予定もない気怠い夏休みの一日。

それは小学生にとっては

途方もなく長い時間に思えた。



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どうやって過ごそうか。

友達を遊びに誘いに行くのも億劫だったり

プールに行くのも面倒だったりする日には

何をするというでもなく、なんとなくダラダラと時は過ぎる。


風鈴の音など聞きながら、ゴロゴロして

パラパラ本や漫画をめくっているうちに

気がつくと夕方になっており

ほとんど何もせずに一日が終わろうとしていることに気づく。

そして夕食の時間になっているわけだ。


こんな感覚の日が、大人になった今でもある。


少し前までは

こういう日を過ごしてしまうと

何かとてつもなく勿体無いことをしたような

自分の無為・無生産に若干罪悪感をもつと同時に

虚しさを感じたものだ。

あの夕暮れ時の憂鬱 とも相まって。


人生は長いのだろうか、短いのだろうか

私はどこに向かっているのか

などと漠然と考えたりして。

単に頭が悪いだけなのか?



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でも今は

そういう日もある、と

受け止められる。


そして、大なり小なり

何かを成し遂げた日があったとしても

そんな日でさえ、無為に過ごした日と

根本的にはあまり変わりはない、と

時はそんな風に過ぎていくのだな、と思う。


何事もなく平和に過ごせた一日に感謝。



貧乏臭いこと

私はどちらかというと吝嗇だが

意外と貧乏臭いことは嫌いである。

まあ、見栄っ張りとも言えますね。


結婚指輪をし始めて2ヶ月ほど経ったのだが

プラチナリングに傷が目立つ。

プラチナって固いので傷などあまりつかないのかと思っていた。



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そこで、プラチナのお手入れについて、ネットで調べたところ

眼鏡屋にある眼鏡洗浄機に入れるとよい、という意見が多数あった。

それって・・・。


さらに、事務用のゼムクリップを「開いて」、プラチナを擦るとキレイになる、という情報もあった。

でもねえ、なんかそれって貧乏臭いではないですか。

大事なリングを、事務用クリップで、一生懸命擦すりました!

そしたらキレイに傷がとれました!

というのも、嬉しいような侘しいような。


ゼムクリップのアイディアは

「伊東家の食卓」のものらしい。

「伊東家の食卓」のアイディアって、私もいくつか試したことがあるんですが

すごい!魔法のよう!というのがありますね。

よくぞ発見した!と感心したりするのですが

でもね・・・なんかこう、侘しさを感じるんだよなあ。

四畳半の万年襖から、ヒュールリーと、すきま風が吹きこむような。



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何かで読んだ「暮らしのアイディア」的な読者投書欄に

「テレビのリモコンをテーブルの上で見失わない方法」というのがあった。

空になったインスタントコーヒーのトップに

リモコンを紐で括りつける、と。

高さがあるために、食卓の中で埋もれずにいつでもすぐに見つけられる、と。

まずはさ、テーブルの上を片付けようよ!

インスタントコーヒーの空瓶なんか、そんな風に再利用するのは止めようよ!


ほかに、貧乏臭いと思ったこと。


知人が言っていたことなのだが

シャワーを浴びるだけでは、どうしても身体が十分に温まらない、

しかしお風呂を沸かす時間がない、

そういう時は、タライにお湯をはり、

その中に立つ。そしてシャワーを浴びる、と。

そうすれば、タライの中にじゃんじゃんお湯が入るし

シャワーを浴びる10分だか20分だかの間

足首まで湯につかる結果になって、暖まるのだそうだ。


確かにそうかもしれない。


だが、タライの中に立ちシャワーを浴びてる姿って

なんというか、美しくないだけではなく、やはり微妙に侘びしくないだろうか?

実際のところ、髪の毛なんかも、きっとタライに貯まるのではないか?

うーん、私は、イヤだな。


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小手先の工夫をすると、どうもミミッチイ感じがして情けなくなる。


経済状態にかかわらず

せめて貧乏臭いことは避けたいものだ。

そういう風に生きていると、「貧しい」オーラが身体から滲み出てくるでしょう。


やはり何事も「正統」でいこうではないの。