コルフ島のビーチ探し
2026年8月末、ギリシャ、コルフ島に行ってきた。
ケルキラ島、とも呼ぶようだ。1週間の滞在。
一般的に島というのは、そのエリアによって全然表情が違う。
いわゆる「ビーチリゾート」が目的だったが、
どんなビーチなのかあまり調べもせず選んだ。
よく分からずないまま行ったのはメソンギという村。
ここのビーチは海がとても穏やかで、こじんまり。
観光客向け小型ホテルとレストランが立ち並ぶ。
店と海に挟まれた海岸はかなり狭く
埋め尽くすようにサンベッドがぎっしり並んでた。
小さな海沿いのレストランはどこも感じがよい。
島の海岸線には似たような入り江がたくさんあったようだ。
バカンスのピークは終わっていたが、8月ではあったので人は多い。
ちなみにここは欧米人が多く、東洋人を見かけることはなかった。
到着日翌日、まずは、ということで
コルフ島の首府コルフ・タウンに
路線バスで行ってみた。メソンギから約40分。
中心市とはいえ、小さな島のことだから
静かだろう、と勝手に推測してたら
お土産店やレストランが沢山、観光客で大混雑。
地元系や高級ブランドの店で揃い賑わっていた。
ギリシャ本土とイタリアの間に位置する島らしく
新旧の要塞などの歴史的名所もある。
町の中でも混雑エリアをちょっと離れると、
一般の人々が住んでいる一角も現われて、
こういう所を発見するのが面白い。
ちなみに下の写真の洗濯物はどう干すのか不思議だったが
近づいてみたら、窓に滑車付の部品がついてたので
建物との間に渡した回せるロープ物干しだった。
メソンギのビーチも悪くはないのだが
ちょっと狭くて、開放感には若干欠ける。
島の反対側とか、ほかの場所にいけば
別の雰囲気のビーチがあるはず。
我々夫婦は車の運転をしないので、
よく旅行では路線バスや現地ツアーを利用する。
移動方向や距離に制限はあるものの、
バスは車窓からの眺めも楽しめるし
ローカル・カルチャーに触れることもできて大好き。
↓はホテル近くのバスの停留所。
パレオカストリッツアという、コルフ島随一らしい
海が美しい村へのバスツアーに申し込んだ。
島を横断してメソンギの反対くらいに位置する。
絵葉書のような青い海の風景が楽しめる。
この村の唯一の観光スポットは小さな修道院。
素朴で小可愛い。山の上にあって見晴らしも素晴らしい。
チャペルは東方教会の伝統的な構造で、祭壇には聖画が並ぶ。
さて、じゃあ、下界におりて日光浴といくか、と
メイン・ビーチに向ったが
人でぎっしりの賑わい。
お隣とくっつかんばかりのサンベッドは「満席」。
バカンスのハイシーズンだから仕方ないが
なんだか風情がない。
そこを離れて、サブ(?)・ビーチに行き、
海岸のカフェのテラスに並べられたサンベッドを確保。
砂浜の上ではないのがビミョーだったが
メインビーチよりは人口密度が低く、とりあえず人心地つく。
こう見ると↓さほど人が多くないような印象だが
実際、海辺は物凄い人であった。
岩に囲まれた小さな湾なので仕方ない。
海の透明度は抜群で美しかったが
コルフ島随一のビーチとして勝手に思い描いてた
ノンビリ鄙びたイメージとはちょっと違ったかな。
ハイシーズンにメジャーリゾート地に旅すれば
人口密度はどこでもこんな感じなのかもしれない。
なお、発見だったが、コルフ島のバスは、
ツアーバスであれ路線バスであれ
時間に物凄く正確で驚いた。
なんなら、定刻より早く来たりする。
南国といえば遅れがちという印象は完全に偏見。
パレオカストリッツアからの帰りのバス、
出発時間の遅くとも5分前には乗車しないと、と
早めにバス出発地に行ったが、私たちが着いたら
観光客(西洋人)の皆さんはすでに全員乗車しており💦
皆さんコルフ島のバス事情には慣れていらっしゃる、と見た。
さて、我々夫婦は好みのビーチ探しを諦めない。
地図をみてメソンギから路線バスで行けそうな
別の場所を探し出した。Googleはバス時刻表も
正確ではなかったりするが、ちゃんと弾き出してくれる。
乗り換えなしで30分ほどで行ける
Agios Georgiosというところ、
英語ではSaint George。
結論からいうと、ここは大当たりだった。
ここはとにかく広々としたロングビーチ。
もちろん人はたくさんいるのだが、
あまりにも広いビーチなので分散している。
サンベッドを管理するホテルや店が数軒あるが
十分に間隔をとれるくらいの広さがあるので
たっぷりと余裕があり、開放感に溢れている。
まずはサンベッドを確保してビーチを散歩。
海岸は海と砂丘に囲まれており
海風は十分に来るのだが、風が強すぎず
非常に気持ち良くて、完全リフレッシュ。
歩けば歩くほど人から遠ざかり、
気付けばビーチを2時間も歩いたが
あまりにも快適で疲れを感じなった。
このビーチがある村Agios Georgiosは
巨大ツアーホテルが海沿いに一軒ある他は
いくつかの民宿系ホテルと飲食店があるだけで
地元民が普通に生活している鄙びた村の様子。
でも、海沿いに、私たち好みのカジュアルな店をみつけた。
昼間、海風を浴びながらいただく食事ほど美味しく、幸せなひと時はない。
松脂の風味のギリシャの伝統的ワイン「レッチーナ」も初めて飲んだ。
初めて飲んだ時は「松脂」だと知らなかったので
ちょっと薬っぽい、「泥炭」のような味だと思ったが
言われれば確かに松脂の味で、結構クセになる。
そうそう、大事な食事のことだが、
この島はやはり魚が美味しかった。
イワシやスズキのグリルをいただいた。
とても新鮮なので、塩焼きがたいへん美味。
地中海料理はどれも美味しかったが
知らなったという意味で一番はナスのコロッケかな。
チーズがたっぷり入ってるのがワインに合う。
悲しいことに、ギリシャ到着前からお腹を壊し
自重して正露丸など服用していたために
思う存分飲食できなかったのが心残りだったが
(夫は十分だというが私の「実力」の半分以下だ)
そこはともかく
最高に気持ちよいビーチを見つけられたし
超満足のビーチリゾート・バカンスとなった。
リセットと再生
30余年の会社員生活を定年退職
東京からパリに居を移すことになった。
東京とパリでの別居婚14年、
結婚15年目にして夫と初めての同居となる。
待ちに待った退職を迎え
海外での全く新たな生活が始まる。
今までの生活は、やはり仕事が中心。
腰掛OLマインドなのに管理職に就いてしまい
幾度も転職し、なんとか勤め上げた。
思えばいつも仕事内容にも人にも恵まれてきた。
定年退職にあたり
多くの方々に温かい励ましの言葉や
身に余るメッセージを沢山いただいた。
イヤイヤながら仕事してきたのは事実だが
それなりに一生懸命やってたのも間違いない。
私もなんらかの貢献はしてきたんだろう、
とりあえず仕事はやり切った、という感がある。
長間住んだ東京のマンションを売り払って
夫が住む、馴染みのある場所とはいえ
外国にて第二の人生を始めるというのは
なかなかの大きな変化といえよう。
住み慣れた東京での生活、
お気に入りのマンションの環境、
キャリアを作ってきた仕事のスキル、
会社員ならではの定収入・・・
それらが全てリセットされる。
生活の在り方を大きく変えることになり
新たな環境に対する期待感もありながら
ただでさえセンチメンタルな傾向のある私には
今までの生活への惜別の情も強い。
しかし、変化というのは良いことだ。
時は流れ、万事が変わっていくのは道理で
宇宙が進化していくように
環境の変化はあらたな経験と価値観を生む。
リセットは再生につながるだろう。
変化を恐れずに、気持ちを新たにし
幸せな未来を思い描いて、前向きに進むべきだ。
そして、再確認したのは、
私にとって最も大切なのは、友達、仲間。
親切で優しい人々に恵まれて
今まで本当に豊かな人生を送ることができた。
友人たちだけは、リセットされない。
永久のルアンパバーン
GWにラオス、ルアンパバーンに行ってきた。
約25年前、バックパック一人旅で訪れて以来。
今回は、夫と二人で。
世界遺産でもある古都の落ち着いた佇まい、
アジアの原風景的な
素朴で穏やかな空気感が印象に残っていて
また行きたいとずっと思って、再訪を果たした。
今生においては最後だろう、と思いながら。
25年も経てば当然かもしれないが
観光地化が進んで、世界各国からの観光客も多く
西洋風に洗練されたカフェ、レストランがたくさん。
オーガニック、ビーガンなどの店も結構あって驚く。
多種多様な雑貨の店で賑わうナイトマーケットは
25年前にはなかったと思う。
それでもやはり変わらず嬉しいのは
そこはかとなく漂うひなびた雰囲気。
熱波到来で最高気温が40度近かったこともあり
昼間にほっつき歩いている観光客が少なく
ローカル感が増していたこともあろうか。
今回のルアンパバーン滞在で一番良かったのは
メコン川の「サンセットクルーズ」。
これも、25年前は観光コンテンツ化してなかった記憶。
今は川沿いを歩けば、イヤというほど客引きがいる。
ディナー、ドリンク、カラオケ付きからただの遊覧まで
お値段次第でいくつか種類がある。
私たちは何もつかない「クルーズ」を選んだ。
「サンセットクルーズ」とはゴージャスな響きだが
超素朴なポンポン船でメコン川をただ進む。
涼しい風を浴びながら夕日を眺める、という趣旨。
これの何が良かったかというと、
2時間の「クルーズ」がなんとも贅沢な時間なのだ。
要は、本当に、船上で何もやることがない。
小さな船で、夕日スポットまで川を進んで停留し、
のんびり夕涼みしながら、美しい夕陽を眺める。
最初は、川に写る夕陽が綺麗、など喜んでいたが
それも30分もすれば、なんだか飽きてくる。
が、しかし、2時間というお約束の時間があるので
船はきっちりと、予定通りのスケジュールで動く。
え、まだ、あと1時間もあるの?と感じるのは
普段あまりボーっと時間を過ごすことのない
あくせくした現代人の感覚であろう。
周りの人々も、最初ははしゃいで自撮りなどしてたが
それにも飽きて、スマホをスクロースし始めてる。
が、私としては船上でスマホを取り出したくない。
メコン川の上にいるのにYouTubeなぞみるか、
意地でもノンビリしてやる、という感じ。
夫も同様のようであった。
だが、川の上をそよぐ風を浴びながら
何をするでもなく
川面に写る夕日やさざ波を眺めていたら
瞑想のごとく、頭がカラッポになってきて
ものすごくリラックス効果があると実感した。
こんな風な2時間を過ごすのはとても贅沢。
夫も私もこのメコン船上の瞑想クルーズが
すっかり気に入り、二日連続で行ってしまった。
こちら↓一日目のクルーズの船長さん。
変わらない、といえば、やはり歴史ある寺院。
ルアンパバーンで最も格式高いらしいワット・シェントーンは
唯一、25年前の記憶がよみがえった場所だった。
敷地も広くなく、寺自体も小ぶりで素朴ながら
外装・内装ともに繊細なレリーフが大変美しい。
懐かしい感じの地元系食堂。
でも冷房も効いていて、新しかったし
地元の食堂では近代的な方だと思う。
現地の女学生が早めの夕食をとっていた。
こちら↓がよりジモティー系食堂。
ほぼ地元民であふれかえっていた。
冷房なし、オープンエア。
ついでに、ラオスの地元フード、カオソーイ。
カレー味・卵麺のタイのカオソーイとは違い
醤油味・きしめん。お味も素朴。
25年と比べれば、観光地化は進んでいたが、
やはり長閑でのんびりとしたルアンパバーンには
これからも永遠にその魅力を保ち続けてほしい
と勝手ながら、願うばかりだ。
永遠のポジターノ、そして分かち合う幸せ
2023年5月、南イタリアに行ってきた。
主な目的地はポジターノ。
ここは20代の後半、つまり30年前だね、
ドイツに住んでいた頃
太陽と美味いものを求めて何度も行った、
色々な意味で大切だった、本当に特別な場所。
30代後半の頃、日本から一人で行ったのが最後なので
今回は、約20年ぶりということになる。
ポジターノがいかに美しい海辺の村で
愛らしく素朴な町並みがいかに比類ないか、
私は夫に何度も語っていたので
ついにかの地を、彼に案内できるというのも
嬉しいような、誇らしいような気分だった。
結論から言おう。
町そのものは変わらずに美しいんだろう。
が、情緒が完膚なきまで失われていた。
ハッキリ言おう。
私の苦手なタイプの北米白人の大挙により
素朴な魅力いっぱいの昔のポジターノは
チャラい観光地へと変わり果てていた。
何を求めているのか、期待してるのか知らんが
派手なドレスやツバの広い帽子を身に着けた
妙に気合いの入った「ゴージャス」な人々により
かつての素朴で、愛らしい村は
虚栄心が臭う「リッチな」リゾート地と化していた。
そして、小さな村はオーバーツーリズム。
5月初旬だというのにどこも激混んでおり
交通公共機関は麻痺し
当然、モノの値段もホテルの料金も驚く程高い。
夫が、サントロペみたいな感じかな、と言い
たしかにそうかも、と私は悲しんだ。
あのポジターノがサントロペと比較されるなんて。
それほど町の印象が昔と変わってしまった。
もちろん、20年も経てば変わってもおかしくない。
魅力ある観光地は大勢の人を呼び寄せるから。
たぶん、観光地としてのポジターノの歴史の中で
私は一番良い時代を知ってた、ということかも。
当時の、洗練された風でありながら
温かい心が通うような素朴さのある
なんともいえないチャーミングな海辺。
あの村で過ごした、若い頃の時々は
自分の心の中に、ずっと
大切な思い出としてとっておこうと思う。
あの当時のポジターノに会えたのは
私の今生の宝物だ、と思うことにしよう。
しかし、嬉しいことに
数十年前とあまり印象が変わっていなかったのが
隣の村、プライア―ノ。
素朴で、特に見るべきところもない小さな村。
あるのは太陽と海風と木々の緑。
地元の人の静かな暮らしがそのまま伝わる感じ。
ソレントとナポリの間を運行する、
公共の観光客用バスが停まる場所でありながら
あまりにも何もないためか
昼間であってもほとんど人がいない。
当時から、こちらは素朴で地味な村だったが
今もなお、飲食店もホントに少なかったし
「ゴージャス」な人にとっては退屈だろう。
夜はおそらく真っ暗だろうね。
しかし、私には変わってないように見えた
懐かしいプライア―ノに再会できて
心からホッとし、嬉しかった。
昔の友達が変わらずに暖かく迎えてくれた感じ。
ポジターノについては無口であった夫も
(私に遠慮して悪口を控えていたと思う)
プライア―ノはかなり気に入ったようで
来年も行こうか、今度は長く滞在しようか、
などと、今でも言っていて、嬉しい。
大好きな昔の友達を夫に紹介したら
好きになってくれた、そういう感じかな?
そして、大事なことだが、南イタリアは
食べ物も、ワインも美味しい。
知らない・珍しい料理はあまりないが
トマト、オリーブ、魚介にパスタ。
地場のものをいただく幸せ。
気候や風土とあっている料理が
やはり美味しいんだ、と実感した。
静かなところで、のんびりと
海風にあたりながら
地元のものを美味しく飲んで食べて、というのが
私たち夫婦にとっては、どこであろうと
一番のんびりできる過ごし方かもしれない。
時と共に、町や村が様相を変えるのは仕方ない。
「時」を含めて愛着をもち続けるのが「思い出」で
その価値は、自分にしかわからない。
自分だけのものとして、大切にとっておくけど
でも、もし少しでも誰かに共感してもらえたら
とても嬉しい。
今は、夫という
ほんの断片でも思い出を共有できる人がいて
それも私の人生の幸せだ、と思う。
子供の頃の夢の職業は現実となる
いわゆる「定年」まで
あと1,2年という会社員生活において
来し方行く末に思いを馳せるこの頃。
そして、ふと気がついてみたら
子供の頃に憧れた職業は
ある意味において、ではあるが
すべて経験していた。
その職業とは
ファッションデザイナー、
女優、
雑誌編集者。
小学校低学年の頃
ファッションデザイナーになりたかったのは
母が定期購読していた雑誌「ミセス」で
自分や周りの人々の恰好に比べると
各段に華やかで、美しい装いの人々に
心ときめき、惹かれたからだろう。
お絵描き帳に、毎晩のように
様々な洋服の案を描き連ねた。
家族旅行などに行く先にも
その帳面をもって描いていて
アイディアは尽きることがなかった。
その後の自分の仕事人生において
服飾業界にいたわけではないのに
女性服のデザイナーの男と結婚したのは
やはり何かの縁なのかもしれない。
そして、一般消費者目線で
こういう服があったらいい、
もっと襟ぐりをこうしたらいい、
などと、たまに、意見を述べたりして
子供の頃の夢がほんの少しだけ、叶っている。
小学校6年生のころ女優に憧れたのは
その時はもちろん自覚がなかったが
明らかに現実逃避の傾向で
自分ではない、別のものになり
そして存在を認められたかったんだろう。
テレビや映画で多種多様な役柄を演じて
スポットライトを浴びることに憧れた。
が、芸能界を目指すようなこもとなく
ただの幼い承認欲求の表れだったんだろう。
思えば、ちょっと哀しい動機だが。
で、そんな夢を抱いた子供であった私は
その後の職業人生でずっと「女優」であった。
仕事では、誰もが、多少なりとも
求められる役割を演じるものだが
私は、いくつかの異なる仕事の職場において
常に「地とは程遠いキャラ」を演じていたと思う。
特に
いわゆるラグジュアリー業界に身をおいてた頃
東京のトレンドをつくる人々と交流し
イベントやらパーティやらで夜な夜な
高級レストランやらバーやらでシャンパンを飲み
パリ、ロンドン、NYなど海外出張もあり
一見、華やかな業界の片隅で、気張っていた。
今振り返ると、あの頃が「女優人生」のピークか。
なぜなら、私は人十倍、人見知り。
性格的に地味、気弱、超内向的、神経質。
よく知らない人との交流は苦痛でしかない。
パーティなんて、もちろん大嫌い。
昔も今も、最も自分が快適なのは
一人きりで、黙って、家にいるとき。
そんな性格なのに、よく理解してないまま
そんな仕事で、そんな世界に入ってしまった。
真面目で責任感だけは強いので
疲弊と違和感を抱き続けたのにも関わらず
女優として演じきってしまった。
そして、時が来て、足を洗った。
雑誌編集者に憧れたのは
中学1,2年生の時に愛読していた
「音楽専科」という音楽(ロック)雑誌ゆえ。
詳細はあまり覚えていないのだけど
記事の切り口が面白く、読むのが楽しく
自分が好きなことを仕事にして
こんな風に書けたら楽しそう、と心躍らせた。
その後、就職する年齢になったころには
そんな夢はすっかり忘れられていたのだが
今振り返れば、私の職業人生を通じての仕事は
次元・規模・手段は異なるものの
企画して、言葉やイメージを工夫して伝える、
という点で一貫している、といってもよい。
ここ1,2年、現在の会社員生活において
デスクワークの編集の仕事が中心となってきて
憧れた音楽雑誌の編集とは全く異なるが
ちょっとだけ、仕事の質は似ている。
リモートワークで人との交流も減り
ようやく、自分の性質や得意分野に近く
しっくりするところに落ち着いたと思える。
子供の頃から、憧れの職業に向けて
緻密に計画して、懸命に努力し
それを実現する人もいるだろう。
でも、そうでない人であっても
子供の頃に抱いた憧れは
無自覚でも、なんらかの形で実現するのかも。
願望は忘れ去ったようでも意識下に残っていて
人生のいくつかの局面で
自分が行う選択や決断を通して
叶えられていく場合があるのだろう。
想像したり思いついたりすることは
実現可能なこと、と言うではないか。
「第二の人生」に向かう今、
自分が何を望んでいるのか、いたのか
心の声を聴いて、もう少し意識してみよう。
子供の頃とは違って
残された時間には限りがあるので。




















































