ハイジの退屈日記 パリ・東京 -3ページ目

理想の生活

GWをタイで過ごした。

やはり、まだ日本からの観光客は少ないようで

成田空港はガラガラであった。

だが、ようやく「GWに海外に行ってきた」と

世間に言えるムードが出てきたのは喜ばしい。

 

実は年末年始もタイに行ったのが、

当時はまだ軽々しく公言できる雰囲気にあらず。

言ったら、警戒される・呆れられるような、

なんとなく気まずくなりそうな空気を

受け取っていたのは、私の思い過ごしか。

 


 

今年のGWは連休の並びがよく

10日連続の人も多かったようだが、

私も有休をとって、

2週間をタイで過ごすことができた。

本当にありがたいことです。

 

しかも、この2週間の滞在中に

「就職の面接」をオンラインで行った。

勤務先がリストラの最中で、

自分が今就いている仕事に

「応募」した、というケッタイな状況。

 

休暇に入って10日目、というタイミングで

定年間近に訪れた試練ともいえる、

人生を決定づける最終面接。

ゆえに、休暇中に緩むわけにいかない。

海辺にてなんやかんやと面接対策を継続した。

 

とはいえ、面接はオンラインが当然の

「グローバル」企業に勤めていたことで

タイの休暇先で、何の問題もなく

面接をこなせるという状況だったのは

実にありがたいことではあった。

こんな↓眺めのホテルの部屋にて面接。

 

 

実は、このリストラについては

こんな風に「さらっと」述べるどころではなく

1年前に発表されて以来プロセスが二転三転し

職を失う恐れに1年というもの常に脅かされ

定職があるということの有難さを思い知った。

仕事やだー、早く引退したーい、

など言う私に、神様が喝をいれたのかな。

 

夫ペーター(在パリ30余年日本人)には

今回のタイの滞在中にあらためて言われた。

「君は本当に幸せな生活を送っているよ。

東京に小奇麗なマンションもあって

年に何回も仕事の有休とって海外に行って

海が見えるホテルに滞在できる状況で。

これはある意味、理想の生活なんじゃないの?」

本当にその通りだ、と思った。

 

この不安定な1年は確かに辛かったが

私にとって生活の安定や仕事について

あらためて考え、反省し、感謝させてもらえた。

 

 

 

そして、夫ペーターはいつも通りであった。

「明日、オンライン面接でしょ?

ぼく、背景にフリ〇ンで出てあげるよ。

そしたら、きっと面接官が、

Oh, what a small Chixxxxx your husband has!

You should divorce, we will hire you!

ってなるかも!」

と無邪気に明るく言ってくれた。

 

うちの夫は、小学生のような側面と

とても真っ当な大人の側面とを併せ持つ

私の「理想の生活」にはかけがえのないパートナーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

永遠につながる

お姉さんのように慕っていた友人が他界した。

どんなに彼女に励まされたことか、

彼女の優しや温かさから気づきを得たことか。

彼女と出会えたことで

生きる上で新たな視点があることを知った。

感謝してもしきれない。

 

本当に大切な人が他界した時というのは

「死」というものが「永遠の命」と同じなんだ、と

感じることができる。

 

ずーーーっと、永遠に繋がっていると、

そうとしか、思えなくなる。

「千の風になって」という歌があったが

まさしく、光になって、星になって、風になって

いつも、ずっと、そこに、一緒に。
 

 

 

とはいっても、何が悲しいって

もう物理的に会えないことだ。

無念すぎる。理不尽だと思う。

そこだけは誰がどんな慰めを言ったところで

どうしようもない。悲しい。

 

司馬遼太郎の近藤紘一への弔辞は

あまりにも有名だと思うが

やはりこの遣る瀬無さを巧みに表している。

 

生死というものは仮の姿でしかありません。

私は、死が、私どもと君を隔てたとは思っていません。

君は永遠というきわまりない世界に入って、

私ども卑小なる地上の者どものまわりに、満ち満ちています。
しかし、ただ一つの不満は、

君にもう会えないということです。

君は、われわれのまわりに遍く存在していながら、

私どもは、類いまれな精神を持った君を、

もはや、五感で感ずることができないのです。

 


 

夫ペーター(在フランス30余年日本人)に

私の悲しみをメールで共有したら、

他界した友人が闘病をしていたことを受け、

「次の人生は、元気な人に生まれてくると思う」

という返事がきた。

 

60過ぎの男からの小学生のような慰めの言葉に

ちょっと泣き笑いした。

なんか、いいな、と思った。

本当にそうなってほしい、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

リモートワーク from パリ

ワクチン接種証明書を獲得したので

思い切ってパリ へ行ってきた。

 

 

パリ在住の夫と会うために

年に4,5回海外に行ってた私にとって

1年9か月ぶりの海外への渡航は心躍るもので

シャルルドゴール空港に降り立ち

かの空港の独特の匂いを嗅いだ時、

(香水と多様な人種の体臭が混ざった感じ?)

嬉しさとワクワク感が込み上げてきた。

 

ちなみに、パリ空港の入国管理は

ワクチン証明や「誓約書」など見向きもせず。

今までと何の変りもなく、スイスイと通過できた。

 

 

 

パリも東京と同様、人出は多いが

屋外ではマスク外すのが許されているため

誰もマスクをしておらず、

それによって解放感がいや増す。

 

 

 

もちろん昼間から酒も出している。

飲食店を営業している限り、

ワインを出さないという選択肢は

この国にはないだろう。

 

 

 

パリの街は相変わらず美しい

 

 

 

ちょっとした街角も絵になる

 

 

 

建築もアートも素晴らしく

 

 

 

パリ郊外の自然豊かな素敵な遊歩道で

秋の散歩も楽しめた

 

 

 

もちろん料理もいつだって美味

 

 

 

こうやってパリの夫の家で、3週間を過ごし

久しぶりに、文字通り、海外の空気を吸って

日本にいた時の閉塞感は晴れ、

まさにリフレッシュして、解放感を得た。

こんな時を過ごせた自分の境遇に心から感謝。

 

 

 

なぜサラリーマンでありながら

3週間も海外に滞在できたかといえば

コロナ禍の不幸中の幸い、と言っても良かろう

リモートワークが認められるようになったから。

 

もちろん、海外でのリモートワークとなると

期間には常識的な限度もあるし、

繁忙期ではなかったから、というのと

夫が住んでいるという特殊な?理由もあって

上司が特別に認めてくれた、というのがあろう。

 

3週間のうち1週間は有給休暇、

残りの2週間を「在宅勤務」とした。

 

 

 

 

7時間の時差がある国からの在宅勤務は

勤務先の特殊なフレックスタイム制があったため

可能であったともいえる。

うちの職場、フレックスのコアタイムが

なぜか、昼の12時から1時、の1時間なのである。

 

つまり、このフランス夏時間の時期、

朝5時に仕事を開始すれば条件はクリア。

もともと不眠気味で、

早起きは無問題というタイプだったので

これは楽勝!とほくそ笑んだ。

 

 

 

が、しかし

ヒトに睡眠がいかに必要かを思い知った。

毎日4時半に起きて、その30分後に始業。

それ自体は意外と問題なかったが、

やはり夜9時、10時に就寝するのは難しい。

毎日の睡眠時間が5時間というのは

やっぱり、足りないんだね。

 

また、毎朝4時半に起きねばならぬ、

という状況は、神経に緊張を強いており

あまり脳が休まってなかったのかも。

 

最初の2日はなんともなかったが

3日目から、日中にダルさを覚えるようになった。

仕事を終えるのは午後2時か3時。

それまでは、なんとかやっているが

やはりダルさがつきまとう。

 

 

 

 

というわけで、

パリでのリモートワークにおいては

朝5時に始業、午後2~3時に終業して

家で昼食をとったあと

せっかくパリにいるというのに

1時間くらい昼寝するという毎日だった。

 

が、しかし、ラッキーだったのは

9月下旬~10月上旬のパリは

日が暮れるのが7時半~8時なんですね。

 

なので、終業後のお昼寝を経ても

美術館やらお散歩やらカフェやら

まだ日中の陽の中で

色々と楽しめたのは本当に良かった。

ダルさを常に引きずっていたとはいえ。

 

 

 

 

日本に帰国して3週間経った今も

完全に体内時計が狂ったようで

未だに眠りのリズムが戻らないが、

まあ良しと思える。

コロナ禍だったから可能であった

パリからのリモートワーク。

おそらく最初で最後だろう。