ハイジの退屈日記 パリ・東京 -3ページ目

考えるな、踊ろう!

緊急事態宣言下などといっても

東京の街中においては

全くそれを感じさせぬ人出だし、

家の外では酒が飲めないくらいで

それ意外の娯楽や文化施設は営業しており

買い物にはなんらの支障もないし

生活に不自由を感じるというのではないが

 

そうはいっても、やはり

世の中にどうしようもなく漂う閉塞感、

先の見えない不安感はハンパない。

 

そして、私自身の生活にも

このパンデミックの負の影響が。

私の勤め先もモロに、経済活動への打撃受け、

大リストラが発表され、ただいま進行中。

齢50代後半に入ったところで

仕事を失う可能性が出てきた。

 

 

在宅勤務サイコー!などと

能天気に1年半の仕事生活を送っていたが

パンデミックは色々な角度から

ジワジワと攻撃をしかけており

ハッと気が付いたら、やられた。

 

色々と複雑で、状況は不透明。

いつまで収入があるのか、

雇われ続けることができるのか

先行きは全く不安定となった。

 

 

とはいえ、今までの人生を振り返ってみれば、

幸運であったことは間違いない。

なんだか知らないけど、

結局は悪いようにはなってない。

この「なんだか幸運」というのは

私の人生の基本設定のようなものではないか、

とさえ思っている。

 

夫ペーター(30余年パリ在住日本人)と

この夏、彼の郷里の新潟で

一緒に散歩をしている時、

私がいろいろとグズグズと言ってたら

「考えるな、踊ろう!」と

道の真ん中で、盆踊りチックな踊りを始めた。

 

この夫と一緒にいると

時にイラっとすることもあるが

やっぱり私の人生の幸運のひとつ、

かけがえのない伴侶だな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

ワクチンと異文化コミュニケーション

日本においても、ようやく

コロナワクチン接種に弾みがついてきたようだ。

 

私は特にワクチン信奉者ではなく、

インフルエンザのワクチンも昔、一度だけ

気まぐれで受けたことがあるだけだが、

こと、新型コロナワクチンについては、

一日も早く受けたいと思っている。

理由は、早く海外に行けるようになるかも、

という、それ以上でも以下でもない。

 

実は、1か月ほど前に、

職場でワクチン接種を受ける機会があった。

勤め先の特殊な事情で、希望する従業員には

ワクチンを接種するというお達しが出た。

今の職域接種が始まる前だったから

それだけ特殊ともいえるし、特権的ともいえる。

 

結果的に、接種率がどうだったかというと、

外国人社員はほぼ全員受けたのでは。

日本人は見聞きした範囲で推測すると7割くらい?

私もかなり迷ったのだが、結局、辞退した。

理由は、アストラゼネカ(以下AZ)だったから。

辞退した日本人の理由はほぼこれだったらしい。

 

 

 

 

この社員へのワクチン接種について

社長が、社内に発表メールを出すことになった。

ちなみに社長はイギリス人である。

日本に赴任して1年半のこの社長は

様々な社員向けお達しを出す前には、

その内容について私の意見を聞いてくる。

(それに応えるのが私の仕事の一つである)

 

で、社員へのワクチン接種の朗報につき、

彼がしたためた文の初稿というのが、

「皆さんにアストラゼネカ接種を提供できることになり、私は本当に嬉しい」

というものだった。

 

私はその文を見た瞬間、苦笑したし、

日本人ならほぼ同様の反応かと予想する。

現に、この話しを5人の日本人の知人にしたが、

AZだという点で、全員もれなく失笑。

 

で、私が社長に対してどう応えたかというと、

AZの受け止めには、色々な意見があるので

この一文においては、AZとは言わず、

ただのワクチンって言ったら?または

「私は本当に嬉しい」とは別の文にしたら?

とメールを返したら、すぐさま電話があった。

 

 

 

なぜだ?!ということであった。

何が問題なのか全くピンとこないらしい。

 

彼いわく、ワクチンの種類は明確にすべし!と。

それは、まさしく仰るとおりだが、

「AZで本当にうれしい」とも聞こえないように

言い方変えた方がいいんじゃない?というのは

彼には全く理解できないようだった。

 

社長がAZ接種の提供(自分も受けられるし)を

本当に喜んでいるという素直な気持ちは伝わるが、

一応、社長のメッセージが失笑などされず

適切に伝わるようにするという私の仕事的には

スルーせずに、指摘すべしと思ったのだが。

 

が、私としても驚いたのは

いかに社長がイギリス人であろうと

AZの世間一般的な評判を知らないはずはなく、

そこを受け手がどうとらえるか抜け落ちてる点。

まあー、イギリスが誇るワクチンですしね、と

若干、余計なことを言ったところ、

これはイギリスの誇りの問題ではない!

本当に喜ばしいニュースである!と

全くかみ合わない。

 

ま、そうっすね。

この程度のことであれば大したことではなく、

自分がおせっかいオバサンにも思えてきて、

にこやかに笑いながら(ビデオ電話でした)、

言葉の選び方なんですかねえーとか言って

なんやかんや最終的には、「本当にうれしい」の

「本当に」を削除することで落ち着いた。

 

 

 

結局は、「本当に」を削除しようがしまいが、

あまり変わらなかったかもしれないし、

どっちでもいいことだったかもしれない。

 

イギリス人社長として

従業員にAZを提供できるのは

やっぱり誇らしかったんだろうし、

そこに同調してあげても良かったのかな、

と思わないでもない。

 

違う視点を発見して、理解し合うという

「異文化コミュニケーション」は

一個人の価値観ともからみあい

やはり簡単ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

季節の巡りと時代のうねり

毎年この時期になると、植物の生命力を感じ

きちんと季節が巡ってくることの有難さを思う。

世の中にどんな出来事が起ころうと

自分や周辺にどんな変化があろうと

季節は一定のパターンで巡るので、

時が誰にとっても等しく流れること、

それだけは確かだなと思える。

 

ここ1年の世の中の激変ぶりで

誰もが、多かれ少なかれ影響を受けている。

困難に見舞われている方々もいるし

波に乗って調子よく泳いでいる方もいよう。

私はといえば、特にそのどちらでもなく

淡々、粛々と、日々の要請に応える毎日。

 

 

 

しかし、確かに、悪いことばかりではない。

過去数年、流行りともなっていた

「ダイバーシティ」、多様性の尊重というのが、

コロナ禍での働き方や社会の変化、

オリパラの開催是非の議論なんかで、

ここのところ追い風を受けてる気がする。

古い価値観が見直されているのを感じるし

個性や自由な考え方というものが

受け入れられる流れができてきた気がする。

 

西洋占星術でいう「風の時代」が

スピ系の方々などを中心に広く周知され始め、

一般紙や経済誌などでさえ取り上げられているが

まさしく、今の時代のムードは

「風の時代」の始まりを実感させられる。

 

私は西洋占星術を長年かじっているので

ここ1,2年の社会や価値観の変化などは

星の運行的には当然の展開に思えたし、

あらためて数千年の歴史の蓄積をもつ

占星術の確かさに感服した。

 

 

ところで、占星術は、「占い」とは違うという。

「幸せ」になりたい、自分の将来が知りたい、

と案じてしまうのは人の常でもあり、

だから安心を得るための「占い」は

古今東西、廃れることがない。

 

しかし、星の影響力を知って、それを

どうやって自分の成長に結びつけるのか、

どう星の力の恩恵を活用するのか、が

占星術の本質なんだと思っている。

当たった、とか一喜一憂するものというより

もっと能動的な学びなんだと思う。

 

 

 

星は運行し、確実に時代を導いている。

時代はうねり、変容するが

1年という周期があり、季節は巡ってくる。

 

いろいろと困難に直面することがあっても

目の前の事象に囚われすぎず、

長い目でみて、新たに再建する心持ちで、

今まで受け入れられてこなかった

考え方、表現、視点を見直すのに

そろそろ良い頃合いなのかもしれない。

 

そう思う、この頃なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京のユルい英国人

再度の緊急事態宣言が出たが

どうやら、人々はすっかり

コロナ慣れ、またはコロナ疲れし、

緊張感はあまり感じられない。

 

東京においては秋頃から

外食する人が急増したと思う。

我慢をしてきた多くの人たちが

ほぼ同時に臨界点に達したと思われる。

 

私も友人と何度かランチに出た。

ただ、夜は、夫以外の人と外食したことはないし、

人数は、職場の人と4名でランチしたのが最大。

ちょっとドキドキしたので、やはり気が弱い。

でも、私の周辺の人にきくと、やはり、

4人位まで、ランチ中心、が多いようだった。

 

が、私の上司(40代前半・英国男性)は違う。

12月半ばの金曜日の夕方、

自分ちでホームパーティを開いたのである。

招待者は彼の直属の部下である、

私を含めた8名。時間は5時から9時。

「ご家族の皆さんもどうぞ」と

招待メールにあった。

 

 

かなり驚いた。

一応、社長なんだし、それってどうよ。

おそらく普段から大勢で飲み食いしており

疑問すらないに違いない。

 

5人の友人・知人に意見を聞いたら

それは非常識だ、と誰もがいうので、

それが今の東京人の平均的感覚かと。

 

しかも、タチの悪いことに、この英国人上司、

会合の趣旨をはっきり言わない。

(ああ、なんて英国的)

定期的にこのメンバーで行っている、

ミーティング名を出し、

ワインやミンスパイも出すよ、という体であった。

 

が、ミーティング名を出すからには、

ちょっとは今年の総括的なこともやるんだろか、

そして、第二部がパーティなのだろうかと

日本的な発想をした私。

さらに、上司の誘いを断ると評価に関わるかと

しぶしぶと、出席することにし

彼のお子さま3名の土産なども買った。

 

Expatである彼の家はとても広いと聞いてたので

皆がかなり離れて座れるような状況かもしれない

などとも予想していた。

 

 

さて、当日の午後、当上司からチャットが入り

今日来れるの?と聞いてきた。

はあ、お伺いいたします、でも、

招待メールにあったように

5時から9時までは残念ながら滞在できません、

と丁重に答えたところ、笑われた。

 

立ち寄ってもらえればOK、と。

つまり、会議の要素なんかはゼロで、

ただの懇親会であった。

(本当に英国人ってわかりづらい。

日本人なら招待時に趣旨を明確にすると思う)

そして、なおさら、この時勢において

ただのパーティを8人&妻と3名の子供、

さらに「ご家族の皆さんもどうぞ」でやるのか⁈

と、ますますその見識に不信感をもつ。

 

ただでさえ非社交的な私としては

いっそう憂鬱になったが

であるならば行きません、など

言えるほど気が強くなく、

牛歩のペースで、シブシブと

「開始時間」より2時間遅れで

上司の家まで行ってきた。

 

 

で、遅れて参加したところ

7名がダイニングテーブルにくっついて座り

フツーに会食、酒も入って

大声で盛り上がっていた。

「ご家族の皆さん」は子供1名のみだったが

総勢大人7名、子供4名。

思ったほど広くはない部屋で

大人は飲み食べ、子供は転げまわっていた。

 

今年の4月以来、このような人数や状況での

飲食をすることが全くなかったため

まるで夢の中の1シーンのような

シュールな状況であった。

 

若く健康で、体温も高いのだろう、

暖房が効いた部屋ではあるが、

皆がウールのセーターを着ている中、

上司は半袖Tシャツ、その妻はノースリーブ。

体力もありあまり、経済的にも豊かなんだろう。

 

また、その場にいた他の日英両国の同僚も

全くこの状況を意に介していないように見えた。

内心、私のように気にしていた人もいたのか。

この後用事がありますので(もちろんウソ)、と

30分ほど滞在して、私は上司宅を後にした。

 

 

 

 

しかし、思ったのは、

やはりこの英国人のユルさが

かの国での感染状況に反映されているのでは。

 

しかも、この上司も、あの場にいた同僚も

教養も知的レベルもまあまあ高いはずで

あの人たちでさえそうなんだから

世間にはもっと色んな人がいるわけで

そりゃあ感染も広まるわな!と

妙に納得した。

 

あれから1か月ほど経ったが

幸運なことに誰も感染などしなかったようで

社長宅でクラスター発生!とはならず。

ますます増長しているかもしれない。

 

この緊急事態宣言、

1か月では終わらないと予想している。

 

 

 

100年に1度の国内旅行

2020年の8月に京都と直島に行ってきた。

年号を記しておこうと思わせる

記憶に残るパンデミックの年の旅。

 

9月のシルバーウィークには

旅行者の数も増えたというし

今月からの政府主導キャンペーンにより

東京ピープルも随分旅行に出てるらしい。

 

しかし、我々夫婦が出かけた8月は

まだまだ慎重な人々が多かったため

あの京都も、直島もガラガラで

今思えば、一番良い時に行ったのではと

ひそかにほくそ笑んでいる。

 

だって、あの龍安寺がこんな感じ。

 

 

 

 

言わずもがな、京都を代表する寺の一つとして

普段は、観光に訪れる人でぎっしりらしい。

 

人混みや行列がたいへん苦手な私は

たぶん今生においては、

龍安寺を訪れることはあるまいと思っていたが

人生何があるかわからないものです。

100年に1回のパンデミックにあたり

普段なら人でごった返す、かの禅寺において

静かな時を過ごすという僥倖を得た。

 

 

 

 

というわけで、パリ在住30年の別居婚の夫と

人生ほとんどを東京に暮らす私は

ここぞとばかり、京都のザ・観光客として

数十年前の修学旅行をさらう場所を訪ね、

おそらく2度と経験しえないであろう

人のいない京都を満喫させていただいた。

 

 

 

 

5月のGWの時と比べれば、8月は人がまだ戻っていると

清水寺の拝観料チケット売り場のお兄さんは仰ってた。

それでも異様なまでに人が少なかったが。。。

 

そして、直島。

 

 

 

ベネッセがアートの島として開いた数十年前より

行ってみたいと願いつつ実行に至らなかったが

やっと、このたび実現したのも

不幸なパンデミックの中の幸い。

国内に目が向いて、旅が実行できたのは

この状況が後押しとなったわけだ。

 

直島は、私にとっては好きなものが揃った

素晴らしい場所であった。

数か月の在宅勤務や移動制限の時を経て

解放感を与えてくれた。

 

島は、日常からの隔離。

瀬戸内海は、穏やかで、心安まる感があった

 

 

 

ビーチ、海風、太陽

これらがもたらす解放感は

私にとっては、何ものにも代えがたい

 

 

 

島と一体化したアート。

写真に収めることが許されなかったが

美術館やアートプロジェクトは素晴らしかった。

また、地方活性というのは、こういうことなんだろうと実感。

 

 

 

そして、もちろん海辺での酒

 

 

(夫はこんな海沿いでもネット中毒の図↑)

 

結果的には満喫した旅ではあったが

決める前は、行ってよいのか葛藤もあった。

地方によっては、東京から来る人に会ってはならぬというご時世。

それってどうよ、という議論はさておき

受け入れがたい人や事情などもあるらしいので

そこは配慮するべきなのだろう。

 

また、離島に万が一ウィルスを持ち込んだら、と思うと

やはり、島はやめておいた方がいいのか、とも迷った。

 

でも、経済的な観点からみれば

現地では観光客が増えた方がいいのは当然。

我々夫婦は、日本の経済循環を回さねばならぬ、

と、本当に心からそう信じているし、

三密な状況はずっと避けて、気を付けてたし

行こうではないか!ということになった。

 

 

 

 

私は、やはり、なんやかんやいっても

気をつけねば、という気持ちが強く、

なるべく現地の方とは近距離では話さないように

また、その必要がある場合でも

マスクをしていても

無意識に手が出て、口元を覆って話していた。

 

一方、外向的な夫は

お店でも、タクシーの中でも

気にせずに現地の方々に話しをしており

性格的に、全く私と真逆である。

通常なら気にしないがハラハラした。

 

でも、直島のとある施設の中で、

現地の案内の方が「どちらから?」と

私たち二人に聞いてきたときに、

「僕は新潟、彼女は東京!」

と言った夫には、一瞬にして

驚愕と不信と怒りが渦巻き、


「おまえは、生まれは新潟だが、

感染者が東京より二桁多いパリからだろうが!」

と叫んで、必殺流星キックをいれたかったが、

ぐっと堪え、そっとその場を離れ

その案内の方から距離を置くに留めた。。。

 

 

 

 

現地より戻って以来、1か月以上が経つが

直島に感染者が発生したという話しはないので

パリからも、東京からも、私たちは

ウィルスは持ち込まなかったと安堵した。

 

素晴らしい旅の時間を過ごさせていただき

本当に感謝している。

純粋に悪気のない夫に対しては、

冷静に対応しようと思っている。