ハイジの退屈日記 パリ・東京 -2ページ目

子供の頃の夢の職業は現実となる

いわゆる「定年」まで

あと1,2年という会社員生活において

来し方行く末に思いを馳せるこの頃。

そして、ふと気がついてみたら

子供の頃に憧れた職業は

ある意味において、ではあるが

すべて経験していた。

 

その職業とは

ファッションデザイナー、

女優、

雑誌編集者。

 

 

小学校低学年の頃

ファッションデザイナーになりたかったのは

母が定期購読していた雑誌「ミセス」で

自分や周りの人々の恰好に比べると

各段に華やかで、美しい装いの人々に

心ときめき、惹かれたからだろう。

 

お絵描き帳に、毎晩のように

様々な洋服の案を描き連ねた。

家族旅行などに行く先にも

その帳面をもって描いていて

アイディアは尽きることがなかった。

 

その後の自分の仕事人生において

服飾業界にいたわけではないのに

女性服のデザイナーの男と結婚したのは

やはり何かの縁なのかもしれない。

そして、一般消費者目線で

こういう服があったらいい、

もっと襟ぐりをこうしたらいい、

などと、たまに、意見を述べたりして

子供の頃の夢がほんの少しだけ、叶っている。

 


 

小学校6年生のころ女優に憧れたのは

その時はもちろん自覚がなかったが

明らかに現実逃避の傾向で

自分ではない、別のものになり

そして存在を認められたかったんだろう。

 

テレビや映画で多種多様な役柄を演じて

スポットライトを浴びることに憧れた。

が、芸能界を目指すようなこもとなく

ただの幼い承認欲求の表れだったんだろう。

思えば、ちょっと哀しい動機だが。

 


 

 

で、そんな夢を抱いた子供であった私は

その後の職業人生でずっと「女優」であった。

仕事では、誰もが、多少なりとも

求められる役割を演じるものだが

私は、いくつかの異なる仕事の職場において

常に「地とは程遠いキャラ」を演じていたと思う。

 

特に

いわゆるラグジュアリー業界に身をおいてた頃

東京のトレンドをつくる人々と交流し

イベントやらパーティやらで夜な夜な

高級レストランやらバーやらでシャンパンを飲み

パリ、ロンドン、NYなど海外出張もあり

一見、華やかな業界の片隅で、気張っていた。

今振り返ると、あの頃が「女優人生」のピークか。

 

なぜなら、私は人十倍、人見知り。

性格的に地味、気弱、超内向的、神経質。

よく知らない人との交流は苦痛でしかない。

パーティなんて、もちろん大嫌い。

昔も今も、最も自分が快適なのは

一人きりで、黙って、家にいるとき。

 

そんな性格なのに、よく理解してないまま

そんな仕事で、そんな世界に入ってしまった。

真面目で責任感だけは強いので

疲弊と違和感を抱き続けたのにも関わらず

女優として演じきってしまった。

そして、時が来て、足を洗った。

 

 

 

 

雑誌編集者に憧れたのは

中学1,2年生の時に愛読していた

「音楽専科」という音楽(ロック)雑誌ゆえ。

詳細はあまり覚えていないのだけど

記事の切り口が面白く、読むのが楽しく

自分が好きなことを仕事にして

こんな風に書けたら楽しそう、と心躍らせた。

 

その後、就職する年齢になったころには

そんな夢はすっかり忘れられていたのだが

今振り返れば、私の職業人生を通じての仕事は

次元・規模・手段は異なるものの

企画して、言葉やイメージを工夫して伝える、

という点で一貫している、といってもよい。

 

ここ1,2年、現在の会社員生活において

デスクワークの編集の仕事が中心となってきて

憧れた音楽雑誌の編集とは全く異なるが

ちょっとだけ、仕事の質は似ている。

リモートワークで人との交流も減り

ようやく、自分の性質や得意分野に近く

しっくりするところに落ち着いたと思える。

 

 

子供の頃から、憧れの職業に向けて

緻密に計画して、懸命に努力し

それを実現する人もいるだろう。

 

でも、そうでない人であっても

子供の頃に抱いた憧れは

無自覚でも、なんらかの形で実現するのかも。

願望は忘れ去ったようでも意識下に残っていて
人生のいくつかの局面で

自分が行う選択や決断を通して

叶えられていく場合があるのだろう。
 

想像したり思いついたりすることは

実現可能なこと、と言うではないか。

 

「第二の人生」に向かう今、

自分が何を望んでいるのか、いたのか

心の声を聴いて、もう少し意識してみよう。

子供の頃とは違って

残された時間には限りがあるので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

島リゾートの罠

8月にタイ、サメット島に行った。

やはりコロナ前と比べると

夏休み時期にしては人はまだ少ない。

 

かの島は、野性味が残る素朴なリゾート。

海がエメラルド色に輝く。水の透明感が抜群。

白砂のロングビーチ、潮風での散歩は最高。


 

私たち夫婦は何度もリピしており、

今回もお気に入りのバンガローに泊まった。

 

しかし、この一見、素敵なリゾート環境にも

やはり素朴な島であるゆえ、

落とし穴というものがあるのだね。

今回、二つの現実を知った。

 

ひとつはダニ。

 

裏は山、前は海、木造のバンガロー、

以前の滞在からダニが出ることは知ってたので

ただでさえ湿気が高い雨季である今回

「ダニアース」やらを持参していたのだが

効果はあまりなく

まさか、という程にやられた。

 

悔しまぎれに数えてみたが

刺された数、58か所。

なお、これは右脚のみ。

さらに左脚56か所、右腕19、左腕16

背中は数えにくかったので諦めたが、

全身で160か所を越えてたのは間違いない。

 

夫も同様で、二人で常に身体中を掻きむしり

「ムヒ」を奪い合うように、1本使い切った。

もっとも、ダニ温床はこの宿だけでなく

毎日通っていたマッサージ屋もかなり怪しい。

ダニ刺されというのは後になってから出現するので

いつ、どこで刺されたかを特定するのは難しい。

ダニよけスプレー等も効果なし。

 

 

 

 

こんなジモティー系バンガローでクレームしても

何の解決もしないことは自明だったので、

限られた条件での対策をネットで探す。

ダニは60度以上で死ぬらしい。

まず、ヘアドライヤーをオンにして、

夫に「これ60度くらいあるかなあ?」と

熱風を吹きかけたら、怒られた。

 

夫は、あぢぃ!とは言っていたが、

ドライヤーは心もとないと即判断し、

レセプションからアイロンを借りてきて、

ベッドのシーツを剥がしてマットレス

およびシーツの上にも

高温でベッドにアイロンをかけたところ、

かなり改善し翌朝のダニ刺され数が激減した。

 

それから、毎晩、

夕食をおえてバンガローに戻ると、

冷房で部屋を冷やし、アイロンを高温にし

バッハのピアノソナタなどをBGMに流しつつ

「死滅せよ、ダニ」と心の中で唱えながら

ベッドにアイロンを隅々までかけた。

 

 

もう一つ、今回あらためて確認した現実。

「西洋人も、海の中で用を足している」。

 

私は子供のころ、海水浴に際して

「小」ならば海の中でしてよいと親から学んだ。

果たして、それが正しい教えなのかはわからんが

以来、皆がそうするものだと信じていた。

それを、その昔、ドイツ人の友人に話したら

そんな話しは聞いたことがないと、

ものすごく驚かれて、軽蔑された。

 

え、そうだったんだ、と素直に反省し

それ以降、海水浴においては

ちゃんと「陸のトイレ」に行っていた。

 

が、今回のサメット島の美しい紺碧の海、

白砂のこじんまりとした静かなビーチにて

毎日のように午前中から夕方まで、

数組の西洋人家族たちと、なんとなく一緒に

海辺で一日を過ごしていたことにより

彼らは「陸のトイレ」に行ってないと確信した。

 

 

 

 

最初、そのビーチに2件ある「バー」というか

「海の家」に、トイレの場所を聞いたら

ビーチ裏手にある、かつての事件現場のような

陰惨な雰囲気のバンガローに案内され

そこのトイレで用を足すことになったのだが、

ふと、あの西洋人たちはどうしているのかと

気になって、なんとなく観察するに至った。

 

ずっと目を離さなかったわけではないものの、

彼らが裏手のトイレにいく様子はない。

しかし、読書したりカードゲームしたりして、

日光浴をビーチで楽しんでは、たまに

海に入って泳ぐので、やはり間違いないとみた。

 

たった数組の観察に過ぎないので

これで西洋人が皆、海おしっこするとは言えず

彼らが少数派なのか、どうなのかもわからない。

「小」だけか、「大」もか、もわからない。

直接聞いてみる機会があるとは思えないので

真実はたぶん今後もずっと解明されないだろう。

 

 

 

素敵なバンガローのベッドに潜むダニといい

美しい海の中に一日中放出される尿といい

素朴な島のビーチリゾートには罠がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

プラタモナス、ギリシャの素朴リゾート

去年2021年の9月、コロナの最中にパリにいった時

実は、急遽パリからギリシャに行った。

初めてのギリシャ。5泊ほど。

プラタモナス、という聞いたこともなかった所。

そもそも最初から行き先がよくわかっておらず。

 

 

東京からパリに行くことを急遽決めた時

ギリシャに行くなど考えてもなかったのだが

夫ペーター(在仏30余年日本人)はそんなつもりだったらしい。

私がパリに着いたとたん、「どこか」南のリゾートに行こうよ!と

数日後に出発できる、パッケージツアーを探すことになった。

 

すでに欧州では初秋の9月だったので

「夏」のリゾートが楽しめるところとして、

ギリシャに絞って探すが、さすがにラストミニットでは

それほど選択肢は残ってない。

お互いに譲れない条件、予算やら日程やら、

頭が煮え煮えになるほど、調べて決めた。

 

 

 

が、私も夫も、あらゆる比較検討の末、

もはや何がなんだか訳がわからなくなっており

ビーチが近くにあることだけは、わかってたが

行き先の詳細をちゃんと理解しておらず。

テサロニケ空港に着いたあと、

どこに行くのかよくわかっていない。

夫にいたっては、パリの空港を飛び立った後も、

自分がアテネに向かっていると思っていた。

 

 

 

空港ではスマホに居場所追跡アプリをいれて、

ワクチン2回接種と陰性証明書を見せて無事ギリシャ入国。

そして、夜遅く、パッケージツアーのアレンジで、

空港から車に乗せられてホテルに向けて出発。

まるでミステリーツアーのようだった。

 

到着したのは幹線道路沿いの中級ホテル。

外したーー、と絶望的な気分になったのだが

あてがわれた部屋は道路の反対側で海を臨む部屋。

なぜかアップグレードしてくれて、広くて快適。

高台にあったホテルの部屋のバルコニーからの眺望↓

 

 

 

滞在したホテルの周りには、何もない。

車で国道を走るしかない風情である。

あとでわかったのだが、

オリンパス山から遠くないところで

山麓に立地するそうだ。

 

13世紀の城壁というのが近くにあり、そこが観光的見所。

 

 

 

 

ホテルのレセプションのお姉さんに聞いたら、

「村」に行きたければ徒歩20分ということであった。

 

その村、プラタモナスが、

まさに私たちの好みの海辺リゾートだった!

まず、完全にジモティー系。

 

 

 

ビーチも海もそこそこ綺麗。

オリンパス山(たぶん)がはるかに望める。

 

 

 

こじんまりとした村で、海辺の遊歩道を

のんびりと散歩できる。

 

 

 

海辺にあった味のあるカフェ

 

 

 

いくつか小さいホテルもあったから、

7-8月は人も多いのかもしれない。

まあ、外国人がわざわざリゾート滞在しに来るところではなさそう。

 

 

 

でも、このジモティー感が、いわゆる「海外のビーチリゾート」で見つかると楽しい。

そう思っているからか、やはり、

こういうところに導かれてしまうのかも。

 

 

 

というわけで、毎日、といっても4日くらい、

高台のホテルから、山をてくてくと下り

この「村」に通った。

 

毎日、昼から夕方まで、ビーチで過ごす。

 

 

 

こちら↓のお店に毎日お世話になった。

 

 

 

ランチはビーチ(砂の上)のテーブルで。

食器類がギリシャっぽい。

よく知らないが。

 

 

 

クスクスのシーフードサラダ、たしか8ユーロ。

有名なギリシャのリゾート地に行ってたら

あり得ない価格設定で、すごく美味しかった!

 

 

 

週末は、ジモティーが普通にランチに来ているような、気取らない店。

 

 

 

ど定番のイワシ↓も美味かった。

南の素朴なワインに合います。

 

 

 

すでに9月で秋が近づいていたからか、

もともとそういう土地なのか、

私のカメラ力では伝えきれないが、

本当に空気が澄んでいて

空がどこまでも抜けるような、透明感があった。

 

 

 

初ギリシャにして、

古代文明巡り、有名なエーゲ海リゾートでもなかったが

偶然にも、素敵なところに出会えて感謝。

十分に満喫したバカンスだった。