ハイジの退屈日記 パリ・東京 -4ページ目

コロナ時代の落とし所

日本でも大騒ぎが続いている新型コロナ、

ここ最近はようやく、

「仕方ないムード」に収束してきた気がする。

 

感染阻止に特に打つ手もないまま

旅行促進キャンペーンとかやっているし

PCR検査が増えない状況も諦めてきたし

いい加減、皆が自粛生活に飽き飽きしてるし

何もしようがない、という飽和状態。

最近はそこそこ東京の町も賑わっている。

人が動けば感染者も増えるのは道理だが

経済活動も活性化させねばならず、

収まるところに収まりつつある、

そんな感じ。

それでいいのだ、と私は思う。

 

 

 

一番したいことは旅行、という人が

日本で最も多いらしい。

もちろん、私もその一人。

夫ペーター(日本人)が海外在住でもあり、

年に何回も海外に行くのが当然だったので

今の移動が制限されている状況は

たいへん息苦しい。

 

夫が住むフランスは、最近は

一般の日本人の入国も受け入れているので

行こうと思えば行けるのだが


雇われサラリーマンである私は

日本政府の方針に従うという雇用者の考え、

海外渡航はNG、に従うしかない。

 

 

 

というわけで、先月

日本国籍で日本入国OKの夫がやってきた。

入国時にPCR検査を行い、無事、陰性。

それでも公共交通機関は使えない決まり。

これってちょっと変じゃないですか?

陰性だか陽性だかわからない人が

うじゃうじゃいる電車などに、

つい先程「陰性」が証明された人は利用不可。

 

まあ「偽陰性」の可能性はあるが、

その確率はものすごく低い。

念には念をいれることに異議ないが

であれば一般の検査体制も拡充しないと

全く矛盾しているといえよう。

羽田から東京23区内にある我が家まで

1.5万円の入国者専用ハイヤーサービスを使い

経済にちびっと貢献できたと思えばよいか。

 

 

 

リモートワークが5か月も続き

この5か月で電車に乗ってでかけたのは

せいぜい、たぶん5,6回?

でもイケイケGOGOの夫がやってきて

先月はその何倍も色々な場を出歩いた。

 

いわゆる「密」な所は避けたし、

あれから2週間たつが、

私たちの行った場所などで

クラスター感染が起こったとは聞かないので

問題なかったと思える。

 

どんな場所に出入りするかが

感染の可能性に関わるのだろう。

そこに気を付ければ、

さらに、手洗い等に気を付ければ

それ程の大問題になるまい。

少なくとも今の日本においては。

 

県、または地域によっては

東京から来た人と会ったら出勤停止

などの措置をとっているところもある。

神奈川は?大阪は?など突っ込み所満載だが、

各団体ともそれで治める方針なら仕方ない。

 

とはいえ、このままいくと

経済が一番の心配である。

ちょっと過剰反応が過ぎやしませんか?

もう少し柔軟に対応してもよいのでは?

というのが私の考えです。

 

 

 

というわけで、私たち夫婦は

色々と迷い検討した結果、

国内旅行を敢行した。

京都と直島。

素晴らしい旅となった。

この話しはまた次回。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

在宅勤務で得るもの失うもの

リモートワークを始めて4か月ほどが過ぎた。

私の会社勤め仕事での話しをすると

あまりにも快適すぎてヤバい。

 

東京の電車通勤があるないでは全く疲れが違う。

また、通勤なしで得られるプラス3時間のお陰で

1日に直接仕事に費やせる時間が増え

週末2日は休めるようになった。

だが、それよりも何よりも、

仕事において人に会わないことが

これ程までに心の平安をもたらすのかと実感。

 

 

 

 

もちろん、ビデオ会議はしょっちゅうあり

人と話さないわけでは全くない。

逆に話す頻度・濃度が上がった相手もいる。

 

仕事のやり方が大きく見直されている今、

効率においても、人とのつながりにおいても

デジタル化さえ実現できれば、

在宅で全く問題ないということがわかった。

(当然、業種・職種による。あくまで私の場合)

 

多様性を認めようという昨今においては

これは、向かうべくして向かう方向であり

まさしく価値観の大転換期として

歓迎すべきあり方ではないだろうか!

 

などと、エラそうに言ってみるが

要するに、今後も、ずっと、

人と直接会うことなしに

なんとか仕事ができないか、と

それだけです。

 

 

 

 

かつては当たり前であった、

毎日、仕事で人に会うということが

かなりのストレスになっていたと

今更ながら、しみじみとわかる。

一つには、コミュニケーションというものは

言葉によるものが少ないからだろう。

バーバル10%、ノン・バーバル90%というが

おそらく本当にそうなんだろう。

 

人とまみえて話している時には、

相手の顔や表情から

言葉以上に多くの情報を拾う。

そして、私のように内向的で

メンタルに軽く問題ある人は、

相手の表情から

ネガティブなものばかり拾う。

今この人は私を批判している、

呆れている、不満である、など。

どれも本当なのかはさておき。

 

ビデオ会議においては

たとえ相手がビデオオンにしていても

あえてスクリーンを見ないようにする。

ビデオ画面を書類とかで隠す。

こっちもビデオをオフにしているから

完全に声だけのやり取りになるが、

なんと気持ちが楽になることか。

 

 

 

 

相手の顔が見えた方が

ノン・バーバル情報が補足されて

コミュニケーションとしては完全となろう。

相手の表情から色々な情報をつかめば

自分の役に立てることもできるはず。

また、相手の表情をあえて見ないことで

逆に判断を間違うこともあるはずだ。

 

が、私はそのリスクを冒してでも

気持ちが楽になる方を選ぶ。

それで何かを「見誤る」としても

別にいいや、と開き直っている。

それより、その場かぎりでも

自分の心の平安をとる。

 

もちろん、相手の希望には従う。

相手がビデオオンにして、と言ってきたり

初対面の人とのミーティングであれば

さすがに仕事だし、オンにするが、

ビデオオンにした方がいいですか?と聞き

どっちでも、という相手のお答えであれば、

イソイソとオフにさせていただく。

 

まあ、こんな図太さがあるのなら、

そもそも別の対処法もあるのかもしれないが。

 

 

 

 

しかし、リモートワークも4か月となり

最近、新たな風潮が出てきていている。

健全で成熟した心をもつ同僚の方々が

やはり人と会うって素晴らしいことだ!

早く会いたいわよね!

みたいな感じで、会議前後に

あえて皆でビデオをオンにして

1,2分ではあるが、

和やかに談笑するような傾向。

 

ああ、やはり、

自分に都合がよいことは

長くは続かないのものか。

私はマイノリティなのだろう。

 

多様性は最も大切な価値観です、とか

うちの会社もさんざん言ってはいますが、

やはり、ビデオ越しにさえ

同僚の顔を見たくないと思っている

私みたいな従業員(そして一応管理職!)は

なんやかんやいっても

カミングアウトしたら

問題になるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エジプトにて感じた愛

年末年始に行ったエジプト旅行を振り返る。

次にまた旅行に出られるのはいつの日か。

旅の記憶に思いを馳せて現実逃避。。。

 

 

 

エジプトに行ったのは初めて。

いわゆる「ナイル川クルーズ」団体ツアー。

エキゾチックな観光地で初めての旅をする

20年前の私は単独バックパッカーであったが、

時は流れ、チャレンジ精神は後退し、

効率と確実性を求める大人になってしまった。

今や、リュックをしょって一人、

事前プランもなく外国を歩く気力はない。

当時と比べると時間の価値がより高いしな。

 

 

 

 

ツアーはルクソールからアスワンまで

ナイル川を船で宿泊しながら下り

神殿や墓群などをハイライトとして見学、

船上では日光浴も楽しめる、というもの。

この二つのコンビネーションは素晴らしかった。

異文化観光とのんびり日光浴。

これが両立するエジプトのクルーズ旅、良い。

 

そして、フランス旅行会社のツアーだからか、

3食ついている料理がどれも美味。

エジプトの土着な料理かはさておき、

それっぽくはあったし、

食には厳しいフランス人達も大満足。

 

時は12月末だったわけだが、

一日に春夏秋冬がくるような気候で

冬がエジプトの観光ベストシーズンであろう。

 

 

 

 

さて、肝心の初のエジプト文明体験だが、

ありきたりの表現しかできないが、

神殿など遺跡群はまさに規格外だった。

アブシンベル神殿や王家の谷の規模においては

現実とは思えないスケール。まさにシューリアル。

 

つまらない例えしかできないのが情けないが、

まるで博物館で「大エジプト展」をみるような、

ホントですか、これ?というような現実感の欠如。

それだけ、目の前にあるものは

信じられないほど巨大で、しかも完璧だった。

 

 

 

一観光客の感想としては、

エジプトの神殿や墓の圧倒的な存在感は

数千年の重みゆえに哲学的、というのかな?

時の流れや人間とは、などと考えさせられる。

 

が、残念ながら教養がないもんで、

全て、「これが約3000年前の出来事だ」

という、かなり単純かつ乱暴な基準による。

あの昔これ程レベルの高い文明があった!

みたいな。

 

3000年前に、こんなもの作った為政者とは!

 

 

 

3000年前に、こんなコミュニケーションがあったのか!

 

 

 

3000年前に、こんな緻密な絵を描いていたとは!

 

 

 

ちなみに、3000年前、というのも平均、というか、

個別にみれば、全く正確ではないのだけどね。

こんな知識も感性も大雑把な私だが、

王家の谷の墓は特に感激した。

 

 

 

 

死を見据えるということは、よりよく生きるということ、

とはよく言われることだが、

この気の遠くなるような数千年も前の時代に、

エジプトの(王家の)人たちは、それを悟って、

死の準備をして生きていたわけだ。

人というのは、死や孤独を畏れ、

罪深さも、尊さもあわせもちながら、

その何十年ぽっちかの人生を

懸命に生きていくものなんだな、と

 

 

 

 

この文明の発展に恩恵をもたらしたという

ナイル川を船で移動しながら、

そんなことを思ってみたりした。

 

 

 

 

懸命に生きていく、といえば、

大型のクルーズ船に手漕ぎボートで近付き

絨毯やらを販売する商売人たち。

金や物を上と下でやりとりする仕組みあり。

大声でシャウトし、必死の形相であった。

これはもちろんクルーズ船と合意の上。

「水上マーケット」と紹介されていて、

東南アジアのそれと、あまりにも趣きが違うので

ちょっと笑った。

 

 

 

 

古代エジプト文明のスポットを訪れつつ、

一応、現代のエジプトの町にも繰り出した。

 

 

 

 

私たちが見たのはルクソールとアスワンのほんの一部で

何をも語れるレベルではないが、

やっぱり素朴で質素だなーという印象。

 

 

 

 

イスラム教徒が9割の国だそうだから、

質素なのは、宗教的な理由もあるかもしれない。

エジプトはアフリカでは政治的に大国だろうが

所得水準は低いらしいし、経済的には発展途上国だろう。

 

 

 

 

でもスーク(市場)は物も溢れて活気があった。

 

 

 

 

あと、人懐っこいというのかな、特に子供たち。

外人である私たちに、奇麗な大きな目で、

ハローと挨拶してくれる子に何人も会った。

 

 

 

 

あの、超ド級しつこい物売り、というのも、

そういう「人懐こさ」と関係なくないかもしれない。

 

 

 

 

あの栄華の古代文明時代の名残りと

現代の素朴な町とは随分ギャップがあるが

いずれも、その時々の人間の営みを映していて

なんというか、永遠に変わらないであろう

人間のサガに愛を感じてしまった。

 

そして、人間は過去何世紀もの間、

パンデミックの時代をいくつも乗り越えて

新しい常識と折り合いをつけながらも

それぞれがそれぞれの幸せを求めて

懸命に生きてきたんだろう、と思う。

 

 

 

うちの夫も、いつも、相変わらず

愛すべきおちゃらけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平静を保つ

全くの未曾有の事態となってしまっております。

 

最近よくメディアで取り上げられるのは

今の東京は3週間前のニューヨークやパリだ、

緊張感をもて、出歩くな、という当地在住の方々のメッセージ。

 

そうかもしれない。

日本医師会も、

日本は医療体制崩壊ギリギリと言ってますし。

 

パリ在住30年超えの日本人、夫ペーターは

アメリカ人やフランス人と日本人は

生活習慣もメンタリティも違うので

今の東京が3週間前のパリやNYと同じとは

言い切れないだろう、という意見。

 

どの意見が正しいのかはわからないが、

一つ言えるのは、冷静にならねばならぬ、ということ。

 

やはり多くの人が一種の異常なメンタリティにいるのだと思う。

 

スーパーマーケットで買ってきた物を

どのように消毒するか、というアメリカの動画が

日本語の字幕もついて随分視聴されているようだ。

 

夫によると、パリは本当に異常な状況で、

閑散とした街の中、

朝になると郵便局の前やキオスクの前に

ずらっと間隔を空けて並ぶ人々が異様で、

社会の底辺を見るようで、気が滅入る、と。

 

さらにメディアでは先行き不安になるばかりのニュース。

日本では政治のリーダーシップに不信感が増すばかり。

経済的な心配というのは、健康の心配と同等だ。

いろいろな人が様々な意見を言い募る。

この状況では人が無意識にメンタルをやられる。

 

ここは、やはり、日常のルーティンを作り、

目の前の、自分のやるべきことを一日一日行う。

パニックにならないように平静を保つのが大切なのでは。

 

医療従事者の方々の尽力には頭が下がるばかりだ。

皆が避けている事象に日々向き合って取り組んでいる、

目の前の患者、感染拡大のニュース。

そのストレスはいかがばかりだろう。

病院でのボランティア募集などが今後あれば

手すりの消毒、とかならできるかもしれないので

ぜひ何か協力したいくらいだ。

 

パリ在住の夫とは3月に会う予定がフイになった。

今度いつ会えるのかと思うと、

悲しく不安な気持ちになるが、

彼の、「僕たちより大変な人はたくさんいる」

という言葉に、少し夫を誇らしく思ったりする。

 

 

 

 

 

誕生日とシャンパンと仕事の記憶

昨日は、55度目の誕生日であった。

ここ十年くらいだろうか、いやもっと前からか、

誕生日に特別な過ごし方をすることがなくなった。

夫(パリ在住30年日本人)は仕事でこの時期忙しく、

私も同様なので、この日に会うことはない。

 

誕生日会を開くことも、友人と会うこともなく、

普段と変わらぬ日を過ごす。

家族や何人かの友人が必ずメールをくれるのは嬉しい。

 

したがって、昨日は土曜日であったが、

いつもの土曜と同じように朝から家で仕事した。

が、一応、誕生日であるこの日、

滅多にない自分へのご褒美に

何年も前にいただいた高級シャンパン、

ヴーヴ・クリコのプレステージ・キュヴェ「ラ・グランダム1995」を

(シャンパーニュのグレート・ヴィンテージ!)

一人で開けてやろう、と心に決めていた。

 

自分の毎日の仕事っぷりに対して、

1年に1回のことだし、

ちょっと労ってやってもいいか、と思った次第。

 

 

 

 

平日は毎時間、心拍数あがるほど緊張の連続、

仕事を片付けるより増える方がずっと早く、

次から次へと新たな課題が生まれ、

小さな脳みそにプレッシャーが与えられ続け、

あっという間の1日の仕事が終わると、

本当にヘトヘトで急激に眠気が来る。

 

先週のある日、

時間に追われつつ急いで書類をPCで作りながら、

PCの傍らに置かれたスマホに、

仕事メールがどんどん入るのを目の隅でチェック、

数ワードのタイトルを見て「イントロクイズ」のごとく

「これは!」というメールに一瞬で反応、

すかさずPCの画面をメールに戻して

電光石火の勢いでメールに返信、

メール送信後、また書類づくりに戻り、

なんてことを繰り返して過ごしていた時、

なんだか急に可笑しくなってきてしまって、

「私、すごくない⁈」と自分に呆れて笑ってしまった。

 

もちろん、「私がすごい」のではなく、

この状況が強烈である、という意味。

就いている仕事が自分の能力をかなり上回っており、

要領よくできていない、というのは大きい。

たとえば救急医療現場や金融ディーラーなどの仕事は

もっと本来の意味で時間との闘いで

仕事自体が緊張の連続なんだろうから、

私の場合は、あくまで主観です。

 

とはいえ、同僚もゆったり落ち着いて仕事をしている人は少ない。

同じチームの若者は、

「システムの壊れたファストフードのキッチンで働いている気分」

と表現した。

別の年配の同僚は、

「マヨネーズのプールを覚えたてのバタフライで泳いでいる気分」

と言っていた。

私もあえて例えてみれば、

「火山灰に全身まみれつつガレ場を登らねばと焦ってる気分」

 

つまり、やっぱり、私も含め、主観とはいえ、

みな大変な思いをしている仕事だ、とは言えそうだ。

 

 

(写真はパリの家にいる夫で、この話しとは関係ないです)

 

素晴らしいシャンパンの話の前置きが

あまりにも長すぎた。

 

そんなわけで、私は、当時の値段で1万8千円という

高級シャンパンを自分へのプレゼントとして

誕生日に一人で飲もう、と決めたわけだ。

 

シャンパンはまさに至福だった。

1995年のキュヴェだから25年経ったという計算になるが、

うちの低級ワインセラーの中でも素敵に熟成したらしく、

色がほんの少しだけ琥珀がかり、泡の勢いも悪くなかった。

とにかく香りがふくよかで、素晴らしかった。

ヴーヴ・クリコ特有の、あのミネラリーで酵母のような香り。

そして味わいも、フルーティなのにうっとりするほど豊か。

素晴らしく絶妙な、味わい深い余韻・・・。

よくワインのテイスティングでいう「余韻」というのは

こういうのを言うのか、と思った。

 

香りというものは記憶と結びついているので、

シャンパングラスから立ち上る香りで

あっという間に、15年から20年ほど前、

仕事でしょっちゅうシャンパンを飲んでいた時のことが蘇った。

 

あの頃は、超一流のレストランやホテルに出入りし、

ラグジュアリーで華やかな環境の中で

このような高級シャンパンを飲むことも結構あった。

あの当時の仕事も実にストレスフルな激務ではあったものの、

そんな贅沢な体験もさせてもらってたな、と

当時のいくつかのシーンが頭に浮かんだ。

 

シャンパンの香りで、その当時にしばし引き戻された。

今現在とはなんと違うことだろう。

ファストフードの壊れたキッチン、マヨネーズのプール、

などと例えられる今の環境とは(苦笑)。

 

でも、当時も間違いなくストレスフルだったのに

何年も経てば、良い記憶だけが残るのかもしれない。

それもシャンパンの香りの力かもしれないが。