ハイジの退屈日記 パリ・東京 -6ページ目

在宅勤務で得るもの失うもの

リモートワークを始めて4か月ほどが過ぎた。

私の会社勤め仕事での話しをすると

あまりにも快適すぎてヤバい。

 

東京の電車通勤があるないでは全く疲れが違う。

また、通勤なしで得られるプラス3時間のお陰で

1日に直接仕事に費やせる時間が増え

週末2日は休めるようになった。

だが、それよりも何よりも、

仕事において人に会わないことが

これ程までに心の平安をもたらすのかと実感。

 

 

 

 

もちろん、ビデオ会議はしょっちゅうあり

人と話さないわけでは全くない。

逆に話す頻度・濃度が上がった相手もいる。

 

仕事のやり方が大きく見直されている今、

効率においても、人とのつながりにおいても

デジタル化さえ実現できれば、

在宅で全く問題ないということがわかった。

(当然、業種・職種による。あくまで私の場合)

 

多様性を認めようという昨今においては

これは、向かうべくして向かう方向であり

まさしく価値観の大転換期として

歓迎すべきあり方ではないだろうか!

 

などと、エラそうに言ってみるが

要するに、今後も、ずっと、

人と直接会うことなしに

なんとか仕事ができないか、と

それだけです。

 

 

 

 

かつては当たり前であった、

毎日、仕事で人に会うということが

かなりのストレスになっていたと

今更ながら、しみじみとわかる。

一つには、コミュニケーションというものは

言葉によるものが少ないからだろう。

バーバル10%、ノン・バーバル90%というが

おそらく本当にそうなんだろう。

 

人とまみえて話している時には、

相手の顔や表情から

言葉以上に多くの情報を拾う。

そして、私のように内向的で

メンタルに軽く問題ある人は、

相手の表情から

ネガティブなものばかり拾う。

今この人は私を批判している、

呆れている、不満である、など。

どれも本当なのかはさておき。

 

ビデオ会議においては

たとえ相手がビデオオンにしていても

あえてスクリーンを見ないようにする。

ビデオ画面を書類とかで隠す。

こっちもビデオをオフにしているから

完全に声だけのやり取りになるが、

なんと気持ちが楽になることか。

 

 

 

 

相手の顔が見えた方が

ノン・バーバル情報が補足されて

コミュニケーションとしては完全となろう。

相手の表情から色々な情報をつかめば

自分の役に立てることもできるはず。

また、相手の表情をあえて見ないことで

逆に判断を間違うこともあるはずだ。

 

が、私はそのリスクを冒してでも

気持ちが楽になる方を選ぶ。

それで何かを「見誤る」としても

別にいいや、と開き直っている。

それより、その場かぎりでも

自分の心の平安をとる。

 

もちろん、相手の希望には従う。

相手がビデオオンにして、と言ってきたり

初対面の人とのミーティングであれば

さすがに仕事だし、オンにするが、

ビデオオンにした方がいいですか?と聞き

どっちでも、という相手のお答えであれば、

イソイソとオフにさせていただく。

 

まあ、こんな図太さがあるのなら、

そもそも別の対処法もあるのかもしれないが。

 

 

 

 

しかし、リモートワークも4か月となり

最近、新たな風潮が出てきていている。

健全で成熟した心をもつ同僚の方々が

やはり人と会うって素晴らしいことだ!

早く会いたいわよね!

みたいな感じで、会議前後に

あえて皆でビデオをオンにして

1,2分ではあるが、

和やかに談笑するような傾向。

 

ああ、やはり、

自分に都合がよいことは

長くは続かないのものか。

私はマイノリティなのだろう。

 

多様性は最も大切な価値観です、とか

うちの会社もさんざん言ってはいますが、

やはり、ビデオ越しにさえ

同僚の顔を見たくないと思っている

私みたいな従業員(そして一応管理職!)は

なんやかんやいっても

カミングアウトしたら

問題になるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エジプトにて感じた愛

年末年始に行ったエジプト旅行を振り返る。

次にまた旅行に出られるのはいつの日か。

旅の記憶に思いを馳せて現実逃避。。。

 

 

 

エジプトに行ったのは初めて。

いわゆる「ナイル川クルーズ」団体ツアー。

エキゾチックな観光地で初めての旅をする

20年前の私は単独バックパッカーであったが、

時は流れ、チャレンジ精神は後退し、

効率と確実性を求める大人になってしまった。

今や、リュックをしょって一人、

事前プランもなく外国を歩く気力はない。

当時と比べると時間の価値がより高いしな。

 

 

 

 

ツアーはルクソールからアスワンまで

ナイル川を船で宿泊しながら下り

神殿や墓群などをハイライトとして見学、

船上では日光浴も楽しめる、というもの。

この二つのコンビネーションは素晴らしかった。

異文化観光とのんびり日光浴。

これが両立するエジプトのクルーズ旅、良い。

 

そして、フランス旅行会社のツアーだからか、

3食ついている料理がどれも美味。

エジプトの土着な料理かはさておき、

それっぽくはあったし、

食には厳しいフランス人達も大満足。

 

時は12月末だったわけだが、

一日に春夏秋冬がくるような気候で

冬がエジプトの観光ベストシーズンであろう。

 

 

 

 

さて、肝心の初のエジプト文明体験だが、

ありきたりの表現しかできないが、

神殿など遺跡群はまさに規格外だった。

アブシンベル神殿や王家の谷の規模においては

現実とは思えないスケール。まさにシューリアル。

 

つまらない例えしかできないのが情けないが、

まるで博物館で「大エジプト展」をみるような、

ホントですか、これ?というような現実感の欠如。

それだけ、目の前にあるものは

信じられないほど巨大で、しかも完璧だった。

 

 

 

一観光客の感想としては、

エジプトの神殿や墓の圧倒的な存在感は

数千年の重みゆえに哲学的、というのかな?

時の流れや人間とは、などと考えさせられる。

 

が、残念ながら教養がないもんで、

全て、「これが約3000年前の出来事だ」

という、かなり単純かつ乱暴な基準による。

あの昔これ程レベルの高い文明があった!

みたいな。

 

3000年前に、こんなもの作った為政者とは!

 

 

 

3000年前に、こんなコミュニケーションがあったのか!

 

 

 

3000年前に、こんな緻密な絵を描いていたとは!

 

 

 

ちなみに、3000年前、というのも平均、というか、

個別にみれば、全く正確ではないのだけどね。

こんな知識も感性も大雑把な私だが、

王家の谷の墓は特に感激した。

 

 

 

 

死を見据えるということは、よりよく生きるということ、

とはよく言われることだが、

この気の遠くなるような数千年も前の時代に、

エジプトの(王家の)人たちは、それを悟って、

死の準備をして生きていたわけだ。

人というのは、死や孤独を畏れ、

罪深さも、尊さもあわせもちながら、

その何十年ぽっちかの人生を

懸命に生きていくものなんだな、と

 

 

 

 

この文明の発展に恩恵をもたらしたという

ナイル川を船で移動しながら、

そんなことを思ってみたりした。

 

 

 

 

懸命に生きていく、といえば、

大型のクルーズ船に手漕ぎボートで近付き

絨毯やらを販売する商売人たち。

金や物を上と下でやりとりする仕組みあり。

大声でシャウトし、必死の形相であった。

これはもちろんクルーズ船と合意の上。

「水上マーケット」と紹介されていて、

東南アジアのそれと、あまりにも趣きが違うので

ちょっと笑った。

 

 

 

 

古代エジプト文明のスポットを訪れつつ、

一応、現代のエジプトの町にも繰り出した。

 

 

 

 

私たちが見たのはルクソールとアスワンのほんの一部で

何をも語れるレベルではないが、

やっぱり素朴で質素だなーという印象。

 

 

 

 

イスラム教徒が9割の国だそうだから、

質素なのは、宗教的な理由もあるかもしれない。

エジプトはアフリカでは政治的に大国だろうが

所得水準は低いらしいし、経済的には発展途上国だろう。

 

 

 

 

でもスーク(市場)は物も溢れて活気があった。

 

 

 

 

あと、人懐っこいというのかな、特に子供たち。

外人である私たちに、奇麗な大きな目で、

ハローと挨拶してくれる子に何人も会った。

 

 

 

 

あの、超ド級しつこい物売り、というのも、

そういう「人懐こさ」と関係なくないかもしれない。

 

 

 

 

あの栄華の古代文明時代の名残りと

現代の素朴な町とは随分ギャップがあるが

いずれも、その時々の人間の営みを映していて

なんというか、永遠に変わらないであろう

人間のサガに愛を感じてしまった。

 

そして、人間は過去何世紀もの間、

パンデミックの時代をいくつも乗り越えて

新しい常識と折り合いをつけながらも

それぞれがそれぞれの幸せを求めて

懸命に生きてきたんだろう、と思う。

 

 

 

うちの夫も、いつも、相変わらず

愛すべきおちゃらけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平静を保つ

全くの未曾有の事態となってしまっております。

 

最近よくメディアで取り上げられるのは

今の東京は3週間前のニューヨークやパリだ、

緊張感をもて、出歩くな、という当地在住の方々のメッセージ。

 

そうかもしれない。

日本医師会も、

日本は医療体制崩壊ギリギリと言ってますし。

 

パリ在住30年超えの日本人、夫ペーターは

アメリカ人やフランス人と日本人は

生活習慣もメンタリティも違うので

今の東京が3週間前のパリやNYと同じとは

言い切れないだろう、という意見。

 

どの意見が正しいのかはわからないが、

一つ言えるのは、冷静にならねばならぬ、ということ。

 

やはり多くの人が一種の異常なメンタリティにいるのだと思う。

 

スーパーマーケットで買ってきた物を

どのように消毒するか、というアメリカの動画が

日本語の字幕もついて随分視聴されているようだ。

 

夫によると、パリは本当に異常な状況で、

閑散とした街の中、

朝になると郵便局の前やキオスクの前に

ずらっと間隔を空けて並ぶ人々が異様で、

社会の底辺を見るようで、気が滅入る、と。

 

さらにメディアでは先行き不安になるばかりのニュース。

日本では政治のリーダーシップに不信感が増すばかり。

経済的な心配というのは、健康の心配と同等だ。

いろいろな人が様々な意見を言い募る。

この状況では人が無意識にメンタルをやられる。

 

ここは、やはり、日常のルーティンを作り、

目の前の、自分のやるべきことを一日一日行う。

パニックにならないように平静を保つのが大切なのでは。

 

医療従事者の方々の尽力には頭が下がるばかりだ。

皆が避けている事象に日々向き合って取り組んでいる、

目の前の患者、感染拡大のニュース。

そのストレスはいかがばかりだろう。

病院でのボランティア募集などが今後あれば

手すりの消毒、とかならできるかもしれないので

ぜひ何か協力したいくらいだ。

 

パリ在住の夫とは3月に会う予定がフイになった。

今度いつ会えるのかと思うと、

悲しく不安な気持ちになるが、

彼の、「僕たちより大変な人はたくさんいる」

という言葉に、少し夫を誇らしく思ったりする。