ハイジの退屈日記 パリ・東京 -7ページ目

タイのリゾートとダイバーシティ

ゴールデンウィークに、またまたタイ、サメット島に行ってきました。

バンコクからそれ程は遠くないのに、海が抜群に綺麗、

素朴な田舎なのに過不足なく、ノンビリできる空気。

 

 

 

 

たまに(いや、ちょこちょこ)会社を休んではタイに行くのは、

別居婚の夫(在パリ30年日本人)と落ち合うためなのだが、

夫婦お互いが住む場所のほぼ中間地点で、

なおかつ、二人とも好きな場所で、というと、

毎回毎回、タイの海辺になってしまう。

 

が、もちろん東南アジアで他に選択肢がないわけではない。

それなのに、他の地に挑戦する冒険をしなくなったのは、

「年をとったからだ」と御年80の母はのたまった。

ううむ、それもあるだろう。

 

 

 

 

タイの気候も食べ物も好きだから、というのは事実で、

勝手知ったるところで、楽ちんだということは大きい。

でもそれ以上に、なんとなく「水が合う」ところがあるんだろう。

さて、それは何だろう?

 

 


 

今回も、昨年の夏に泊まった、

素朴ながら、テラスからの眺めが抜群のコテージに滞在した。

 


 

 

ここは、従業員がマイペースで、緊張感などまるでない。

でも悪意があるわけでなし、ユルく、事が運ぶ。

なんらかのサービスをオーダーすると、何でもノロいが、

高級リゾートホテルのホスピタリテイなど望むらくもなし、

それも仕方ないこと、逆に、これでいいのだ、と

常に時短に血道をあげる日本人として反省する。

 

 

 

 

さらに、この素朴な島では、

そういう「ノロさ」を気にしない、だから好む、とさえ思われる

欧米人客が圧倒的に多く集まっている気がする。

休暇なんだし、たまにはいいね、このユルユルさ!

という価値観でないと当然やっていけないしね。

 

 

 

 

私は30年ほど、欧米人と様々な仕事で関わっているので、

大体彼らがどんな「クラス」の人かは、なんとなくわかるのだが、

タイの島、もちろんこの島でも、

ワイキキビーチのリゾートあたりでは簡単に見られないと想像される、

世のダイバーシティというものがほんの少し垣間見られる。

人種、性別、年齢、嗜好・・・。

 

今回泊まったリゾートにおいても、様々なカップルやファミリーが。

 

たとえば、

独特な雰囲気の凛としたクールビューティのアジア人美女と、

落ち着いた白人中高年紳士のカップル。

美女は、よくみると、元男性だろうと思えたし、

そのパートナーは、おそらく、欧州ではまあまあの企業の

管理職クラスであろうかとも想像できる佇まい。

 

また、学生時代からずっと目立つ存在であったかとも想像される、

知的でハンサムな感じのドイツ人中年男性は、

エディ・レッドメイン似、見事な赤毛、華奢でキャッピい若いドイツ人男性と

愛のホリデイを楽しんでいる様子。

 

 

 

タイというのは、怪しげでないフツーの中級のリゾート地であっても、

このような「ダイバーシティ」が当たり前に普通に受け入れられていて、

そこが居心地がよいのかもしれない、

と、思ったりする私ってのは、やはり

マイノリティ的な価値観の持ち主なのかもしれないいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3つの救い

毎日毎日、転職活動をしているものの、

今の会社で課せられた仕事は、プロとしてきっちりやろうと決めている。

責任感だけは強く、さらに、気が小さい性質ゆえ。

はっきりいって、モチベーションが地に落ちているため、

この分裂症的な精神状態を救うのにかなり努力を要する。

 

こんな状態で、救いとなっていることが3つある。

 

1つ目は、尊敬する稲盛和夫氏の思想。

 

 

言わずと知れた名著だが、

これを繰り返し読んで、気持ちを落ち着ける。

感謝、素直な反省心、善き思い、正しい行い、など

真理はシンプルで、心に響く。

稲盛氏の、心を磨き人格を高めるためには、

まず日々懸命に目前の仕事に打ち込むことという考えも、

実に正しいと、深く、苦い自戒を込めて実感する。

 

 

 

 

2つ目は、通勤路を変えてバス通勤にしたこと。

いや、これはね、本当に馬鹿にならない。

 

東京圏の満員電車通勤というのは、

何百万(千万か?)という人が毎日行っていることで、

これは、Ce la vieとしかいいようがない、

東京の会社員にとっては、避けがたい事象なのではあるが、

今の家に住み始めて9年、今さらになって気付いた。

うちの最寄の駅から始発で、都心行きのバスがあることを!

 

これを利用すれば100%座って、都心のメトロの駅まで行ける。

このバス通勤への変更によって、電車通勤よりも

50分も早く家を出なければならないが、

それによって、なんと多くのことを得られることか!

 

まず、精神的ストレスの軽減による心の余裕。

経験しないとわからないと思うが、

毎日毎日の満員電車の通勤というのは非人間的な状況だ。

あれほど他人と密着し、全てを受けいれざるをえず、

また、気を遣わざるをえない空間はない。

 

それほど混まないバスの中で得られる1時間弱の時は、

読書の時間になったり、ネットで調べものに費やしたり、

さらに居眠りしたりして軽く睡眠不足を補ったりできる。

この「自由時間」が、どんなに自分の精神状態を助けているか、

というのは思いもよらなかったほど大きかった。

 

 

 

 

3つ目は、離れていても、私の支えになっている別居婚の夫。

 

1,2か月に1回しか会えなくて、私は寂しく、不満に思うこともあるが、

いつも私のことを親身に考えてくれる人がこの世にいる、と

ほぼ毎日メール、週1で話しをすることで、実感できている。

 

彼の「狙ってない」天然的発言により、笑いが絶えない。

その場でお腹を抱えて笑い、さらに思い出し笑いさえさせてくれる。

でも、それだけでなく、励ましの言葉や年長者としての鋭い意見も言ってくれる。

癒し、優しさ、炯眼 を与えてくれる夫がいてくれて、幸せだ。

 

(この写真は↓「ヤラセ」です)

 

 

 

 

 

 

一陽来復の転職活動

今年の東京の冬は、異様に寒さの厳しい日が続く。

確かに日は長くなり、陽射しは春を思わせる時もあり、

真冬のピークはもう過ぎた、とは思わせる。

 

ただでさえ冬になると「季節性プチ鬱」になるのに、

今年は特に、仕事で精神的にしんどい冬となった。

 

年末年始には、タイのリゾート地で有難いことに休息をとったが、

心の底に巣食う仕事のストレスからは解放されず、

久しぶりに会った夫(パリ在住)と、タイのリゾート地を散歩中も、

仕事の記憶が無意識かつ突然によみがえり、

「あー、ヤダヤダ」、と思わずつぶやいてしまい、

たっぷり1時間ほど説教をうけることになったアセアセ

そりゃあ、楽しいはずの散歩中に、急に「ヤダヤダ」なんて言われたら、

それこそ嫌だよねえ。

 

 

会社の事業縮小に伴い、稚拙で下劣な方法で大リストラが進行し、

社内が不安と無気力にすっぽり覆われてしまった中、

一応これでも管理職、と、なんとか自他を鼓舞しようとしていたが、

実のところ、週末を指折り数えて日々をうっちゃって過ごす、

完全腰かけOLマインドの「仮面管理職」、

実務内容の不本意な変化にプツリと気力が途絶えてしまった。

 

と、いうわけで、53歳になったところですが、

この年にして、転職活動を始めた。

優しい夫は、私のグチは受け止めてくれるが(限度アリ)、

私が買ったマンションのローンまでは払ってくれないので、

やはり、自分でなんとか稼がねばならぬ。

 

転職活動は長期戦になろう、と見ている。

なにせ住宅ローンのためなので、給与レベルは落とせず、

なんでもいいです、というわけにはいかない。

今の会社には期待より長く居残るはめになることもあろう。

が、脱出に向けてアクションを取り始めたことで

多少は精神的に楽になった。

これも一種の現実逃避?

いや、前向きに変化を求めている結果でしょう。

 

 

以前も、会社に在籍しながら、転職活動をしたことがあったが、

当時は外出も多かったので、適当に日中面接なども行っていた。

が、今の仕事では、それほど外出が多くないので、

面接は夜、就業後に設定せざるを得ない。

 

また、今の職場は、服装が超カジュアルなので、

スーツなど着用して出社すると怪しまれる。ということで、

出社時にスーツとパンプスを大き目バッグにいれて持参して、

退社後、面接前に駅のトイレで着替えるなどという、

下校後にディスコ(死語)にいく中学生のようなことをしている。

 

夫に、そのことを冗談ぽく伝えたら、

君は酒を飲んでいない時は抜け目ない、クレバーだ、と言われたうーん

これは一体、褒められているのか、なんなのか。

 

 

一陽来復とは、

陰の気が極まり、陽の気にかえる、という意味らしいから、

もういい加減、そろそろ気が戻る頃であろう、と思いたい。

 

チャーン島での静かな日々

年末年始に、タイ、チャーン島に行ってきました。

カンボジアにも近く、熱帯雨林に覆われた島で、

タイのリゾート地としてすっかり発展している

プーケット島やサムイ島などとは趣が異なる。

 

チャーン島はリゾートとしては後発なので

あまり知られてもないし、発展途上。

超高級リゾートホテルなどはなく、

バンガロータイプのリゾートが多い。

 

 

夫ペーター(パリ在住日本人)は10年程前に一度行っており、

ここ3,4年、何度も行こう、と提案されていたのだが、

私が渋っていたのだよね、だって遠いんだもん。

まあ、今回は13連休という恵まれた休暇だったので、

こういう時でもないと行けないから、と遂に決行した。

 

バンコクから飛行機で1時間のところにある

トラートというところまで飛び、そこからフェリーで行けるのだが、

夫がなぜか飛行機では行きたいないと言い張るので、

北パタヤに前泊して、タクシーで行くことにした。

パタヤから4時間、というので腹をくくってはいたが、

結果、車とフェリーを乗り継いで、

現地宿泊ホテルまで片道6時間かかった。

 

 

だが、結論からいうと、片道6時間かける価値はあった。

まだまだスレてない、一昔前のタイの島の良さを思い出した。

10年ほど前までのサムイ島なんかもそうだったが、

なんとなくあか抜けない田舎っぽさがあるものの、

良い意味で素朴で、気持ちが安らぐ感じ。

地元のタイ・ピープルの優しい笑顔、感じの良さは、

そういえば最近はタイのメジャーリゾートでは

あまり見なくなったな、と思い至った。

 

また、物価が安い。

島=割高、というのは当たり前だと思っていたが、

本土より料理屋(レストランとはよう言わん)なども安い。

また、ワインの持ち込みはフツーは料金が取られるが、

ワインなど元々おいていない店が多いのでコルケージなしでOK。

そうなりゃあ、もう、我々夫婦の天下である。

嬉々として、毎日のようにワイン持ち込みで魚介をいただく。

(ワインはフランスから直輸入)

 

 

年末というのはタイでは乾季で観光客ピークなのだが、

ここは人が比較的少ない。ビーチも全然混んでいない。

ゆったりと静かであった。

落ち着いた欧米人のファミリーやカップルが多かった。

パタヤから2時間で行けるサメット島には毎日のように、

数百人単位で日替わりでやってくる中国人団体客もいなかった。

 

同じ島でもプーケットやサムイなどより、

素朴な環境で静かに過ごすことを志向する、

つまり我々夫婦と同類の観光客が多く、居心地よく過ごせた。

 

 

 

 

何もしない南国のリゾート地においては時間がゆったり過ぎる、

と思っていたのは、いつ頃だったろうか。

 

最近は、どこにいても時間は早く過ぎ去ると感じる。

一日一日が、あっという間に終わる。

 

 

 

 

朝ゆっくり起きて、紅茶やコーヒーをおかわりしながら、

のんびり朝食をとって、そして散歩をして・・・

と過ごすうちに、午前中が過ぎる。

午後、バイクを借りて遠出したり、

またはビーチで「うたたね読書」などして過ごしたりすると

あっという間に夕方になる。

 

夕方はシャワーを浴びてサッパリして、

夫とバルコニーで音楽を聴きながらワインを飲み、

毒にも薬にもならない話しをして、

今日の晩御飯は何を食べようかねえ、と言いながら

ゆるゆるとディナーに出かけて飲んで食べて、

食後に夜のビーチなど散歩してからホテルに帰還、

読書しながら就寝。

 

 

 

大したことはしていないのに、時間は駆け抜ける。

 

今は、総合的な自分の残り時間を無意識に調整して感じているんだろう。

いずれにしても、今の年代の私が、休暇において、

このような贅沢な時間を過ごせることに、

ただ感謝すること以外、何もない。

 

 

 

中高年の容貌と内面

何カ月か前のことだが

通勤途中、都心の真ん中で道を横断していた時、

10年ほど前まで同僚であった、

以前勤めていた会社の男性と出会った。

 

横断歩道の反対側から歩いてくる相手に対して、

お互いに、あれ、この人だれだっけ・・・という感じで、

15秒ほどだろうか、通常では考えられないかなりの長い時間、

正面から歩いてくる他人とじっと見つめ合い、

そして、すれ違う瞬間に、相手が何者かを認識し

「あっ!!」とほぼ同時に声をあげた。

 

10年あまりの月日は、人間の細胞に

かなりの酸化を及ぼしえるということを

お互いに悟ってしまったであろう、スリリングな一瞬であった。

 

 

何年かぶりに会う人というのは、

中高年という年代であると、なおさら、

相手によっては、ぎょっ!とするほど

老けこんでいる人がいる。

あまりにも当時の記憶と異なっていて、

思いだせない人さえいる。

 

まあ、元来かなり恵まれた容貌の人は

比較的、その「ぎょっ!と度合い」が低いかな。

生まれつきの容姿に恵まれた人というのは、

いくつになっても、男女問わず、

やはり「美しい人オーラ」を辛うじて保っている。

なにより器質的にとことん恵まれているらしい。

皮膚の保湿状態が優れていて、髪の量も変わらない。

また、太らない体質、という共通点もありそうだ。

幼少の頃から賛辞を受けているだろうから、

それによる外見維持への自助努力もあるだろう。

 

仕事で、沢尻エリカちゃんと1週間程の旅をしたことがあるのだが、

(それこそ彼女が20代前半の若い頃だが)

早朝といわず深夜といわず、いつ見ても、ドアップで見ても、

一点の瑕疵もない顔の美しさといい、スタイルの良さといい、

天に授けられた抜群の容姿というのはあるのだなあ、と感服した。

幼い頃から、ずば抜けた美しさで、どこにいても際立ち、

いつも注目されていたことは間違いないだろう。

彼女の場合は、女優さんだから仕事の一部ともいえるが

いくつになっても容貌の維持には努力し続けるだろう。

(ちなみに、一時は悪評で騒がれたエリカちゃんだが、

私は一緒に仕事をして、常識的で賢い彼女のファンになった)

 

 

 

 

しかし、そのような恵まれた人であっても、

当然、加齢による容貌の変化はある。

その変化で最も恐ろしいのは、

内面の短所がくっきりと表に出てくる点だと思う。

困ったことに、長所よりも短所の方が明らかに出る。

 

若い時は、その溌剌とした生命力のお陰か、

その人の短所が容貌に浮かび上がるとしても、

「個性」として面白がられる範囲で収まる。

 

ところが、40を超える頃からだろうか?

もはや下り坂の生命力は、内面の短所を補えない。

短所はどんどんと前面に出ていく。

加齢により恥じらいというものが薄くなり、

短所は開き直りと共に、恐れることなく増長し、

手に負えなくなっていることがあるので、

外見に容赦なく反映されていく。

 

 

 

自分の容貌は若い頃と比べて、

どんな風に変化してきているのだろう。

 

どんどんと「良い顔」になっていく人は実在する。

そして、そうでない人もいる。

果たして自分は、と思うと、ぞっとする。

 

外面の容貌の衰えというのは、

もはや、「内面の成熟」でしか補えないと思う。

そして、

意識して行っていることと

無意識で進行していることには乖離がある。

そこが、怖い。