ハイジの退屈日記 パリ・東京 -70ページ目

貧血の経済的克服法

今年はずいぶん鉄欠乏症貧血に悩まされた。

貧血は数年前からだが、悪化した感じ。

「お年ごろ」ゆえの生理不順!と関係あるとみている(自己診断です)。


去年の12月の健康診断ではヘモグロビン値は7.8。

鉄剤を飲んで一時かなり改善したかと思われたが

その後、鉄剤を飲むのを止めたためか

春頃にまた体調悪化。

階段は15段も登るとハアハアゼイゼイ。

ちょっと早足で歩いただけでも動悸がする。

めまいがする。髪の毛が、よくもよくも、という程どっさり抜ける。

時代が違えば

きっと高原のサナトリウムで青白い顔で死んでいったんだわ・・

などと妄想に入るくらいでした。


しかし、ここ数週間で

また改善した実感がある。

鉄分を摂りさえすれば治るはずであると

とにかく、鉄摂取にひたすら努めていたので

この約2ヶ月ほど、かなり集中的に努力した結果ではないかしらん。


というわけで

私の実践的な貧血克服法=鉄分吸収方法をお伝えいたします。

しかも、それを超経済的に行う方法。

レバーや赤身肉、カツオ・マグロやらは高くて買えません!

という私のような人に(そんな人あんまりいないのか・・)

おすすめの料理ヒントもあり。


ハイジの退屈日記 パリ・東京


日本人女性の一日の鉄分必要量は約7mgだそうです。

これくらいなら、食事だけから摂取していくこともできなくないでしょうが

治療ともなると、目標鉄分摂取量は一日100mg。

ということは食事だけから、というのはまず無理なので

やはり鉄剤は必須。


鉄分は、ビタミンC、ビタミンB12,葉酸などと一緒にとると吸収がよく

ビタミンEやタンニン、またフィチン酸が吸収を妨げることがある、と。

私は市販の鉄剤「ファイチ」を

ビタミンC(アスコルビン酸)と一緒に摂ってました。

「ファイチ」にはすでにビタミンB12と葉酸は含有済みである。

これで1日79.5mgの鉄分が補給できていたはず。

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まずは朝食。

モロヘイヤジュース100ml(鉄0.2mg)に「ルチンの力」(鉄1.36mg)を溶かして飲み

「ケロッグ玄米フレーク」にカルシウムと鉄の配合された乳飲料をかけて食べる(鉄3.8mg)。

そして食後にはビタミンCを服用。

どうだ、これで5.36g。

はい、お察しのとおり、私はA型です。


しかし、食物に含まれる鉄分にはヘム鉄、非ヘム鉄というのがあり

ヘム鉄は、肉や魚などの動物性のもので、鉄分の吸収がよい。

よくヒジキがいい、小松菜がいい、というけれど

これら非ヘム鉄の食材では、鉄分の吸収があまりよくないそうだ。


ポイントは「吸収」なのである。

一生懸命摂取したつもりでも、吸収されてなければただの自己満、徒労、無意味。


というわけで、目標は効率良い吸収。

できたらヘム鉄をとりたい、ということになりますね。

そして、それらは赤身の肉、マグロやカツオなどの魚など。

しかし、私の最大の問題は、財政難なのであった。


私は基本的には野菜さえ食べていればハッピーな人間なので

経済情勢が逼迫する昨今であっても

つつましくも健康的な植物性のものを常食として満足で

肉や魚は家ではほとんど食べない。


肉や魚ももちろん好きなんだけどね。

フレンチ店にいけば、羊だってがっつり食べる。

でも、やっぱり新鮮な肉・魚は高くつくのでね、今は控えるわけです。

いや、しかし、今は野菜だけでは「治療」になるまい。


というわけで、いかに安価で「ヘム鉄」をとるかが

最大の焦点となったわけだね。


しかも、困ったことに、私は「いやらしいオーガニック女」であるため

スーパーに売っている肉や魚など、食べる気がしない。

かといって、自然食品の店で売っているオーガニックものは価格が高すぎる。


そこで私がよく利用しているのは

カツオの「シーチキン」缶詰。

オーガニック的にははっきりいって完全に矛盾するが

肉の缶詰よりはましだし、安い(一缶100円以下)ので、この際目をつむる。

あとはジャコ。これも安い。そして使い勝手がよい。


先日はタイカレーを作るのに

肉を買うのを迷い、かといってエビやイカなどほとんど鉄分に貢献しないので

どうしようかとスーパーをウロウロしたあげく

「赤貝の佃煮缶」(100円)を買って、これを投入。

意外とおいしかったです。

なお、豚の挽肉であれば、自然食品店で買ってもそれほど大幅には高くないことも判明したので

たまーーーに「贅沢」をする。


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あまり美味しくなさそうに写ってますが

実は結構悪くなかった。

大豆と挽肉と小松菜のカレー。

ヒジキと麻の実入り胚芽米と共に。


なお、非ヘム鉄のものであっても

動物性のものとビタミンCを一緒に摂取すれば吸収があがるとのこと。

安価な卵黄も鉄分補給の食材となるので、非ヘム鉄の友として利用できる。


パリに滞在していた時は毎日のように黒米を食べてました。


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黒いタイ米は見るからに鉄分に満ちてますね。

とぎ汁も濃い紫で、見るだけで「鉄分摂れるぞー」と

ほくそ笑みが浮かんだものでした。

このタイ米をコンソメで炊き上げて、ハム、ナッツ、タマネギとで炒める。

私の大好物といってよかろう香菜(コリアンダー)も混ぜました。


そうか、しかし、確かに、パリに滞在中は

食費は夫の財布だったので

赤身肉も結構食べていたか。


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というわけで、昼食、夕食にも

憑かれたように鉄分の高い食材を特定し、料理に採り入れていた。

その甲斐あってか

最近は、貧血の症状がずいぶん軽減されたような気がする。


ただ、医者に行っていないので

ヘモ値が上がったのかどうかは確認していない。


そもそも、時々頭をもたげていた疑問がある。

体調の悪さは

本当に貧血悪化が原因だったのだろうか。

動悸、息切れ、めまい、などという症状は

ただの加齢にもある症状だし・・・。


まあ、自分の努力が結果を生んだ、と信じましょう。

貧血克服の最上の方法は、粘着質的性格と信じやすさ、かな。














夢分析

この3週間というもの、どうも夜よく眠れない。

暑いというものあるかもしれないが

寝苦しくて何度も目を覚ますし、寝返りは一晩50回くらいはしている気がする。


パリから帰国した直後は時差ぼけか、と思っていた。

実際、夜はすぐに眠くならずに、朝が起きづらいので。

しかし、もう3週間も経ってるんだから

年令と共に時差ぼけの回復が遅いとはいうが

いくらなんだって、いい加減、そのせいではないでしょう。


今年はずっとパリと東京を行ったりきたりしており

特にここ3ヶ月は、猛暑の東京と、小寒いパリの往復で

気温の差に対応しようとしているうちに、身体の調節が狂ってしまったのかね。



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毎日数本立てて夢をみるのだが

ここ最近みる夢というのは、意味不明のイメージの断片が多く

それも鬱陶しく、充実した眠りの実感を奪う。


もともと私が見る夢は、ストーリー展開もしっかりしており

臭いや味や感触などもある。

吉行淳之介が、彼も私と同様、しっかりと夢を覚えている人だったらしいのだが、

自分は人生を2倍生きてるようなもので得だ、と何かに書いていて

なんてポジティブなんでしょう、と思ったものだ。


私の見る夢は、仕事をしていない今でさえ、圧倒的に仕事の夢が多く

夢のなかで、物凄くリアルに交渉や会議やらをやり、人間関係に悩んでるんだから

たまったもんではないですよ。


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あまりにもリアルな夢であることが多いので

10年ほど前だが、夢日記をつけたことがある。

ジェームズ・レッドフィールドの「聖なる予言」に夢中になっていた頃で

聖なる予言 (角川文庫―角川文庫ソフィア)/ジェームズ レッドフィールド
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その「実践演習本」の方に載っていた夢分析をやっていた。

実に面白かったね。

自分の深層心理を知って、

実はこんなことを考えていたのか!そんな風に感じてたんだ!

と驚くような、しかし思い当たるぞ、

というような発見をする。

ま、それだけ、といえばそれだけだけど。

でも、自分の本音がわかったりするのは面白い。


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だけどねえ、

最近のようなあまりにも脈絡の無い夢だと

どう解釈してよいのやら、というか

私って人間は、意識レベルのみならず、無意識レベルでも

こんな程度か、というような

遣る瀬無さにとらわれる時がある。


たとえば今朝方みた夢。

夫ペーターと家にいたら突然の来客が。

「大変!ペーさんとパー子さんと玉緒さんが来ちゃった!!」

と叫ぶ私。

実際にそのお三方が入ってくる。

私は、賑やかな人たちが4名(夫も含んでいた)揃っちゃったよ・・と思う。

と、まあそんな夢でした。


最近このお三方をテレビで見たわけではありません。

バラエティやお笑い番組は全くといっていいほど見ないし。

話しの展開的にも現実との呼応は一切なく、解釈のしようがない。


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同じように、くだらなさレベルであまりにもインパクトが強く

20年以上前に見た夢なのに、いまだに忘れられない夢がある。

夢の中で

私は新聞を開く。

するとそこには見出しが。

「加藤茶、エイズ死」

(加藤茶さん、ごめんなさい、全く他意はないのでお許しください)


それだけの夢だったのだが

ドイツに住んでいた時のことで

加藤茶さんをテレビ等で見ることもなく、ファンだったわけでもなく、

なによりも、そのあまりの唐突さと低俗さに

うなだれるくらい落ち込んだ。

私の無意識レベルって、この程度なんだね・・と。



最後に、この際、「露悪趣味」ということで

私という人間の程度を、まさしく象徴する夢を披露しよう。


7,8年ほど前にみた夢。

私は物凄く流れが急な川の岸辺に立っており

向こう岸にたどり着きたいと思っている。

オプションはふたつ。

早く着けるけど、転覆の危険を伴う船。

また、ゆっくり着実だけど非常に混み合っており不快そうな船。

私は川岸で迷っている。

(精神分析にでも使えそうな、クラシックな夢です)

その時、突然、ババババババ!というエンジン音が。

ジェットスキーに乗った木村拓哉が私の目の前に!

「乗って行くかい?」と言われ、

ハイ!と迷わず、彼の背中にくっついて川を渡る私・・・。


私はしょせん、この程度の人間です。

ちなみに、木村拓哉さんのファンでは全くありません。






ティーンエージの赤面

毎日ヒマなゆえ

読書量と映画鑑賞量だけは相当なものです。


昨日みた映画のひとつ「リトル・ランボーズ(原題Son of Rambow)」は

全く期待外れであったが

見ながら、ティーンエージャーの頃の「大人への憧れ」というものを思い出していた。


その年頃というのは

文化・芸能やスポーツやら身近なものに

自分が投影できるものを探しだして、かなりフラフラ・ジクザグしながら

自分像というのを探すんだっけね。


私の場合、当時から現実逃避の傾向が強く

なによりも映画や音楽、読書が好きな少女だったので

そして、昔も今もあまり中身がなくて表層的、

形から入り、形で終わるタイプだったので

主に映画からファッションを取り入れて

何者かになった気分でいたような気がする(微笑)。


中学1年だったか2年の時だったか

封切りされて人気になったミュージカル映画「グリース」。

この50年代のアメリカンファッションにまず憧れたねえ。


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ボーリングシャツにギャザーの多い花柄のフレアスカート。

ポニーテールにして、靴下を3つ折りにしてローファーを履く、なんてのは

お小遣いの少ない中学生でも全くマネできるレベルでしたね。


映画「アメリカン・グラフィティ」であのアメリカンの世界はもともと好きだったけど

さらにファッションに取り入れて、なぜかアメリカに同化しようとしてたんだね。

しかし、今思えば

こんなファッションスタイルは、田舎の中学生が取り入れたところで

「フツー」の一言に尽きます。

いや、むしろ「田舎のヤンキー」ファッションに成り果てていたのでは。


その後、どういうわけか、まあ、ただ単に飽きたんでしょうね、

私の憧れは、その当時「現代」であった70年代後半のニューヨークへ。

前も書きましたが

ウディ・アレンの映画「マンハッタン」を見た影響と思われます。


そして前後の順番をよく覚えていないけど、その直後に見たと思われる

「アニー・ホール」。

このファッションを取り入れるのが「イケてる」と判断。


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なにをしたかというと

母親のテーラードジャケットやスカーフなどを借りてきて

レザーのショルダーバッグをかけたりして

ちょっと都会的でマニッシュな大人な女性、って感じ?

今考えれば考えるほど

田舎の中学生の母親のブレザー姿は

そのありのまんま、いやむしろ一層強調されて

ただの鈍臭い女子そのものだったことは間違いない。


そして高校生になり

少しは身の程というものを知ったせいなのか

毎週末になると、2本立て3本立てで映画を見ていたにもかかわらず

映画の中には、憧れの対象を見つけることはなかった。

むしろ、友達と「映画評論」を書きっこしたり(汗)

フランソワーズ・サガンの「スタイル」を真似た小説を書きっこしたり(大汗)

また、アメリカに留学しようとひたすら真面目に英語を勉強していた、という

ちょっとは現実に立ち返った高校時代でした。


しかし

身の程を知ったわけではなかった。

現実逃避および外国への憧れはまだ終結していなかった。


アメリカに多少失望して(現実を知って)日本に戻り

大学に入学したその年

ヌーベルバーグ映画に目覚め

「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナが素敵、ということになった。


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コケティッシュで自由奔放でチャーミング。

テレンとしたワンピースや、ピッタリとしたセーターのアンサンブル。

フランス女性のファッションのシックさを知ったのでした。

60年代のファッションを真似ていたのはこの頃です。

よく古着屋なんかも行ってたっけ。


映画のよくわけのわからなさが、そのまま彼女の魅力と重なり

無鉄砲な行動や不可解な発言やらが

かっこよくて可愛いような気がして

ファッションのみならず、そんなとこまでマネしていたような。

どんなにハタ迷惑なことであったろうか。

ああ、恥ずかしい、恥ずかしい!


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その後、20代、30代と過ぎ

時間の経過と共に、当然のように

映画の登場人物への自己投影や思い込みが消滅していったのは

現実を知り、現実に生きるようになったという意味では

健全に育ったという証でありましょう。


それでも

こうして10代の頃の様々な赤面ものの思い込みを振り返ると

やはり本質的には今もあまり変わってないなー、と

汗がさらに吹き出てくるような思いです。