ハイジの退屈日記 パリ・東京 -67ページ目

ノスタルジックな香港 (1)

香港に行ってきました。

仕事で香港に来た夫ペーターと落ち合うため。


香港は3度目だが、前回2度の記憶は全くなし。

それもそのはず

1回目は25年ほど前だし

2度目は5,6年前?ストップオーバーで

夜中に着いて、町で晩御飯だけ食べて

翌早朝発っただけ。


というわけで

フレッシュな気持ちで

香港の町を歩きました。



ハイジの退屈日記 パリ・東京



でも

どこか懐かしく感じるのが

アジアの町の不思議。


心が浮き立ち

ノスタルジックな雰囲気に和むところもあり

やはり自分はアジア人なんだなーと

妙に納得する。


ハイジの退屈日記 パリ・東京


しかし

香港の街中ってのは

昼も夜も

本当に騒々しいね。


平日だというのに、なぜあんなに人が常に溢れているのか。

人にぶつからないように歩くのが大変。


町のそこここで

常に工事をしている音が響き

右へ左へと

2階建てバスやらトラムやらがひっきりなしに走り

クラクションの音やらが絶えない。



ハイジの退屈日記 パリ・東京



香港人というのは

騒音に対する許容度が極端に高い

と読んだことがあるが


交通量の多い中心部の町のど真ん中にも

高層アパートが立ち並び

洗濯物なども干してあるところからも

非清浄な空気に対する許容度も高そう。



ハイジの退屈日記 パリ・東京



でも、少なくても

香港人(中国人)と日本人の共通点というのは

食に対する興味と執着ではないかしらん。


野菜や魚介を売る店では

みなさん品定めが厳しいようだったし

正当に美味しい店の前で行列するのを厭わないし

夜中近くだというのに

食べ物屋街は常に大賑わいだし



ハイジの退屈日記 パリ・東京



いつでも

楽しそうによく食べてるし



ハイジの退屈日記 パリ・東京



平日の夜中でも

買い食いの店は繁盛してるし



ハイジの退屈日記 パリ・東京



夫ペーターは

仕事で香港には何十回も行っているため

B級グルメに精通(?)しており

今回はそういう店を堪能してきました。


ハイジの退屈日記 パリ・東京


小汚い店であっても

美味いところは

活気があって、いつも人が多い。


今回のヒットは魚介類。

春雨と一緒に蒸した貝が各種どれも美味かった。


ハイジの退屈日記 パリ・東京


また「避風塘料理」というのも初めて食べた。

これはもともとは香港の漁師料理らしい。

大量のニンニク、ネギ、生姜を細かくして高温で揚げた、

一見かき揚げのようなもので

魚介を一緒に炒めたり、絡めたりする。

これはマネできそう、と思うのは素人ゆえ?


ハイジの退屈日記 パリ・東京


我々夫婦は

人一倍食い意地が張っているため

あれが食べたい、これが食べたい、

しかし食事の回数は限られているから

的を絞るべし、などなど常に話し合っており


しかも、二人とも酒飲みで

酒を飲まない食事はありえないと考えるタイプ。


B級の店には酒といえばビールしかないので

スーパーで紹興酒を買って

そっと店に持ち込んで飲み

「やはり魚介類には紹興酒だよねえ」と二人で悦に入ってました。


食事の趣味が合う人と結婚して

ホント良かった、とつくづく思う瞬間。


ノスタルジックな香港の旅の日記は

次回に続く。



別居婚の卑小な障害

私がくだらない低級な夢をよくみることについては

先日も書きましたが


夢が無意識の作用である限り、

つまらない夢を見る、イコール

鬱屈した現実の反映

ということなのではないでしょうかね。


つい数日前

私の夢の中で

私の夫は

木村拓哉でした。


夢の中の生活で

夫の様々な友人達が3日連続でうちを訪ねてくる、という。


私は、それぞれにディナーのメニューを考えながら

3日連続で色んな人がやってくるなんて

なんて私は大変な目にあってるんでしょう、

それもこれも

みんな私の夫、拓哉を一目見たいってことでしょう、

僻みと優越感と苛ただしさが複雑に絡まった感情に

襲われている、という夢でした。




ハイジの退屈日記 パリ・東京




そして

その数日後、夢の中で

私の夫は

北島三郎でした。


夢の中で

私は夫、サブちゃんと同衾しており

しかも幸か不幸か(今思えば確実に幸です)

セクシーな要素は全くゼロでした。


夫サブちゃんは、弱い皮膚がかぶれたということで

ベッド上でコメカミ両方に薬を湿布しており

私としては

夫のコメカミを偽善的に撫でながら

生理的な嫌悪感と闘っている、という夢でした。




ハイジの退屈日記 パリ・東京


ちなみに、もちろん

現実の私の夫、ペーターには

社会的にもルックス的にも、なにもかも

木村拓哉や北島三郎的な要素は

どこからみても、ゼロ、皆無です。


また、少なくても意識上においては

私は木村拓哉や北島三郎のファンなどでは全くなく

彼らには全く関心をもっておらず

普段、彼らのことを思い出すこともありません。

ただ、彼らについては、社会的な「成功者」である、という認識があります。


何故こんな風に

夢という私の無意識の舞台で

「夫」がキムタクであったりサブちゃんであったりするのか、

と考えてみると


もしかして

彼らのようなタイプが夫で会って欲しい、という

現実逃避的で都合のいい?無意識の願望。

(意識上ではサブちゃんではなくキムタクを希望)


それと同時に

実際の夫との

現実的なコンタクトの薄さが

夫ペーターってどんな人だったっけ?と

記憶を曖昧にさせているのか。


一応、夫とは

ほぼ毎日メールやり取りしてるし

週に1回はスカイプしてるんですが


こんな夢をみるというのは

別居婚というものの

取るに足らない障害の一種なのか、と

いう気もします。


美しい顔の至福

先日、二日連続で

ケビン・コスナー主演の2つの映画を見たところで

あ~そういえば

世の中にはこういうハンサムな人もいたんだったわね~と

思い出した。

最近、とんと美男と縁がないもので。


私って、そういえば

ああいう甘く美しい顔が好みだったよね~と

思い出した。

理想を追い求めるのを止めたのはいつの頃だったろう。


ハイジの退屈日記 パリ・東京



中学1年生の時のアイドル、ベイ・シティ・ローラーズで一番好きだったのは、パット。

あの中では一番の整った顔じゃあありませんかね?


ハイジの退屈日記 パリ・東京


いきなり年齢丸出しで、時代を急降下してしまったので

イマドキに無理して合わせると

EXILEであれば、TAKAHIRO。

端整、童顔系、清潔感、ってのはパットと同系列ではなかろうかね。

中学生の時以来、30年間あまり変わらずの路線です。


でもワイルド系も好きです。

ただし、その場合はラテンに厳しく限ります。

俳優は役柄で好き嫌いがありますよねえ。

アンディ・ガルシアなら「ゴッドファーザーIII」。

アントニオ・バンデラスなら「デスペラード」。

アル・パチーノも断然素敵なのは「ゴッドファーザー」です。

私の中でラティーノとは、ひたすらワイルドであって欲しい。


ハイジの退屈日記 パリ・東京



アングロサクソンなら、美しく、甘く、綺麗な顔が好きです。

お気に入りはボチボチいますが、

最近ならアシュトン・カッチャー。

ちょっと田舎臭さはありますが

私の好きな顔の基準を満たしております。

かなり「手を入れてる」感はあるが。


ハイジの退屈日記 パリ・東京


ブラピ、ジョニデ、ジョージ・クルーニーなどは

私の基準から見ると

顔のつくりにクセがあるので、まるでダメ。


日本人も、端整であって欲しいね。

藤木直人は美しい顔だと思います。

本木雅弘もギリギリよろしい。

美男と言われる岡田准一は

私には、いわゆる「サル顔」に見えます。

上顎?、口の上が出っ張ってるんだよねー、惜しいです。


ハイジの退屈日記 パリ・東京


ついつい熱が入りましたが

美しい顔の、特に恋愛対象となるジェンダーとの関わりを持つと

人生は華やぎ、心ときめき、新陳代謝も上がり

さらに、そんな顔の持ち主が日常生活に一人でもいた日にゃあ

寛大な心が培われ、心弾み、和み

毎日、心身ともに若々しく過ごせるのではないか?


美形は3日で飽きる、不細工は3日で慣れる、と言いますが

私は、それが嘘であることを身をもって体験しました。


「不細工」の部類に入ると多くの方がきっと同意するであろう人と

3日間、共に過ごしたことがありましたが

最後には気分が悪くなりました。

性格が合わなかったわけではありません。

楽しく過ごしたのですが

やはり、「見目が悪い」というのは

ジワジワと、心の奥底にある

「快」を求める本能を蝕んでいくものなのか、と思いました。


赤ちゃんが美形な人を好む、という統計もあるようです。

しっかりと顔を認識したり、「好みのタイプ」がまだ確立してない赤ちゃんでも

「整った顔」に安心感を感じ、そうでない顔に不安を感じるそうです。

やはり本能的なものなんでしょう。


もちろん

顔の作りが平凡ないしイマイチまたはそれ以下であっても

心のありようが美しい人というのは

確かに「良い顔」、「美しいといってもいい顔」をしていると思います。


しかし、やはり造作の美しい顔、というのは

厳然としてあり、人に喜びを与える「善」ではなかろうか。

ここに並べた写真を見返してみると、つくづく心が和みます。


美しい顔を家に一人欲しい!、とずっと望んでいたのに

ああ、私が理想を追い求めるのを止め

現実と折り合いをつけたのは何故故だったろうか。