ハイジの退屈日記 パリ・東京 -57ページ目

笑顔の人

人間関係、社会生活において

「笑顔」が大切ということについては

へそ曲がりでなければ、多くの人が認めるところであろう。


世の中には、たまーーーに、

超ド級に笑顔の人がいる。

あの人いつも笑顔で素敵よね、とか、そういうレベルではない。

地顔のレベル、努力が実ったレベルではない。


見ているこちら側までもが

自然に、つられて微笑んでしまうような

さらに、涙ぐみそうになってしまうような

人間は善である、ということを信じてしまいたくなってしまいそうな

「天使レベル」といいましょうか

心がじーんとする笑顔を常に見せている人がいる。


いや、「常に見せている」というより

それがその人の「素」なんでしょう、

と思わせる。



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勤め始めた会社の本社社長(外人)がまさしくそのタイプ。

その社長の「ビデオメッセージ」をみたら、

おおっ!と驚く

「国際的企業」社長にあるまじき(?)

まさに上記の笑顔の人であった。

とびきりの性格の善さ、誠実さ、素朴さ、などが溢れ出ている。

もちろん実際は知らないけど。


あのタイプの「真性の笑顔の人」というのは

私は今までの人生で2人しか会ったことがない。


1人目は阪神大震災のボランティアで知り合った、

マザー・テレサの会から派遣されていたインド人のシスター。

2人目はオーストラリア人のワイン会社の営業の女性。

美しい「気」を放ち、周りの人を一気に和ませる二人であった。


普通に「いつも笑顔で感じが良い」人は

多くはなくとも、たまにいるが

あのような外部に影響を及ぼすレベルの笑顔の人は

あまりいない、と思う。



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人のあり方、生き方は顔に出るわけだから

そのような彼ら・彼女らは

どのような生い立ち、家族や環境、信条をもっているのだろう、

と興味がわく。


おそらく愛情をたくさん受けて

不平・不満、悪意、卑劣など、多くの世の「悪い気」からは遠ざかって育ち

素直にものごとを捉え、全てありのままを受け入れること、

貯めこまずに人に与えること、などを

自然に身に着けた人なのではないか、

というのが私の想像。


人間は罪深く醜い部分をたくさん持っているので

彼らとて例外ではないと思うが

それでも、あの表情を保つに至っているのはなぜだろう。


上記3名についていえば

オーストラリア女性は知らないが

残りの2人の共通点は

非常に信仰心に厚い、ということなので

やはり超人的な力がなければ難しいことか。



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「笑顔」については

私には、長く不愉快な因縁あり。


私は人に対して、ネガティブな第一印象を与えるらしく

「ツンとしている」「暗い」「怖い」というのが

100中99.9人の方のコメントです。

もちろん道を尋ねられることも少ないし、ナンパされたこともあまりない。


極少ない例外が今の夫で

「優しそうな人だなと思った」というのが第一印象だそうなので

それを聞いた時には

やはりこの人変わってるかも、と思ったもんだ。


このネガティブな印象を与えるというのは子供の頃からで

よく通信簿なんかにも

「もっと明るく」などと書かれたものだ。

しかし、子供心に

「明るくしろって、どうしたらいいんだろう」

と戸惑って、馬鹿みたいにおどけてみたりしたし

高校生ともなると、そのような「指示」に反抗心を抱いたものだ。


しかし、「笑顔」が人に良い感じを与え、

さらに自分にとっても有益になりえる、ということは理解しており

今までの人生において

特にそれが必要とおもわれる相手や状況に対しては

「笑顔」を作ろうと努力していたが


そんな上辺の努力などは底が浅く

どんなに自分では頑張っているつもりでも

やはり「暗い」「ツンとしている」「怖い」という

第一印象から逃れられたことが、ない。

「笑顔」の下の「地」がしっかりと浮き彫りになってるんですね。



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やはり、「地」というのは簡単に隠せるものではない。

何らかの性格の歪み、のようなものが発露しているのでしょう。

子どもや動物に好かれない、というのがよく表してる。

それってかなりストレートで最低な評価かも。

「真正笑顔の人」とは

両極にあるのが私なのかもしれない。


自分のありのままを受け止め、無理をしない

というのが精神の均衡のために

とても重要であるということは体得してるが


しかしながら、哀しいかな、

社会生活においては「地」をそのまま出すことはできない。

もっと明るく、などという曖昧な「要望」を押しつける

日本の画一的かつ無責任な教育者の呪縛かもしれないが。


やはり

効果のほどに疑いをもちながらも

「笑顔を作る」ことを諦めてはならぬ、と性懲りなく思っており

明日の月曜日からも

また無理に笑顔を作る1週間が始まるぜ。

超倹約生活の後遺症

仕事を得て

よいことだと唯一断言できるのは

言わずもがなであるが、収入が確保できたこと。


若い頃は

仕事にやりがいや面白みを求め

何が私に向いてるか、などと真剣に考えたものだが

今はもうそんなことは考えません。

我ながら賢くなったものだと思う。


人それぞれ色々な意見があろうが

私にとっては、今や

仕事=金、である。

当り前だが

収入を得るために働くのであって

それ以上のものを得たいと思わなくなった。

というより、思わないようにしている、というところか。


今月からサラリーをいただける身となったので

これで、今までの超倹約生活からは脱却できる。

ありがたや、ありがたや。

財布の紐が多少ゆるまっているこの頃。




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というわけで

まずお花を買いました。


以前サラリーマン生活をしていた際には

ほぼ毎週、切花を買って部屋に飾っていたものだが

この1年半近く

そんな贅沢はできなかった。

やはり家に常に花があるというのは気持ち良いものです。


恐ろしいもので

1年半近くも倹約生活をしていると

すっかり倹約マインドが根付いてしまい、

しかも時が経てば経つほど

よりストイックに、よりマニアックに

その傾向はエスカレートしていって

今や貧乏臭いほどになってしまった。


しかし、まあ

以前は、食料品程度の買い物であれば

ほとんど値札を見ない、といっても過言ではないくらい

ある程度欲しいものをバンバン買っていて

モノの平均価格などよくわからなかったが

今や

「小松菜98円!これは安い!」

などと即座にわかる。

ある意味、常識的な人間になったとも言えましょう。



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それにしても

食料品の「無駄な買い物」の楽しいことよ。


今日買ったのは

サラダに混ぜるためのナッツ類とレンズ豆。

今までは

栄養価的に必須のものを

最低限の価格で買うことに血道をあげていたが

今は

「なくても良いもの」が買える。



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百貨店を歩いていたら

何種類もの「飲むお酢」の試飲販売をしていた。

これも「なくても良い物」だが

じゃあ、という感じで1本購入。

希釈タイプで250ml1000円ほどだし。


それでも

なんだかリッチな人になった気分(苦笑)。

今までなら、試飲販売など敢えて近づかなかった。

買いたくなったら、また買わざるをえなくなったらヤバイ!みたいな感じで。




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ちょこっと甘いものを食べたくなって

近所の「シェ・ルイ」に寄ったが

(これもリッチな人の気分)

ケーキひとつ350円ほどがとても高く感じる。

間食1回に350円を投入するなんて!

という感じ。


で、「もちもちきなこ揚げ」だったか

名前は忘れたが

6個で149円というものを買った。

これなら2回分の間食になるし1回75円なら安い、と

計算するようになってしまった自分が

つくづく恐ろしい。


見栄っ張りなこともあって

貧乏臭いことを嫌悪するタイプだったのだが

1年半の超倹約生活で

出費に関しては

相当シビアになってしまった。


それだけでなく

こんな風に

豆や酢なんかの写真を嬉々として撮るようになってしまって

哀れというか、

やはり貧すれば鈍するということか・・・。










パリ・東京

パリから東京へ戻ってくると

毎回

「あれは夢だったのか・・」

というような思いにとらわれる。


パリでの時間は現実離れしたものではなく

むしろ、私にとっては

パリは

もうひとつの住まいがある場所で

生活の拠点としてのルーティンもあるのだが


東京に戻ると

やはり、こっちの方が

強く「現実」なんでしょうか、

パリでの日々が

遠く過ぎ去った彼方の出来事のような気がしてしまう。



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それとも

時間の経過の問題なのかな。


今回パリで過ごした3週間も

東京に戻るとあっという間に

上書きこそされないが

過去完了形で記憶に整理されてしまう。


もっと若い頃には

もう少し長く「整理」されずに留まっており

その余韻を長く楽しめたような気がするのだが。


やはり

よく言われるように

年齢と共に時間の経過も加速度を増しているらしい。



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若い時は

非日常の楽しいひと時が終わりに近づき

現実・日常に戻る時を迎えることが嫌なものだった。


夜通し遊んで、朝の空が白んできて、そろそろお開きかと皆で思い始めるころ。

旅行から戻り、空港で友人達と別れの挨拶を交わすころ。


もちろん今でも

それは好きなひと時ではないけれど

今の方がよりスムーズに

その時を迎えて越えられるようになった。


いろいろな経験を越えてきたために

Life goes on.

というのを体得し

現実とうまく折り合えるようになってきたわけだ。


ま、大人になった、というわけだね。

そういえば、5歳くらいの頃

遊びに来ていたおばあちゃんの家から帰りたくなくて

ずーっと泣いていた、という記憶があるが。



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それにしても

うちの夫というのは

そのあたりの転換が早いというか

全く情緒に引かれないというのか


別居婚なので

またこれで数ヶ月会わなくなるというのに

今回もまた別れ際、

私がタクシーで走り去り、手を振ろうと振り返る時には

ドアのペンキが剥げているのをチェックしているようだったし

全く別のことに気を捕らわれているか

次の行動に移っているかで

毎回、「別れ際の情緒」というものがゼロ。


照れくさい、とか、悲しみをカモフラージュしてる、とか

そんなことでは全くないと100%断言できる。


彼のように

長い外国暮らしの中で

厳しい現実を越えてくることに集中してきた人間には

時が経ち、次の局面を迎えるということは

当たり前すぎることで

そこに一々感情を持ち込んだりしないのでしょう。


それも「大人」ということか。



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このブログを始めて

1年と数カ月経ったが

パリと東京での生活や日々思ったこと

初めてのウェディングに関する事柄などを

写真と共に記録に残しておいたのは

私のような感傷的な人間には良かった。


明日からまた

東京での会社員生活が始まるので

パリに行くことも当分はないだろうし

全く生活が変わることで

ここに記録したいことがあるか、またその時間を作れるのか

また、記録する内容が変化していくのか

などなど

未知ではありますが


ビュンビュンと過ぎ去っていく時間の中で

あえて停まって

出来事や、そのとき思ったことを記録に留めるのは

「大人」としても悪くないことだと思っている。