ハイジの退屈日記 パリ・東京 -54ページ目

昭和嫌い

先日、夫ペーター(日本人)の実家に行った時のこと。
兄弟のみなさんがあちこち車で連れて行ってくれて
それはそれで楽しかったのだが
「勘弁してくれ!」と思ったことが一つ。

車の中で次々と流れる昭和の懐メロ。
ビリーバンバン、小坂明子、イルカ、ガロ・・・。
夫は、普段はブラームスやシューベルトやらを片時も放さずウォークマンで聞いてるのに
五輪真弓の「恋人よ」を、「これ好きだー」といって
何度も繰り返し聞くのは耐え難かった。


車という密室で、嫌悪する音楽を流し続けるのは、明らかに拷問である。



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あれら昭和のフォークソング、歌謡曲を
なぜここまで私は嫌いなんだろ。
実際、ほとんどの曲をちゃんと知っていたくらい、
ところどころ、実は歌えちゃうくらい、
それらを聞いて育ってるのにね。

どうも私はあの時代そのものに
嫌悪感を抱いているらしい。

音楽が記憶を掻き起すのだね。



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NHKの日曜お昼の長寿番組「のどしまん」。
12時のニュースが終了し
あの「キンコンカン、キンコカコカン」というテーマソングが流れ始めるやいなや
私はいつもチャンネルをすかさず変える。
「キンコン」くらいまで流れてしまったら、敗北である。
最低、「キ」くらいで素早く音を封印しないと、嫌な気分に陥る。

先日はテレビ番組で
昭和40年台あたりに大型団地が急増した、という話題を取り上げていた。
そのころの団地の典型的な間取りを紹介したり
床に座る生活から、ダイニングテーブルに変わった等々
生活スタイルの変化について振り返る、というような趣旨だった。
その番組をなぜか少し見ちゃったところ
またウンザリと気が滅入ったね。

そういえば
私はケチャップやウスターソースというものが嫌いなのだが
嗜好もさることながら
それも、あの時代に対する嫌悪感なんだろうかね。
「スパゲッティ・ナポリタン」なんてものは
できたらもうお目にかかりたくないのものだ。

「三丁目の夕日」などは絶対に見たくない映画のひとつ。
どうやら、私にとっては
昭和30年代、40年代あたりが鬼門らしい。


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あの頃というのは
今よりもずっと時代の空気は明るかったはず。
高度成長期、終身雇用も当たり前だった。
明るい未来を思い描いて、一生懸命働き、
得たお金で家電やらを次々買えるし、
働けばそれなりに報われると、みな信じてた時代なのでは。

私はその当時は小学生だったので
そこまで意識はしていなかったろうが
それでもそういう時代の空気の中で育っていたわけだし
上記、今や嫌っているものを
当たり前のこととして受け入れて、摂取していたと思う。
歌謡番組もよく見ていたし、ナポリタンも食べていた。


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私が嫌う、あれら昭和の雰囲気、事事を
私なりに一言で言えば
「貧乏くさい」、ということに尽きる。


さらに言えば
画一的で、全体主義的で、大衆的。
安易で、しゃれてない。

どんどん便利に、合理的に
ものが「進化」していった時代なんだろうか。

蛍光灯が煌々と居間を照らし始めたのもあの頃でしょう。

文字通り、「陰影」というものがなくなった。


もちろん

あの時代にお父さんたちが一生懸命働いたお陰で

今の日本があり、私があるわけなので

悪口を言うつもりは毛頭ないが

ただ単に、

あの時代のテイストが私の趣味・嗜好に合わない。



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しかし、

もっと深く考えてみると

要は、あの時代に私自身があまりハッピーでなかった、ということかもしれない。


健康で、平凡、まあまあ平穏な日々を過ごしていたし

とりたてて不幸に見舞われたわけではない。


ただ、支配的な親に育てられたためか

反抗心だけはものすごく強かった。

素直な子供ではなかった。

それゆえに、今でも、あの頃の自分をとりまいていたカルチャーを

嫌悪しているんだろうか。


年齢と共に嫌悪感がエスカレートしているような気がする。

今や、「サザエさん」でさえ苦手になってしまった。

素直でない子供が

年をとって偏屈・狭量になっていくのは

まこと悲しい。






気仙沼の子供たち

気仙沼へ行ってきた。

一応、仕事である。


日本冒険遊び場協会というNPOが行なっている活動をサポートし

被災地の子供たちのために

会社として微々たる協力をしているため

現地を見学させていただいた。


今回の目的地は

気仙沼市内よりずっと南の山の中にある小学校。

全校児童の数は数十名という

とても小さな、和気あいあいとした学校で、

静かな森に囲まれた素晴らしい環境にあった。



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大体、小学校というもの自体に足を踏み入れたのは

自分が卒業して以来ではなかろうか。


ちょうど東京から大学生たちが

ボランティアで数日間の「学習指導」で来ており

(この形での子どもとのふれ合いボランティア活動が結構あるらしい)

学校をあげての行事(といっても超小規模ですが)のような様相を呈していて

その最終日であったということもあって


なぜか私も、給食室で皆と一緒にカレーはご馳走になるわ、

校長室での「反省会」に100円アイスを食べながら参加するわ、

先生方も含めた全員の前でご挨拶をする運びになるわ、

ありがとうございました!と大学生と一緒に校長先生に最敬礼して別れるわ、

いやー全く得がたい経験をさせてもらった。



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小学生とは普段全く接点がないので

どうなることやら、と思う部分もあったのだが

子供たちは

見知らぬおばさんに対して警戒心を抱くでもなく

フツーに接してくれた。


ある男の子は手作りの楽器を説明してくれたり、

また別の1年生と思われる小さな男の子は、

私となんらかの話のキッカケを見つけようと思ったらしく、

「『イケメンですね』見ました?」

と話しかけてくれた。

お母さんが見てたんでしょうね。


現地の様々な子供たちと接している

そのNPOの方々の話しによると

ここの小学校の子供たちは、群を抜いて素直で、

いわゆる「子供らしい子供たち」だそうだ。


山の中で、ここの子供たちは津波を経験しておらず

また避難所の生活などもしていないそうなので

それが理由の一部ではあるらしい。



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ただ、この子たちも大きな地震を経験しているので

その怖かった体験の影響は、まだまだ残ってるとのことだった。


震災後、しばらく経って、今年になってからでしょうかね、

養護の先生の引率で、石巻にみんなで映画を見に行った時の話を聞いた。


最新の映画館で、音響システムも売りのひとつ、というような所だったらしいのだが、

何の映画だったかわからないけど、しばらく見ていたら

ズン、ズン、ズン!というような映画の音響で低音のリズムが響き始めたとたん

子供たちが皆、パニックになってしまって

「避難しなきゃ」というように立ち上がったり不穏な状態に陥り

映画鑑賞どころではなくなり

早々に引き上げてきた、とのことだった。


一見、無垢にのびのびと育っているように見えるが

当然ながら、心に受けた傷は深い。



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現地NPOの方々の話しによると

ほかの多くの地域の子供たちは、またちょっと違うとのこと。


私が会ったこの小学校の子供たちほどは

真っ直ぐ素直な感じではないらしい。

言うまでもなく、それはその子供たちの気質のせいではない。


被災の程度がひどいところほど

ボランティアで色々な人達が入れ替わり立ち代わりやってきて

そして帰ってしまうので

人との距離のバランスがとれなくなってることもあるらしい。



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この日本冒険遊び場協会では、もう20年以上、

子供に野外での遊び場を提供し、自由に遊ばせることによって

子供たちの健全な生きる力が育まれる、という考えをもって活動している。


実際に、阪神淡路大震災の時にも

遊びがどんなに子供たちの心を助けたか、ということを身を持って感じたそうだ。


放射能の影響で外遊びがママならない子供たちも含め

なんとか、一日も早く、心の復興も遂げられるように切に願う。



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最後に

一日を終え、NPOの方が車で仙台まで送ってくれた。

その途中、いまや「被災地見学ツアー」のコースにもなっている

南三陸町の防災庁舎に連れて行ってくださった。

(上の写真はまた別のところです)


打ち捨てられた廃墟のような

その場所に降り立った時の感覚は

私の筆力を越えます。

写真など撮る余裕などなかった。


誤解を恐れずにいうと、

アウシュビッツ強制収容所跡に見学に行った際にも

ちょっと違うが同じような強烈な感覚に襲われた。


東北の沿岸で起きた悲劇はほんの去年のこと。

それだけに、数万の魂が一斉に泣き叫び訴えかけてくるような感覚に

どっと襲われた。


防災庁舎を撤去するか残すかの論議があるらしいが

私は残してほしい、と思った。

人間は忘れやすいので。






恥ずかしい国内線の旅

今までの人生でかなり飛行機には乗っている方だと思うが

国内線を利用したのは

たった4回であることに気づいた。

国際線については100回近くは利用しているだろうから

割合からいっても少ない。


というわけで

国内線においては、ほぼ初心者といってもよく

すべてにおいて

やり方がよくわからない。


先週末は札幌に出張だったのだが

まず、空港に出発のどのくらい前に着いたらいいのかがわからない。

適当に1時間前に行くようにしたら

夏休みで混んでいたが

搭乗前にビールを1杯飲む時間もあったので

まあ、程良いところであったでしょうか。



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そして

チェックインカウンターの仕組みもよくわからない。

とにかく皆さんが並んでいるところに並んでいたら

カウンターに「手荷物預かり」と書いてあることに気づく。


え、これはチェックインをオンラインとかで済ませた人が並ぶ列?

と、急に焦る。

今まで並んでたのがムダになる!

早く入ってビール飲みたい!


で、脱兎のごとく列を飛び出して

「すみません!ここでチェックインできるんですか?」と

カウンターに聞きに行ったら

はい、できますよ、とニコヤカに言われたので良かったが

結果的に、「割り込み」をした結果になり

バツ悪し。


割り込みするつもりなかったんですー

ただ、飛行機あまり利用したことないんですー

という顔をつくって、後ろの人達を振り返ったが

さすが日本の国内線、

バシバシと要領よく客をさばいているので

私の前に並んでいた人たちは、別のカウンターに案内されていた。

ほっ。



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そして手荷物検査。

液体物をジップロックにいれていたのは私だけ。

そうだったっけ?

なぜ、国際線においてはダメなものが

国内線においてOKなんでしょう?


液体物持ち込み制限ってテロ対策のためだったと思うけど

日本国内においてはテロはない、という前提なのか。

原発に事故は起きない、

にも近いこの発想。

よくわかりません。




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そして札幌からの帰り。

思いの外、仕事から早く解放されて

新千歳空港にもかなり早く到着できたので

「あのう、早い便に変更できますか?」

と聞いたところ、やはり

「お客様の便は一切変更できない便となっております」。


うん、確かにね、宿泊とセットの便だったから

ダメだとは思ったんだけどね、

空席ありだったしね、

一応聞いてみただけなんですー!

という顔で、素直に引き下がる。


軽く1時間はあったので、じゃあ飲んでやる!と

解放感いっぱいでレストランフロアへ。

札幌滞在中は、ビールと日本酒を飲んでいたので

久しぶりにワイン、シャンパンが飲みたいよーと

そういう店を選んだが、味はイマイチ。

しかし、なんだかんだ、3杯飲む。

その後、搭乗口の近くで「口直し」にさらに生ビール1杯飲む。




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とどめは東京に着いた時。

不慣れな羽田空港において

ほろ酔いだったこともあったのか

人の波について歩いていたら、

いつの間にか、荷物受け取りの場所ではなく

出口の外に出てしまった。


ありゃ、荷物とらないまま

下界に出てしまった、と戻ろうとしたところ、

いったん出たら、もう戻れない仕組みなんですねえ。


定年退職後、いくつかの仕事を経て、空港での手堅い仕事を得たばかり、

実直だけが取り柄です、みたいな初老のガードマンさんが

驚きに目を見張り、パニックに陥りつつ

「ここに入らないでください!出てってください!」

と慌てふためいていた様子を見ると

よほどの異常事態なんだな、

逆流しようとするトンマな人なんて今までいなかったんだな、

と思われました。


で、預けた荷物を取り戻せたのは

それから約20分後のことだったでしょうか。


いやーー慣れてないと、何事も難しい。

っていうか、恥ずかしい。