ハイジの退屈日記 パリ・東京 -53ページ目

背の低い男と自意識過剰

先週、夫ペーター(日本人)が出張でニューヨークに行っていたことを羨み、
急に「ニューヨークもの」が見たくなり、
DVDでニール・サイモンの「グッバイガール」と
ウディ・アレンの「マンハッタン」を見た。
中学生の時以来、何度か見てる好きな映画である。

やはり、あの70年台のNYというのが
私のNYへの憧れの原点なんだなあ。
映画の内容の方はたわいないが、
マンハッタンの様子は何度みてもシビレる。

この2つの映画を見ていて
ハタ!と気づいたことがある。

「グッバイガール」のリチャード・ドレイファスは
身長が160センチくらい。
性格的タイプも外見も、全く好みでないけれど、惹かれる。
あの映画における彼の演技が秀逸だからだろうか。
その後の「張り込み」の彼も好きだったけどね。


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そしてウディ・アレンも身長160センチくらい。
ダイアン・キートンやマリエル・ヘミングウェイと比べても
明らかに背は低い。

ウディ・アレンは確実に私の好みの真逆なので
(インテリ臭さ、神経質、おしゃべり、非美男)
全くもって惹かれたことはないのだが、
映画そのもの、またはマンハッタンの町の魅力に引きづられたか、
彼女らと一緒にいると、少なくともペアとしてはカッコいい、と思えた。



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そして、もうひとりの背の低い俳優ダドリー・ムーア。
(今は何してんだろ、と思って調べたら、
ずいぶん前に亡くなっていたんですね)

彼といえば、随分おモテになった方だということで、
忘れもしない、私が高校生の頃に、
彼が自分より20センチくらい背の高い女優だかモデルだか
美しい女性と一緒にいるショットを雑誌でみて
「なんだかカッコイイ」と思った。

決して典型的ハンサムとはいえないダドリ・ムーアが
臆せずに長身の女性といるのもカッコイイが、
自分より相当背が低い男性と付き合う女性もカッコイイ、
と、これで確実に刷り込まれたと思う。


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そしてフト思い出したのが、
私自身、けっこう背の低い男性と付き合ってきた、ということ。

母数は多くはないけれど、
比較的「ちゃんと」付き合った男性のうち数名は
やはり身長が160センチくらい。
(本人たちは決まって165センチ、と言っていたが、ウソだと思う)
いずれにせよ、163センチの私がヒールを履けば、確実に私の方が背が高かった。

一般的に
世の中の女性は、背の高い男性をより好むらしい。
ところが、私は背の低い男性というものにあまり抵抗がなかった。

久しぶりに「グッバイガール」やら「マンハッタン」を見て
今頃になって気づいたのだが、
どうやら、私はあれらの映画をみたためか、
背の低い男と一緒に歩くのはカッコイイ、と思っていたフシがある。

いや、もっというと
より背の低い男性と一緒にいる自分自身に
優越感を抱いていた、というのか、
そういう相当に歪んだ根性があったらしい。

確かに、口では美形好きだのと言ってる割には、
背の高い男性やいわゆる美男と一緒にいると
居心地が悪かった記憶がある。
これは自信のなさ、ないしは、自意識過剰から来ているね。


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そんな自意識過剰からはいつのまにか卒業できたためか、
結婚した男性は、身長180センチ超のガッチリとした男であった。
上記写真は、マンハッタンを臨む
ブルックリンより。

今では、長身は七難隠す、と考えている。



























実力とオーラ

日常の毒抜きには音楽だ!と気づいて 以来、

寝る前をはじめ、良い音楽を採り入れる日々。


そういうことをしていると

「流れ」がチューンイン、するのでしょうか、

ジャズ・バーへ行こうとのお誘いが。

ライブにまさる音楽体験はないので

二つ返事で行ってきた。


バーの中に無理やり演奏場所を作ってしまったような

小さなところだが

そのために演奏者と客席が近く、

また飲み食べしながら音楽を聞けるので

リラックスした雰囲気で心地良い。


やはりライブというのはいいね。

その演奏者の「今」が奏でられ、その時その場の空気と共鳴し合う。



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音楽がつくる心地良い時間に身を任せていればいいものの、

やはり私は視覚的な人間ゆえか

つまらないことに、いつも気づいてしまうんだね。


その日の演奏者は

ボーカル、ピアノ、トランペット、テナーサックス、ベース、ドラムで

皆さん、親しみやすい風貌、といいましょうか、

あまり「ミュージシャン的」オーラがない。

たぶん、音楽を生業としているのではなく

本業は別なんじゃないのかなーという感じ。


勝手ながら彼らの職業を想像すると、

上記にあわせて左から、

輸入商社OL、飲食店バイト、国家公務員、広告代理店勤務、家電量販店販売員、出版社編集部、

みたいな

ものすごい乱暴な妄想ですが

つまり、私と同じような「勤めびと」のオーラだったんだね。



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私の偏見かもしれないが

ミュージシャンなど自ら創作活動をする人、またはアーティストというのは

「勤めびと」オーラを放たないものではないか。

わかりやすい例でいうと

坂本龍一にはサラリーマン的オーラはない。


ルックスというのは、その人の中身を物語る。

ふだん、その人がどういう生活をしているのか、

何を聴き、何を考え、何を食べ、どういう人と会っているのか、等々が

独特のムードというものを作る。


演奏者かたがたはそれぞれ熱演だったけれども、

その人から醸し出る雰囲気がなんだか「ジャズ」ではないことと

演奏のレベルというのが比例しているように思えてしまった。


特に「国家公務員的ルックス」のトランペッター氏は

相当はずしまくっていた。

「輸入会社OL的ルックス」のボーカル女史も

歌が上手な人ではあったが、今ひとつジャズじゃない。



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優れた演奏家というのは

やはりそれなりのルックスを伴っているのでは。

もっというと

アーティストのみならず

どんな職業人もルックスで判断されてしまう面がある。

それは、やはり実力や精神性が外に顕れるからでしょう。


ライブ音楽というものは実にいいものだけど

視覚情報も入るがために

ハードルが上がってしまうね。

視覚も相まって素晴らしいパフォーマンスになる時があるのだけど。














日常の毒抜き

三連休であった。

7日のうち3日仕事を休めると

かなり心身ともに助かる。

平日の毒抜きにはやはり3日はかかる。


最近また人嫌い、会話嫌いの 傾向が強くなってきた。

これは一種のウツのサイクルなのかね。

平日はニコヤカに人と交流しているが

本当にウンザリだ。

この傾向は5,6年前からのような気がするので、

もしかして更年期症状の一種?


就業時間が終わると、逃げるように会社を出る。

早くひとりになりたい!

誰も話しかけないでくれ!


「おつかれさまでした!」と笑顔で挨拶し、

会社を飛び出し、夜陰に紛れると

またたく間に

私の顔の貼り付けていた笑みは消滅し、

「地」である、仏頂面がよみがえる。

無理に釣り上げていた唇の両端はだらりと下がり、

不満分子、といった表情に戻る。




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茂木健一郎「すべては音楽から生まれる」を読んでいたら


「絶対的な座標軸ーたとえば「喜びや美の基準」といったものさしーが

自分の中にあれば、日々の難事や苦しみは、ずいぶんとやわらぐものである。

(中略)

人生の苦しみを緩和し、さらには、世界の美しさや楽しさに目を向けさせてくれるような、

生きる秘訣となるのではないだろうか」


という一節があった。


彼にとってはその座標軸が音楽である、ということだそうだが、

確かに私にとっても

音楽というのは、「薬」であったりする、ということに思い至った。


もちろん自分の好きな音楽に限るが

音楽は私にとって「快」そのもの。

理屈ではないし、どこがどうこう、と説明できないが

好きな音楽、また素晴らしい演奏は心身に染みわたり

ひねくれて、汚れちまった魂を整調する。



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茂木さんいわく、

「脳科学の世界では、音楽を聴いて喜びを感じる時の回路が、

生物として非常に基本的な回路であるということがわかっています。

食べたり飲んだりした時に感じる、本能的な喜びの回路と共通だということです」


ということだから、

なんてことはない、

要は音楽の喜びというものは非常にプリミティブな感覚なんだね。


考えてみたら

最近あまり、ちゃんと音楽を聴いていなかったような気がする。


日々の「毒抜き」としては

毎晩ひとりでリラックスして酒を飲み、

フランスの古典を読み、

(「レ・ミゼラブル」やっと終了。最後は電車の中で涙とまらず)

若干、働くことを肯定した方がよいのかと、

アメリカのTVシリーズ「ザ・グッド・ワイフ」を見ていたが


もっと音楽を生活に取り入れればいいんだ!という

極めて単純なことに気づく。



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そういえばパリでは

夫ペーター(日本人)は

必ず夕食のあと、焼酎片手に(!)、ショパンだのベートーヴェンだの大音量で聴いてたっけ。


年末に軽いウツだった時

転換のキッカケとなったのが

彼のDVDコレクションのひとつでモーツァルトの演奏のオムニバスを見た際

バーレンボイムのピアノを聴いた時だったと思う。

演目は忘れてしまったが

「魂の整調作用」が行われたのだった。


モーツァルトが私の心身の不調に良い作用を及ぼすことは前からわかってたのだが

あのバーレンボイムの演奏との共鳴は

あらためてその威力を思い起こさせたっけね。


そうだ!

もっと音楽を聴こう!


それでも、逃げるように会社を後にすることには変わらないだろうが。