ハイジの退屈日記 パリ・東京 -49ページ目

自分にゾッとする言語障害

時々、漠然と思うのだが、
私は隠居生活に入ったら、とたんにボケるだろうなあ。

私の頭のネジは常に緩まろう緩まろうとしているのが
自分でもわかる。
基本的にあまり頭を使いたくない。
弛緩していたい。
頭を働かせることはストレスだ。

音楽を聴いて酒を飲み、ぼやーーーっとしていたい。
したがって
人と活発な会話をするのも好まず
ゲームはいかなるものも嫌いである。
SUDOKUなどは
数分どうやればいいのか考えたが、全くわからず
すぐに投げ出した。
読書が大好きで、文をよく読んでいるのは救いかもしれないが。

まあ、週に5回は仕事に出かけて、
たまたま、今となってはなんの因果か、
多種多様の幅広い業務を行う職務で、
様々なジャンルの人達と打ち合わせをする機会が多い、
というタイプの仕事をしているため
かろうじてボケずに済んでいる気がする。

いつもここに書いているように
こんな頭のユルい私が
そんな仕事や人と話すことをものすごくストレスに感じているのも
当然といえば当然でしょう。


ハイジの退屈日記 パリ・東京


昔から、これは一種の言語障害か?と思われることが結構あったが
最近、それがひどくなってきたような気がする。

ふたつの言葉を並べて使う時に、
そのうちの1文字を瞬時に交換してしまう、というのが一つ。

たとえば
「なおこさん、にあうよ」
と言おうとして、
「におこさん、なおうよ」
と言ってしまうというもの。

あと
相手が言った言葉の一つを、そのまま取り入れて反復してしまう。

「じゃあ車で行きましょうよ」
と言った相手に対して、
「山田さん、車の運転できるんですか?」
と答えようとして、
「車さん、山田の運転できるんですか?」
と言ってしまう。

その時は相手の爆笑を買って終わったが

若年性痴呆の言語障害のひとつで
「反復」というものがある、と読んだが、
これってその反復ってやつ?
ちょっと違う?

自分にゾッとする瞬間です。


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あと、かなり若い時から
「電話」と「時計」が混乱する。
電話をかけたい、と言おうとして
時計をかけたい、と言ってしまう、
またその逆など。

これは「語性錯語」っていうらしいですね。
原因などはよくわかってないらしいけど
言葉を覚える段階で、神経がうまく機能しなかった、ということか。


最近多いのは
「ちょっと近いけど全然違う」ことを言ってしまうケース。

先日は
「粉吹き芋は昔、調理実習でやりましたよね」
と言いたかったのだが
「粉吹き芋は昔、給食でやりましたよね」
と言ってしまい、
会話をしていた相手が
「え~給食でやったのお~?!」と驚いたので
そこで間違いに気づく。

また
「アメリカの航空会社の機内食ではベジタリアン食を頼むと間違いない」
と言いたかったのだが
「アメリカの航空会社の機内食ではオーガニックを頼むと間違いない」
と言ってしまい、
それまでの話しの流れで
会話をしていた人達の???を誘ってしまった。
相手の反応をみて、間違いに気づいただけ、ましか?

このくらいの言い間違いはよくあることなのかもしれないけど
話の「核心的な部分」を間違えるので
意味が通じなくなる。


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若年性痴呆症の予防、というので検索してみたら
食、運動、知的生活習慣が大事であるとか。

規則正しく、栄養バランスは悪くないとおもわれる食生活はしているし
(青魚、緑茶、ゴマがいいらしい。全部クリア)
かろうじて仕事をしていることで
計画を立てたり、文章を作ったり読んだり、人のいうことを聞いたりしてるし
やはり足りないのは有酸素運動か。

もともと自閉症的な性格の上に
弱い頭にストレスを与え続け
そしてアルコール依存症であり
運動もしていないとくれば
これは痴呆への道をまっしぐらかもしれぬ。




















酒を飲まずに済ませる方法

私は今更わざわざ言うほどのことではないが
軽い酒依存症である。
しかし
最近は特に、今更言うほどのことではないが
これはマズいのではないか!?と
真剣に思うようになった。

翌朝
身体がだるい、胃が痛い、息が臭い、
なんてことがよくあるので
仕事にも差し障りがあるし
今日こそは飲むのをやめよう、
とそんな朝には思いながら
通勤路をとぼとぼ歩くのだが

夜になると
少しはいいだろう、
今日も1日頑張ったんだしさ、と
また飲む。
もちろん一人で。

また、今日はお刺身を食べる予定だったので
そしたら、日本酒を飲まないってわけにはいかないでしょう、
とか、献立の方を変えりゃあいいだけなのだが
なんやかんや言い訳を作って飲む。

この「言い訳」をつくるってところが
そもそも依存症っぽいよね。


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体質的に飲めない、という人をみて
心底うらやましい、と思うことがある。
なんかカッコイイ。
常にシラフでいるというのはスマートだよねえ。
そこで得た(失わなかった)時間を有効に使えるし。

またお酒を「嗜む」人、
お酒が飲めないわけではないのに
ワインを2杯くらいでもう十分、という人、
なんてカッコイイんでしょう。

どうしてそこで留まれる人がいて
私のように
そこから底なし沼に入っていく人がいるんでしょう?
自制心の問題だけ?

私のように
なにかと現実逃避の傾向が強い人にとって
酒というのは
持たせてはいけない武器みたいなもんなのかも。


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酒ってのは
飲めば飲むほど止まらなくなる。
今日はワインボトル半分でやめておこう、と最初に決めていたのに
飲むうちに
頭が正常な判断をしなくなるため、ダラダラと飲み続けてしまう。

ここで止めて
おいしい中国茶でも飲もう、と
始めは思っていたのだが
どんどんと
酒の方がおいしい、と思う錯覚に入り込み
ドツボにはまる。

うちの夫ペーター(日本人)は、
夜、仕事から家に帰ってお酒を飲まない方法は、
まずはカルピスを1リットルくらい一気飲みすることだ、と真剣に言っていた。
ああ、同志よ、
君のその底が浅いんだか深いんだかよくわからないその発想!



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酒をみると飲みたくなる。
飲んでいる人をみると、飲みたくなる。
テレビ番組や映画などで飲んでる人をみると
「伝染る」。

昨夜は珍しく酒を飲まなかった。
なんてことはない、
その前の夜に飲み過ぎた、ということだが。

で、いつものごとく夕食をとりながら見る映画としてレンタルしてきたのは

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)/トム・ハンクス,サンドラ・ブロック,トーマス・ホーン
¥3,980
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この映画を選んだ理由が
テーマが9.11で父を亡くした子どもの再生というシリアスさで、
しかも子供が主役であるため
酒を飲むシーンは出てくるまい、というもの。

そんな理由でこの映画を見た人が
いまだかつているだろうか!?

ところが
順当に思惑通りに(酒シーンに関して)映画は進んでいたところ
ほぼ最後、クライマッスクにおいて、
酒に逃げてる大人が出てきて隠れウィスキーを飲むシーンが出たので
思わず苦笑。

しかし、映画のパワーの方が強かったせいか
酒を飲みたい誘惑には打ち克つ。

まだ私も捨てたものではない、といえるのか、
相当にヤバいレベルということなのか、
どちらでしょう?





















ペーターとビルと過ごした夜

本日は、東京は雪の休日であったため
家を一歩も出ずに
のんびり過ごす。

先週の仕事始めの週は
休暇の反動で呆けていたところに
特にイベントごと盛りだくさんで
脳みそをフル回転せざるを得ず
すっかり疲労。

やはり
静かに家で音楽を聴いている時が
一番心身が休まる。


実際、
10日前まで年末年始を過ごしていたタイ、ホアヒンでも、
連日飲んだくれ、大勢で乱痴気騒ぎの夜も楽しく過ごし、

気温30度は下らない南国の夜の
賑やかで楽しげな屋台街やら


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東南アジアならではの
キッチュで猥雑な店やら


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激辛料理やら


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を堪能していたわけだが

やはり一番こころが落ち着き、
自分に戻れたのは
夜になって、喧騒から離れ、
ホテルの部屋で
音楽を聴いていた時かもしれぬ。


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この時聴いていたのは
これ↓

I Will Say Goodbye/Bill Evans
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夫ペーター(日本人)がそこに別個にいて、
ひとりテラスで夜風にあたり、ワインを飲みながら
ステレオから流れるこのビル・エヴァンスを聴いてた時が
最高に穏やかで、充足感のある一時だったと思う。

もちろん
海辺で潮風にあたりながら
うたた寝読書をするのも
大好きなひとときで
休暇の醍醐味だけれども


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あの、
「ペーター」と「ビル」と「一緒」に
夜のテラスで過ごした静かなひとときは
心落ち着く、完璧な幸せを与えてくれた。

ペーターとビル、
どちらかが欠けると、
やはりパーフェクトとはいえない。