ハイジの退屈日記 パリ・東京 -46ページ目

ロンボク島での想い、現実の捉え方

ロンボクの旅 の続き。

日常へ戻り、現実への切り替えが難しいと思う私は少数派か。


夫ペーター(日本人)などは

シビアな現実を生き抜いてきたせいか

なんのセンチメントもないせいか

物凄く切り替えが早い。


私は、今朝ほどロンボク島から東京の自宅へ戻り

ものすごい勢いで掃除洗濯をし

明日から職場にもっていくお弁当用のスープまで作ったんで

私も大人になったもんだ (年齢とは関係ないもんです)。


しかし、やはり現実にまだ戻りたくない、という気持は根強い。

冬の朝に暖かい毛布から出たくないように

まだまだ旅の甘い想い出に浸っていたい。



ハイジの退屈日記 パリ・東京


今頃の時分はホテルのビーチから

こんな夕陽が見えていたよね、



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そして、しばらく経つと

こんな夕闇がやってくる。

波の音だけは常に同じリズムで聞こえてくる。


ハイジの退屈日記 パリ・東京


夕方はなんだかメランコリックになるが

朝がやはり好きだ。

決まって快晴、

ビーチは清々しい朝の空気に包まれる。



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朝の光がとりわけ美しいように思うのは

この空気のせいなんだろうか。

夏の早朝というのは、これは東京でさえそうだけど、本当に美しいと思う。


人生の最盛期にさしかかる、というイメージなのかも。



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正午の熱い太陽に照らされたビーチも好きだけどね。



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1回だけ、1~2時間、まとまった雨が降った午後があったけどね、

テラスでビールを飲みながら

海におちる雨を見ているのもオツなものでした。



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夫ペーターは

ここぞとばかりに、すかさずPCで株価チェックをしており

まったく興醒めな男であった。

(ちなみに、彼は『興醒め』を『ぎょうざめ』と覚えており

彼が『ぎょうざめ』と発するたびに

私はつい「餃子芽」のようなものについて、空想を巡らす)


ロンボク島には

13年前にバックパッカーとして行って以来で

確かにホテルなどは物凄く増えていたけれど、

素朴さはあまり変わってない気がした。

また行きたいなあ!


食べ物に関してはまだ開拓しがいあり、と見ている。

その話しはまた今度。






酒を求めるロンボクの旅

インドネシア、ロンボク島に来ております。
センギギより少し南のクルイ・ビーチ(Klui Beach)の小さなホテル、Jeeva Klui。

いやーーー
今まで泊まったリゾートホテルで2番目くらいに好きかも。


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何がいいって
人口密度が低い。
ゆったり、のんびり、ものすごく静か。
波の音しかしない。
へんてこなBGMなども流れない。

ちなみに近所の他のブティック系ホテルを見学にいったら
今のホテルの3倍近い部屋数のホテルということもあり
「けと○」(と、最近、夫ペーターと私は西洋人を呼ぶ)たちが
ムチムチブヨブヨした身体を、鬱陶しそうにゴロゴロ並べており
その人口密度の違いに驚いた。

我々のホテルでは、まさしく天国のごとく
鳥たちがさえずり
蝶々が舞い
海からの風が木々を通りぬけ
波の音が穏やかで心地よく
人々も静かにリラックスしている感じ。

満室のはずなのに
人があまりビーチやプールに出てない。
たぶんコテージのバルコニーで十分に気持ちいいのでしょう。
人が競い合うようにプール周辺の場所取りなどしないところは
この場所の気の良さゆえか。


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時々、イスラム教のお祈りの声(?)、アザーンが聞こえてきて
ああ、そういえば回教徒の島なのよね、
と思い出させられる。

いや、そうでもないか、正確に言えば、
回教徒の島にいることは身をもって痛感している。

我々夫婦は、酒がないと始まらない。
ビーチでは酒が欠かせない。
それは、冬は鍋、大阪ではたこ焼き、刺身にはワサビ、フランスではバゲット、
というような
ユニバーサルかつ絶対的な原理原則である。

いやあ、酒がどこでも買えない、というのは
ロンボク島の唯一困ったことだ(主観的にいって)。

経由地であったシンガポール空港で
酒を買いこもうとしたところ
ロンボクに持ち込めるのは1人1本だ、と注意喚起され、
しかたなく、ワイン1本とスコッチ1本を買う。

まあ、あとは現地でなんとかなるか、と
高をくくっていたら
全く甘かった。
ビールは買えるのだが、ワインやウィスキーなどどこにもない。


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ワイン1本なんてあっという間になくなったので
あとはスコッチを大事に飲むしかないのだが
これも時間の問題でなくなるし、
これは一大事!

ということで、
ロンボク最大の町、マタラムに
酒だけを求めタクシーで30分を行く。

最大のショッピングモール「マタラム・モール」では
日本でいうところの「紀伊国屋」のような
小奇麗で高級な、そして地元民は来ないのでガラガラ、というようなスーパーがあり
そこなら!と思ったのだが
やはり宗教の戒律というものは商売をも凌駕するのでしょう、
ビールしかなかった。

地元系スーパーを他に2軒みたが
ワインやウィスキーはないのか、と聞くと
「困った外人だなあ」というような優しい苦笑を浮かべて
ノー、と言われるのみ。
あっりゃあ、こらまた失礼しました~。

しかしロンボク最大の町といっても、たかが田舎の町、と侮っていたが
ものすごい交通量、ものすごいバイクのエンジン爆音、
体感温度40度、足元がアスファルトの照り返しでジリジリ焼ける。
排気ガスと熱気でやられた。


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酒を求めて鼻息荒く乗り込んだマタラムへのツアーは
あっけなく撃沈、終了。
タクシーに逃げるように乗り込む。
のどが渇いた~ビール~~、
とマタラムからセンギギへの途中の
シーフード炭火焼店Warung Menagaへ。

海を臨む簡素な店。
海風が気持ち良い。
庭先でニワトリとその雛たちがバタバタと走り回り
素朴このうえない店であった。


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酒を求める回教徒国での休暇は
旅程の半分を残すのみ。








ダイエットの動機は

ここ1ヶ月ほどダイエットをしている。

運動を全くしなくなって早2年、
毎日の飲酒も相まって
中年太りは着々と進行し、
確実に、締りのない身体になってきている。

もともと太目な方ではなく、BMIも19ではあるが、
運動していない中年の身体というのは
どことなく緩んでいて、たるんでいて、
顔の輪郭の方も歪んできており、肌のハリがないもんだから
全体の印象が、だらしない感じ。

どうにかしないとヤバイ、と思い始めた。
そうでもしないと精神的に荒みかねないので
せめて器から崩れるのを抑えよう、というあがきとも言える。


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先日テレビで
坂上忍という人が、物凄いきれい好きで神経質というネタでしゃべっていた。
彼は毎日何度も洗濯をし、休みの日は1日8時間くらい掃除をしているらしい。
しかし、失礼ながら、
外見からして、ピシリとした感じはなし、潔癖な人には見えない。
どちらかというと、どこかに問題を抱えている人のように私には見えた。

と思って見ていたら、
やはり、という言うのも変だが、
8時間の掃除は焼酎を片手にやっている、とのこと。
さらに、ご本人が
「掃除をきちんとやっていると、自分がまともな人間のように思えてくるから」
というようなことを仰っており、
納得すると共に、共感した。

きれいに掃除をしているからといって、
ダイエットをしているからといって、
その動機は様々で
たとえば
精神の均衡をかろうじて支えるためだったりするのだ。


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閑話休題。

私のダイエットというのは
大したことはない、
昼と夜に炭水化物を食べない、
家での晩御飯は、野菜と大豆食品(ジャコやツナは食べるか)、
今まで週に4,5回、しかも夜に食べていたポテトチップスやお煎餅をやめ、
チョコレートなどのおやつをナッツやドライフルーツに変える、
というのが食生活でのダイエット。

でも日本酒もワインも毎日(たくさん)飲んでるから
なにがダイエットだ、という感じもあるが、
すくなくとも以前よりは、カロリー摂取量は減ってはいるかな。

あとは
ちょっとした運動。
今更ながら「モムチャンダイエット」というのを始めた。
韓国の「カリスマ主婦」チョン・ダヨンのエクササイズ。
簡単な動きで筋肉を引き締めていくというもの。

DVDを買い
週に2~3回やっておる。
一回30分くらいのプログラムで
動きがかなり単純なので
身体が硬くても、運動神経が良くなくてもできるし、広い場所も必要としない。

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単純な動きの繰り返しは
かなり退屈ではあるが
汗もじんわりかくし、きちんとやれば多少は効きそう。

でもねえ
これを週2,3回行ったところで
身体が締まってくるのはいつの日か、という難易度に逆に不信感。
これもやらないよりマシ、ということか。
継続は力なり、ということか。

思えば
40過ぎまではボーイハントをしていたので
あの頃はまだ自然と頑張っていたよね。
もちろんジムにもいっていたし
なによりも気合と意識が違う。

どこに運が転がってるかわからん、と真剣に考えていたので、
家に一人でいる時以外は
常に四方の目を意識し、神経を張り巡らせていたといっても過言ではないので
そりゃあ、やはり気のハリ方が格段と違う。

しかし今や
あの頃の「自然な気合」は
全く望むべくもなく、
今の動機づけとは、似ても似つかない。
同一人物とは思えない、とも言えよう。