ハイジの退屈日記 パリ・東京 -27ページ目

美しい顔の徳

最近、仕事を一緒にした若い男性は
元モデルだそうで
端正で美しい顔立ち、
清潔感があり、肌も髪も歯もきれい。
顔も小さく、身長もそこそこで、姿が良い。
しかも営業マンということもあり、
とても愛想がよくて、感じが良い。

脳科学者によると、
人間の脳は「統一・一貫性」を求めるものらしく、
整ったもの、バランスの良い物を好むらしい。

彼の美しい顔と向い合って話しをしていたら、
不思議なことに、なんだかどんどん気分が良くなってきた。
まるで魔法にかかったかのようであった。
顔がきれいでも、
性格にクセがあったり言葉が汚かったりすれば別だろうが
そのへんが普通以上でさえあれば、
相手の脳に心地よさ、快感を与えるのだろうね。

美しい顔というのは得だねえ。
人を良い気分にさせられるのだから。
しかも、芸能界などで働いてるのなら別かも知れないが
一般の仕事の世界では、
そこまで秀でたルックスの人にはなかなかお目にかからない。
美しさは圧倒的に目立つし、武器になる。

つい最近、
20年ほど前のフランス映画「アパートメント」をDVDで観た。
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私は現代の女優で、
モニカ・ベルッチの顔が世界で一番美しいと思っているが、
この映画の彼女は30歳そこそこ。
今は、ちょっと熟成しすぎたステーキのようなウレウレ感だが、
この映画での彼女は、若さの放つ明るいオーラ、
完璧に整った、非の打ち所のない美しさ。
本当に吸い込まれそうなくらいの輝きで、目が離せなくなった。

フランス語の映画なので
字幕をみないと何をしゃべってるかわからないのだが
顔にみとれてしまって、
字幕など見てる場合ではなかった。

彼女は、よく知らないけど、
そんなに愛想がいいタイプにも見えないし
「クールビューティー」だとは思うが、
それでも、あの圧倒的な美しさは
やはり相手の脳に快感を与えるのではないかね。




また、最近みた別の映画「エレジー」のペネロペ・クルス。
私の好みの顔ではないものの、
この映画の彼女も文句なく、格段に美しかった。

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初老の大学教授が夢中になってしまう女学生、という役どころで
飛び抜けて美しくないと成り立たない役だったが
まさしく、見惚れてしまう純粋な美しさ。



ああ、うらやましいことよ!
別格の美しい顔をもって生まれた人々!
おそらく、ただそこにいるだけで、人に喜びを与えるのでしょう。

モニカが熟成したステーキ肉なら、
ペネロペは、産地も考慮にいれて、ハモンセラーノってとこか。
そして私は、しょせん、きりたんぽ (by 夫)。

我々、一般の普通以下の人々は、せいぜい
無愛想にならないよう、ニコヤカに笑顔を振りまき、
少しでも卑屈にみえないよう、背中を丸めずに、
そして
変な臭いがしないよう、清潔にすることくらいでしょうか。




イルカショーの哀しみ

イルカの追い込み漁が倫理にもとるのかどうか、
そんなことは、私にはわかりません。

水族館が、追い込みで捕獲されたイルカを入手しないことによって
今後、館の経営や存続に関わる、というのは
問題ではあろうが、
それ以前に、私は問いたい。

イルカショーって面白いんですか?!
むしろ、私はあれを見て喜ぶ人たちの方の気持を共有できません。

イルカだけじゃなくて、アシカ、とか、
サルとか犬とかもだけど、
ああいう高等動物たちが調教されて、
ヒトの思うように色々と芸を披露してる姿を見ると
なんとも言えない、
やるせない、切ない、そして嫌な気分になる。
それは私は小学生の頃から抱いてる気持で、今も全く変わらない。




つい数ヶ月前も
伊豆で、かなり久しぶりにイルカショーを観るハメになったんだけどね、
肌寒いので鼻水がでる、と一緒だった人たちには言っといたけど、
本当は、切なくて、涙していたのだよ。
私にとっては、イルカショーというのは、
決して素直に楽しめるものではない。

イルカというのはサービス精神が旺盛らしいし、遊び好きらしい。
と、「ドルフィンスウィム」を20年ほど主催してる友人から聞いている。
もしかして、私なんかが何をあれこれ思おうとも、
イルカ自身はすごくショーを楽しんでいるのかもしれない。
それだけイルカって賢いらしから。

でもさ、なんで、ヒトなんかの思惑通りに、
ヒトなんかを喜ばせるために、
君たちそんなことやってんだよう!
そこまでできるようになったんだよう!
有難いけど、君たち健気ぎるよ!




私は、相手を喜ばせるために
人生を捧げ、身体をはって芸を行っている方々を見ると
なんとも言えない気持になってしまうんだよね、子どもの頃から。

サーカス団、というのもそうだった。
人を笑わせる、楽しませる仕事に身を捧げ、
各所を旅して回る旅芸人。
もちろん他人のためだけじゃないだろうけど、
人を直に喜ばせるという生業を選び、旅して廻る、という人生に
哀しみの入り混じった複雑な気持になるんだよね。

なぜ「哀しい」のか。
よくわからない!
彼らの放つオーラもあるかもしれない。

もちろんサーカス団のパフォーマンスは
素晴らしい芸術的業で、人にカタルシスを与えるものもある。
しかし、あの刹那的哀愁漂う旅芸人オーラは
芸のレベルとは関係なく、一貫して放たれてる気がする。
シルク・ドゥ・ソレイユから、「道」のザンパノまで。
なんというか、切なくて、直視できない。

ちんどん屋なんかに対しても
同じように感じていたな。




いわんや、イルカをや。
自分たちの意志で飛び込んだ道ならまだしも、
物言わぬものたちが
ヒトなんかに捕まえられて、
自分の意志を越えてこの道に入らされ、
そしていかにも楽しげにパフォーマンスしている、という事実に
一層の切なさを覚えるのだよ。

イルカショーを「可哀想だから」などという理由で
やめよ、とは言わない。

でも、イルカショーが楽しい、と思うヒトたちには、
本当に楽しいの?と問おてみたい気はする。









サラリーマンの時の伸縮

時間というものは伸縮自在だなあとよく思う。
主観的にどう捉えるかで、長くも短くも感じる。

トーマス・マン「魔の山」。
魔の山 上
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有名な?時間についての考察。
20代前半の頃、読んだ当時は、なるほど!と思ったもので
自分の日々と照らしあわせて、未だに時々思い出す。


6週間は1週間、7日ほども長くはなかった。
さらに、1週間が月曜日から日曜日へ、
そしてまた月曜という小さな循環であることを思えば、
6週間はいかにささやかな時間であったろう。

もっと小さな時間単位の価値と意義を考えてみさえすれば
それらの単位を総和したところで多寡が知れているばかりか、
総和することはただちに強烈な短縮、消去、収縮、抹殺に繋がることが
理解できるだろう。

(圓子修平訳)



つい最近読んだ、ジェフリー・ユージェニデスの「マリッジ・プロット」。
そこにも時間の縮尺について述べられてた。

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主人公とそのBFとの雑談的な会話の中で、
なぜ年をとればとるほど、時間が早くたつようになるのかについて、

「五つのときっていうのは、二千日ほど生きてきただけだろ。
だけど、五十になったときには二万日近く生きてる。
だからさ、五つのときの一日のほうが長く感じられるっていうのは、
全体の中でより大きな割合を占めているからさ」

(佐々田雅子訳)



古今の文学者の言説を引用したりして
なんだか偉そうですが、
なんてことはない、私の日々のサラリーマンライフ、
こういう時間の伸縮や相対を日々感じるわけ。

月曜日から金曜日まで、週末が早くこないかと
一日一日を消化し、「やり過ごし」、日々を送る。
のろのろと一日が過ぎれば、
金曜日夜までの道のりを感じて気が遠くなり、
忙しくてあっという間に一日が終われば
それはそれで、有難いような、虚しいような気分。

次の休暇、8月の夏休みまであと2ヶ月。
あと約2ヶ月、私は日々をどう乗り切るのでしょう。

トーマス・マンが言うように
私の休暇までのあと10週間、
「10週間は7日程も長くはなかった」というように
マインドシフトすればよいのかもしれない。