ハイジの退屈日記 パリ・東京 -24ページ目

イギリス英語への屈折した愛着

イギリス英語に憧れている。

イギリスは地域によって相当訛りがありそうだし
詳しくはよくわからないが、
BBCで話されているような英語が
私にとってのイギリス英語ってことにしておく。

アメリカ英語と比べると、
とても綺麗なリズムがあるように思える。
独特のイントネーションがあって
格調高い、といったら言い過ぎか。
子音をきちんと発音しているのが良い。
私には心地よく響く。

しかし
私にとっては、私が認識できる外国語の中で
アメリカ英語が、1,2を争う汚い、気持ち悪い音なので、
その反動で、イギリス英語がよく聞こえるのかもしれない。

アメリカ語の、
あの踏み潰されたカエルが発するような音。
母音を思いっきり伸ばす感じのアレ。
子音をちゃんと発音しないでつなげる。
しかも、モノトーンで一本調子。
あと、時々、話す合間にチッと舌打ちを混ぜるのもアメリカ人。
あれ、悪い意味はないのは知ってるけど、
下劣な感じを受けるんですけど。

ま、アメリカも広いからか、
かなり個人差があるように思いますが。




私が仕事などで拙い英語を話す時、
アメリカ英語のアクセントがあるね、
とタマに言われることがあり、
非常にショックを受けて憮然とする。

しかし、それも致し方ない、
高校生の時に10ヶ月アメリカにいて、
幾分か体得してしまったのだろう。

今でも覚えているが、
日本の英語教育ではアメリカ語を教えていたはずだが
もちろん日本で学んだ話し方では、現地では全く通じない。
それで、どうしたかというと、
思いっきり、(周りの人をマネて)
「潰れたカエル発音法」を行うと、
なんとかなったわけだから、
生き延びるためには仕方なかった哀れな展開。
そのために、自分で心地悪い音を出す英語を話すようになってしまった。
ああ、イヤだ!



というわけで、
脱アメリカ英語を目指し、
イギリス英語に憧れて、
ちょっとマネしてみようなどと思うわけだが、
これが結構難しい。

イギリス英語をちゃんと勉強したことがないので
変な風にマネていると滑稽だろう。

関西弁をマネする東京人は必ず失笑を買うが
それより悪そう。

日本人でアメリカ英語を少々話す人が
上記のような「舌打ち」をすると、
私には限りなくアホっぽく思えるが、
そのテのことをイギリス英語をよく知らないゆえに
憧れのあまり、なんだか沢山やってしまいそう。

私は「ダウントン・アビー」なんかを好んで見ているので
変にマネをすると
ますます、おかしな感じになりそうだ。
ちょっとアメリカ訛りのある拙い英語を話す日本人が
1920年代のイギリス貴族が話す英語を
一生懸命マネしてる、というイタい感じ?

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ただし、
英語やドイツ語の拙い自分なりの学習を通じて
私がひとつ言えるのは、
語学というものは、
恥ずかしがっていては習得できないということだと思う。

物怖じせずに話すことを厭わない人は、
外国語の上達が早いような気がする。

私のように、どう思われるか、どう見えるか、
音が綺麗だ、汚い、などと瑣末なことを気にする人が
語学の上達には最も苦労するタイプでしょう。





幸せの価値感

毎週末の2日の休みのために、
5日の勤労日をなんとかやり過ごして生きている。

金曜日の夜は、明日から2日休みだ!と嬉しい。
3連休なんかがあったりすると、
前日の夜には、嬉しさで胸が一杯になり、
全身で飛び上がりたいほどの喜びを感じる。

ここまでの喜びを与える出来事は、そうそうないよ。
してみると、この貴重な感情的体験を与える私のサラリーマン人生は
全く悪くないのではと思うに至ったこの頃。

すなわち、私にとっては、
サラリーマン生活というのは、
非常に大きな喜びを与えてくれるものなんだね。
たいへん結構なことではないか!




さらに、2,3ヶ月に1回、数日間の有給休暇を得ている私。
祝日とくっつけたりして、9日間くらいの休みにする。
そして、パリ在住の夫ペーター(日本人)に
タイやらで会うわけ。
一定の給料をもらいながら、こんな生活ができるのは、
サラリーマンならでは。
図太い神経さえもてば、日本人会社員にもできる
この休暇の頻度!

もちろん会社の理解もあるし、
職種的にもそれが可能だというわけだ。
なんと恵まれていることでしょう。
ありがたや、ありがたや。




20代の頃か、自己啓発系の本で、
自分の理想とする生活をしっかりと頭に思い描いてください、とかいうので
私の中で色々と考えた結果、
「海のみえる広いバルコニーで、愛する人とワインを楽しむ生活」
という、将来はなんとでも開けようという若者にしては、
なんとも慎ましやかで、ダイナミズムのない、現実的な夢を描いたのだが、

40代の初頭でマンションを買った際には
神奈川県内の海の見えるバルコニー付き、という物件も検討したものの、
やはり予算や条件が厳しく断念し、
都内の、川すら見えないマンションに落ち着き、
まあ現実はそんなものだ、と思っていた。

しかし!最近気づいたのだよ、
私の夢は叶っていた、と。

なぜなら、年に5、6回行くビーチリゾート地では、
シービューとバルコニーというホテルの部屋の条件を死守しているので、
実は、年に数回のレベルではあるが、
「海のみえる広いバルコニーで、愛する人とワインを楽しむ生活」
という夢がとっくに現実になっていたではないか。

夢は望めば叶う、とはいうが、
ま、この場合は、
実現の可能性が低くない夢だったというのはあるね。



何か不運なことがあれば、
より大きな不運を想像して、まだマシだ、と思うクセがある。

影あるから光があるわけで、
幸せは相対で感じるものかもしれない。

ただし、健康で、生きていられているというのは
絶対的な幸せだろう。

今月はパリだけではない、ベイルートでも
200人以上のテロによる死傷者が出た。
テロによる死傷者は今年特に増えているらしいけど、
毎日毎日、戦火の下で、また貧困や病苦の中で生きている人たちが大勢いる。

今この瞬間も辛い思いで生きている人たちがいる。
私は本当にこの上なく恵まれていて幸せで、
一体、どうやってお返しすればよいのだろう。

ハルキ嫌い

「ハルキスト」方々にとっては、
今年もまた彼の方がノーベル文学賞を受賞しそこなって
残念なことでしたね。

私としては、ノーベル賞の基準が常々疑問なので、
別にそんなにガッカリなさることはないのでは、と思ってしまうんですが、
村上春樹がノーベル文学賞をとったら、
やっぱりノーベル賞って不可解、という点だけはコンファームできるので、
個人的にはそれはそれでスッキリしそうです。

「ハルキスト」は世界中に増殖しているらしいが、
苦手な人も結構いる、らしく、
もちろん、ワタシもその1人である。
「苦手」どころか、嫌い、いや、もっというと憎んでいる。

憎しみは愛情の裏返しでありますし、
人に憎しみを抱かせる、というのは
それだけの力があるということかもしれないし、
また、それだけの「過去」があったってことだね、私たちには(笑)。





いやね、実は、私は10代の終わりの頃、
彼の小説を愛読していたのだよ。

「風の歌を聴け」は新鮮だった。
あの非日常的でありながら、普遍的な感じ。
心に訴えかけるような独特な世界。
「文学っぽい」気がしたもんだ。

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」にも感心した。
今読んだらどう思うのかはわからないが。
この小説は革新的で素晴らしい!と思ったりした。
日本には今までなかったような(?)新しい感覚。
洒脱でノスタルジックでユーモラス。

ところが、「ノルウェイの森」で
信頼しきっていた恋人に突然裏切られたようなショックを受けた。
なんだあ、お前、そんなヤツだったのかあ!!
見損なったぜ、もう顔も見たくないぞ!と。

未だに覚えているが、ショックのあまり
すぐさま2度続けて全編読んでみた。
そして、言葉を失った。

それから30年近く経った今でも
愛情は、憎しみと軽蔑に変わったまま固定しています。

10年ほど前だっけ、
こんなに世界的な人気者になっているのに
よくわからない私がいけないの?と
「海辺のカフカ」を読んでみましたが、
やはり、ダメでした。
あんなに好きだったのに、「ノルウェイの森」までは。
もはや、私たちは、元に戻ることはないでしょう(別にいいけど)。




秋山駿だったか、加藤典洋だったかな、
誰か有名な「文芸評論家」が、
ノルウェイ以降、ハルキの小説を評して、
デパートで次々と買い物をしているような、
とか、そんなようなことを仰っており、
なんて上手いことを言うんだろう、と感心したっけ。

安易で、浅薄。
低俗、卑猥。

でも、彼の才能は、
あんな通俗小説に、
なんとなく「文学チック」な匂いをぱらつかせる技術なのかもしれない。

とある方のブログで、
村上春樹はファンタジー小説だ、という説がのっていて、
それならわかる、と納得した。

世界中に熱狂的なファンがいる、
「ハリーポッター」みたいなものなのかね。
大多数の方にわかりやすい夢物語。
私はハリポタは全く受けつけられませんでしたから、
やはりテイストが違うんだね。




あ、でも、ハルキ氏にも確実に良いところがあると思います。
米国の小説を解釈して、上手に日本語に落としていくことは得意なのでは、と。
彼が翻訳する小説のことだが。

彼の「グレート・ギャツビー」は良かったし、
(でも「オールド・スポート」をそのままにしたのは甘えだと思う)
チャンドラーも成功していたと思う。

そういえば、「ライ麦畑でつかまえて」は読んでない。
なぜかというと、
野崎孝訳ではなかった、
「やれやれ」が10回くらい出てくる、というのを聞いたため。

ハルキといえば、「やれやれ」。
あの自意識過剰で、醒めた距離感がイヤなんだよなあ。
私は実生活でも「やれやれ」なんてのたまう人をみると
導火線をくくりつけて着火してやろうかと思うことがある。

「やれやれ」といって生きること、
それがあの方のスタイルなんだし、
私とは違うだけなので、別にいいんだけどさ。

そういえば、ギャツビーも、マーロウも、ホールデンも、
あと彼がよく訳しているカーヴァーの主人公たちも
みんな、とびきりナイーブで、屈折してる人々だよね。
そういう共通点?

私は、不器用でも、一所懸命で、シンプルにそれを表明して、
もっと単純に素直に、ものごとに対峙する人に共感を覚えます。
しかし。
ああいう、屈折した自己表現を保ち続けるというのは、
翻って、ものすごく真っ直ぐなことかもしれないので、
私の方が、よほどひねくれてるかもしれない。

ハルキはそのうちヘミングウェイの短編とかも訳しちゃうのかしら。
う~ん、どんな感じになるのだろうか?
「ハードボイルド」が憑依して、カッコつけに拍車がかかるのかな。
ちなみに、私はヘミングウェイの短編は文学的にたいへん優れていると思うので、
ハルキがどう訳すかは、ちょっと興味あるかも。





「ノルウェイの森」以降はほとんど読んでないので、
あまり批判できる立場ではないですし、
私は現状をわかってないし、
言ってることが的外れである可能性は高い。

ハルキさんとワタシとは、
生きていくうえでの方向性、表現が違う、
のではないか、と思ってしまうのだよね。