ハイジの退屈日記 パリ・東京 -21ページ目

路上で着替える男

夫ペーター(在フランス日本人)が
1年半ぶりに東京にやってきた。

1週間ほどの短い滞在だったが
私のテリトリーで、久々に一緒に生活した。

しかし、この男、一味も二味も違うのは
パリに30年単身住んでいるからだけではなく
おそらく根本的、生まれながらの性質的な理由である、
ということは、すでにわかっているのだが
それにしても、時々、本当に驚かされる。

単に笑いを提供してくれることの方が多いのだが、
ときどき度を越すことがある。




ある夜、青山の老舗ジャズクラブBody & Soulに行くことにした。
わかりやすく表参道の交差点で、7時に待ち合わせ。

7時30分に変更して、というメールが来た時は、
仕事でも入ったかな、と思っていたのだが、
現れた夫は、
「いや~渋谷の銭湯にいったんだよ~、暑い~~」
と、汗がひかずに、あからさまに風呂あがりの態。

急いで来たらしく、
ものすごく忙しない、落ち着かない様子で
とめどなく流れる汗をかき、
Tシャツ姿に、長袖シャツを腰に巻き、
なんだかやたら荷物が多く、
それだけで十分、
青山の高級ブティック街を歩く人としては浮いている。

風呂に入って、清潔になったには違いないが、
みるからに暑そう、いや暑苦しい。

このまま、落ち着いた雰囲気の
かのジャズクラブに入っていったら、
まあ、なんていうか、イッキに場の温度を上げそうな、
異質な存在になるだろう、とは思ったが、
それも仕方ない、夫のありのままを受け入れる妻ワタクシ。




でもねえ、
根津美術館の角を曲がったあたりで、
夫が、着替える!と言った時には、
まさか、その場で着替えるとは思わなかった。

確かに、Tシャツ姿で東京のジャズクラブ、もどうかとは思ったが、
まあ、これも個性、仕方ないと受け入れてたのに、
本人には、襟付きシャツを着るべし、という自覚があったのか、
いや、それだけじゃないな、
汗だくのTシャツだと風邪をひくから着替えたい、
というのが主な理由だったでしょう。

しかし、路上で着替えてはいかんよ!
しかもこんな都会の真ん中で!

私は、必死に、通り沿いで着替えようとする夫を制する、
こんなところで着替える人間はおらん!
着替えるなら、現地に着いてトイレの中で!
ダメだ!こんなところで一瞬でも上半身ハダカになるな!

という、私の懸命の懇願の叫びを
軽く無視し、
通りの端にタタッ!と走って身を寄せ、
Tシャツを脱ぎ、シャツに着替えた男。

幸い、人通りはなく、
車の通りも多くなかったが、
下手したら、逮捕されていたかもしれない。
少なくとも職質の対象だろう。

6月末のある平日の夜、
ブルーノート東京の少し手前の通り沿いにて
着替えている男、それを止めようとしている女を見かけた方、
あれは私たちです。




その後、かのライブハウスに到着し、
何事もなかったかのように
日本の優れたジャズミュージシャンの演奏が始まり、
落ち着いた大人の世界で、人心地ついた。

ジャズ歴40年の、やたら詳しい夫、
演奏される曲目について
これはチャーリー・ミンガスのなんとかで、
チック・コリアのなんとかが、と解説してくれる。
結構、説得力があったりして、
さきほど路上で着替えた男と同一人物とは思えない。

この夫の人物像については、かねてから、
アーティスト的、クリエイター的、と
「外交的」に表現されることが多い。
まあ、本当にそういう職業なんだが。

私自身、まちがいなく保守派ではなく、
世の権威や「世間の常識」には反発したくなる方だし、
LGBTはじめ人の多様性の是を心から信じるが、
この「アーティスト的夫」については
ときどき、途方にくれることがある。

アル中ギリギリの自制心

先々週、珍しく、1週間で2度の深酒をした。

2度とも、記憶をなくすようなことはなく、
二日酔いもそれほどヒドいという程ではなかったが
全身だるい、不愉快、という感じだったので
やはり飲み過ぎたことは間違いない。

2度めの深酒から5日ほど
おでこの吹き出物、そして舌の口内炎に悩まされた。
内臓への負担が、わかりやす~く、出たわけだ。
特に口内炎は痛くて厄介だったので、
かなり反省材料とはなった。

毎日ワイン1本の飲酒生活から
週3日の断酒日の確保を
ほぼ2年もの間、維持することに成功している、
アル中への道の途上から生還した(と思っている)ワタクシですが、
こうやって、飲み過ぎることがあると、
まだまだだ、と気落ちする。
解禁日であっても、
自己嫌悪に陥るような飲み方はすまい、と思ってるのに。

それに、ショックだったのだが、
まんしゅうきつこ氏も

アル中ワンダーランド/まんしゅうきつこ

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週3日は酒を抜いていたというではないか!

週3日も酒を飲まないんだから
私はアルコール依存症ではない!と信じていたのだが、
もしかして、そうではないの?!
と、自信が揺らぐ。


最近読んだ、小田嶋隆氏の本の巻末に


超・反知性主義入門/小田嶋 隆

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幼なじみでもある森本あんり氏との対談が載っていて、
そこに書かれていた、本題とは直接関連のない、
小田嶋氏のアル中治療のエピソードに
ものすごく、本題そっちのけで、
食いついてしまった。


「酒をやめるのは、
単純に飲まないとか我慢するとかという話しじゃなく、
自分の人生をもう一度再設計するプランニングだ。
それがちゃんとできないと、酒はやめられない。

今まで酒とともにあった暮らしをリセットして
全く新しい生活習慣をつくる。
今までの生活習慣、趣味、交友、
そういうものとある程度手を切っていかないと難しい」



そうだろうな~、と漠然と思っていたことが、
しっかりと言い表されていた。
アル中から脱して約20年という彼の言葉として読むと
ますます重みがある。

小田嶋氏は担当の医師に、
あなたの楽しみはすべて酒と結びついているはずだ、
と指摘されたたらしい。

彼は、治療にはいって、
野球は酒を飲みながら観るものだったので
野球ではなくサッカーを観るようにする、
酒を飲みながら聴く音楽を変えるなど、
少しづつ生活習慣を変えていったそうだ。
その結果、酒を飲む人たちとの交友もなくなったとか。

さすが小田嶋氏、上手いことを仰っていて、
酒を断ったあとの生活というのは
それまでは4LDKだった住まいが2LDKになったというような
自分の家が狭くなった感はある、そうだ。




そうなんだろう、
酒のある生活を断つこと、それは
爽やかな初夏の日にテラスでシャンパンを飲む優雅な気分、
旅先でその土地のお酒をいただく有り難さ、
酒飲みの友人とバカ話しをする楽しさ、
そういう価値観をすべて捨て去らねばならない。

そして味覚の喜び。
新鮮なお刺身には日本酒でしょ、
レモンを少し絞った生牡蠣には白ワイン、
ビリビリくる麻婆豆腐には紹興酒。

いやだ!私にはできない!

私はそういう価値観をまだ愛しているし、
捨てられない、葬り去れない。
完全に酒のない人生は送りたくない。
ただ単に、節度ある飲み方をしたいだけなんだが、
それさえが、とても難しいことになってしまった。

気分転換として、合法な物質。
見た目も美しく、
人生の様々な麗しいシーンを彩る、
文化をつくる要素、のはずなのに、酒ってやつは。

小田嶋氏は、担当医に
あなたの脳には、酒を1杯だけ飲むというプログラムはなく、
1杯のんだら、2杯以上飲む、という回路がもはや出来上がっている、
とか言われてしまったそうだが、
はい、よくわかります、
その回路は、とっくに私の脳内にもできている。




節度ある飲み方をするには、
では、どうすればよいのか。

小田嶋氏の別の対談で、こんなのを読んだ。


「飲んでない時期の抑うつと、
飲んで泥酔しちゃった時のひどい状態と、
その2つの極端な状態を行ったり来たりしているんだけども、
その間にほろ酔い期間という、
ちょっとだけ気分のいい期間があるんだよね。
それがどんどんなくなっていくのがアル中という病気だ」


ああ、その感じ、わかります!
これがわかる、というのは、
すでにヤバイんだと思うけど。

もはや、ワタクシには
酒の喜びがなくなる=アル中、ということを
常に思い起こし、自制するという手段しかないのかも。
酒という人生の喜びを享受できうる岸の
ギリギリの淵にいる、という危機感をもつという。

あと、舌の口内炎もヤダ、か。
顔のブツブツも。
それも自制の動機付けになるか?

現実レベルでの方法は
酒を飲む時は、酒の量の2倍の水を一緒に飲むこと。
これ、古典的ではありますが
二日酔いを防ぐための良い方法であることは実証済み。
ただし、これが簡単に思えて、なかなか難しい。
酒を飲んでいると、水を飲むのどんどん忘れるのだね。

いやはや、ホントにたいへんです。
酒のある人生、苦あれば楽あり楽あれば苦あり。








ダニエル・ボンドの終焉に思う

遅きに過ぎる話題ではありますが、
ダニエル・ボンドの終焉について。

もう「スペクター」で終わりでしょう。
ハッキリとした宣言があったかは知らないが、
100億円で後2本というオファーを断った、というニュースもあったし、
たぶんそうなるでしょう。

それが本人のためにも、
ダニエル・ボンドのファンのためにも、良いと思うよ。

ワタクシがダニエル・クレイグを
「最高のボンド」と感じているのは
(コネリーは「殿堂入り」、別格として)
以前にも書いてますが、
この4作目を観た時に、ああ、もうこれにて仕舞、と思った。



ちょっと、スタートが遅かったのかな。
1作目のコネリーが30歳くらいだったのに対して
ダニエル・クレイグは登場時、30代後半だったはず。

4作目である2015年年末公開の「スペクター」では
彼は、40代後半。
隠そうとも隠せない「おっさん感」が漂う。

ダニエル・ボンドの全盛期、というか、
つまり彼の一作目、シリーズ史上でも金字塔となりうる
あの「カジノ・ロワイヤル」での、
無骨で本格派、でも純でワイルドでセクシー、
という新鮮なジェームス・ボンド像が、
すでに、過去のものになっていた。

カジノ・ロワイヤルの頃と比べてしまうのも気の毒なのだが、
老体に鞭打ってるのかー、と思わせる
身体の動きのキレのなさ、だから漂う無理矢理感。
たぶん、本人も相当に実際、無理してたんでしょうね。
哀しいかな、特にファンにはそう見えてしまったよ。




レア・セドゥとは、ほとんど親子くらいの開きがある感じで、
ちょっと、というか相当に厳しい。
その直前に絡んだモニカ・ベルッチにも無理があったが、
あの2人のボンド・ガールの配役は、
一体、何をどうしようとしたのか?

若さが輝くばかりの美しさを放つ、旬のレア・セドゥ。
絶世のセクシー美女としての過去をもつモニカ。
そして、盛りを過ぎた007のダニエル。

このバランス、意外とイケる!と思ったのに、
実際に掛け合わせたらイタい結果になったのか。

これはもちろん俳優の年代という問題ではく、
それぞれのもつ実情と合わなかったということだろう。

ワタクシ、ファンとしては、
もう、あのようなダニエル・ボンドを見るには忍びなく、
今作を最後にしていただくというのは
大賛成です。



盛りというものはあって、
それは、いつかは、過ぎ去るわけだ。
恋恋と過去のイメージや想いにすがりつくのは
はたから見れば滑稽なのでしょう。
潔く、きっぱりと、次のステージに進むべきだね。

つい最近、
勤務先の30代前半男性の母親と間違えられた私です。

あの、ワタクシ、こう見えても、
5年ほど前までは、「杉本彩」に似てるとかいわれてたんですけど、
とか思っても、5年って、結構な年月であって
他人様には、30男のお母さんに思われた、という事実を
そろそろ受け止めましょう。