ハイジの退屈日記 パリ・東京 -20ページ目

二位じゃダメなんですか?

二位じゃダメなんですか?と
民主党の「仕分け」で蓮舫が言った際には、
アホか、と思ったものだが、
オリンピックなんかをみていると、
ついつい「二位じゃダメなんですか?!」
と叫びたくなる。

吉田沙保里選手が金メダルを逃して
銀に終わった直後、
「ごめんなさい」
「取り返しのつかないことをしてしまって」
と、大泣きしながら言っていたが、
まるで凶悪犯罪者の家族のコメントではないか、これ。

もちろん、選手本人は金メダルを目指すでしょう。
しかも吉田選手は、4連覇がかかっており、
本人にとっては、完全に「銀じゃダメなんです」から、
その悔しさがいかばかりか。
私なんぞが、それ自体には何も言えません。

でも、「ごめんなさい」と言う必要はない。
もちろん、それは彼女の心から自然に出てきた言葉でしょう、
だからこそ、痛々しい。
彼女にそう言わせたのは何なのか?





このメダル至上主義ってなんなのさ、とあらためて思う。

オリンピックって、本来は、
スポーツというものの素晴らしさを知る、
とか、なんだかよくわからないけど、
もっと大きな視点に基づいているものだったのでは?

やたらと、メダルの数を数え上げ、
色別で、国別で、比較表なんか出しちゃって、
そんなにメダルとれないとダメなんですか?

さらに、金メダル獲得者をとりわけ持ち上げる。

そりゃあ、金メダルは快挙だよ、
だけど、他のメダルだって凄いことだし、
メダルとれなくても素晴らしい活躍をした人は一杯いるはず。
だけど、報道にバランス欠いてませんか、と言いたい。

本来的にオリンピックで何を伝えたいんでしょう、
日本のメディアは?
ついでに言うと、
テレビのあのお涙頂戴も金輪際やめていただきたい。

小泉純一郎だったかな、
首相だった頃に、金メダル取得者をもっと増やすべく
特別強化したい、みたいなことを言ってたっけ。
それが政治的オリンピックの本音なのでしょう。

選手には目指す目標が必要で、
そのためにメダルがある、というのはわかる、
だけど、オリンピックの趣旨は
果たして、そこにあるのだろうか。

優れた実績ある選手が、
「世界2位でごめんなさい」などと
謝るような土壌を作ってはいけない。




夏のパリは彼方へ

10日間、フランスで休暇を過ごしてきました。



4日前に東京に戻り、
3日前より出勤しているわけで、
つまり、休暇はすっかり記憶の彼方に行ってしまったよ。

年々、仕事の忙しさは加速度を増しており
「お盆週」といえども関係ない。

慌ただしく、
次から次へと何かに巻き込まれ、
まともにランチもとれないほどであった。

のんびり過ごしたパリでの日々が懐かしい!
夢だったのか、あれは。
ああ、戻りたい!



今頃の時期のパリというのは、
なんというのか、ゆるんでいる。
街全体が休暇に入ってしまっているんだね。

とはいえ、セーヌ川岸に降りる際に
警察が荷物チェックをする、というのは
去年の夏にはなかったことだし、
状況を考えれば当然といえよう。

パリから遊びに出かけたビアリッツでは、
すごい数の観光客の間を縫うように
迷彩服に機関銃を手にした軍人が5,6名まとまって
常に物々しい雰囲気で巡回しており、
少なくとも、彼らの周りには緊張感が走っていた。

しかし、パリでは、
警官の方々も、街の雰囲気に引きずられている?
なんとなく、ゆるんでいるように見えたのは
気のせい、でしょう。




夏のパリの空って、
いつもこんな入道雲、の印象。
子どもの頃、夏休みに見た雲と似ている。



夜9時でもこんなに明るい。
日本の5時、みたいな感じか。




ということで、
我々夫婦は、食事前に、
家でシャンパンを飲むわけだ。
これは↓8時くらいだったかな。



また、昼間から家で
ワインを飲みながら
ランチをとったりして(この料理は出来合であるが)



夜は、夏休み直前でギリギリ開いているレストランで食事して、
カラッとした晴天と明るい夜で、
毎日がなんと楽しかったことよ。

今振り返れば、
もはや[シュール]ともいえる日々であった…。
あれも現実だったはずなのに。

集団主義嫌い

先日、ちょっと豪華なチャリティ・ディナーに行った。
仕事で、スタッフとしてですが。

いろいろと催し盛りだくさんのイベントで、
「トリ」は、あの「夏といえば」のTUBE。
「♪ストップ・ザ・なんとか~」というお馴染みの曲から始まり、
3曲ほど歌った。

500人ほどのホテルの宴会場でのことだったが、
さすがプロってのはたいしたもんだ、
あっという間に、会場全体を興奮に巻き込んだ。

それまでの、どちらかというと、上品な会場の空気が、
昭和のビアホールでの宴会のような熱気に変わり、
中高年のみなさん総立ちで、ノリノリで腕を振り回す。

私はといえば、スタッフということもあり、
会場の端で、まさしく傍観していたので、
何十年もやってるプロのポップ歌手が
会場の空気を一変させた手腕をみて、
ひたすら感心していた。

ただ、生理的に受け付けない音楽ジャンルであったのは大きいが、
なんといったらいいのか、
集団主義への嫌悪感、みたいのを覚えるのはストップできず。




これまた、先日、
勤めている会社の研修があり、
オフィスを半日クローズして従業員全体で参加。

もちろん会社の行事は、社長の挨拶から始まる。
社長の挨拶がエラそうで押し付けがましいのは仕方ない。
それを、整列した皆で、神妙に拝聴した後、
チーム分けされたグループで競い合いながら、
チームビルディングの課題をこなしていく。

もちろん、わたくしの性質的に
このような集団行動は嫌で嫌で仕方がない。
しかし、社会人として、こう見えて一応管理職ですし、
喜んで参加しているかのごとく
みなさんと楽しげに、和気あいあいと盛り上げて、
協力的にやってたつもりなので、
おそらく、ここまで嫌悪感をもっていた、とは
周りの誰にも感じさせなかったとは断言できる。

おそらく、私のように、
仕事だから、とイヤイヤ参加していた人もいよう、
ただ、うちの会社の人々は、
心底マジメなのか、それとも素直なのか、
その日は朝からウキウキしてたし、本当に楽しそう。
どうみても、不承不承やっているとは思えない人が大半。

まあね、もちろん、わかりませんがね、
でも、私と同程度に苦痛だった人は果たしていたのだろうか。
決して、私を含め、この場においては
苦痛を公言することはしない、
それが社会人、大人ってもんなのでしょう。





小学生の時からの行事嫌いだし、
一致団結して、とか、集団的な一体感、とかホント苦手。
権威主義が嫌い、ということもあるね。
極端に支配的な親に育てられたから、
というのが理由ではないかと自分では考えているのだが。

1つの考え方やムードに向かって集団がまとまっていくのが気持ち悪い。
エラそうにものを語る人間には生理的に拒否感が強い。

ま、偏った、独走する政治家をみたりすると
拒否感を覚えるという性質は、
まともな感覚が育ったということかも?

今、東京は、都知事選の最中。

私には納得できない候補ばかりだし、
いつものことながら
政党が支持するのしないの、というのも嫌悪感。
ついでにいうと、
支持がないことを自慢してる候補者には心から違和感。

そもそも、2週間ぽっちで、
よく知らない人の中から、
東京という巨大な国際都市の
政治の長を選ぶというシステムはいかがなものか。

とはいえ、ボイコットはしたくない。
選挙ってこんなもんだよね、という大人の理解で、
みなさん選挙にいくわけで、そして私も行くのだけど、
結局、いつもながら、
集団心理だけには巻き込まれるものか、と
「この人にはなってほしくない」という思いだけで、
その人以外の名前を書くというところなんだよね。