ハイジの退屈日記 パリ・東京 -17ページ目

おお、セ・シ・ボン

先々週、パリにいってきました。
3泊5日、機中2泊。まるで出張。
ま、これも慣れというもので、
スケジュール感が最初から刷り込まれてさえいえれば
これが最適な旅程とさえ思えてくるから、人間の適応力は計り知れない。
 
 
 
実際、夜中便で東京を経って早朝パリに着き、
帰りはパリを夜中便で経てば、3泊5日といえども
丸4日は現地で楽しめるので、意外や悪くないと思える。
しかも、若い頃は機中で寝ることができなかったが
寄る年波・増す図太さで、
機内で堂々5時間くらい熟睡できちゃうんだから
やはり長く生きていると得もある。
 
会社を休んだのは土日を挟んで3日。
許容範囲、と自分では思っていたのだが、
同僚に「長期休暇から戻ったハイジさん」とイヤミを言われ、
シャバに戻って、日本社会の現実に不愉快になる。
社内は全て敵、渡る世間は鬼ばかり、と肝に命じる。
 
 
 
 
それはさておき、パリはいつ行ってもパリ。
街の美しさは永遠に不変のごとく、
私には毎回、高揚感を与えてくれる。
 
だが、なによりも、ここに住んでる
夫ペーター(在フランス30年日本人)に会いにきているので、
1ヶ月ぶりに会う夫と一緒に過ごす時間をもつのがメイン。
 
 
 
仕事やら人生設計やら、さんざん考えた挙句、
この「別居婚」形態がお互いにベストという結論ではあるが、
やはり、結婚したのに離れて暮らしているのは寂しい。
 
東京での私の日常において、特に週末など、
手をつないで仲良さげに歩く幅広い年代のカップルを目にすると、
羨ましくてしょうがない、という気持になる私。
 
そして、このたび、パリにて、それを夫に告白した。
私の下心としては、憐憫を得られるものと期待したのだが、
夫は、すかさず「おー、セ・シ・ボン!」とノタマッた。
 
そして、すぐに、かの「おおシャンゼリゼ」のメロディの替え歌で、
「♪おおー、セ・シ・ボ~ン、おお、セ・シ・ボ~ン・・」と歌い始め、
「そういうカップルを見たら、『おお、セ・シ・ボ~ン!』って歌ったら!?」
と明るく、ニコヤかに言い放った。
 
良い夫をもったものだ、と思うことにしよう。
夫婦は「極」が違う方がいいんだろう、と信じたい。
 
 
 

 

真冬の朝、文明に目覚める

東京はただいま、真冬のピーク。
人一倍寒がりの私には辛い日々である。
比較すれば、東京の冬など大したことないと言われそうだが。
 
かねがね思っているのだが、
人の体感温度はどうしてこうも異なるのだろうか。
寒がりの私から見ると、驚愕レベルの薄着の人がいる。

そう年代が変わらない人々が、
レーヨンのワンピースなんかをテロリと着ていたり、
ジャージのトレーナーをサラリと着てたりするのを見ると
信じられない思い。代謝が高く体温も高いんだろうね。
 
彼らとて、その下には発熱素材の下着やらを着てるのかもしれないが、
私のように機能素材タートルネック&ウールが欠かせない人には、
そんなもので済むというのは、同じヒト種とも思えない。
冬がそんなに辛くないだろうね、そういう方々。
いや、真剣な話し、羨ましい限り。
 
寒がりとして特に気になってしまうのが、薄着ピープルの足元。
裸足にズックを履いている人(雪の日にも目撃した)。
ストッキングにパンプスを履いている人。
そんなのを見ると、目から冷えが伝染し、
私の足は一瞬にしてしもやけになるかのごとし。

常に足が冷えている私が、去年の冬に発見して以来愛用しているのが
足の裏に貼るカイロ。これは暖かい!
この桐灰のは8時間持続というのが有難い。
 
 
しかし、今年はさらに「進化」しましたよ、ワタクシ。
ムートンのブーツ。
 
 
「え、何を今さら?」と言われても仕方ない。
巷では、多くの方々がフツーにずーっと前から履いてますよね。
 
中までモコモコにボアがついていて、とっても暖かい。
ウールのタイツに、靴下を重ね履きをしなくても、
タイツだけでもOK、足の裏にカイロを貼れば完璧。
 
初めて履いて外出した朝、俄に感動の渦が押し寄せた。
な、な、なんて暖かいんだ!
 
何故、何故、私はもっと早くこれを買わなかったのかあ!
いや、本当にね、こういうのを「精神の動脈硬化」というんでしょうか。
足が冷たいなら、靴下のみならず、靴もなんとかするでしょ!
ということに、なぜ、もっと早く気づかない?!
 
しかも、家ではムートンのスリッパを履いてたんだよね、ここ数年。
なぜ、下足としてのムートンのブーツという発想にならなかったのか?!
この頭の固さ!柔軟性のなさ!
 
世の中はどんどんとデジタルに進化して、
様々な局面でAIがヒトに取って変わっていくだろう。
私など、真っ先にリプレイスされるクチであろう。
 
 
 
 


 

名女優メリルのアメリカ

先日のゴールデングローブ賞での

メリル・ストリープのスピーチは良かったね。

障害をもつ記者のマネをした次期アメリカ大統領を批判し、

権力者の責任やジャーナリズムのあるべき姿について

自分の意見を述べた。

 

20世紀のアメリカ最高の女優(と私は思う)は

当然だろうが、自分の言葉によるスピーチも素晴らしい。

言葉の選び方も、話し方も、

「演説でござい」という風に謳いあげるのではなく、

(数日前のオバマの最後の演説はそうでした、

彼らしい、巧いスピーチだったが)

控えめながら、強さ、決然たる意志を感じさせ、

その程よさが、うまいなあ~~、さすが名女優!

と、私に言われたかないだろうが、内容、スキルとも感服した。

 

日本の俳優では、あんな風に公の場で

政治的な発言をしたり、

「最高権力者」に異議を唱えられる人はいないだろうね。

大竹しのぶ(例えば、ですね)がいくら誰もが認める名女優だって

絶対に、首相批判なんかを

日本アカデミー賞の舞台で言ったりしないだろうなあ。

そういう意味で、アメリカって裾野が広いというのか。

アメリカのカルチャー(風土)の良い部分なんだと思う。

 

 

そして、彼女の表明に対しての、あの次期大統領の「反撃」が情けない。

「最も過大評価されている女優」とか言っちゃって、

(デイブ・スペクターが「これは長嶋茂雄を大したことないバッターだ」

と言っているような感じ、と言っていた)

まあ、もう、品性下劣な二枚舌野郎、ってことはわかってるから

発言自体は別に今さら驚かないけどね。

自分の過去の言動に対してしらばっくれ、責任をもてないような人が

大統領になるアメリカって、今後どういう空気が蔓延していくのでしょう。

 

 

【ここに、例のマネ画像を貼ろうと思ったが、

あらためて見たら、不愉快極まりないので

心の平和のために、止めました】

 

 

ところで、私は特に、女優メリル・ストリープのファンではないが、

彼女は本当に天才的な名女優だと思うよ。

あれだけ多彩な役柄を、完全にコントロールし、成りきってしまう。

シリアスからコメディまで、変幻自在。

人物像を深くとらえて緻密に表現する技は芸術的と言えるのでは。

 

「ダウト」で共演したエイミー・アダムスが、

頑なな修道長メリルが最後に告白をするクライマックスシーンについて、

テストを何度やっても、一定して変わることなく、

毎回あの素晴らしい演技をできるのが、やはりメリル・ストリープだ、

と感動したと言っていたが、まさしく、そういうことなんだろう。

 

彼女ほどの存在感がある天才型の女優はなかなかいないが、

次世代のメリル・ストリープともいうべき名女優は

ジェニファー・ローレンスではないか、と個人的には目をつけている。

「ウィンターズ・ボーン」では天賦の才が溢れでていたし、

「アメリカン・ハッスル」も天才女優ぶりが炸裂してたね。

現在、まだ20代半ばという若さなんだから、驚き。

 

 

彼女が今のメリル・ストリープの円熟に至る頃には

私はすでにこの世にいない可能性が高いが、

きっとアメリカを代表する女優となっていることでしょう。

 

その頃のアメリカが、どんな国になっているのか、

なんやかやいっても、世界中が憧れている国アメリカは、

一体、これから、どうなっていくのでしょう。