ハイジの退屈日記 パリ・東京 -14ページ目

休暇で思う人生

夏休みに、タイ・サメット島に行ってきました。

毎度毎度、休みといえば、

蓄電というよりは放電。

何もしないのが、とにかく一番休まる。

VACANCEという名のとおり。

 

 

 

サメット島は、タイでリゾート化された島では後発で、

超高級リゾートもいくつかできたようだが、

島全体が放つオーラはまだまだ全然、素朴感で一杯。

 

 

 

 

8月のタイは雨季ということもあり、

観光的には閑期であり、人も多くない。

というわけでビーチも静かで、ノンビリと過ごせる。

 

我々が泊まったコテージは、

この時期以外では予約ができない人気コテージ。

なんてことはない、素朴なコテージなのだが、

とにかく、テラスからの眺めが絶景なのです。

 

 

 

 

以前、サメットに来た時に、

このオンザビーチのコテージに泊まれるなら、ここもアリだね、

と夫婦で話していたのが、乾期においては半年前であっても予約がとれない。

ところが、たまたまネットでチェックしたら、8月なら予約OKで驚いた。

 

 


 

 

そんなに人気がないのか、雨季。

そういえば、日本人はあまり見かけなかったなあ。

フランス人とイタリア人を中心に欧州人が滞在していた印象。

 

7日間のうち、ある日の夕方、ちょっと小雨に降られたくらいだったけどね。

確かに湿気は高い。でも、日本人にとっては馴染みのレべルで

海風があるので気持ち良く、苦にならない。

曇天が多かったが、ド暑いので、

カンカン照りだったら、むしろ辛いだろう。

 

むしろ、東京に戻った時に、

東京の夏の湿気というのは、雨季のタイの島と同じレベル、

そして海風なし、という状況なんだなあ~~、と

通勤時(すなわちフルメイク時)に思い知り、辛さ倍増であった。

東京の夏は、もはやタイと同じ熱帯気候であろう。

 

 

 

さて、こんな素朴な島の休暇で、毎日一体何をするかといえば、

ただ単に、ビーチで本を読む、音楽を聴く、散歩する、酒を飲む、のみ。

 

30代など若い頃は、自分が、休暇といえども

こういうシンプルな生活を繰り返せる人間だとは思わなかった。

休みをとって外国に行くのならば、

とにかく歩き回り、知らないものを見て、刺激を受けることを良しとしていた。

 

ところが、50を越えた今は、自分の好きな海辺で、

規則正しく、毎日毎日、同じ生活パターンで過ごせる休暇が嬉しい。

若い頃と比べると、都会の仕事ライフから回復する体力にも違いがあるが、

なんだか年をとって、勿体ないような、つまらない人間になった気もする。

 

 

 

 

その一方で、人生とは、こういうものなのか、とも思う。

繰り返しの日々。

 

もちろん、日々が起伏に富んだ、

エキサイティングまたはアウトプットの多い毎日を過ごす人生もあるのだろう。

 

しかし、大方の人にとっては、平穏な生活は幸せでしょう。

それが繰り返しであっても、好きなことを行えれば有難い。

好きなことでなくても、必要であれば根気よく続けざるをえないのが人生で、

結局、それが真っ当な生き方なのか、と思ったりする。

 

さらに、それを愛する人と一緒に共有できれば、

それが人生最大の喜びかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドツボのSNS

最近は、SNSに疲れを感じる人が増えているらしい。

また、自分の「友だち」のみに公開限定する人も以前より増えているらしい。

 

理由としては、いろいろと近年、

事件なども起きていることによる警戒もあるらしいが、

それだけでなく、

いいね!の数など、一定のエンゲージメントを維持すること、

なんだか楽しそうな「友だち」の様子を見せられることに、

ストレスを感じるからであるらしい。

 

 

 

そのような最近の傾向に対して、率直に言わせてもらえれば、

私の感想は、やはり!の一言です。

 

これは、一度始めてしまったら、ドツボに入りこむ、と

私は当初から思っていましたよ。

人に承認されることに喜びを感じる人にとっては、

つまり大多数の人間のにとっては、

そして、その中でも特に「マジメ」な人たちは

結果的に、ストレス状態に入っても、おかしくないなーと思ってた。

 

最近は、SNS撮影用として、レンタル恋人・友だち等の需要があり、

それに応えたビジネスが成り立ってるらしい。

例えば、1人で花見に行っていると思われたくないため、

友だちをレンタルして、一緒の写真をあげるらしい。

 

 

 

 

私の個人的嗜好について言えば、

SNSのシステムをコントロールする知識が人並み以下なので、

(そもそも、あまりそこに時間を費やしたくない)

システムのなすがままに、自分の情報を公開したり、

知り合いと「繋がる」のが恐ろしい。

 

というより、何よりの大前提として、

実名の私が何をしているかなど、特段、人に教えたくない。

誰が、私が今日の昼ごはんに食べたものを知りたいと思うかね?

もう少し、まともな?の昨今の興味などであっても、

なんで、わざわざ聞かれてもないのに教える必要があるか?

 

教えたい人がいるのであれば、個別にアプローチします。

自分の知り合いが何をしているのか知りたければ、

個別に尋ねます。

システムを利用したことで意外な友だちを見つけて嬉しい、という話しも聞くけど、

私には、知らないところで、自分が知られてしまう方が恐い。

 

何十年もの過去に遡って、知り合いの消息を探りたいと思わない。

もちろん、死ぬまでに会ってお礼を言えるといいな、という人はいるけどね、

もし真剣にそう思うのであれば、リアルなツテで探るでしょう。

むしろ好意を持っていない人にいつの間にか探られる方が脅威。

 

 

 

 

それでも、物の試しと、FBのアカウントをオープンした時、

もちろん名前は本名ではなかったし、全てを非公開にして、

友だち承認など一回もしていないのに、

電話番号やメールアドレスを照合して、

「友だちではないですか」と毎日、知り合いの情報と共にお知らせが来て、

ブラックメールのようで、恐かった。

 

そういうのを、「あ!○○さん元気だったんだ!連絡しようかな!」と

明るく、正しく、システムを活用する人が一定数いる。

そのような概ね、真っ直ぐ、素直に育って来た人に支えられて、

このシステム(=ビジネス)は成り立っている。

が、私には、底知れぬ恐怖を感じる事象である。

余計なお世話だと思ってしまう。

 

もちろん、喜んでシステムを活用しているそのような人の、

すべてが真っ直ぐ、素直に育っているわけではなく、

SNS用に金を払ってレンタル恋人する人をはじめ、

しょっちゅう自分の写真を撮って公開しているような、

いかにも自分大好き風に見える人でも、

もしかして助けが必要なほど孤独だったり、

コンプレックスをもってたりするんだろう。

 

 

 

だから、このSNSというシステムは、

人を弄んでいるかのようで、私には恐ろしい。

 

カメラに魂を吸い取られるようだ、と言って

写真撮影を拒否した時代の人のようかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでもアリ香港マッサージ体験

今年2度目、またもや香港に行ってきた。

特に香港好き、ってわけでもないのだが、

フランスに住む夫が仕事で来るので合流した。

 

 

 

同じ東アジアの大都市、東京と比較すると、

街のゴチャゴチャ感、統一感のなさは似ている。

なんでもアリで積み上げていくアジア的な美的感覚は同じなんだろう。

が、香港の街の無節操感は東京を上回る気がする。

なんとも独特な、生き残るための逞しさ、お構いなしの雰囲気。

 

日本国外で日本人をみかけると、同じアジア人でも違う、と思うのは、

同じ猫でも野良と飼猫が表情が全然違うように、

日本人って(私もです)、安心しきった平和ボケの顔つき。

香港の人たちの表情は、もっと緊張感があり、抜け目のなさを感じる。

国民性もさることながら、歴史や地理の違いもその一因でしょうかね。

 

 

 

 

今年3月に香港を訪れた際、私のマッサージ人生で

1,2を争う腕前のマッサージ師に施術してもらったと以前も書きましたが

今回も、またマッサージで稀有な体験をした。

 

到着初日の夜、疲れたものの、マッサージに絶対行きたい、という肩こり状況で

ホテルの近くの数あるマッサージ屋から適当に1つ選んで訪れた。

雑居ビルの3階までエレベーターであがって扉を開けて中に入ると、

客がおらずTVドラマを見ながら毛糸の編み物をしていた女性店員が

慌てて立ち上がって、片言の英語で迎えてくれた。

 

施術室は2つ、空室は1つ、要はいっぺんに2名しか診られない。

夫がその編み物の彼女に施術室でマッサージを受けることになり、

私の担当者は急遽、電話で呼び寄せられることになって、しばらく待った。

ここまでは、今までも東南アジア各国であることで、体験済み。

 

 

 

だが、急遽やってきたマッサージ師は、ママさんマッサージ師であった。

つまり、子連れであった。3歳くらいの女児付き。

施術の場にまで子供がいるケースというのは初めてで、

いや、こりゃ、参ったな、と嫌な予感。

 

なお、今回指定したのは肩と背中のマッサージだったのだが、

通常は、寝っ転がって行うことが圧倒的に多いが、

ここでは2つの施術室が塞がっていたからだろう、

その香港ドラマが流れている受付エリアで、フツーに座りながら受けることに。

 

さて、その女児は、騒いだりぐずったりしなかったので

比較的おとなしい方だったのかもしれない。

だが、チョロチョロ動いて、その場にある道具やなんやをいじったりする。

私も、ついつい気になってしまう。

母であるマッサージ師もヤメろ、とかなんとか声をかけてる。

 

言語というのは、一言も解さない外国語でもちゃんと通じることがある。

1人掛けの椅子に私のバッグを置いていたら、

その女の子が、ここに座りたい、といい、母は我慢しなさい、と答える。

しかし、その子が私のところに来て、私の目をじっと見ながら、

「あたし、ここに座りたいの」と言ったのは、ハッキリわかった。

ので、バッグをどかしてあげたら、その子はそこに座ってジュースを飲み、

その母が、すみませんねえ、とか私に言う。

もちろん私は一言も広東語は解さないが、

ともかく、そういうことが、「マッサージ施術中」に繰り広げられた。

 

しかし、極めつけは、その子の「うん○」であった。

その場でもらしたわけではなく、ちゃんとトイレにいったのだけどね、

マッサージは中断され、母は用途はよくわからないが新聞紙を持ってトイレにいき、

なんだか知らないが、臭いから察すると、そうなんだろう。

そして、その後、マッサージは再開されたのだが、

母の手は、手を洗ったような水でひんやりした感じがなかった。

 

 

 

 

しかし、あのママさんマッサージ師、腕は悪くなかったよ。

40分のマッサージを希望したのだが、

ちゃんと希望が通じておらず、私の施術は20分で終わった。

しかし、あの女の子の状況を考えればそれが限界であったろう。

終わった途端、来た時同様、さーーっと慌ただしく母子は去っていった。

 

なんでもアリの香港。

これも仕方ない、と思えるのが、旅の良さか。

 

 

 

 

香港が返還されて、ちょうど20年なわけだが、

香港人の生活やメンタリティにはどういう変化があったのかな。

 

名著「転がる香港に苔は生えない」の星野博美さんは

「外見は昔と同じでも、中身はまったく別人のクソったれになってしまった。 

そんなクソったれの街に対する香港人の愛が強すぎて、私は面食らう。」

とツイートしてました。

 

勉強不足な私としては、コメントできないエリアなので、

いつものように、一観光客としての体験を述べるのみ。

香港の方々には、頑張って生きてる姿勢にフツーに共感を持ちます。