ハイジの退屈日記 パリ・東京 -13ページ目

逆上の理解

先月、東名高速道路で悲惨な事件が起こった。

 

サービスエリアで車の停め方を注意された男が逆上し、

その後、その注意した夫婦を高速上であおるなどして

危険・悪質運転で嫌がらせをしたあげく、

高速上で車を止めさせ、車から引きずり下ろしたところ、

その夫婦が後続の車に轢かれて亡くなった、という事件。

10代の子供が2人、残された。

4カ月もこの事件は明るみに出なかった。

子供たちのショックが大きすぎたのかも。なんて気の毒なんだろう。

 

その男は逮捕され、その後、

より罪の重い、致死傷罪で起訴された、はず。

当然だ。しかも、その男、悪質運転の常習犯だったという。

情状酌量の余地なし。人生かけて償え。

 

そう私は心から思っているし、それを前提でいうのだが、

私は、そいつの怒る気持ちがわかってしまった。

一般的に、私は、

他人に注意をされて逆上し、その人に嫌がらせしたい気持ちがわかる。

もちろん、その後、危険運転で追いつめるほどまでのアクションを

自分は取らないだろう、と思う。

でも、逆上する気持ちは、わかってしまう気がする。

 

 

このニュースの報道に際しては、

ハンドルを握ると人格が変わる人がいる、という文脈で語られていたが、

私はひそかに、あいつは、そうでなかったかもしれない、と思った。

 

なぜなら、私は、運転しないけれど、

あいつの怒りの気持ちが共有できてしまったから。

自分のパーキングエリアでの停車方法は悪かったかもしれない、

自分に明らかに過失があったのだとしても、

正しいことを指摘されたりすると、カーーーーツ、と怒る気持ち、わかる。

そして、相手に対して、何をエラそうに!と咄嗟に怒りを覚える。

私とあいつの違いは、そのあと行動に出るか出ないかだけだろう。

 

はっきりいって、アカの他人に何か間違いを指摘されると、

それが正しいことであっても、私はカッとする。

その言われ方によっては、逆上するだろう。

当たり前だが、それは、幼稚な態度だ。

 

怒りを覚えたとしても、すぐに冷静になるべきだろう、

自分が間違っているか等、状況をまずは顧みるべきだろう。

間違ってなくても、とにかくトラブルを避けるため、

状況によっては謝ってしまい、さっさと退場することもできる。


 

私は、この事件を聞いた時に、

犯人に対して、同情や、かばう気持ちはこれっぽっちもないが、

なぜ、私やあいつのような人間は、こんなにも幼児的なまま

大人になってしまったのか、ということを思わずにいられなかった。

 

自分自身が否定された、と感じてしまうということだよね、きっと。

さらに、自分の間違いを指摘する人を、まずは敵、とみなす。

前向き、または正しく導いてくれる相手、とはとらえない。

「正しいことを言う人」に、そもそも強い反感を覚える。

 

自己肯定感が健全に発達していない、ということか。

さらに、自分というものが不安定。

他人を、攻撃してくる、自分を危うくするもの、として捉えるのは、

自分の核が不確かで、信頼感がない、ということだろう。

だから、規則、または権威的な存在を脅威として嫌い、敵視する。

そして、そのまま時が過ぎ、「大人」として社会に出てしまった。

 

「アンガーマネジメント」が流行る昨今なので、

多かれ少なかれ、似たような悩みを持つ人は多いのだろう。

かくいう私も、いくつかの方法を試したりしてますがね、

なかなか身につけるまでには時間がかかりそう。

 

子供時代には、何をしたから何を言ったから、ではなく、

その存在そのものを認めて、無条件に受け入れてもらう、

という体験がとても大切なんだろう、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早朝散歩の動機は

勤めている会社のリストラが急速進行中。

私のような管理部門の管理職が真っ先にやられるのは定石。

 

そうか~この年で転職というのも難しそうだな~

いっそ、住んでいるこのマンションを貸して、

パリの夫の家に引っ越すのはどうだろう~

でも、住宅ローンの返済、家賃収入では賄えないな~

 

などなどと考えていたら、もしかして、

この家に住めるのも、あと数カ月?!という恐れが成り立ち、

急に、自分の住まいに愛着が湧いてきた。

 

マンション自体は大したものではないのだが、

南東向きの家の目の前にある雑木林の風景がお気に入り。

季節ごとに木々が緑や赤や黄色に変化し、

一年を通じて様々な鳥の声、虫の声にも楽しませてもらっている。

 

そして、家から歩いて5分弱のところにある大きな公園。

東京ドーム5倍ほどの面積があるといわれている

広々とした緑豊かな公園です。

 

というわけで、前置きが長くなったが、

この公園で、出勤前に、早朝の散歩を始めた。

こんなに素晴らしい公園のすぐ近くに住んでいるのに、

その恩恵を十分に生かしていない、

そして、この恩恵に浴せる時間があとどのくらいあるのか?!

という焦りが直接の動機付けだったかな。

 

 

動機はどうあれ、

速足の散歩は運動としては一番だというじゃないの。

足腰を鍛えることにより、健全な肉体をつくり、

さらに健全な精神も備えましょう。

 

実際、開始早々に、お尻や腿の筋肉痛になったので、

普段使っていない筋肉の刺激にはなっているらしい。

また腕もブンブンと大きく振っているので

なんとなく肩こりにもいい影響があるような。

 

朝6時の空気は新鮮、人も少なく落ち着いていて、

たった30分の散歩とはいえ、気分が新たになる。

公園にいくつもある大木は、

自然のパワーを十分に蓄えており

力強い気を放っているのが感じられる。

「良い気」を受けながら軽い運動できる環境が有難い。

 

歩きながら、色々な思いや考えが頭に浮かぶが、

Stream of Consciousness 状態で

それを深追いせずに放っておくと、

ちょっとした瞑想にもなっている気がする。

 

 

朝6時から6時半くらいの公園の散歩においては、

やはり老年に近い方々の犬の散歩ピープルが最も多いが、

もう少しだけ若い方々も、おのおの散歩やジョギングをしている。

 

なんとなく顔見知り~コミュニティもできている部分もあるようだ。

 

歩き始めた当初、すれ違う人々が私のことをチラッと見るような気がした。

新参者としてチェックされているらしい、と感じ、

とりあえずは、4日目からノーブラで歩くのを止めた。

 

全く知らなかったのだが、6時半になると数十名の皆さんが集まって、

一緒にラジオ体操をなさっている。

夏休み中は、子供たちも集まるのかな?

 

また、ラジオ体操が始まる30分ほど前からは太極拳を行うグループもあり。

この太極拳のために、昔懐かしいラジカセでで音楽を流しているのだが、

このタイチー音楽は実に気持ちいいね。

中国の悠久の昔から流れる川のような、ゆったりとした長調。

散歩コースで、この太極拳グループのいるところを通ると、

なんとも心が和む。

 

 

 

 

平日、仕事に行く前に、このような散歩タイムを確保するのは

なかなか心身の増強に良いアイディアであったな。

 

ただ、今後、日がますます短くなり、

そして寒さが増してくると、

暗くて寒い早朝にトイレに行くことさえイヤなのに、

果たして、起床して出かけることができるか、

「冬ウツ」の私としては自信がすでにない・・。

 

ま、毎日が日曜日になったら、しばらくは

日の高い時間にお散歩すればいいのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一日単位で

30年以上前から、

スケジュール帳をしょっちゅう眺めるのが習慣である。

それも、今日明日のことを確認するだめでなく、

今後のスケジュールを、週単位や月単位で

毎日のように飽かずにチェックしてる。

 

したがって、今後数カ月の予定まで頭にバッチリ入っている。

こんなに繰り返し予定表を眺めてれば、そりゃあ当り前だろう。

 

 

 

 

この習慣は、一見、計画的に備えているようにも見えるが、

「毎日のように」先の予定をチェックしている、という時点で、

確実に、「今に生きていない」ことの表れであると思う。

つまり、私の場合、来週の予定はこうだ、2か月後はこれをする、と

毎日のように、先のことばかり考えていることになる。

 

この、「今に生きない」性質が不幸であることは、

休暇においても常に終りを見据えているという事からもわかっていたが

以前も書いたとおり)

日々の生活においても、実に馬鹿げている、ということが

齢50をいくつか越えた今になって、わかった。

 

 

 

 

今日一日を、とりあえず精一杯生きればいいではないの。

明日はもう、いない、くらいの気持ちで、

やるべきことをやり、人に接することを考えた方が、

謙虚さ、心の平穏、という幸せを得ることができると思われる。

 

先を見越した計画性が必要なことは、もちろん多い。

それが具体的に、今を快適にして建設的に運ぶためであればよいが、

先のことを徒に案じていたり、憂鬱になっていたりすれば無意味だ。

 

やたら明日や再来週のことを考えて憂鬱になるくらいなら、

今日の一時一時に全力投球した方がよいに決まってる。

 

 

 

 

ある友人が、週末が終わって出社する月曜日は特に憂鬱だけど、

実は、火曜日ってヤツもかなり憂鬱だ、

月曜日が横綱なら、火曜日は大関だ、とか言うので笑ったが、

そんな風に感じる人は実際、結構いるかもしれない。

 

でも、それは、「週」という単位で時間をとらえてるからだろう。

「一日」という単位で自分の持ち時間をとらえれば、

そして、私の場合、

もう折り返し地点をとうに過ぎた自分の年齢を考えれば、

憂鬱な気分につけ入れられている場合ではないのかもしれない。

 

というわけで、スケジュール表を眺めるのを止めているこの頃。

先のことをフト思って憂鬱になりそうになると、

頭の中で、ブンブン打ち消す。

今日やるべきことが終わり、就寝にこぎつければ、

それで十分よいではないか。

 

V.E.フランクルのいう、

「もうそろそろ人生の意味を問いかけるのをやめようではないか」

という言葉に感銘を受けたものの、

なかなか実践できぬまま、「天命」を知る50を過ぎて数年経つ。