生きる稽古 死ぬ稽古 -18ページ目

     生きる稽古 死ぬ稽古

ー毎日が おけいこ日和ー
        

舘山の旅の2日目。

ホントはね、シーワールドで

シャチに水をぶっかけられて

わざと大袈裟にきゃーきゃー叫ぶ

ってのをやるつもりだったんですニヒヒ


が、ね。

↓どうしてもこの

〈死んだような海🌊〉

というイメージを持ったまま帰りたくなくて‥


沖ノ島に行ってみることにしたんです。


(⭐️マークはお借りした写真です)


舘山からほど近いところにある島。

陸から歩いて渡れます。


私が知らなかっただけで

千葉では有名な観光スポットみたいです。



たくさんの人が訪れています。


さっそくシュノーケリング開始!

で! よかったよ、ここに来て。

魚たち、いるよ〜〜🙆‍♀️🙆‍♀️


昨日の海で見た

カゴカキダイもたくさん泳いでいますし、


(⭐️)

いや、こんなにはいないけども😅

ソラスズメダイもいます。

このコたちに会えると

シュノーケリングしてるなぁ

って気分にさせられます。


そしてなんといっても

ニシキベラ↓の数が多い。

ニシキベラ王国😄


(⭐️)



舘山の海はクサフグが多かったけど

こっちではほとんど見かけない。

(⭐️)

代わりにいたのはハコフグ。

泳いでいる姿はかわいいんだよね。


(⭐️)

海の底ではカサゴがジッと動かない。


タイの仲間の大きめの魚たちも泳いでいましたし、メダカの卵くらいの稚魚が集団で泳いでいたし、

メダカ?とみまごうくらいの稚魚も集団遊泳。


今、魚たちの孵化する時期なのかもしれません。


沖ノ島、

水は透明度が高いし

水温も一定だし

波も高くない。


そしてここなら日帰りもできそう❣️


いいことづくめの沖ノ島。


それでもやっぱり伊豆が好き〜〜💕💕

ということで、

来週は恒例の宿に泊まって

恒例の海に入ってきます(←予告なの?😅)

千葉に住んでいるのだから

県内で遊べる

シュノーケリングスポットはないものか?

と探してみたんです。


舘山も海が綺麗だよという情報を見つけたので

行ってみました。



ほとんど人気がなくて

穴場かも〜

っとワクワク海に入りました。


驚くほど水は澄んでいて綺麗です。

でもなんだろ、なぁんかヘンなんですよ。


おかしな例えだけど

何年も人が住んでいない家って

家具などに埃がふわっと堆積するでしょ。

海の底が、そんな感じなんです。


このところ毎年、

伊豆の海でシュノーケリングをしているので

どうしても比べてしまう。


伊豆で潜っていた時は

〈沖縄には及ばないけどね〜ニヤニヤ

なんて思っていたけど

伊豆の海って魚がいっぱいいるんだなぁ

って、あらためて思わされました。


‥‥というくらい、

舘山は魚が少なかったんです。

残念ながら‥‥チーン


でもいないわけじゃないのよ。



カゴカキダイ。

(写真はお借りしました)

このコたちはけっこういましたね。



なんといっても多かったのはフグ。

(この写真も館山の魚ということで紹介されていたものをお借りしました)

このコはクサフグだと思っていたんだけど、

サザナミフグと紹介されていました。


群れというほどではないけれど

二十匹くらいが同じ場所にいて

こんなにたくさんのフグを

まとめてみたのは初めてでした。


スズメダイと思われる魚の群れもいたし

会いたくないウツボにも会っちゃったし

それなりに海を楽しむことはできたのだけれど

正直に言えば

ちょっとだけ物足りなかったなぁ

というのが本音です。


それも込みで

旅は楽し

なんですけどね照れ

夏です。

海に来ています🌊

海辺にはレストランがあります。


で、〈浜焼き〉の話。

海岸沿いには〈浜焼き〉ののぼりがはためく

お食事処がありますね。

そんな一軒に入ってみたのですが‥‥

(私には)高い滝汗

(私には)高すぎる滝汗滝汗


エビ一尾が1340円

アジの開きが680円

というような値段。。。


別にふつうの値段なのかもしれないけれど

それを自分で焼いて食べるシステム。


アジの開き一つ買って

ご飯と味噌汁を注文して

自分で焼いて。。。

って、

だったら家で食べた方がいいよね

という庶民の考えに落ち着きました。


ひものはテイクアウトできないそうですしね😢


〈浜焼き〉には

〈浜焼き〉の醍醐味があるのかもしれませんが、

私は今度から

ちょっと敬遠してしまいそう。


で、近くの別のお店で

エビフライ定食1300円を食べました。



〈浜焼き〉のエビより大きいのが三尾!

美味しかった〜〜。


〈浜焼き〉のお店のみなさん、

ごめんなさいね〜🙇‍♀️🙇‍♀️

話題になっていることに乗っかるのも

ハズカシイ話なんですが‥‥ニヤニヤ


泣くのは個人の感情ですし

他人がとやかく言うこっちゃありません。

感情をワッと放出してから

頭を切り替えて次に向かう。


そう、それでいいんだと思うんです。


でもね、少し世代の古いワタシは

不思議なものをみるように

選手たちをながめてしまいます。


「負けて泣くなら勝って泣け」

と親父に言われて育った世代ですからねぇ。


(へぇ〜、負けたのに

こんなに堂々と、人前で泣いちゃうんだ〜)

と不思議なんですよ、

負けて泣いてる人を見ると。


これは批判ではないんです。

ずっとワタシの中で考え続けているところ。

たとえ勝負に負けても

人前ではばからずに泣いてもいいものなのか?

それとも敗者となったら

どんなに悲しく悔しくても

ロッカールームまで泣くのを堪えた方がいいのか?


そしてこれは⭕️❌のつくようなことなのか?

時代遅れかどうかということなのか?

人それぞれ、でくくってしまっていいことなのか?


ワタシの中では

クエスチョンマークだらけのことで

しかもたぶん

死ぬまでハテナなことなんだろうなぁと思います。



そんな中で起きた

柔道のウタさん問題。


これは〈負けて泣く〉ことの

是非を問うことだけではありません。


①いつまでもうずくまっているから、試合が遅れた

ということと

②礼もせず、相手勝者を称えない

ということと

③大声で泣き叫び続けた

ということと

④あんなに泣けるほどのがんばりに感動した

ということと

⑤がんばった人を貶めるなんてひどい

ということと

⑥マスコミの報道の仕方

などなどが

すべて同じ土俵の上で

とっちらかっている滝汗滝汗滝汗


そもそも

〈がんばったウタさんをみて感動した〉

ということと

〈もし武道家であるならば、

敗者となった時のあの態度はいかがなものか?〉

ということは

まったく別の次元の話。


それはごっちゃにせずに

一つ一つを個別に

考えなくちゃいけないことだと思っています。


で、当事者であるウタさんが

落ち着いたら、

これらの一つ一つについて

どう考えているのかを知りたいです。


鍛錬を重ねて

努力をしまくって

それで負けたなら

礼もせず

試合を遅延させてもいい

なんて前例は作って欲しくないですものね。


それから

柔道のコーチというのが、

何をどこまでコーチする存在なのか?

をまったく知らないのですが、

コーチが大声で

「ちゃんと礼をしなさい」

「はやくコートから降りなさい」

と指導してあげることは

できなかったのでしょうか?


ウタさんのことについては

〈負けて大声で泣き叫んだ〉

そのことよりも

礼を失したことと

試合を遅延させたことは

改めた方がいいんじゃないかと思います。


ウタさんは感情の起伏が激しい方のようなので

それならなおさら

もし、コーチが

こういうことも指導できる立場にあるなら

コーチが指示指導してあげればよかったのに

と思ったのです。


試合の遅延行為については

スポーツ競技の運営に関わる問題ですし、

礼を失した行為は

柔道が武道であるのか?

という重大な問題を孕んでいます。


これは

連覇を重ねた選手である

とか

前大会の覇者である

とか

とてつもないプレッシャーを抱えていた

とかが

エクスキューズの理由にはなりえません。


なんだろうなぁ。。。

今はSNSで罵詈雑言が飛び交う時代であるし

その一方で

「ひどいこと言うな」

「かわいそうだ」

「おまえにそんなことをいえる立場か」

というような

いっけんやさしそうな言葉によって

真っ当な意見がかき消されそうになることもある。


叱咤激励という言葉があります。

叱るというのは

思いやりと同義語になることもあります。


違うことは違うといい

間違っていることは間違っている

と伝えた方が

相手のためになることもあります。


今回の一連のウタさんの行動は

個別にじっくりと

考えていいことだと思います。


礼にはじまって礼に終わる

というのは、

どんなに初心者のヘナチョコ武道家でも

大事にするべきことで、

チャンピオンならなおさらですものね💕💕💕





これはまったく個人の見解なんですけど。。。

前回のオリンピックは

あのコロナ禍まっただなか

不要不急の外出は避けるように

と国を挙げてお達しを出していながら

オリンピックはやる

という決断に

どうしてもどうしても納得できなかったので


オリンピックを観戦することをすべて拒否


していたんです。

なので、前回の2度目となる東京オリンピックは

私の歴史の中では

なかったもの

となっております。


そんなわけで

個人的には8年ぶりの

オリンピックが開催されました😄


でもなんだか

コロナ以前と以後とでは

オリンピックという国際大会の見方が

まったく変わってしまったようで

それまでのような熱がなくなってしまいました。


残念ですけどね😢。。。


私の父親は

スポーツ大会の開会式をみるのが大好きでした。

参加選手全員が胸を張って

やる気に満ちて行進するさまを見るのは

私自身も大好きでした。


この場に来るために

どれだけと研鑽と努力があったのだろう

と、選手一人一人を讃える気持ちでいっぱいになります。


パリオリンピックでも

船上で手を振る選手たちを見ると

全力でのびのびとプレーしてほしいと

願わずにはいられませんでした。


それにしても。。。

船でセーヌ川を行く演出はいいとして

海釣りに行くみたいなモーターボートもあれば

豪華客船かとみまごう船もある

というところには

国別格差

を感じてしまいます。


何をもって平等とするのか?

というのはむずかしい問題ですね。


難民となった選手達の行進には

グッとくるものがありましたのに

バッハ会長が絡んでくると

途端に興醒めになってしまいました。


あぁ、これもまた複雑な問題。。。


でもでも!

圧巻のパフォーマンス

と世界中の人々が絶賛した

セリーヌ•ディオン



きいてきて鳥肌が立つほど

素晴らしい歌唱でしたが、

私が驚いたのは歌い方を

エディット・ピアフによせていったのではないか?

というところなんです。


ピアフが好きな人ならば

セリーヌ・ディオンがリスペクトを込めて

ピアフのように歌い上げている

というところも

感涙ものだったのではないかと思います。


録画しておいてよかった〜❣️


あ、それからつけたし。


気になっていた

聖火台の気球ですが、

どこかに飛んでいっちゃうわけではなくて

ちゃんと固定されているのだそうですね。


よかった、よかった😄😄


いろんな想いを込めて

オリンピックがはじまりました。





もちろんキリコの絵は観たかったんだけど、

とても気になっていたのは

今回の展覧会の企画です。


ポスターやチラシはもちろんのこと

会場の設営や

作品展示の仕方や

グッズに至るまで

クオリティの高い展覧会となっています。



壁の色なんかも

あとマッチングするように

よく考えられています。


公式サイトもカッチョイイから

ぜひ見てみて↓



キリコは

シュルレアリズムの先駆者

的なところに位置づけられていて

シュルレアリズムの展覧会などでは

必ずお目にかかる画家です。


キリコの絵だけの展覧会、

私はみたことなかったけれど

日本では10年ぶりの開催になるのだそう。



初期から晩年に至るまでの

かなりの作品を一堂に介した今回の展覧会は

それはもう見ごたえのあるものでした。


画風を変えていくこと

以前の作風に戻ること

などに、キリコは抵抗をしめしません。


どんな批判を受けようとも

自分がその時代その時代に

書きたいと思ったものを描いている。


そういう闊達さ、自由さというものが

よくわかる展覧会でもありました。



(キリコの絵は文学作品でもあるのだな)

私はふと、そんなことを感じました。

香り高い文学を読んでいる時のような感覚を

絵を観ながら感じたのです。


形而上絵画と言われる

キリコの代表的な作品群を観ている時には

(キリコは哲学者なのだな)

と感じさせられます。


画家であり

文学者であり

哲学者でもありそうなキリコは

自分の興味のあるものに向かって颯爽します。



画家の彫刻には

あまり興味がないのですけれど

キリコの彫刻は素晴らしいです。

格調高く、美しい。


そして今回の展覧会で

初めて知ったことなのですけれど

キリコは初期の頃、

ベックリンの影響を受けたそうですね。


ベックリンはスイス出身の画家で

「死の島」という作品(5点あります)

が代表作です↓



すべてのおいて行き届いた

今回の展覧会ですが

ポストカードの紙まで良質で、

しかも欲しいと思う作品がたくさん印刷されていて

ついついたくさん買い込んでしまいました。


この展覧会に関わってくださった方々に

本当に感謝です。


最寄り駅まで向かうバスは

いつもたいてい、混んでいます。


今日は土曜日ということもあって

バス停に停まるたびに

たくさんの人が乗り込んできます。


ふと左を見ると

座席の右側におばあさんが

そしてその左にはリュックが置いてありました。


ん?

リュック?

座席に?

こんなに混んでんのに?


二度見、三度見しても

やっぱりリュックです。


おばあさん、

そりゃないだろう

と思いました。


こんなにギュウギュウ詰めなのに

リュックを座席に置かないでくれ。


あいにく、私は

ちょっと離れたところに立っていて

しかもおばあさんの前に立っているのは

ポーーーンと腹のつきでた

小太りのオッチャンで

さすがにこのオッチャンが

おばあさんに

「奥に詰めてください」

とは言えないだろうなぁ

と思ったのです。


私には関係ないと言えば関係ない。

でもなぁ‥‥‥

と思っている間に

バスは駅に着きました。


ギュウギュウ詰めで立っていた人の中には

子供連れの、

目の見えない女性もいらしたのがわかりました。


う〜〜ん、これはーーー!

バス停に着き、バスを降りると

私はリュックのおばあさんに

声をかけました。


「あの、すみません。

このバスはとても混んでいて、

目の見えないオカアサンも

立ってらっしゃいました。

できればお荷物は膝の上に乗せていただけたらと」


するとおばあさんは

「あ、ごめんなさいね。

実は私、胃癌で胃を摘出したので

お腹をあまり圧迫できないのよ。

でも、ごめんなさいね」

と、おっしゃる。


私には目に見えるものしか見えてなかった。

そういう方もいらっしゃるのだ。


「そうでしたか〜。

それは余計なことを申しました。

どうもすみません」

と私が謝罪すると

おばあさんは私の方にそっと手を置いて

「いえいえ、私の方こそ

ごめんなさいね〜」

と言われる。


「どうぞお気をつけて」

と言って別れたのだけれども、

私は話しかけてよかったなぁって思いました。



余計なことを〜

でしゃばったことを〜

という、恥ずかしい気持ちや

反省するような気持ちもあったのだけれど、

でも察する力の弱い人間は

言葉を交わしてみてわかることもある。


だとしたら

できる限り失礼のないかたちで

言葉を交わしてみたい。


私の肩には

おばあさんの手のぬくもりが

残っているみたいだから。




お手入れっていったって

お肌のケアのことではありません爆笑

ベランダの花たちのお手入れです。


まず、どの鉢植えにも

カタバミが生えまくっているので

それを取ります。

カタバミも食べられるんですけど

私は抜いちゃいます真顔


あれ?

シソの鉢を見ていたら

紫の花が‥‥?




たぶん去年育てていた

ペチュニアが零れ種で育ったのだと思います。




他の鉢でも芽を出していたので

合わせて救出。


ヒナソウといっしょに

寄せ植えてみました。

根付いてくれるだろうか?


エボルブルスは

鉢から飛び出して大暴れしてたので‥‥



花は切花としてリビングに飾り、




広い鉢に植え替えました。




カリブラコアも

鉢から飛び出ていたので

上に伸びるようにしてやります。



ハイビスカスは過去一の花つき。

今、六輪もいっせいに花を咲かせています。


お花をいじっているのは

楽しいねぇデレデレデレデレ


気持ちのいい

午前中です。

どうしても

また観たくなって

2回目の鑑賞です。



↓はネタバレしてませんので

これから観られる方は

こちらだけ、ご覧になってください😊


この映画の主人公は
アウシュビッツ強制収容所の所長である夫と
その妻
という夫婦です。

で、映画には
その妻の母が出てきます。
娘である奥さんは
遊びに来ている母に
片付いて清潔な家の中や
温室やプールまである広い庭を
丁寧に説明しながら案内していきます。

「あなたは幸せなのね」
「すごいわね」
と、母は娘の生活ぶりに
喜びを隠せません。
娘は娘でなんとも誇らしげです。

庭での母娘の会話の中で
この母は裕福なユダヤ人のお宅で
働いていたことがわかります。

「エステル(そのユダヤ人の人)がこの中にいるのよ」
と、母は隣りの収容所に向かって言います。
そのエステルが家督を没収されて
収容所に入れられたのです。

その家の中の物が売りに出され
母はその家のカーテンが欲しかったのだけれど
手に入らなかった
ということを残念そうに話していました。

この映画の中では
女性たちの会話がとてもオソロシイ。

こうして国も時代も違う
ワタシタチがきくと
ゾッとするような会話なのです。

それが日常的に語られる
ということがオソロシイのです。

お金があり、
下働きの者を何人も使っていたユダヤ人が
収容所に連れて行かれる。

彼らの使っていた物は
ワタシタチドイツ人のものになる。

それが当たり前になっている時代
というのが
確かにあったのです。

それを淡々と話しているのは
特別に強欲な人でも
残虐極まりない人でもなく
どこにでもいるような〈ワタシタチ〉

そのことがとてもオソロシイのです。

この映画は2023年の
アカデミー 音響賞
を受賞しています。

この映画が恐怖心を煽り
残虐なことが行われているのだ
という想像力を観ている者に掻き立てるのは
音によるところが大きいのです。

この映画を観ている間中、
ゴォンゴォン
と重低音がずっとなり続けています。
小さく聞こえているのですが
その音がやむことはありません。

生身の人間を焼いて処分するための
焼却炉が休みなく稼働している音なのです。

「この中にエステルがいるのよ」
と言ったおかあさんは、
この音のために眠れなくなります。

娘が丹精込めた庭や、
磨き上げた邸宅のすぐ隣りで
何が行われているのか?
このおかあさんは〈知って〉しまったのです。

ある朝、おかあさんは荷物をまとめて
この家から逃げていってしまいます。

この行為が
〈関心領域〉と〈無関心領域〉の
狭間であるとも言えるでしょう。

無関心ではいられなくなった母の行為に
娘は激怒します。

無関心でいられる世界でこそ、
自分は〈女王〉として
君臨することができるからです。

私が何度もオソロシイと書くのは
〈アウシュビッツの女王〉
と言われた奥さんの非人間的な言動が
まかり間違えば
ワタシかもしれないし
アナタかもしれないし
ワタシタチかもしれない
というところなんです。

だってヒトってかんたんに
時代に流されちゃう生き物なんだもの。

(たぶんつづく)












30代、40代の頃には

よく一人旅をしていました。


まだスマホなんてない時代、

フィルムを10本20本と買っていって

あっちこっちで写真を撮ってきました。


いつのまにか、

フィルムなんてものが世の中から消えて

カメラを使うこともなくなりました。


その頃使ってたカメラを

処分することなくとっておいたので

今日はそれを売りに行ってきたんです。


いくらだと思います?


50円でした、50円ポーン


で、そのわりに

住所氏名年齢電話番号など

いろいろと書かされたので

言ってみたんですよ。


「50円もらうために

いろいろと手続きが大変なんですね」

って。


そうしたら、

店員さんが申し訳なさそうに

教えてくれたんだけど

カメラの買取は

盗難品の場合があるのと、

夫に黙って奥さんが売りに来た

なんてこともあるらしい。


「なので買取の場合は

書類を書いてもらわないといけないんですよ〜。

すみません🙇‍♀️」

と、店員さん。


なるほどね〜。

家族のものを

勝手に売っちゃう場合もあるんだ。

それだと後で取り返しに来て

スッタモンダ

があるのかもしれないですねぇ滝汗


カメラとか時計とか

捨てちゃったらいけないんじゃないか?

ってとっておくことが多いんだけど

高級なものでない限り

早めに処分してしまった方が

いいのかもしれませんね。


でも〈旅の友〉だったからなぁ。

あちこちの国を

一緒に歩いてくれて

ありがとうね😊


せっかくなので

あちこちで撮ってきた写真を数枚。

(わざわざスマホで撮り直してアップしてる。

めんどくさ〜ニヤニヤニヤニヤ



↑ラスベガスのスーパーマーケットにて



↑パリのモロー美術館にて



↑トルコの‥‥どこか‥‥わからん滝汗