〈礼〉の話 |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

話題になっていることに乗っかるのも

ハズカシイ話なんですが‥‥ニヤニヤ


泣くのは個人の感情ですし

他人がとやかく言うこっちゃありません。

感情をワッと放出してから

頭を切り替えて次に向かう。


そう、それでいいんだと思うんです。


でもね、少し世代の古いワタシは

不思議なものをみるように

選手たちをながめてしまいます。


「負けて泣くなら勝って泣け」

と親父に言われて育った世代ですからねぇ。


(へぇ〜、負けたのに

こんなに堂々と、人前で泣いちゃうんだ〜)

と不思議なんですよ、

負けて泣いてる人を見ると。


これは批判ではないんです。

ずっとワタシの中で考え続けているところ。

たとえ勝負に負けても

人前ではばからずに泣いてもいいものなのか?

それとも敗者となったら

どんなに悲しく悔しくても

ロッカールームまで泣くのを堪えた方がいいのか?


そしてこれは⭕️❌のつくようなことなのか?

時代遅れかどうかということなのか?

人それぞれ、でくくってしまっていいことなのか?


ワタシの中では

クエスチョンマークだらけのことで

しかもたぶん

死ぬまでハテナなことなんだろうなぁと思います。



そんな中で起きた

柔道のウタさん問題。


これは〈負けて泣く〉ことの

是非を問うことだけではありません。


①いつまでもうずくまっているから、試合が遅れた

ということと

②礼もせず、相手勝者を称えない

ということと

③大声で泣き叫び続けた

ということと

④あんなに泣けるほどのがんばりに感動した

ということと

⑤がんばった人を貶めるなんてひどい

ということと

⑥マスコミの報道の仕方

などなどが

すべて同じ土俵の上で

とっちらかっている滝汗滝汗滝汗


そもそも

〈がんばったウタさんをみて感動した〉

ということと

〈もし武道家であるならば、

敗者となった時のあの態度はいかがなものか?〉

ということは

まったく別の次元の話。


それはごっちゃにせずに

一つ一つを個別に

考えなくちゃいけないことだと思っています。


で、当事者であるウタさんが

落ち着いたら、

これらの一つ一つについて

どう考えているのかを知りたいです。


鍛錬を重ねて

努力をしまくって

それで負けたなら

礼もせず

試合を遅延させてもいい

なんて前例は作って欲しくないですものね。


それから

柔道のコーチというのが、

何をどこまでコーチする存在なのか?

をまったく知らないのですが、

コーチが大声で

「ちゃんと礼をしなさい」

「はやくコートから降りなさい」

と指導してあげることは

できなかったのでしょうか?


ウタさんのことについては

〈負けて大声で泣き叫んだ〉

そのことよりも

礼を失したことと

試合を遅延させたことは

改めた方がいいんじゃないかと思います。


ウタさんは感情の起伏が激しい方のようなので

それならなおさら

もし、コーチが

こういうことも指導できる立場にあるなら

コーチが指示指導してあげればよかったのに

と思ったのです。


試合の遅延行為については

スポーツ競技の運営に関わる問題ですし、

礼を失した行為は

柔道が武道であるのか?

という重大な問題を孕んでいます。


これは

連覇を重ねた選手である

とか

前大会の覇者である

とか

とてつもないプレッシャーを抱えていた

とかが

エクスキューズの理由にはなりえません。


なんだろうなぁ。。。

今はSNSで罵詈雑言が飛び交う時代であるし

その一方で

「ひどいこと言うな」

「かわいそうだ」

「おまえにそんなことをいえる立場か」

というような

いっけんやさしそうな言葉によって

真っ当な意見がかき消されそうになることもある。


叱咤激励という言葉があります。

叱るというのは

思いやりと同義語になることもあります。


違うことは違うといい

間違っていることは間違っている

と伝えた方が

相手のためになることもあります。


今回の一連のウタさんの行動は

個別にじっくりと

考えていいことだと思います。


礼にはじまって礼に終わる

というのは、

どんなに初心者のヘナチョコ武道家でも

大事にするべきことで、

チャンピオンならなおさらですものね💕💕💕