新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景 -6ページ目

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
ほなお暇なお方はどうぞお入りやす。
某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-Baroque  ちょうど2年前、大西順子が帰ってきた! と日本ジャズ界にとって明るいニュースが飛び込んできた。しかもブルーノートを始めとした各地でライヴ・パフォーマンスを見せてくれるというのだから只事ではなかった。ご多聞に漏れず、いそいそと私もブルーノート名古屋へ足を運んだ一人であった。

 その一年後、長いながい沈黙を破り“フラジャイル”以来の新譜を出すというのだからますます尋常ではなかった。“楽興の時 (Musical Moments)”が復帰第一弾で、一聴した内容はというと、復帰作にしては暗く重い新鮮味のない難解なアルバムだった。良かれとボーナス・トラックとして2008年9月の復帰ライヴが収めてあったが、ボーナスとは言い難い単なるオマケでしかない代物であった。期待に膨らんだ私のハートは、多事多難な一枚にポッカリと大きな穴が空けられてしまったようだった。

 そして今年復帰第二弾『バロック』を引っ提げ、名門ヴァーブより有為転変のジャズ界に舞い戻ってきた。ここでは旧友のニコラス・ペイトンやジェームス・カーター、ワイクリフ・ゴードンにレジナルド・ビール、更にロドニー・ウィテッカー等が吾勇んで彼女の脇を固めた。

 オjリジナル<Tutti>で幕を開けるが、前作を踏襲したサウンドは、数本の管を得て更に不可解な世界に迷い込み悩ませる。はたしてこの手のジャズが持てはやされる時代なのか、はたまた心奪われる者がいるのだろうかと訝しむばかりだ。

 とはいいつつ、沈んだ気持ちのまま2曲目のオリジナル<The Mother's>を聴き進めていた矢先のこと、3分と50秒を超えたころから俄かに胸が締めつけられ、5分20秒辺りでアノ順子節が「ねえねえ、私のこと嫌いにならないで」と襟首を掴まれた。このアルバムで最高品質の一曲となる。

 その他簡単に曲を追って往くと、<The Threepenny Opera>までが順子作となり、唯一この曲が救う神の如く明るく振る舞っている。ソロで奏でる<Stardust>はライヴでも何度となく弾いてきたのだろう、寛いだ雰囲気のなか、彼女の愉しそうな指の運びが浮かんでくるようだ。

 このあと3曲つづいて10分にも及ぶナンバーが待ち構えている。ミンガス作<Meditations For A Paie Or Wire Cutters>における彼女の頼もしいバッキングが危うい平衡感覚を保させていたり、エキゾチックな<Flamingo>は超スローなメロディが、あたかも沈みゆく太陽を留ませようと必死になり、メドレーと思しき<The Street Beat / 52nd Street Theme>は、時代を超越した楽しさと仕掛けがタップリと仕込まれていたり、独奏となるラストの<Memories Of You>は、バロックなる響きそのもの。

 前作と比べ物にならないくらいジャケットは悩ましく、アチラ此方と男心を揺さぶるサウンドはもっともっと悩ましいのである。この調子だと次なる作品に待ち惚けを食らいそうだ。

-NO.604-


★ゑびすビルPart1★

 今年のゑびすビルは何かと話題に事欠かない。春先の“ブックマーク・ナゴヤ”や先程閉幕した“あいちトリエンナーレ”のサブ会場として重宝されている。春先と違い新しいショップが入っていたし、行けば何かがある、何か待っていてくれるようなそんな予感のもと訪れその期待に応えてくれる。相も変わらないのはエントランスのドアと、入ってすぐに目を惹きつけられる階段脇の賑やかなディスプレイ達。これはキルト地だろうか、ただ糸で可愛らしさを表現した鼠色したネズミ君が居る。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-take a picture  前回のブログでジュリー・ロンドンを取りあげたように、ここのところジュリー・ロンドンにハマってしまっている。というか東芝EMIさんにハメられてしまっているのである。一挙30枚にもおよぶ紙ジャケ化、しかも10枚ごとに未発表曲集なる非売CDがもれなくプレゼントされるのだ。よりによって2枚もあるから都合20枚は買わなければならないことになる。

 そんなかんなでジュリー嬢を聴きあさっていくうちに、ひょんな曲と再会した。晩年のアルバム“ヤミー・ヤミー・ヤミー”の中の一曲<サンデイ・モーニン>だ。これはマーゴ・ガーヤンのデビュー盤、雨だれジャケでお馴染み『テイク・ア・ピクチャー』の中の大ヒット・ナンバー。久しぶりに取り出して聴いてみるもこの気怠さと憂鬱さはどうひいき目に見ても日曜日の朝でなく、日曜の午後、しかも陽も暮れかかるころじゃなかろうかと。ああ休みも終わっちゃったってな感覚だよね。

 つづく<サン>はいかにも日曜の朝ってな感じが僕の気分も上々となってくる。<ラヴ・ソングス>についてはウイスパー・ヴォイスの面目躍如たるナンバーで、クロディーヌ・ロンジェと瓜二つといっていい。<ソウツ>はポール・マッカートニーににも精通する作風で好感が持てる。といったところでこのアルバムすべてのナンバーが彼女の手に依るものだということを今この時を持って驚かされる。

 10曲目の<サムワン・アイ・ノウ>は終始バッハの“主よ、人の望みの喜びを”が新たな息吹を吹き込んでいて面白いナンバーとなっている。何故か僕の日曜の朝はコレで目覚めたい気持ちでいっぱいになる。

 ところで<サンデイ・モーニン>に関していうなら、まだジュリーの方が日曜の朝聴いてもまだ許せるかも(笑) ガーヤンのはまさに日曜出掛けたにも関わらずお目当ての画廊が休みだった気分になる。 そう、take a picture! そして雨ジャケは、どれも絵になる。そしてベストはどう転んでも<サンデイ・モーニン>に他ならないと知った今日という日。

-NO.603-


★星画廊★

 あいちトリエンナーレで再発見した伏見地下街、そこにポツンというかボンヤリというか不思議な佇まいを見せてくれる画廊がここだ。 週末のみ中に入れ、月曜から木曜まではウインドーからの鑑賞のみとなる。日祭日は休廊日で覗くことすらできないのだ。とはいえ何たって名前がいいじゃない、star gallely だもんね。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-lonly girl  懐かしい響きだろう、活版印刷。活版活字入れ。昔は印刷屋さんでよく見たぎっしりと詰まった活字。よく見たというのも隣が印刷屋さんだったからだ。印刷機の音、機織りの音、真っ黒ではなく33%ほど藍色を含んだインクの匂い、そして機織り機が発するスチールとスチールが擦れあい、その中を縦横無尽に動き回る油の匂い。それらは明瞭なる癒しとなり一向気にならないのに対し、現代社会における雑多な音や匂いは喩えるのも憚るほど気になる一方。

 ふと開け放たれた窓からふわりと聴こえてくるのがジュリー・ロンドンの『ロンリー・ガール』だ。吸い寄せられるという表現がピタリとハマる好盤。かのデビュー盤“彼女の名前はジュリー・ロンドン”では、バーニー・ケッセルのギターと、思い出したかのようにそこに居たことに気づかされるレイ・レザーウッドのベース、ほんのそれだけと彼女のハスキーヴォイスだけでジュリーたる世界を築いてしまった。二枚目となる本作は名手アル・ヴィオラのギターだけが伴奏となる。極上だ。

 ヴィオラの親指が奏でるベース音がしっかりとしたアルペジオで粛々と始まるタイトル・ナンバー<ロンリー・ガール>は、夫君ボビー・トゥループの書き下ろし。フランク・レッサー作<モーメンツ・ライク・ジス>においては、最初の1小節だけ聴くだけの価値があるというもの。また歌とギターがここまで一体となった<街の噂>は、暫し時を忘れて呆然と立ち竦んでみたまえ。ほのくらい君の街だって、ほのくらい君の心だって、ほんのりと色づくことだろう。極上に。

 ここでのジュリーとはアルコール抜きで、熱い珈琲でもいかがでしょう。注ぎ入れたカップからは真っ白な湯気が立ち上り、その中には芳しい香りまでもが、やがて耳にするだろう音さえも包み込む。明瞭なる癒しが静まった頃合いを見つけては、<ミーン・トゥ・ミー>が何処からか遠くに聞こえてくる。そんな場所があったら、そこはとてもいい場所なのだよ。

 極上の一曲として。僕はハンク・モブレーでしっかりと脳裡に刻まれし<リメンバー>は、信じられないくらいのスローなテンポで、そっと、そっと、そっと幕を閉じる。僕の田舎はちりめん産業の地だったせいもあって、機織り機の音や匂い、お隣の活版印刷のテンポいい音、そしてそれら内包する匂いはジュリーとさほど変わらない。

-NO.602-


★あいちトリエンナーレ・小栗沙弥子★

 建物の窓のような場所に、新聞の薄い広告チラシをつなぎあわせ張り合わせたりして、植物のように繁殖していく地図に見せるなど、ささやかながら、建物と都市へのアプローチを得意とする現代芸術家。今回も薄暗いコンクリート剥き出しの壁に、書籍を破り散らかした作品。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-and i will dream again  2010日本オープンゴルフ選手権は愛知カンツリー倶楽部・東山コースで行われた。このゴルフ場は我家から一番近いゴルフ場であり自転車でも行けない距離でもない。が、ことプレーをしたことがあるかというと一度もない。場所柄プレー代は高く、土日はメンバー同伴でないと廻れない。県営牧野が池公園内にあり、一般開放日ならプレーできないわけではないのだが・・・ということでプロのプレーを観に行くことで初めてコース拝見となった。

 お目当ては勿論オバサン達に負けず劣らず遼君で、三日目終了時点首位と5打差の6位、あの和合の奇跡が脳裡を過る。私はこの春、あの中日クラウンズの遼君を目の当たりにした一人だった。男子プロゴルフ界に彗星の如く現れた石川遼、そして同世代の薗田峻輔、アマチュアの松山英樹、奇しくもこのスコアボードに名を連ねているではないか。池田勇太含む彼らは間違いなくこれからの日本ゴルフ界を背負って立つ救世主だ。

 今日の遼君スタートからブレている。ショット、アプローチ、パットまでも連鎖的に崩れていく。さすがの遼君も俯きかげん、観ているギャラリーの顔色も映し鏡のように冴えない。私も打ちひしがれたまま帰る訳にいかず、トップ争いを演じる舞台へと足を向けた。やはり効果覿面、ナイスショットの連発で私のこころも晴れてきた。

 結果は金庚泰の逆転優勝。優勝インタビューで彼はこう語っていた「最終ホール、遼君からガンバレ!」とエールを贈られたと。金のリップサービスもあったと思うが、遼君はスコアだけでなく人のこころを動かすものを持っていることを実感した。最後まで応援しなかった私は遼君の後押しを怠った、陰ながらパワーを彼に与えることが出来なかったことが悔しくて悲しいのだ。

 1年前に発表されたユーミン3年ぶりの新作『そしてもう一度夢見るだろう』は通算35枚目となるオリジナル・アルバムだ。とにかく第一印象は近年稀に見る快作ということ。年齢もあって最近はなかなかアルバム・ジャケに顔を覗かせなくなってしまっていたが、ここに堂々とその容姿を現したそのジャケは最高。それは待った甲斐があったというもの。いや、正直待っていなかったのだが、この新作によって次なる作品を待ち続けなければならないこととなったのは事実。

 曲の出来の善し悪し、その尺度はいかにしてかつてのユーミン・サウンドが顔を出すかである。冒頭の<ピカデリー・サーカス>は雷のSEと不安な電子音のイントロで始まるが、すぐさま25年前のハイ・ブローでドラマチックなユーミンは不思議と力が湧いてくる。2曲目<まずはどこへ行こう>は20年前のファンタジックを連れてくる。古びないのは定番な外観とサイケな内観の狭間に立つユーミンのプロ魂の成せる業。

 このアルバムで一番好きな<ハートの落書き>は、キャロル・キング張りのイントロで引き込まれファンタジック・ユーミンの真骨頂。1980年代の“リ・インカーネイション”や“ボイジャー”から27年の時を経たいま聴くと、こういったメロディの老成がむしろエヴァー・グリーンとなってくるのだ。

 ラスト前の<夜空でつながっている>とラスト<人魚姫の夢>はロマンチック・ユーミンとメランコリック・ユーミンの真髄を聴かされる。前者はしんみりと心の琴線に触れる“切なさ”モードいっぱいで、後者は彼女が得意とする淡々と無表情に歌うだけなのに、何故か漂う苦味がそこかしこと拡がってはやがて甘い眠りを誘うユーミン・ブランドだ。形動が似合うユーミンが帰ってきた。

-NO.601-


★愛知カンツリー倶楽部・東山コース★

 名古屋市内にある社団法人ゴルフ場だ。市民の憩いの場所でもある県営牧野が池公園と対をなし、こんなところにゴルフ場があったの? と意外と知らない人もいるだろう。プレー予約は大変な競争率で、県民の日とつく日に一般開場される。プレー代も高いが、一度はプレーしたいところである。今回に日本オープンゴルフ選手権はPar71であるが、通常はPar74の超難コースなのだ。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-omnibus one  私も楽器というものには何かと興味があって、素人なりにアレコレ鳴らしてみたこともある。曲になるものもあるが、それらは“音”と言わないと恥ずかしい限りだ。特にトランペットなんぞはまともに“音”すら出ないし、尺八だってあの息音を聞かす柔和な“音”には程遠く、仮面ライダーに出てくる死ぬ間際の怪人みたいな嗚咽ににも似た苦し紛れの“音”なのだ。割とすんなり音を発し、おやっ、いいねぇとビックリするのがサックスだったりする。ドラムだってスネアとタムタムを交互に叩き、最後一発シンバルを思い切り弾けば、その瞬間一端のドラマーになった気分になるのだ。しかし、楽器というものは簡単に思えたりもするが、大抵は奥の深さに匙を投げるのである。

 たいていのプロのミュージシャンは二足の草鞋を穿いていることが多く、実際にはいろんな楽器をいとも簡単に操る。基本としてピアノとギターは必須で、変わったところではアルトゥーロ・サンドバルというトランペッターはピアノ・トリオ作品を出し、多くに絶賛されたこともあった。今回本職はベーシストで、副職としてピアノを弾いたことでジャズ界にセンセーショナルなあるブームを起こしたオランダ発のエルンスト・グレールム。そのブームとは誰が名づけたのか“レトロなバス”という言葉。ジャケを見てお分かりのように、このようなアンティークなバスジャケがこの後3枚続くことになる。

 この『オムニバス・ワン』とつづく『オムニバス・トゥ』は副業のピアノで、ちょっと前に出た『オムニバス・スリ-』では本業のベースに持ち替えている。不思議なのはピアノで挑んだ場合でも、本業のベース奏者をちゃんと雇っていることだ。雇う方もなんだが、雇われる方はさらに困り果てる。何たって雇い主はベースを生業とするプロなんだから。

 さあこの『オムニバス・ワン』をジャケに魅せられて購入された方も多かろう、肝心要の内容はっていうと期待を裏切らない期待以上の出来だ。彼は阿蘭陀(オランダ)の人だがどうにもこうにもイメージが湧かない。そんな面持ちで一曲目<モア・オア・レス・シリアス>が鳴り出す。おやっ? この感じ、このイントロどこかで聴いたなってそんな思いに駆られる。音的にはドイツか東欧系のピアニストが好む切分音を多用し、バウンスするようなシャッフル・ビートがどこまでも心地いい。主旋律も負けず劣らず私を随喜の境地へと誘ってくれる。

 何となくというか途轍もなくタイトルがいい<メイク・ビリーブ・ディンプルズ・オン・ザ・ビーチ>と<エヴァーラスティング・ソウル>。前者はしずしずと進んでゆき、4分過ぎで仕切り直ししほんの一瞬だけ輝きを放って闇と同化し、侘・寂に通ずる和のこころを持つ者がどうも此処に居るようだ。後者はアルバムの中でも割と明るめのナンバーで、いつしかほのぼのとした空気に包まれていることに気づかされる。そのたたみかけてくるキュートなメロディで、ふと頭をかすめたのが1979年に沖縄出身のアイドル歌手、桑江知子が歌う「私のハートはストップモーション」のサビメロだった。うむ~、何度聴いてもヨ~似とること。

-NO.600-


★名古屋地下鉄 伏見地下街★

 名古屋と言えば全国的にも名を馳せたものに地下街があり、歴史、規模ともにスゴイのである。いや、あったのか? その地下街でも名古屋駅から一駅隣の伏見駅には知る人ぞしる伏見地下商店街があり、何とホームからそのまま地下街へストレートに繋がっている。ようは地下鉄を降り大股5歩で改札、出たところが地下街なのだ。今や少し廃れ気味だが、昔懐かしい喫茶店や誰が買うぞ的洋品店、床屋になんと画廊もある。今回のなごやトリエンナーレの作品の一部もこの場所に置かれている。


追伸:今回アップでようやく600回目となりました。500回超えてからはなかなか捗らず長~い道程でしたが、まだまだ通過点に過ぎません。何故かというと、まだまだ紹介しきれていない音楽がたくさんあり、ドキッとするような音楽は毎日のように生みだされているからです。そしてこんなつまらない戯言を飽きもせず読んでくださるお方が少数でもいらっしゃるからなのです。