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新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
ほなお暇なお方はどうぞお入りやす。
某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-thick as a brick  皆様、新年明けましておめでとうございます。

 さて前回ブログで書いたように2010年最後に聴いたのはもちろんアヴィシャイ・コーエンだと胸を張って言いたいところですが、予想通り旨いお酒とポカポカの炬燵にしてやられました。要は寝過ごしてしまったわけです。よってアカシロ決死の戦いの場にて少しながら愉しみにしていた“トイレの神様”が〆となり、私、真を以って不徳の致すところであった。

 ならばと2011年最初の一曲はと気合を入れるまでもなく、目覚まし時計から放たれた“ウルトラマンのテーマ”がそれであった。恥ずかしながら私のモーニングコールは“ウルトラマン”なのである。いつだったかウルトラマンゆえ3分辛抱すれば鳴り止むだろうと試したところ、奴のカラータイマーは4分5分と続くのだ。これならあのゼットン(初代ウルトラマンの最終回で、唯一ウルトラマンを倒した怪獣)も時間を気にせず倒せたのではないかと。まあそんなつまらない事より早く本題をとお嘆きの方もいらっしゃるのではと思いますが、そうはドッコイ、貴方の寸評より「時事ネタや人間観察の方がよっぽど面白いわ」なんてご意見を頂戴したので、もう少しばかり脱線させていただくとしよう。

 新聞に全国世論調査の結果というものが載っていた。問1、あなたはどの政党を支持しますか? は選択肢の基準がはっきりしているが、次なる設問はどうか。問2、あなたは四月の地方統一選挙に関心がありますか? だって。これは設問より選択肢に問題ありなのだ。その選択肢は、大いに関心がある、ある程度関心がある、あまり関心がない、全く関心がない、分からない(無回答)とあり、その微妙なニュアンスを拾ってどうする。まして分からない、無回答とは何事じゃ。

 かつてANAフレンドパークというコミュニティー・サイトがあり、そこでアンケート調査が誰にでも出来た。紆余曲折いろいろあったが、設問する側も回答する側も愉しかった覚えがある。ただ困ったことにはポイント稼ぎのため、矢鱈滅多に回答してくる人がいて、面倒だからといっては一番上にある選択肢に一票投じてくる。そうなると真面目にやっている方は何でもかんでも一番上の選択肢に票が集中し、真の結果が求められないままなのだ。

その対応策として、その他の選択肢を一番上に持ってきたりしていた。そうなると分からない(その他・無回答)も無視はできないのである。

 やはりそうなると、大いにとかある程度、あまりだとか全くという選択肢の設け方は回答者にとって有難いかも知れないが、それをどうとるか側(分析する側)は大変であり、よって白黒ハッキリさせて欲しいのだ。関心があるのか無いのか。それでこのジェスロ・タルの『ジェラルドの汚れなき世界』はどうなの? という問いには「良い出来である」だ。

 ジェスロ・タルとはつかず離れずの関係でつい最近まで保っていたが、ついに深入りすることとなり、前述のアルバムから聴き直した。良くも悪くも彼らとこんな関係に仕向けたのも諸事あってのこと。先ずは彼らがジェスロ・タルとつけるとき、もう一つ候補名があった、それが“キャンディ・カラード・レイン”といい、何て素敵な名前なんでしょう。そしてフルート・ジャズ・ロックと称され、初期はブルース、そしてプログレッシヴ、やがてトラッド・フォーク、ヘヴィメタ、はたまたクラシックと多様なソースを用いていること。更には演奏技術もピカ一であったこと。アルバム・ジャケットにも趣向を凝らしており、本盤も新聞紙をほぼ完璧に再現している。ジャケットについては他の盤においても度胆を抜かれるような仕掛けが施されていた。またこの盤ではレコード一枚(A面B面)で一曲という馬鹿げたことをしてしまったりと変幻自在にして感興をそそるものばかりだ。

 ということはだ、選択肢の枠を増やしていただこうか。最高に良い出来だ、まあ良い出来だね、いいんじゃない、おっと今一歩かな、これは・・・ご免なさい。無論のこと「最高に良い出来だ」に決まってる。私は○か×、あるなしの方が答えやすく、気合も入り、楽しいと思うのだが。もちろん音楽以外はね。

-NO.609-


★天井桟敷・モンユフ★

 これは天井桟敷名物でクリームチーズ・ケーキとでも言いましょうか。フランス語のモン(山)と湯布院をかけて“モンユフ(由布岳)”となっているのであろう。中にはラム酒でしっかり漬込んだレーズンがうまくバランスを保っており癖になります。絵になりますね。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-Gently Disturbed  皆さんも憶えがあるでしょう、気持ちよく電車にゆられフト目が醒める。その目醒めたわけはというと、ツ~と垂れたヨダレを冷んやりと頬で感じとったからに違いない。慌てて廻りを見やり落着きを取り戻そうと必死になるがすべてが一人芝居なのだ。頬についた寝アザ、そのこに拳を当ててみると拳痕の凹みが少しの間しっくりと馴染んで妙に気持ちいい。鼾は、歯軋りは、隣人に寄りかかっていなかっただろうかと心配になる。ましてどんな顔をして寝ていたのだろう。今私の目の前にはか細い女性が長い髪をさげてコックリコックリとしている。そうそのさげた髪で顔が窺えないということはかなりの前傾姿勢で夢見心地の状態にあり、多少のヨダレや顔の変化など下から覗き込んでも見えやしない。これほどの長い髪の持ち主ならこういった時に限っては羨ましいこととなる。目の前の黒く艶やかな髪がさわやか過ぎるくらいにパッと持ち上がった。が、がである。何と目の前の艶やかな黒髪の持ち主はオトコだったのだ。ヒョエ~である。もちろんそいつの名誉のためにも言っておくが決してニューハーフではなかったことを。

 さあ今日は晦日でなく大晦日なのだ。締めくくりに何をと考える暇も与えられず刻々と新しい年がそこまで来ている。ブログも12月はサボりにサボってこれ含めて2件とは、なんたることだ。今年最後に聴くのはコレだ! と決めつけたところで、それ紅白だの年越し●●などという俗っぽい音楽番組から発せられる曲が今年最後の曲になるなんて嫌だ! 否応なしに耳に入ることが避けられないのなら、カウント・ダウン残すことあと10分にこのアヴィシャイ・コーエンの『Gently Disturbed』の<Pinzin Kinzin>や<Eleven Wives>に<The Ever Evolving Etude>で〆ることにしよう。

 この3曲に共通していえるのが“点と点”の技芸。松本清張の有名な“点と線”でなく“点と点、そして点”から作られる至芸だ。かつて音楽評論家の渋谷陽一氏が、アメリカン・ロックを逆手に、空間のない音は疲れると評した。分かり易くいうと“間”がないのである。彼が敬愛するレッド・ツェッペリンを代表するブリティッシュ・ロックにはその“間”があったのだ。70年代ロックの超最先端技術の証でもあるシンセサイザーは、アメリカン・ロックをメインに発展、やがてそれらの電子音はギターやドラムのSEに重宝され瞬く間にロック界に腰を下ろすこととなる。

 切れ目のないサウンド、マイクを通して叫ぶのは間違いなく肉声でなくヴォーカルという名のサウンド・エフェクトでもあった。そこで一世風靡したというより、皆が欲していたのがアコースティックな生身の音だった。よってアンプラグドなる作品やライブが持て囃され、すんなりと我々の体内に張り巡らされたリンパ管に行き届くのである。

 前述の3曲、ベースのアヴィシャイ・コーエン、ドラムのマーク・ギュリアーナ、ピアノのシャイ・マエストロがそれぞれ点に近いサウンドで構成し波状攻撃を繰り返す。これらは彼らのロングライフ・デザインとなり、やがてジャズ界を支配するのであろと思い巡らす。また<Chutzpan>でのマエストロが弾くピアノを聴いてごらん、ピアノ線をこれほどまでに響かせたことが出来た奴を僕は知らない。

-NO.608-


★天井桟敷★

 湯布院は亀の井別荘の敷地内にあるグレゴリオ聖歌が流れるカフェ。何やら落ち着く。時は紅葉の真っ盛りに窓際に佇みあれこれと思いに耽るのもいい。とっておきの本を片手に、いや素敵な人とご一緒に。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-holiday  世の中には数え切れないくらいのクリスマス・ソングがあり、誰もが知っているもの、そうでないもの、何だっけこの曲、メロディは判るものの曲名が出てこないのが大半である。私のクリスマス・ソングといえば、あの燃えるような赤色と清らかなりける緑の色が合わり、ところどころに金だの銀だのと無数に光る星やその放物線のような軌跡、そして辺り万遍なく白く包む雪やサンタさんの襟元とお髭、すべてが縦横無尽に頭の中を支配する。中にはそうでないものもあるが、大抵の場合、クリスマス・ソングと訊いただけでそんなイメージが植えつけられてしまっているのだ。あの山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」にしても、テレビCMで流れる画像は新幹線と若いカップルといったシーンだが、その背景には必ずといっていい、赤や緑に金や銀、そして白い世界が覆っている。

 クリスマス・ソング、私はそれ自体がどうのこうのという問題でなく、クリスマス・アルバム(企画モノ)として大いに問題ありと考える師走なのです。クリスマス・ソングに名曲多くあれど、クリスマス・アルバムに名盤なしという定説は私に限ったことではないはず。さあさあ異議申し立てなる者はコメント頂戴したく候。

 ビーチ・ボーイズ然り、カーペンターズ然り、シカゴ、F・シナトラ、A・ウィリアムス、B・クロスビー、ジャクソン5、松田聖子まで息つく暇もなく出てくる。特にジャズ畑においてはその倍以上といえるのでは。でもホント凄~いクリスマス・アルバムとなるとてんでない。

 ちょっといいなと思えるのが、ジョーン・バエズの「ノエル」という煌びやかで静謐なクリスマス聖歌集と、マンハッタン・トランスファーでジョニー・マンデル編曲によるクリスマス・ソング集の美しすぎるハーモニーに心溶かされるくらいのもんだ。ただそれを飛び越えるアルバムがあった。前にも紹介した女性ベーシスト、ケイト・デイビスの『HOLIDAY』がそれ。前作のデビュー盤で私のハートを鷲掴みにした張本人だ。

 先ずは<2000 Miles>。ロック・バンド、プリテンダーズの姉御クリッシー・ハインドの畢生の隠れたる名曲。何とも可愛らしいではないですか。ここではケイトのふくよかであり力強さはベースでなくヴォーカルにて輝きを増している。

 ジャズのクリスマス・ナンバーの定番といえば<Santa Claus Is Coming To Town>でしょう。私の中ではビル・エヴァンスの演奏が一番好きで、彼女をしてみても遥か手の届くものには程遠く、残念。と思った隙にエヴァンスと対等に渡り合えるベーシストは彼女ではないかと脳裡に入り込んできたベースが聴ける。

 <Little Drummer Boy>を聴いてすぐさまスティーヴ・ガッドお得意のドラミングが思い出された。彼はまさしくこの曲を何度も何度も叩き続けたに違いないと疑いの余地さえ与えない。この曲は誰が演っても恰好よく納まるジャズ・クリスマス・アルバムには必須のマスト・アイテムなのだ。ここではケイトのヴォーカルがドラムだけを背に、本来の貧しき少年がこの時ばかりと喜び勇んで太鼓叩く姿が切なく響き感動的。

 <We Three Kings>、これでも私はベースマンなんだよ、いや、ベース・ウーマンなのよと男勝りに訴えかける痛快なナンバー。またフランク・レッサー作<What Are You Doing New Year's Eve>は、クリスマスというより「今年最後の日はいかが過ごされますか」といった大晦日にしてはドリーミーな作品。最後の<Man With The Bag>はチャーミーな小品で、自身のベースのみを伴奏にクリスマスの楽しさを最高のヴォーカルで〆ている。といった具合です。

-NO.607-


★星の回廊(木村崇人)★

 あいちトリエンナーレで彼が作り出した星は、手と手、そして身近なものを使い光と影で織りなす無数の星たちだった。名付けて「星のこもれ陽プロジェクト」。名城公園と栄町会場でのお披露目となり、私のHN、ぺんたんぐる、星とは縁深いのだ。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-素敵な匂いの世界  私の勤める会社に40歳になっただろう彼が大のファンと称して追っかけをやっているのが“B’z”で、CDも全部揃え、アリーナ級のコンサートにも独りで出掛けているらしい。会社での彼の性格や日々の行いを見ていると、私はとても信じ得ないのだ。

 そんな私にも彼から見れば「一緒じゃないですか」と言わせる節があり、それは最近になってファンという境域に足を踏み入れさせていただいたのが超人気シンガー“斉藤和義”だからなのだ。彼とは4つしか歳は違わないし、書き下ろしている詩の内容も世代の近さを感じるわけで、そもそも彼を知る誘因となったのが作家“伊坂幸太郎”だった。斎藤と伊坂は“フッシュ・ストーリー”や“ゴールデン・スランバー”で互いの才能を弾かせ、そしてお互いリスペクトし合っている仲だという。

 私がひとつのミュージシャンなりを聴き進める手順として、時期は気にせずランダムに聴いていく方法とデビューから今に向かって聴く方法があって実のこと九分九厘が後者になる。滅多ないことなのだが、現在より徐々に歴史を辿って聴いていく方法もないわけでもなく、過去にはビートルズやストーンズ、ジャンルは変わるがジャズなどは大概がそうである。

 さて肝心の斉藤和義について何を書いたらいいのか、この場に及んで未だ分からないでいる。まず紹介したいのがデビュー2作目になる『素敵な匂いの世界』だということ。何故この作品なのかというと、彼についてはデビュー盤から順序よく聴いたせいか“青い空の下・・・”含む初期の2枚にショックを受けたからだ。

 意外や皆さんは日頃テレビCMで彼の作品を数多く耳にしているハズ。それ故彼の作り出すメロディはキャッチーこの上なく、曲のタイトルだって、歌詞の一部を切り取ってみても、ストーリーテラーとしての微かな前触れが芸術性を高めている。ギターの腕前も上々で、オープニング・ナンバーの<一人よがり>は斎藤のA・ギターと石坂のE・ギターの温度差がとても心地よく響く。

 初期の名曲、いやこの先ずっとずっと名曲であり続けるだろう<彼女>はデビュー盤にある“好きな人の手”と並んで自己陶酔型失恋ソングの代表格でしょう。声はあの“チャゲ&飛鳥”の飛鳥に似ていて、詩世界も近いんじゃないでしょうか。

 つづく<幻の夢>は懐かしかなAOR調、<何もないテーブルに>ではワルツ調のバラードと曲作りの巧さが際立っている。<君の顔が好きだ>と<エステに行こう>は真面目にオチャラ気してるのがいいし、<神様 お願い!>と<僕は他人>はバンドとして見事に成り立っており、ギターの石坂とピアノの田中が刻む律動が斎藤にリラックス感を与え最上のヴォーカルを歌わせている。

-NO.606-


★山村 満願寺そば★

 私が蕎麦好きになっていつか、いつの日か行ってやろうと思っていた蕎麦屋だ。念願叶って山粧う10月の終わりに訪ねた。細き険しき道を進むと、ひっそりと待ってくれてました。何でも旧家を少し改装したらしくその良さは残ったまま。部屋には懐かしいダルマストーヴが頭にヤカンを乗せ一足先に冬支度をしていました。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-candy everybody wants  これはロックなのか、トラッド・フォークの部類に属するのか、はたまたパワー・ポップなのか分類不能なバンドが10,000マニアックス。インディー時代のサウンドはまさしくニュー・エイジ・・ポップ的で、ブロンディやシンディー・ローパーっぽい音を鳴らしていた。かく言うもメイン・ヴォーカリストが希有なナタリー・マーチャントという女性だったに他ならない。

 私にとってまた面倒なモノと遭遇してしまったと少しの憂鬱と僅かな喜悦が、干上がった大地に勢いよく雨が浸み込むように身体中の血管を走り廻って行った。早速CDなるものを買い求めに行かねばと奔走する。

 今の世の中は大変便利に出来ており、自宅に居ながらパソコン1台あれば何だって出来ちゃう。CDを買うことも、何なら10,000マニアックスについて調べることもできる。オークションで市価より安価にCDだって買える時代なのだ。さて一つの方法として行きつけのCD中古店巡りも気晴らしにもなり、掘り出し物にぶつかる面白さもあるからCDを聴くという行為と等しく愉しい。

 さて東京は吉祥寺へ行った折りにディスクユニオンへ漁りに行った時のこと。10,000マニアックスは今となってはマニアック過ぎてアーティストの見出しさえもなく、店員さんにバンド名を言っても瞬時に反応してくれないほどだ。ようやく店員さんが、「あっあれね、あれは500円のコーナーにありますよ。でもジャンル分けもなにもしてないのでどこにあるかは・・・」と。要するに人気薄のためバーゲン・コーナーに放りこんであるので勝手に探してということだ。その500円コーナーを見て、ヒェ~、ここかぁ。

 まさに宝探し状態。折しも一緒にいた友達も従者としてその山へ挑む決心をしてくれたのだ、心強い。しかし当てもなく地道なというか地味な作業だ。誣いては店内は薄暗く、視力の機能性および戦闘能力は老眼を装備しているだけ。結果は5分で敵前逃亡となったのはいうまでもない。

 後日、家に居ながら簡単にインターネットで中古盤『アワ・タイム・イン・エデン』という彼らのラスト・アルバム(その後再結成)を手に入れた。いきなりマイナーなピアノにのってナタリーの♪ウ~、ボソボソと呟きにも似た天使の歌声が、幾千もの悲しみや痛み疲れしか知らない戦士達を和らげてくれる命の泉のようなメロディがたまらなく響く。トラッド・フォークではと思わせたのもこの曲<Noah's Dove>を聴いてのことで、フェアポート・コンヴェンションでお馴染みサンディ・デニーを想わせるナタリーのやさしくて力強い声に誰もが励まされるであろう。

 このアルバム中、一番元気のいい<Candy Everybody Wants>はタイトルからしていい。♪Hey,Heyとナタリーが歌うのに合わせて君もどう? キャンディを頬張って両手は軽く肘を折って上で揺らし、腰をクックックと動かしてさあ♪Hey,Heyと底抜けに愉しいキャッチーでキュートなナンバーだ。

 ラストの<I'm Not The Man>はまたもやトラッド・フォーク系と思わせるナンバーで、雰囲気はボブ・ウェルチが在籍していた頃のフリートウッド・マックに似ている。この仄暗さがたまらなく、やはりナタリー・マーチャントのやさしくも力強い歌声に終始心身のバランスが保たれているようである。

 10,000マニアックスを知るきっかけとなったのが何だったのか、半世紀近くも生きてきた私にとってつい最近のことがどうもダメのようである。ずっとずっと昔のことはよく覚えているのにね。「いやいや、貴方もあれこれと忙し過ぎて大変なんですよ」と慰めていただける歳になったということでしょうか。

-NO.605-


★小栗沙弥子・あいちトリエンナーレ★

 以前にも書籍を千切ったアートでご紹介した小栗沙弥子さんの切り抜きアート。これは蝶の図鑑を翅の部分だけを切り起こしあたかも蝶が止まっているような、飛び出そうとしているかのような作品に。この他にも様々なパターンで蝶の図鑑をアートにしてしまっている。