皆さんも憶えがあるでしょう、気持ちよく電車にゆられフト目が醒める。その目醒めたわけはというと、ツ~と垂れたヨダレを冷んやりと頬で感じとったからに違いない。慌てて廻りを見やり落着きを取り戻そうと必死になるがすべてが一人芝居なのだ。頬についた寝アザ、そのこに拳を当ててみると拳痕の凹みが少しの間しっくりと馴染んで妙に気持ちいい。鼾は、歯軋りは、隣人に寄りかかっていなかっただろうかと心配になる。ましてどんな顔をして寝ていたのだろう。今私の目の前にはか細い女性が長い髪をさげてコックリコックリとしている。そうそのさげた髪で顔が窺えないということはかなりの前傾姿勢で夢見心地の状態にあり、多少のヨダレや顔の変化など下から覗き込んでも見えやしない。これほどの長い髪の持ち主ならこういった時に限っては羨ましいこととなる。目の前の黒く艶やかな髪がさわやか過ぎるくらいにパッと持ち上がった。が、がである。何と目の前の艶やかな黒髪の持ち主はオトコだったのだ。ヒョエ~である。もちろんそいつの名誉のためにも言っておくが決してニューハーフではなかったことを。
さあ今日は晦日でなく大晦日なのだ。締めくくりに何をと考える暇も与えられず刻々と新しい年がそこまで来ている。ブログも12月はサボりにサボってこれ含めて2件とは、なんたることだ。今年最後に聴くのはコレだ! と決めつけたところで、それ紅白だの年越し●●などという俗っぽい音楽番組から発せられる曲が今年最後の曲になるなんて嫌だ! 否応なしに耳に入ることが避けられないのなら、カウント・ダウン残すことあと10分にこのアヴィシャイ・コーエンの『Gently Disturbed』の<Pinzin Kinzin>や<Eleven Wives>に<The Ever Evolving Etude>で〆ることにしよう。
この3曲に共通していえるのが“点と点”の技芸。松本清張の有名な“点と線”でなく“点と点、そして点”から作られる至芸だ。かつて音楽評論家の渋谷陽一氏が、アメリカン・ロックを逆手に、空間のない音は疲れると評した。分かり易くいうと“間”がないのである。彼が敬愛するレッド・ツェッペリンを代表するブリティッシュ・ロックにはその“間”があったのだ。70年代ロックの超最先端技術の証でもあるシンセサイザーは、アメリカン・ロックをメインに発展、やがてそれらの電子音はギターやドラムのSEに重宝され瞬く間にロック界に腰を下ろすこととなる。
切れ目のないサウンド、マイクを通して叫ぶのは間違いなく肉声でなくヴォーカルという名のサウンド・エフェクトでもあった。そこで一世風靡したというより、皆が欲していたのがアコースティックな生身の音だった。よってアンプラグドなる作品やライブが持て囃され、すんなりと我々の体内に張り巡らされたリンパ管に行き届くのである。
前述の3曲、ベースのアヴィシャイ・コーエン、ドラムのマーク・ギュリアーナ、ピアノのシャイ・マエストロがそれぞれ点に近いサウンドで構成し波状攻撃を繰り返す。これらは彼らのロングライフ・デザインとなり、やがてジャズ界を支配するのであろと思い巡らす。また<Chutzpan>でのマエストロが弾くピアノを聴いてごらん、ピアノ線をこれほどまでに響かせたことが出来た奴を僕は知らない。
-NO.608-
★天井桟敷★
湯布院は亀の井別荘の敷地内にあるグレゴリオ聖歌が流れるカフェ。何やら落ち着く。時は紅葉の真っ盛りに窓際に佇みあれこれと思いに耽るのもいい。とっておきの本を片手に、いや素敵な人とご一緒に。