新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景 -4ページ目

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景

独断と超偏見による、勝手気ままでええ事しか書かん日記のようなもんです。
まあるい形してて、音が飛び出してくるモノへの愛情表現です。
ほなお暇なお方はどうぞお入りやす。
某サイトの『ぺんたno座右の銘盤』、『続・ぺんたno座右の銘盤』の続編となります。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-helpless  半世紀近く生きてくると自分の廻りに病気自慢、薬自慢がウイルスが如く増殖している。そんな折、山下洋輔氏がまたも新刊を出され、その文中にはご多分に漏れず病気自慢の話が当然の如く誇らしげに鎮座しているのである。あたかも読者である私たちを諌めてのことなのだろうか、はたまたそれを読んで安慮を得る者がいるからなのであろうか。そうそう寺島靖国氏も読売新聞に掲載しているコラムで、病気自慢な一面を覗かせている。否、一面ではなく全面にだ。とは言っても両者ともに明るさを失っていないのがなんとも救われるね。

 クロスビー・スティル・ナッシュ&ヤング(以下略 CSN&Y)唯一のスタジオ盤『デジャ・ヴ』は病的とも思える化学反応を引き起こした。元はというとクロスビー・スティル&ナッシュにニール・ヤングが加わったことでそら恐ろしい作品が生まれたのだ。しかしその実験的ユニットは、二度三度と繰り返されることはなかった。それでいい。それだからこそいいのだ。

 <Carry On>、このアコースティックなイントロを聴いて一辺のロック・ファンはツェッペリンのあの曲が思い浮んだことと察する。あの曲だ、あの・・・。畜生、なかなか出てこないツェッペリンのあの曲のあの、それ、ほれ・・・何やっけ。やっぱり出てこない。困ったことに私は営業マンであるからに人の名前や店の名前、挙句の果てに約束すら忘れてはダブルブッキングの昨今。今のいま手に持っていたペン、書類の類が何処へやら超越したマジックのように消え去ってゆく。もちろん私の記憶とやらの小さな世界にあってのこと。悲しいかな幾つもの経験と齢を重ねた結果であろう。心優しき人は私にこう言う、「貴方は忙しいからねぇ」って。ホントありがたいねぇ、報われます。

 さてこのCNS&Y、四人の雄姿方々で誰がお好きかと問われれば普通即座にニール・ヤングと答えるであろうが、次の一曲<Teach Your Children>で気にかかり、メルヘンチックな<Our House>で確信、やがて彼のソロ・アルバムでお披露目となった【Chicago】という曲でいとも簡単にしてやられた。言うまでもなくグラハム・ナッシュである。でもどうだろう、このアルバムでスティーブン・スティルスの<Carry On>、デヴィッド・クロスビーの<Almost Cut My Hair>も黙ってはいない。いつもの数十倍の魂とやらが籠っており、鬼気迫るとは大袈裟だが何かが乗り移ったかのようにとんでもなく素晴らしい。

 ニール・ヤング一人増えたことでこうも変わるのか。相乗効果、すなわち運命の出会いであったのだろう。<Helpless>、ニールが切々と歌う、感動的だ。どうしようもない、たた身を委ねるほかない。無力と化した自分が“helpless helpless helpless”それでいいのだ。<Woodstock>はジョニ・ミッチェルの手に依るもので、つづく表題曲<Deja Vu>と共にCSN&Yとしてバンドの統率感が良く出ている。すぐさま運命の別れが来ることを知っていたのかも。やっぱり“helpless”。

-NO.614-


★お食事処 漁師の店 “こだわり”★

 自身のブログであまり食事そのものをアップすることは少ないのだが、どうしても、どうしても紹介したくなったのだからしょうがない。輪島にあるお食事処“こだわり”という漁師の店。おススメは日替わり御膳があるが、その日は名物とされている“ブリのたたき丼”だ。この写真のほかに若芽のお味噌汁とお新香がつく。海苔がちりばめられた熱々のご飯にかけるのだがそのまま酒の肴に食したい、もちろん能登の銘酒“宗玄”を傍らにおいて。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-カルロスクライバー  さてこのブログも紆余曲折の末613回を重ねてきましたが、まだまだ登場していないアーティストがごまんと居ることに気づきました。先ごろアップしたシカゴやジェスロ・タルなんぞ最たる例で、ごまん(5万)とは言いませんが秘かに登場を心待ちしている方達が何人何組か居られます。序でといっちゃぁなんですが、ジャンルにも未開地がありまして、それはクラシックです。

 私は正直クラシックは好きですし耳にする機会も多くあります。CDなども少々持っております。しかしながらア~ダコ~ダと知識がないうえに批評など出来ませんゆえ薀蓄すらもありません。というわけでどうかこれ以下の拙筆をお許しくださいまし。

 クラシック記念すべき第一弾は何にしようかと感える間もなく目の前にあったの一枚、カルロス・クライバー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団主催の『1992 ニューイヤー・コンサート』であります。

 ニューイヤー・コンサートは1939年から続いている伝統あるコンサートで、毎年名の通り1月1日の正午に開演。今年はフランツ・ウェルザー=メストが指揮。2002年には我が日本が世界に誇る小澤征爾が指揮をとり、あのカラヤンでさえ意外なことに1987年の一度きり。私がクラシック界で一番のお気に入りのクライバー氏は1989年と合わせて2度あります。特に1992年については“伝説の”とつくほどあまりにも有名。

 なぜ私がクライバー・ファンになったかは単純極まりなく、私の周りはカラヤンカラヤン小澤カラヤン、実兄までもがカラヤンだったからだと捻くれ者の私はクライバーに必然と手を差し出したのです。とはいえ好きになるため、いや、カラヤンよりクライバーが好きな理由を探すために聴き漁った時期もありました。私素人なりに見極めることができたのが自称このニューイヤー・コンサート対決だったのです。

 このところプロ野球界で話題の斉藤祐樹を“柔”と称し、巨人入りした沢村を“剛”と称したのと同じ感覚でした。カラヤンは“剛”でありクライバーは“柔”と。クライバーは特に早いテンポになればなるほど“柔”が際立ち、たちまちその逕庭に驚くのです。まあシュトラウスに因んだ曲目というのもあったかもしれないですが。

 ウィーン・フィルの創始者に敬意を表して<ウィンザーの陽気な女房たち>で静かに幕を開け、一年の始まりに何とも相応しく、未だ私のなかでクライバーの名演として君臨しつづけます。序奏部から主題に入る前の流動感あふれる弦の調べにゾクゾクっと何度聴いてもしますねぇ。

 クライバー魔法の左手と銘打たれたワルツ<天体の音楽>は、瑠璃色したビードロのように繊細で、アンコールはお待ちかね<美しく青きドナウ>と<ラデツキー行進曲>が万感の拍手によって迎えられ万感の拍手となって送られる。見えてきそうです汗だくのクライバー、その感動的羨望におそわれます。

補足としてジャケットでクライバー自身が鉄道ラッパを吹いているが、これは4曲目<観光列車>での一幕。♪ププゥ~ ププゥ~ サービス精神も旺盛だ。

-NO.613-


★いがわ小径・郡上八幡★

 郡上おどりで有名な郡上八幡は神聖なる水の有処(ありど)であり、吉田川に注ぐいつくもの水路は生活する者には欠かせない。そのなかでも“いがわ小径”は水路と歩道が一体となり、サツキマスや鯉も生息している幅およそ1M・全長100Mに亘る隠れたる名所です。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-bt&mgs UL  ちょっと前、ブッカーT&MGsの新譜が出るらしい! の報せにテンヤワンヤの大喜び。右に左にゴロゴロ寝転がっては頭を柱の角にぶつけるわで、暫し痛みというより感覚がどこかへ行ってしもうた。昔漫画でよく頭の上で星がいくつも現れてはクルクル回る画があったやろ、まさにそんなん。夜の星のように綺麗じゃないけど、いまホンマに星が舞っている。目と鼻の奥では鉄分を絶対多数の割合で含んだ血液らしき匂いが、過去の記憶とともに蘇ってき、これは間違いなく出血する前兆だと。で、実のところ出血もしてないし腫れあがってもおらんかった。大丈夫みたい。

 その新作と思しき『Universal Language』は1977年録音の未発表モノだったが、今となってはそんなことはもうどうでもええ。お蔵入りとはよく言ったもので、耳にするはずのない九つのお宝が蔵から出で陽の目を見たんや。

 インナー・ジャケに写る4人、一際目を惹くのがスティーヴ・クロッパーの逞しさを湛えた風貌、ブッカーT・ジョーンズとドナルド・ダック・ダンは相変わらずいい面構えでええ雰囲気醸し出してます。ただオリジナル・メンバーのアル・ジャクソンが居ないのがやっぱり淋しいね。でも代わりのウィリー・ホールがようやってはります。涙出そうなくらい、似てますやろ。努力の賜です。

 オープニングの<Sticky Stuff>は超ご機嫌なナンバー。時は1977年、おや! このサウンドってあの一世を風靡した“スタッフ”じゃあ~りませんか(チャーリー浜ではありませんよ)。つづく<Grab Bag>は先ほどのナンバーをひっくり返したようなメロディにコード進行にビックリさせられます。

 <Space Nuts>にくるとタイトルが示すようにスペイシーなサウンドが俄然辺りを包み込みます。もうこうなったら彼らに宇宙服でも着させてジャケ写撮りでもやれば良かったんじゃないかと思いますね。<Love Wheels>と<Moto Cross>は某化粧品メーカーの新作キャンペーンCMソング的メロディが春らしくていいです。特に前者でのクロッパーの弾くシングル・トーンのソロ、後者でのブッカー弾くAメロ部は、桜の花弁が夜の闇に静々と散ってゆく感じがして日本人の琴線に触れっ放しです。

 MGsのオジサンたち、サウンドは古めかしいが、とっても格好いいフレーズをポッケにいっぱい詰め込んで、それをどこで使うか、その“ツボ”はちゃんとおさえていらっしゃいます。前述した前半の5曲はホンマ参りましたよ。

-NO.612-


★雪をかぶったハナミズキ★

 およそ10年ぶりとなる大雪(10cm)となった名古屋。会社へ向かう塩付通りは別名ハナミズキ通りとでもいいたいくらいにハナミズキが列をなしている。その木にはお見事、雪の綿帽子が。暮れにはまだ紅い実を鳥たちが啄んでいたのが遠い昔のよう。もう少し経てば蕾も顔を覗かせてくれる。桜が散ったあと、ハナミズキの花が満開になるころ僕はまた一つ歳をとるのだ。


新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-chicago Ⅳ  今思い起こせば60年代後半から70年代初頭にかけて途轍もない数のバンドが生まれ、途轍もなく恐ろしいバンドが存在した。その最右翼がシカゴ。何が凄いのかっていうと、デビュー盤から3作目まですべて2枚組、つづく4作目は何と仰せの4枚組となる実況録音盤『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』、通称『シカゴⅣ』だ。

 今なら輸入盤で3、000円弱程度で入手可能。しかもたんまりボーナス・トラックを加えたボックスCD4枚組。オマケとして35Pブックレット(内16Pが汗も滴るライヴ写真)に、であろう、朝もやに煙るカーネギー・ホールのモノクロというよりセピア色のポスター、メンバー7名の揃い踏み記念写真的大判カラー・ポスターを封入という凄さだ。

 この頃までのシカゴは兎角黒く、その黒さを一段と引き立たせたのがライヴ。彼らはライヴ・バンドに不可欠なショーマン・シップを遺憾なく発揮し、すでに若者文化の象徴であった四海(ロック界<海>)を睥睨するほど迫力満点だ。

 当時、シカゴに熱中していたファンは彼らをどう捉えていたのだろうか? これはただのブラス・ロック・バンドとして片づけるには申し訳がなく、一つの芸術作品としてシカゴの最高傑作といってよい内容。初期に見られる過激で政治色濃いメッセージ性は、まさにカーネギー・ホールがアメリカの議会場へと変貌した瞬間であり、あたかも国を揺るがすほどの声明文をあとに、シカゴは70年代半ばまで世の中の中心に居座り続けることとなる。

 カーネギー・ホールに居合わせた観衆は見えていたのだろうか、それとも見えていなかったのだろうか。オープニングは<イン・ザ・カントリー>。この凄さをどう表現すればよいのか、この私の書く手が進まないほど、声も出ないというのはこういうことだったのかと思い知らされる。演奏が始まるまでの準備運動、即ち音合わせというものが何だか曲に聴こえたりそうでなかったりと、あの<イン・ザ・カントリー>としての真の姿を現さない。2分半になってもまだ調子を合わせている。ライヴにはこの緊張感が絶対なくっちゃね。と、漸く「Good Evening」というMCが唐突にこだまし、目出度く開演となる。もうここまでですっかりやられてしまっている私。リー・ロックネイン、ジェイムス・パンコウ、ウォルター・パラゼイダーによるバルブ三兄弟(金管楽器三人衆)のアンサンブルは圧巻。

 名曲<いったい現実を把握している者はいるだろうか?>は、作者ロバート・ラム弾くピアノ・ソロはクラシカルな調べと思わせ、実は8ビートだったりして常にロックしている超カッコいいソロ。途中、4ビートに変調させジャジィーなムードに、やがてゴスペル風にと色とりどり変幻自在に。後にも先にもこの頃しか聴けない、いつまでも聴いていたいパフォーマンスだ。

 デビュー盤で最もメローな<クエスチョンズ67/68>は、最もメローな声の持ち主であるピーター・セテラの一声で、早くも70、80年代に湧き上がるAORを先取りしたかのような錯覚を覚えずにいられない。それほど一歩どころか二歩も三歩も歩んでいたのだろうか。いったいシカゴ40年の歴史において、この曲がベスト10にずっと居残るとは誰が予想しえたのだろうか? 決して<いったい現実を把握・・・>をパロったりはしてませんよ(笑)

また<ビギニングス>ではテリー・キャスの正確無比に刻むギターが心地よく、ここまでがディスクⅠとなりヒット・オン・パレードの様相を示している。

 ディスクⅡではダニエル・セラフィン叩くドラム・ソロ<モーターボート・トゥ・マース>が懐かしくもあり、ロックのライヴ盤で秘かな愉しみとしていたのがドラム・ソロだった。ギター・ソロってたいていの曲に組み込まれているがドラム・ソロはなかなかないよね。

 ディスクⅢ、シカゴの特徴といえばホーン・セクションのアンサンブルの妙や個々の高い演奏技術、そして最も強力な武器は幾人もリードをとれるヴォーカリストをかかえ、一旦控えに回った時に横一線となってハーモニーを繰り出すパワーは恐ろしいほど。ジェイムス・パンコウによる組曲【バレエ・フォー・ガール・イン・バキャノン】の全7曲のほとんどがインストに近いメドレーで、私は天にも昇る思いで何度も何度も聴く。

-NO.611-


★能登空港デッキ★

 石川県2つ目となる能登空港。奥能登の方にしてみれば待望の空港といえ、東京を中心に行動範囲が広まったのは間違いなく、能登への観光客増にも貢献しているはずだ。さて時間つぶしにと送迎デッキに出てみると、そこには以前小型飛行機に使用されていたシートがベンチ代わりに置かれていた。なかなか洒落ているではないの。eco対策というか再利用の最先端を行くのではと少し大袈裟ではあるがふと感じた一品、いや逸品ではないでしょうか。

新・ぺんたno座右の銘盤withボクの新百景-all through the night  最近私のお気に入りの作家が百田尚樹という方で、何に魅かれたというと、彼は関西で超人気TV番組、今や全国的になりつつある“探偵ナイト・スクープ”という番組を手掛けているという触書を目にしたことだった。さっそく彼の処女作【永遠の0(ゼロ)】を読み、以後【ボックス!】や【聖夜の贈り物(輝く夜)】を手に入れるべく某大型書店へ馳せ勇んだのである。

 ところが本屋へ来て探すも無い! 確か検索機では在庫有りとなっていたではないか。どの書店でも【永遠の0】は平積み山積み状態であり、彼の他の作品がまったく無いハズがない。近くの店員を捉まえ、いや、この場合の私は、店員を犯人さながらに捕まえたという表現の方が相応しいのかも。

 先程検索したプリントを店員に渡し、コレって店頭在庫ないんですか? と尋ねると、ああそれね。と彼の思考回路は一点を指示し、大脳からの行動指令を受け、計算され尽くしたナビのように最短距離でつたつたっとあるべき本の前へ。まさかと思ったが、まさしくそのまさかだった。店員は“ま行に始まる、も行”から迷うことなく、ホレっ、ここにあるでしょと言わんばかりに取ってみせた。

 釈然としない私はコレって、も行に置いてあったら誰も分かんないでしょう。コレは、ひ行じゃないと駄目ですよと教えたのだ。するとすかさず店員は、「はぁ~?」とバカを見るような目で私にこういうのである。「ももた なおき」ですよねと。私もすかさず応戦。コレは「ももた」でなく「ひゃくた! なおき!」と叫んでいた。憶えておけ!とそこまでは言わなかったが、一番損なのが作家百田尚樹氏であることは間違いない。今もどこかで折角の販売チャンスを多く逃していらっしゃるのではと気の毒になった。

 新年早々愚痴ってばかりいられないので爽やかな一枚を。近頃ご紹介が増えつつあるジュリー・ロンドンから『オール・スルー・ザ・ナイト』を。もちろん彼女のバラ色のようなヴォーカルもご機嫌だが、この盤に限っていえばバックを務めるバド・シャンク・クインテットを聴くため存在価値が数百倍にもなっている。

 50、60年代のウエスト・コーストを代表するアルトマンといえばアート・ペッパーとこのバド・シャンクで大方片づけられる。いまだペッパーはマイ・フェイヴァリット・アルトマンなのに対し、バド・シャンクとなるとどうも食いつきが悪い。ペッパーの存在あるが故なのか、彼の作品はあれど何処にしまい込んだのか在処もあやふやだ。

 男気のあるペッパー、一方シャンクのイメージは弱々しい、もしくは女々しい、か弱い、良く言えば女性的で可憐とでも言うのでしょうか。さらに60年代半ばにはビートルズなどのポップス・ナンバーに手を染めてしまい、そんなシャンクを聴いて吐き気を催したのも事実。しかし、ここでのシャンクは見直したぜ! と言わせるのだ。

 コール・ポーター作、熱烈なラブ・ソング<アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン>のシャンクのイントロで釘づけになること必至。終始ジュリーと寄り添うようにシャンクが秘密めいたアルトを聴かせ、間奏部ではラス・フリーマン弾くカラフルなピアノ・ソロ、そして極めつけは最後の最後にやって来る。シャンクのアルトはエンディングの3秒で、森閑とした空気のなか小さく感動する。

-NO.610-


★丸の内イルミネーション(ティファニー前)★

 これは昨年12月の或る夜。午後5時、一斉に灯が点される。色とりどりもいいが、単色が寄り集まったイルミネーションは暖かさと落着きを与えてくれる。どこか儚げで意地らしくもあっていい。